2020年6月下旬、ある男がアメリカに向かう飛行機の中で1本の電話を受け取った。アメリカでの会議を控えていた彼は電話の後、急遽会議をキャンセルして飛行機をUターンさせた。この男の名はハシム・サチ、東南ヨーロッパに位置するコソボ共和国の大統領であり、電話の内容は彼自身が戦争犯罪の罪で起訴されたというものだった。サチ氏は罪への関与を否定し、7月中旬にはオランダのハーグで4日間の質疑に応じたようだ。中止されたアメリカでの会議はセルビアとの関係改善をめぐるものであったが、その行方はどうなるのだろうか?また、現役大統領が起訴されたコソボという国で今、何が起きているのか?コソボとセルビアが抱える複雑な問題について紹介していく。
ユーゴスラビアの興亡
歴史上、コソボはセルビアの一部であり、そのセルビアもユーゴスラビアの一部であった。ユーゴスラビアが位置したバルカン半島は古くから東欧、西欧、中東を繋ぐ交差点的な役割を担い、それぞれから影響を受けてきた。そこには、古くはキリスト教カトリックのローマ系民族の人々やキリスト教正教のスラブ系民族の人々、アルバニア系民族の人々が暮らしていた。15世紀には中東地域から勢力を広げたオスマン帝国の影響下に置かれたため、イスラム教が広がりを見せた。その結果、バルカン半島は複数の民族と宗教が混ざり合った地域となった。そして19世紀にはオーストリア=ハンガリー帝国とオスマン帝国という二つの帝国に挟まれながら生活し、両国の影響を受けた。
バルカン半島にはそれまで大きな国家は存在しなかったが、オスマン帝国の崩壊と第一次世界大戦の終結の結果、第一次世界大戦後にセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(ユーゴスラビア王国)が建国される。しかしこの国は、その名の通り複数の国家によって構成された国であり、後にできたユーゴスラビア社会主義連邦共和国も6つの国家(※1)からなる連邦国家であった。複数の国家からなる連邦国家でありながらもユーゴスラビアが1つの国家として機能していたのは、ヨシップ・ブロズ・ティトーという強力な指導者がいたからである。しかし、ティトー氏を1980年に失うと、各国家の中でナショナリズムが高まっていった。景気も下降の一途をたどる。冷戦の崩壊後は、西側諸国から借入していた金の債務が膨れ上がっていたこともあり、ユーゴスラビアは1つの国として機能しなくなっていき、独立する国が続出した。
クロアチアはユーゴスラビアの中でも経済的に裕福な国家で、独立したほうが良いという判断があったことから、スロベニア・マケドニアと同じく1991年に独立を宣言する。しかし、クロアチアを手放したくなかったセルビアを中心としたユーゴスラビア陣営が反発し、ザグレブで行われたティモナ・ザグレブ対レッドスター・ベオグラードのサッカーの試合での両サポーターと警官の衝突など、多くの事件が発生した。結局クロアチアはユーゴスラビアから独立を果たしたものの、今度はクロアチア内でのクロアチア系住民とセルビア系住民などとの紛争が発生した。最終的にこの紛争は1995年まで続き、セルビア系住民はクロアチアからの撤退を強いられ、クロアチア内のセルビア系住民による自治地域も、国連暫定統治を経てクロアチアの統治下に入った。また、ほぼ同時期にボスニア・ヘルツェゴビナでも同様の紛争が勃発した。ボスニア・ヘルツェゴビナにはボシュニャク系住民、クロアチア系住民、セルビア系住民が住んでおり、特にボシュニャク系住民は独立を目指していた。それにセルビアが反発し、1992年の独立宣言以降衝突が始まった。この紛争では約10万人の死者と200万人の避難民が生まれる。最終的に国連平和維持活動およびNATO(北大西洋条約機構)の介入を経て、1995年、アメリカの仲介でセルビアとボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、ユーゴスラビアは平和条約を締結し、問題は一応の解決を見た。そしてユーゴスラビアとして残ったのはセルビアとモンテネグロだけとなったが、セルビアの内部では未解決の問題が残っていた。それがコソボの存在だった。
コソボの独立へ
コソボは前述の通りセルビアの一部であったが、2008年に独立を宣言したヨーロッパで1番新しい国である(※1)。しかし、その独立までの道のりには絶えずセルビアとの衝突があった。セルビアにとってコソボはユーゴスラビア時代から続く未解決の問題だ。コソボ地域もバルカン半島の他の地域と同じように複数の民族が暮らしており、多数派のアルバニア系住民とセルビア系住民が暮らしていた。1974年、ティトー氏は多数派民族であるアルバニア系住民に、力の強いセルビアを牽制する意味も込めて自治権を与えていた。1980年代になりティトー氏が亡くなると、ユーゴスラビアの他の地域と同様、不景気やナショナリズムの高まりでアルバニア系住民とセルビア系住民の間で衝突が増えていった。そんな中、セルビアの中心人物であったセルビア共和国幹部会議長のスロボタン・ミロシェビッチは、1980年代後半から90年代前半にかけて、これまでコソボ地域に認めていた自治権を大幅に制限したり、学校でのアルバニア語の使用を禁じたりするなどの政策を取った。
