2023年5月現在、中国には陸の国境が確定していない国が2つある。1つはインドであり、もう1つはブータンだ。特に、この3か国の国境が集まるドクラム高地一帯を巡ってブータンと中国は互いに領有権を主張してきた。インドはブータンを支持している。
この地域に関して、2023年3月25日、ブータンのロテ・ツェリン首相がベルギーの新聞ラ・リブレのインタビューを受けた際の彼の発言が物議を醸している。その発言は、「インド、中国、ブータンはドクラム高地の紛争において同等の発言権を持つ」というものだった。
一見すると対話で紛争を解決するという平和的な姿勢を見せているようにも見えるこの発言が、なぜ物議を醸しているのだろうか?ここには中国、インド、ブータンの3か国の複雑な関係が現れている。その関係も踏まえながら、今ブータンで何が起こっているのかを見ていこう。

ブータンの首都、ティンプー(Birger Hoppe / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
ブータンと周辺の関係
ブータンはヒマラヤ山脈の中にある国であり、その面積は約38,000平方キロメートルである。そして険しい山や深い谷が多く見られる国土の中で、約78万人の人々が各地に点在するようにして人が住んでいる。産業では、標高差が大きいという国土の特性による多様な気候を生かして、農業が盛んに行われている。一方でブータンは外貨を得る手段として水力発電で得られた電力の輸出や観光業にも注力している。一方、山岳地帯という立地上の制限と国内市場が小規模であることにより、農業と公共セクター以外の産業は限定的である。
政治については、1907年以降権力を握ったワンチュック朝が現在も存続しているが、政治体制は2008年に二大政党制の民主主義に移行した。なおブータンは,国の発展の指標として一般的に使用されている物質的な豊かさを示す国民総生産(GDP)の他に、国民総幸福(GNH)(※1)という指標を正式に採用した国としても知られている。
ブータンの周辺に目を向けると、南部にはインド、北部には中国がある。ブータンとインドの関係は、イギリスがインドを統治していた時代に遡ることができる。ブータンはワンチュック朝が権力を握ってから約3年後の1910年に英領インドに統合され、それ以降内政についてはブータンに自治権を与える代わりに、イギリスが外交を「指導」し、外国からの侵攻から政治的に保護する事になった。インドがイギリスから独立した後、1949年にインドとブータンは友好条約を結び(※2)、今度はインドがブータンの外交権を持つことになった。この条約は2007年に改正され、ブータンは外交に関して、インドの「助言」から独立して行動できるようになり、より広い裁量が与えられた。ただし、これはブータン政府の意図がインドに友好的である場合に限られ、特に領土については相手国の安全保障と利益に害をもたらすような使用は禁じられている。
また、ブータンとインドは経済的にも深い関わりを持っている。両国はお互いの貿易に対して関税をかけない自由貿易協定を結んでおり、2020年のブータンとインドの貿易額は12〜13億米ドルにのぼり(※3)、これはブータンの貿易総額のおよそ82%をインドが占めていたことになる。また、ブータンの水力発電により生み出された電力はインドへの重要な輸出品目になっており、インドへの輸出のおよそ15%を占めている。さらに、ブータンの通貨、ニュルタムはインドの通貨であるルピーとの間で両替レートが一対一で固定されていることからも、両国の経済が深く結びついていることが窺える。

インドのナレンドラ・モディ首相とブータンのロテ・ツェリン首相(MEAphotogallery / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
一方、ブータンではインドに対する経済的依存や貿易赤字、そして水力発電の建設について不安視する声もあるようだ。それによると、インドの目的は自国の利益のためにブータンの市場や天然資源を搾取することだという。特に水力発電について見ると、建設にかかる費用はインドからの無償提供や融資によるものがほとんどであるが、融資の部分について2018年の時点でブータンは約21億7,500万米ドルの水力発電絡みの債務を抱えていた。このようにインドに大きく依存していることが、ブータンが経済的自立を進めるために中国との関係を模索する要因の一つだと考えられている。
