2017年11月、レバノンのサード・ハリリ首相が、異国の地サウジアラビアに滞在中、突然辞任を発表した。レバノンへのイランの関与と、自身の命が狙われていることを理由にしていたが、あまりにも突然で不自然な展開であったため、海外メディアから異なった説がだんだんと固まってきた。元々ハリリ首相はサウジアラビアのムハンマド王子と砂漠キャンプに行く予定のはずだった。しかし、ある調査によると、突然携帯電話を没収され、さらにボディーガードと離され、サウジアラビアの警備員に強引に押しつけられた結果、最終的に、事前に書かれていた辞任スピーチを手渡され、サウジアラビアのテレビカメラの前で言うよう強制されたらしい。さらに、辞任発表後も帰国することができず、レバノンの首相はサウジアラビアにより拉致されていたのではないかという見解が強まった。ハリリ自身もサウジアラビアもこれを否定したが、疑いが晴れることはない。一体なぜこのようなことが起こったのだろう。周辺国とはどんな絡みがあるのだろうか。レバノンについて詳しく見ていきたい。
レバノンの政治体制
アジア、ヨーロッパ、アフリカの3つの大陸の分岐点にあたるレバノンは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の拠点に地理的に近いため、多民族、多宗派の国であり、イスラム教(シーア派、スンニ派、ドルーズ派)キリスト教(マロン派、ギリシャ正教、カトリック、アルメニア正教)等の18もの宗派が存在する。さまざまなアイデンティティの勢力がある中、安定を保つ措置として、憲法により国会の議員数が各宗派の数に対応して定まっているなど、議会の構成が宗派ベースというめずらしい構造になっている。慣例としていつも大統領はキリスト教、首相はスンニ派、国会議長はシーア派であり、議会の席はイスラム教勢力64議席、キリスト教勢力64議席とあらかじめで分けられている。
独立後のレバノンとその周辺国
レバノンの情勢は、国内の宗派の対立という観点だけでは理解できず、地域全体として見る必要がある。それぞれの国内勢力は周辺国と歴史的、宗教的、政治的なつながりがあり、不安定な要素になっている。ここからはレバノンを取り巻く各国の関係はどのようなものかをみていきたい。
1943年、レバノンはフランス委任統治領から独立したが、宗教、民族を無視した国境線がひかれ、複雑な民族構成であったため国家の帰属意識は薄かった。なんとかとれていた微妙な政治的なバランスは、相次ぐ中東戦争や、1970年にヨルダンから追放されたパレスチナ解放機構(PLO)がレバノンに移ったことで崩れた。その結果、キリスト教徒マロン派勢力とPLOの勢力の対立は悪化し、さらに、イスラム教勢力はシーア派、スンニ派に分かれそれぞれ民兵組織となり対立した。また、レバノン南部に駐在するPLO排除という目的を称して、1970年代から紛争に介入する機会を伺っていたイスラエルが侵攻したため、紛争は激化した。
1982年、イスラエルは本格的にレバノン南部に侵攻、占領すると、PLO、シリア、イランなどが対抗して、レバノンのシーア派勢力を応援した。その過程で、イスラエルの占領に抵抗するためにできあがったのが、シーア派の政治武装組織ヒズボラである。ヒズボラは特にイランから大量の武器や支援をもらうなど密接に関係している。また、レバノンを囲むシリアは、自国の安全保障と影響力を確立するために、1976年から国軍を派兵し、紛争の当事者国となった。そして、さらにもうひとつの地域大国がレバノン情勢に深く関与している。1979年のイラン革命以降、地域のライバルとして懸念し、対立するようになったスンニ派のサウジアラビアだ。サウジアラビアはスンニ派勢力に影響を及ぼそうとし、ヒズボラを強く批判している。この状況下、地域の平和と安定を保つため、イスラエルとレバノンの国境付近に15,000人で構成されている国連平和維持部隊(UNIFIL)が展開され、現在も駐在する。
レバノン戦争は1990年に終わり、イスラエルは2000年に撤退、シリアも2005年に撤退した。しかし、ヒズボラとイスラエルとの対立は続き、2006年にイスラエルが再び侵攻し、南部レバノンの大部分が破壊された。それにもかかわらず、ヒズボラはレバノンにおいて勢力を大きくのばし、いまではレバノン国軍より大きな戦力となっている。さらに政治、教育、医療などの分野でも大きく躍進、活躍し、活動する地域では、国家の中の国家とまで言われており、場所によってはレバノン政府より統治能力がある。現在、レバノンでは武力衝突は起きていないが、周辺国の影響を含む不安定な要素が数多く残っている。