それに対し、コソボの議会は独立を宣言するなど非暴力抵抗を行ったが、他にもアルバニア系住民をセルビアの国家従業員から解雇することを命じる法律を可決させるなど、アルバニア人の自律性の排除をセルビアが進めた。その中で、非暴力抵抗には限界があると感じた派閥はコソボ解放軍(KLA)などを結成し、1996年からセルビアに対して攻撃を開始する。この行動に抑圧行為で応えたセルビアとKLAによる武力闘争はコソボ地域全土に広まり、欧米の調停もむなしく激化していった。KLAはテロ組織としてアメリカに認定されるまでの過激な行動を繰り返し、対するセルビアは戦闘員と民間人の区別をせずに武力で鎮圧したため、多くのアルバニア系住民が国外へと避難する人道危機となった。これを受けてNATOはセルビアに対し空爆を行うことで対応するが、この空爆も民間人を巻き込むなど、紛争を一気に激化させ、多数の難民が発生してしまった。そして、1999年6月にユーゴスラビアが和平提案を受け入れ、コソボ地域は国連が暫定統治することとなった。
国連の暫定統治下に入ったコソボは独立国家としての性格を強めていく。KLAの中心的指導者であったサチ氏が所属しKLAの流れをくむコソボ民主党(PDK)やコソボ未来同盟(AAK)などの政党が生まれた。また、国連暫定政府は統治のための憲法を制定し、2001年には初めての選挙が行われた。この期間コソボ地域に残ったセルビア系住民に対する風当たりは強いもので、2004年にはセルビア系住民に対する暴動で死者が出てしまう事件も起きた。このように国内に問題を残したまま2007年に行われた選挙ではPDKが勝利し、サチ氏が首相に選ばれた。そして2016年にはコソボ紛争後から生まれた大統領の役職に議会から選ばれて就任した。サチ氏はコソボの独立を行うと宣言し、2008年に独立を果たしたが、セルビアからは依然としてコソボという国は認められていない。また、2020年の時点で113 ヶ国が国家承認しているものの、拒否権を持つロシアの影響があり国連安全保障理事会の承認が出ず、国連に加盟できていないなど、国際的な問題が残っている。
コソボとセルビアを取り巻く国際問題
コソボが抱える複数の問題を解決するにあたって避けて通れないのは、セルビアとの関係の改善である。しかしセルビアからすると、KLAとNATOの武力行為によって無理やり引き離されたコソボの独立は認めがたく、セルビアの一部であるとの認識を示している。また、コソボには亜鉛などの天然資源が多く存在し、その資源を手放したくないという経済的な理由もある。さらにコソボ北部には多くのセルビア系住民が住む地域があったり、コソボ地域はセルビア建国に関する重要な場所で、最古のセルビア正教会や多くの修道院等があったりと、セルビアにはコソボを手放したくない歴史的、宗教的理由がある。
他方、コソボは事実上の独立を固めていき、セルビアの一部に戻る気配がない。そればかりか、依然自分たちを国家として認めないセルビアからの輸入製品に対して100%の関税をかけて経済面から圧力をかけるなど、関係は悪くなる一方であった。
それにもかかわらず、現在セルビアとコソボの間では交渉が本格化している。サチ大統領とセルビアのアレクサンダル・ブチッチ大統領によって、アルバニア系住民の多く住むセルビアの南部とセルビア系住民の多く住むコソボの北部を領土交換し、両国家の内部にある摩擦を減らすという案も考慮されるなど、両国は少しずつながら歩み寄り、最終的に直接会談を行う段階までこぎつけたのである。
では、なぜ両国は歩み寄りを見せたのだろうか。理由の1つとして挙げられるのは、EUの存在だ。両国は共にEUに加盟を打診していた。それに対してEU諸国には、地政学的に重要な地域であるコソボの問題を解決することでコソボに恩を売っておきたいという思惑があった。そこで、セルビア、コソボの両国にEU加盟の条件として互いの関係改善を要求し、交渉を開始させることに成功した。これまで交渉もなく牽制し合ってきた両国を交渉の場につかせたEU諸国の功績は大きいが、それ以降、EU内部での問題の対応に追われたこともあり、コソボとセルビアの関係改善に向けた取り組みへの関与は停止してしまった。
EU諸国に代わって関係改善に向けた取り組みを進めたのがアメリカである。ドナルド・トランプ政権はコソボ問題を解決することにより外交関係の成果を得て、次の大統領選挙に向けてアピールをしたいという思惑があった。アメリカはリチャード・グレネルをこの問題に対する特別大使に任命し、コソボのセルビアに対する100%関税を撤廃させることに成功する。その後も両国の関係改善のために努力を重ね、ついにワシントンでの両国大統領の直接会談にこぎつけた。しかしこの会談は冒頭の記述の通り、サチ大統領が起訴され帰国したことで中止となってしまったのであった。
また、両国の関係改善を目指す国がある一方、関係改善を良しとしない国もある。それがロシアである。ロシアは長い間、セルビアと良好な関係を保ってきた。これはどちらにもキリスト教正教を信仰するスラブ系の人々が多く住むことなど、民族的、宗教的類似点があるためだ。またセルビアは黒海と地中海を結ぶ地域としてのバルカン半島にあり、冷戦後の欧米の進出に対抗するための地域でもあるため、ロシアはセルビアの後ろ盾となる働きをしている。