次にブータンと中国の関係を見ていこう。ブータンと中国の間には、正式な国交が結ばれていない。その理由としては、直後で述べるように領土が未確定であることのほかに、ブータンと中国の接近を望まないインドからの圧力、そして中国と正式な国交を持つと経済力を通じて内政干渉される恐れがあるという意見の2つが指摘されている。ただ、国交がないブータンと中国の間にも事実上の貿易関係は存在し、2021年の中国からの輸入は約1億米ドル、中国への輸出は約8,500米ドルとなっている。とくに近年は中国からの輸入の増加が著しく、輸入額が約20万米ドルであった1995年から500倍に成長した計算になる。なお、輸入品の約77%はコンピューター関連の製品が占めている。
そして両国の間には、国境が未確定の領域が残されている。ブータンは4箇所、中国は6箇所の地域について領土を主張しているが、主なものはブータン西部のドクラム高地、そして北部のジャカール・パサムルン渓谷だ。この問題を解決するために、1984年に両国の間で国境画定のための話し合いが始まった。1996年には、中国はジャカール・パサムルン渓谷をブータン領とし、代わりにドクラム高地を含むブータン西部を中国領とするという提案を行ったが、ブータンはそれを受け入れていない。

インドと中国の国境画定会議(MEAphotogallery / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
ブータンを巡る出来事
ここからは、ブータンと中国の国境画定のプロセスを中心に見ていこう。先程出てきたブータンと中国の間にあるドクラム高地は、実はインドにとっても重要な場所である。なぜならインドの大部分とインド北東部をつなぐシリグリ回廊に近い位置にあるからだ。したがって、中国のドクラム高地に対する領土の主張は、インドの懸念材料となってきた。
そして2017年6月に大きな衝突が発生した。きっかけについては、インドのメディアでは中国軍がドクラム高地に道路を建設したという報道が見られた一方で、中国のメディアではインド軍が不法に中国領に侵入したという主張が見られたが、事実として、インドと中国の両軍はドクラム高地に展開した。なお、この地域の領土を主張しているわけではないインドがブータンと中国の間の問題に介入した根拠として、インドは両国間の友好条約を主張した。実際にインド軍はブータンに基地を持っており、さらにブータンの軍隊を訓練する責務を負っている。しかし、友好条約そのものには防衛についての言及がないことも指摘されている。なお、このときブータンは中国軍と対峙するインド軍のもとに自国の軍隊を派兵しておらず、またインドに援軍を求めていたかという点について、ブータンは両国を刺激しないように曖昧な立場をとっている。
このとき、現地には両軍とも300人ほどの兵士が向かい合い、大規模な戦闘は発生しなかったものの武器を用いない押し合いなどがあったという報道がある。また、その周辺には両国の約3,000人の軍が駐留していたという報道もあった。この対立は、8月に両軍の撤退の合意が行われたが、その後両軍とも周辺の基地を強化する動きに出た。また、中国はドクラム高地を含むこの地域のインフラ整備も進めた。この目的は、戦略的に重要なドクラム高地への事実上のアクセスを得ることと、この地域における中国の主張の既成事実化だという主張がある。なお、この動きはブータンにあるインド軍の基地から離れた場所で行われていたこと、さらに当時インドは中国との争いを望んでいなかったこと(※4)から、インドは強く反発しなかったと指摘されている。
さらに2020年に入ると、中国は圧力を強めるような動きを見せている。地球規模の環境問題に対処するための基金である地球環境ファシリティの第58回協議会で、中国はそれまでブータンの領土だと考えられていた東部のサクテン野生生物保護地区が、中国とブータンの係争地域であると主張した。いきなり中国がこのような主張を行った理由について、ブータン、そしてインドに圧力をかけるためだという主張がなされている。また、同年に中国はブータンとの係争地域であるドクラム高地から30キロメートル離れた場所に集落を建設し始めたという報道があった(※5)。一方で交渉による解決へのプロセスも進められており、2021年に、ブータンと中国は、三段階のロードマップに関する覚書を締結した。その詳細については報じられていないが、交渉の迅速化を期待する両国の姿勢が窺える。
