2015年、ヨーロッパに大量の難民・移民が流れ込んだニュースは記憶に新しい。人々がボートに乗って命がけで地中海を渡った様子やヨーロッパでの対応は大きな注目を集めた。現在もその流入は続いている。しかし、これは移民・難民が挑む旅の一部に過ぎない。ボートに乗る以前、彼らが何から逃れようと、どこからやって来たのか?その道のりの中でどんな困難に直面したのか?このような部分が注目されることは少ない。
ヨーロッパを目指す移民・難民の多くはシリアやイラクなどで発生し、トルコやギリシャを経由するルートを通っている。そのほかにも、アフリカで発生しサハラ砂漠を渡るルートでヨーロッパに向かおうとする移民・難民の人数も非常に多い。そしてこのサハラ砂漠ルートは危険に満ちあふれている。明確に算出することは難しいものの、サハラ砂漠で発生した移民・難民の死者数は、実は地中海を渡る中で死亡した移民・難民の数の少なくとも2倍であると言われている。本記事では、この危険なサハラ砂漠ルートを通るアフリカの移民・難民の実態を扱う。
移民・難民はどこからやってくる?
武力紛争、抑圧的政権、貧困などを原因として、アフリカは多くの移民・難民を生みだしている。しかし、難民の大半は隣国や近隣諸国に逃れ、アフリカ大陸内にとどまった状態で国に帰れる日を待っており、ヨーロッパに移動するのはわずか3.3%程度である。
まず、西アフリカでもっとも多くの移民・難民を発生させているのはナイジェリアである。ナイジェリアではここ5年、チャド湖付近でボコハラムという武装組織と政府や周辺国との紛争が続き、ナイジェリア近辺の一般市民が避難している。また、マリも紛争の問題を抱えている。この紛争は北部で独立の実現を求めるツアレグという遊牧民族と、その独立を阻止しようとする政府との戦いから始まったが、アルカイダや周辺国でも活動している過激派組織が紛争当時者となって参戦したため、戦況が悪化した。
次に、西アフリカ以外の難民発生国で目立っているのが紅海に面するエリトリアである。紛争はないが独裁政権であり、最近まで敵対関係が続いていたエチオピアとの戦争に備えて無期限の徴兵制が課されたり、報道の自由度ランキングでは北朝鮮に次ぐワースト2位であったり、国民の自由や権利はないがしろにされ、難民が数多く発生している。
また、極度の貧困から逃れようとして西アフリカなどの国々からヨーロッパを目指す移民の数も少なくない。ナイジェリアもそうだが、ギニア、セネガル、ガーナなどで、貧困と、それに伴って教育やまともな医療が受けられないことなどが主な原因として挙げられる。その他に、世界最大のカカオ生産国コートジボワールで農業に従事する人々は、ココアの価格変動の影響を受けやすく、またアンフェアなトレードで低賃金しか得られないという現状に嘆いている。若者の雇用がほとんどなく、状況を打破するためにヨーロッパに渡る人々は、年々増え続けている。
このように様々な理由で苦しめられた人々が、リスクと全財産をはたいてヨーロッパを目指している。
移民・難民はどのように砂漠を越えてやってくる?