コソボとセルビアを取り巻く国内問題
複数の国の思惑が複雑に絡まるコソボ、セルビア間の交渉だが、関係改善に向けての不安の種はセルビアとコソボにも存在する。セルビアでは世論がコソボの独立に強く反発している。2019年9月にアメリカの研究機関がセルビア国民に行った調査によると、コソボはセルビアの一部であるとの意見が約70%を占め、コソボ紛争において敗れたためコソボを失ったという考えについては70%が反対とした。セルビアは近年権威主義的な体制を強めているため、コソボとの交渉で無理やり合意することも考えられるが、それは政治的なダメージが大きいだろう。また、セルビアのブチッチ大統領もEU加盟が達成されただけではコソボ独立に同意することはないと発言している。具体的には、コソボ内にセルビアの自治組織を作ること、コソボ内のセルビアに関する中世のキリスト教教会に特別な権限を付与すること、資源に関してコソボがセルビアを優遇することを条件として提示している。
コソボ側の問題として挙げられるのは、この記事の冒頭にもある、サチ大統領がコソボ専門室・専門検察庁(SPO)によって起訴された件だ。SPOは2016年に主にコソボ紛争時の戦争犯罪および人道に対する罪を含む重大な国境を越えた国際犯罪を調査するために設立されたコソボの司法制度の一部であり、EUもこの機関が設立されるプロセスをサポートしている。サチ大統領は1990年代から続いたセルビアとの紛争の中でKLAの指導者として精力的に活動していたが、その間に殺人や迫害、拷問、臓器売買等に関与したとして戦争犯罪の罪に問われている。
実は今回の起訴以前にもコソボ紛争時の犯罪に関する調査は進められていたが、その調査の中でいくつかの妨害が働いてきた。1つには、1990年代に旧ユーゴスラビアで起こった戦争犯罪について裁判を行うための組織である、国連旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所の調査中の例がある。コソボ紛争時の犯罪の調査中、KLAの兵士が起訴されると、その事案の証人が暴力や脅迫を受けた。また、コソボ紛争時の国際犯罪を裁くための裁判所が紛争17年後にできたものの、設立後に何人かの議員が法律を変更することによって裁判所を解体・閉鎖・解体しようとした。他には、起訴された人物と裁判官が食事をしているのが目撃されたりするなど、判決に影響を与えようとした動きも見られた。そして、サチ大統領にも調査の対象になってきたが、サチ大統領は調査の手をかいくぐり、また時には調査を妨害するなどして起訴を免れてきており、サチ大統領自身は戦争犯罪での関与を否定してきた。証人の身の安全を守るため、またコソボ国内での圧力を受けずに裁判を行うための裁判所がオランダ・ハーグに設置されており、SPOはそこで裁判を行う予定である。サチ大統領には、コソボ紛争時の犯罪に加えてこの犯罪の調査妨害の件についても調査が進められる予定である。
今後の展望
以上のように、コソボとセルビアの間に横たわる問題は歴史、民族、宗教など多くの要素が絡まったとても複雑なものである。そこに欧米諸国の思惑も加わって、単なる2国間の問題ではなく、国際的な問題となっている。各国の思惑が絡まりながらも両国が歩み寄りを見せてきた中での今回のサチ大統領の起訴問題は、揃いつつあった足並みが崩れかねない事態であり、判決内容によっては、大きな変化が起きる可能性もある。これからの起訴問題の進展、そしてセルビアとコソボの関係に注視していきたい。
※1 セルビア社会主義共和国、モンテネグロ社会主義共和国、マケドニア社会主義共和国、クロアチア社会主義共和国、スロベニア社会主義共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国
※2 2008年2月、コソボ議会がセルビアからの独立を宣言し、実質的に独立状態にある。2020年の時点でまだ国連加盟を果たしていないが、193の国連加盟国のうち113カ国がコソボの独立を認めている。
ライター:Yoshinao Araki
グラフィック:Yumi Ariyoshi, Mayuko Hanafusa
セルビアと良好な関係を続けてきた日本が、コソボを承認してしまったことは残念な事であり、特筆に値すると考えます。
コソボについて全然知りませんでした。今回の大統領が起訴された件で今までの交渉が水の泡とならないといいなと思いました。今後の動向にも注目したいです。
非常に複雑な問題が分かりやすくまとめられていてよく理解できた。
様々な国や組織の思惑が絡んでいて、簡単には解決できない問題である。
しかし、例えばトランプ大統領は次期選挙に向けてのパフォーマンスの一環で改善を図ったり、EUもコソボに恩を売る目的で改善に繋がる行為を促した。このように関与する国や組織にとって、問題の解決につながる行為にインセンティブを上手く与えることができれば、解決にはつながるのかもしれないと考えさせられた。