レバノンの現状
2010年にチュニジアで始まったアラブの春が北アフリカおよび中東に広がる中、レバノンには新たな不安定な材料が現れた。シリア紛争である。シリアに囲まれたレバノンはシリア難民を受け入れるようになり、その数は100万人以上に上り、これはレバノンの人口の4分の1にもあたる。短期間でこれほどの人口の変化が起きると、レバノンの社会と経済に大きな影響が与えられたというのは言うまでもない。学校の教室が足りなくなり、保健医療などの公共サービスへの負担が増え、道路補修などのインフラ整備も停滞するなど、難民への生活支援が経済を圧迫している。
また、政府の汚職も深刻なレベルとなっている。政治家は投票を金で買おうと市民を買収し、インフラ整備のプロセスの腐敗や、非効率な官僚主義による競争市場の減少が毎年広がっている。電気システムがその一例だ。レバノンでは停電は毎日起こり、多くの市民は家の灯りのためにとても高価な発電機を購入している。インフラ整備を求める声は大きいが、この発電機を扱うビジネスマンが党派のリーダーと繋がっていることが多いため、問題はなかなか改善されない。パトロンを重視して公共整備が進まず市民はさらに政治不信になるという悪循環が続いている。また、紛争や政治混乱、隣国シリアからのIS(イスラム国)侵攻の恐れなどが原因で、投資は著しく下落している。
このように、レバノンは大量の難民受け入れや政治腐敗、投資の減少により経済状況は深刻だ。このような状況の中、市民は苦しい生活を余儀なくされ、ヨーロッパへの脱国者が後を絶たない。
レバノン9年ぶりの選挙
シリア紛争とその難民問題が原因で議会の任期が2度も延長されており、2018年5月に総選挙は9年ぶりに行われた。投票率は約49%で、前回の54%を下回った。辞任劇で信頼を失ったハリリ首相のスンニ派政党は議席を減らすこととなり、ハリリ氏は今選挙の敗者となった。また、ヒズボラとその同盟の連立は、前回から大きく躍進し、128議席のうち67議席と過半数以上を勝ち取った 。ハリリ氏がスンニ派首相にとどまるとしても、ヒズボラに対し強い態度でいることはできないだろう。ヒズボラは現在シリア紛争にも関わっており、アサド政権側に立ち、反政府勢力の弾圧に大きく貢献し、他にもイラクやイエメンにも派兵している。イランはヒズボラと協力する姿勢であり、レバノン政府もレバノン国軍より軍事力が強く、政治力もあるヒズボラとは上手く協調していかなければならない状態だ。
今回サウジアラビアのリヤドで突然辞任発表をしたハリリ首相は帰国後辞任を撤回した。しかしこの辞任劇は、スンニ派のハリリ首相がヒズボラ勢力に歩み寄ったことに対し、シーア派のイランの存在を警戒するサウジアラビアが憤慨して辞任を迫ったのではないかと考えられている。現在イランはレバノンでのヒズボラ躍進を利用し、隣国イラクとシリア、そしてレバノンまで勢力を拡大しようとする一方、サウジアラビアがこのような強硬手段を使って徹底的に抵抗し、自身の影響力を強めようとしている状態である。中東では、スンニ派国家サウジアラビアとシーア派国家イランの覇権争いがますます激しくなっている。レバノンが周辺国の影響から解放され、安定した多民族国家になる日はいつやってくるのだろうか。
ライター:Mizuki Uchiyama
グラフィック:Hinako Hosokawa
日本にすむ私たちには想像も理解も難しいくに、地域の問題についてわかりやすい図、写真、文章で読みやすい記事でした。
他の国のトップを「拉致」して辞任させても、他国からの批判がほとんどない状態は不思議で仕方がない。
サウジアラビア国内の恐ろしい人権侵害もそうだが。
サウジアラビアは、石油を大量に売る国、武器を大量に買う顧客。
アメリカ、ヨーロッパ、日本などから批判されなくて済む力になっている。
他の日本語メディアからはなかなか得られにくい地域についての情報がよくまとまっており、いつも感心しております。
イエメンでもサウジアラビアとイランが介入して対立してたけど、本当にサウジアラビアとイランは中東のあらゆる政治に関与してるなあ…