移民や難民の多くはリビアに集まり、リビアから船に乗りもっとも近いイタリアへ渡る。このルートで2016年には13万人がたどり着いている。リビアはもともとアフリカの中では比較的裕福で、石油で潤うリビアにはアフリカ諸国から多くの労働者が移住していた。更に当時の最高指導者だったムアンマルアル・カダフィは、ヨーロッパ内での移民・難民の急増を防ぐため、移民・難民をアフリカ大陸に引き留めることを条件にイタリアから多額の契約金を得ていた。2011年にカダフィ政権が倒れ、暫定政府が樹立されたものの、新政府では全国の領土を統治することができなかった。その結果、リビアは実質的に複数の民兵・武装勢力の支配下に陥り、移民・難民が大量に流出することとなった。また、密輸ネットワークや犯罪組織が発達し、収益性の高いビジネスとして人身売買の仲介役を担う人が増えた。
移民・難民は祖国を離れて、密輸業者のトラックなどに乗せられてサハラ砂漠の中を集団移動し、いくつかの中継地を経てリビアに向かう。このルートは古くから発達していたサハラ交易が基になっており、かつて交易で栄えた交通の要所が、現代でも移民・難民の移動の中継地となっている。
主要な中継地の一つであるニジェールの都市アガデスは、過激派や武装集団の台頭で都市が衰退すると、交通の要所としての利点が活かされ、重要な密輸ハブになった。そしてテネレ砂漠のツアーガイドとして長い間観光産業に携わってきた遊牧民族のメンバーは仕事を取り合い、多くが密輸業者に変わった。他にも、マリの首都バマコ、ニジェールの首都ニアメは、それぞれ空路や陸路の要所として、また経済の中心地として、多くの移民・難民を集約している。
移民・難民はどのような被害に遭う?
移民・難民は祖国を出発したのち、様々な国を経由して、主にリビアから地中海を渡りヨーロッパを目指す。彼らがヨーロッパに到達するのには数か月、時には数年もかかる場合もある。この長期間の中で、移民・難民は砂漠内の移動だけでなく、生活費や交通費を稼ぐための労働も行うが、その中で強盗や性被害、人身売買、暴行など、常に様々な危険と隣り合わせで暮らしていかなければならない。そしてそのようなリスクを背負ったとしても、ヨーロッパにたどり着ける人はわずかしかいない。
まず、移民・難民は様々な国を経由するため、常に不法入国で逮捕される危険性がある。そこで移動の各段階でブローカーに依頼し、安全な道のりを探す。しかし、砂漠という厳しい環境の中で、乗車しているトラックが故障して歩かざるを得なくなった時、食糧や水分が尽きてしまったり悪徳なブローカーに置いていかれたりしてそのまま死んでしまう場合もある。また、政府や軍によってルート移動を妨げられる場合もある。アルジェリアは移民・難民の流入を防ぐため、サハラ砂漠を移動中の移民・難民を2016年から2017年にかけて13,000人以上も追放した。妊娠中の女性や子供ですら、食べ物や水を与えられずに追い返さてしまった。
砂漠を渡る途中、中継地の難民キャンプなど人の集まる場所に着いても安心はできない。衛生状態の悪い住環境に耐えなければならなかったり、頻発する強盗や性暴力の被害から常に身を守ったりしなければならないのである。またリビアでは、不法入国などで逮捕された場合、留置所を運営している民兵によって協力している密輸業者に売り飛ばされる被害も起きている。
中継地ではこのような危険から身を守りながら、次のブローカーを探したり、ブローカーに請求される高額な資金を集めるべく働いたりする。もともとの所持金が少ないうえに、ブローカーから不当な額を請求されることも多々あるため、中継地での滞在は長期にわたる。低賃金で体力を要する日雇い労働で、難民や移民は安い労働力として利用され、移動に必要な金額を稼ぎ切れず、ずっと仕事をやめられない人もいる。中継地を発つ際に、「ヨーロッパでいい仕事を紹介する」などの誘い文句で移民や難民を騙し、実際はヨーロッパに到着した後に女性を拘束し、売春の仕事をさせるブローカーも存在する。
やっとの思いでリビアにたどり着いてからも、地中海を渡るためには更に金銭が必要なため、ここでも長期労働が待っている。また、留置所を運営する民兵の指揮官の支配下に置かれ、搾取されたり奴隷として売られたりする被害も相次いでいる。さらに、かつての奴隷貿易のように、移民・難民が大勢の前でオークションにかけられている映像が出回り、外の世界に衝撃を与えた。
このように、移民・難民は地中海を渡る以前にも常に命の危機を経験している。ヨーロッパにたどり着くのは奇跡だと言ってもいいほどである。
難民・移民だけではない砂漠ルート
もともと歴史的に大きな貿易ルートだったサハラ砂漠は、広大なうえに人の住みにくい環境であるため、砂漠に面するそれぞれの国が国土・国境線の監視・管理・統治する能力が限られていた。いわば無法地帯になりやすい場所である。そのため、移民・難民の移動ルートとしてだけでなく、アフリカからヨーロッパへの麻薬やタバコなどの密輸ルートや、武装勢力・過激派組織のネットワークが、複雑に絡み合っているのがこの地域なのだ。
そのような背景から、サヘル地域などで活動する過激派組織が隠れて潜み、サハラ砂漠はテロを起こしやすい場所となった。サハラ砂漠で活動したテロリストの例として、モフタ―ル・ベルモフタ―ルという人物が挙げられる。モフタ―ルは砂漠ルートを利用して武器やタバコの密輸に従事する傍ら、イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)のリーダーの一人となっていた。AQIMから独立したのち、2013年にアルジェリア東部で外国人37人が殺された天然ガス施設への襲撃事件など複数のテロ攻撃に関与していると言われている。
また、アメリカ軍はニジェールなどにドローンの基地局を、フランス軍はマリやニジェールとリビアの国境付近に軍事基地を設立し、軍事活動を行っており、ますます緊張感の高まる地域となっている。
移民・難民はこのような緊張感のあるルートを、死と隣り合わせで移動している。
各国・機関の対処法
このように移民・難民が命にかかわる様々な被害を受けている状況を受けて、当事国はどのような対応を行っているのだろうか?
アフリカ連合(AU)とリビア政府は欧州連合緊急信用基金(EUTF)からの資金援助を受け、2016年に国際移住機関(IOM)と共に人道的な帰還プログラム(Voluntary Humanitarian Return Program, VHR)を立ち上げた。このプログラムでは移民の名簿登録、ヘルスケアと救済援助、心理社会的支援、地域安定化プロジェクトの推進などを行っている。他にも、IOMは移民・難民をリビアの留置所から母国に返すチャーター便を手配しており、2018年1月から7月の間で10,950人の移民・難民をアフリカ諸国に安全に返還した。また、国際機関だけにとどまらず、ナイジェリア政府もリビアからナイジェリアに帰国を選択した移民や難民をチャーター便で数回送り届けている。
一方、受け入れ国であるヨーロッパ側はVHRプログラムなどへの資金提供は行うものの、やってくる移民・難民の数をなるべく減らすことが自分たちの最重要事項であるという姿勢を貫いていることは明白である。例えばEUは、難民として認められるか否かの判断を下す難民審査センターをヨーロッパ側ではなくリビア側に設置すると提案したが、この案はリビアの過酷な現状を考慮していないと批判された。
さまざまな対策が実施されるようになり、救済される移民・難民は増えてきたものの、全体の中でみればごく僅かな数である。また、移民や難民を保護したり、母国への帰還を促したりすることも重要だが、問題の根本的な原因を取り除かれなければ、本質的には解決しない。多くの問題が複雑に入り混じっている中、越境した武力紛争や貧困問題の解決、そして世界で広がりつつある格差の軽減に取り組まなければ、この危機は収まらないだろう。
ライター:Aya Inoue
グラフィック:Hinako Hosokawa
「難民」ときくと、シリアで発生した難民がトルコやヨーロッパに流入している問題をイメージしがちで、アフリカには難民のイメージがあまりなかったので視野が広がりました。
難民がアフリカ大陸内で避難をし、自国に帰ることを望んでいる、ということが意外でした。記事を読む前は難民を受け入れている国家の負担を減らすために、もっと多くの国が難民を受け入れればいいのでは…という風に思っていました。でもこの解決策では難民の本当のニーズに応えることはできないので、難民問題の解決はそんな単純にはいかないのだなと感じました。興味深い記事でした。
この記事を読んで、日本の新聞やテレビはシリアのことばかりを報道しているなと感じました。
アフリカのこのような問題は、まず周知されないと、解決に至らないだろうと思います。