そして2023年の3月25日、冒頭で述べたように、ブータンのツェリン氏がドクラム高地の紛争についてブータン、インド、中国が同等の発言権を持つという発言があった。インドのメディアの中には、この発言を中国寄りだとする見解が見られた。その見解によると、ツェリン氏は2019年にドクラム高地では一方的な現状変更を避けるべきだという主張をしていたが、2023年の発言は交渉による現状の変更を示唆するものであり、中国にドクラム高地を引き渡す余地を見せたという。この点について、ツェリン首相は少なくとも公の場に対するメッセージの中では方針の変更はないと主張した。
また、ツェリン氏は同じインタビューで、中国がブータンの領土に集落を建設しているという報道を否定した。これもまた中国寄りの発言だと捉える報道が見られた。この報道について、当時ツェリン氏はまだ中国との境界が確定していない地域があることを前提に、すでに確定しているブータン領内での中国による侵入はなかったという主張を行っただけだという主張がブータンのメディアで見られた。なお、2023年4月3日にブータン国王がインドを訪問したが、これは一連のブータン首相のコメントに対するインドの懸念を払拭し、ブータンとインドの関係を強化するためだと分析する報道がインドでは見られた。
このように、数十年に渡ってブータンは中国との係争地域を巡って不安定な情勢が続いている。ブータンと深い関わりを持つインドと中国の関係はこの問題を複雑にしている大きな要因であるが、そのほかの要因として、中国が道路や集落の建設など、武力以外の方法で地道に少しずつ行動していること(※6)、中国がもつ経済力がブータンにとって魅力的であること、そして諸外国の関心が低いことが主張されている。
インドと中国の確執
ここからはもう少し視野を広げて、インドと中国の関係からブータンの状況を捉え直してみよう。インドと中国の間では、約3,440キロメートルもの境界が画定されていない。この問題は歴史的にはインドがイギリスの植民地であった頃に遡ることができる。このとき、イギリスはロシアや中国との間で明確な国境を画定しなかった。インドが独立した後も、しばらくの間両国は関係の促進を優先して国境問題を棚上げしたことで解決する機会を逸した。そして1950年に中国がチベットに対して主権を主張し、同年10月にチベットの都市チャムドを占領したことで、棚上げされていた国境問題が顕在化した。そして、この出来事はインドの安全保障に対する脅威とみなされ、インドと中国の対立が深まった。
そして、1959年にチベットの首都ラサで大規模な反乱が発生した。この反乱で数千人が犠牲となり(※7)、チベットで大きな影響力を持っていたチベット仏教黄帽派の指導者ダライ・ラマを含む数万人が避難した。中国は、ダライ・ラマの亡命を受け入れたインドに反発し、両国の緊張が高まった。その結果、1962年にインドと中国の間の係争地域であったアクサイチンで大規模な衝突が発生した。この戦闘でインド軍は大敗し、7,000人が死者または捕虜になったと考えられている。なお、アクサイチンはインド、パキスタンが領有権を主張するカシミールの一部であり、中国はパキスタンの立場を支持しつつ、インドが主張する領土の中にあるアクサイチンを事実上支配している。そして1965年にチベットは中国の自治領となった。なお、この衝突のあとも1967年、1975年に衝突が発生している。
2005年には両国の間で信頼構築のための議定書が締結されたが、2020年になるとインドと中国の係争地域であるガルワン渓谷で死者を伴う衝突が発生した(※8)。この戦闘は銃撃戦ではなく、殴り合いや棍棒などの武器が用いられ、公式発表ではインド側で20人、中国側で4人が死亡したとされている。この衝突を受けて、インドは北部の国境管理を強化した。また、この衝突はインドがアメリカ、日本、オーストラリアとの関係を強化する一因にもなったと指摘されている。
このような対立は、拡大し続けている両国の経済関係にも影響を与えている。具体的には、2020年の対立を受けて、インドは数十の中国製のスマートフォン用アプリを禁止し、また中国からの投資にインド政府の承認を要求することでこれを制限した(※9)。アプリの禁止について、インドは世界最大のオンラインサービス市場の1つであり、中国のIT企業の中にはインドへの大規模な投資を行うものもあったため、アプリの禁止は中国企業に圧力をかけるための迅速で強力な措置だったという分析がなされている。また、インドで中国製品に対するボイコットの試みもあった(※10)。
ここでブータンに目を戻してみると、ブータンは位置的にはインドと中国の間にあり、さらに中国のチベット自治区と接している。さらに、係争地であるドクラム高地はインドにとって重要なシリグリ回廊を見下ろすことができる位置にある。このような位置関係から、ブータンの国境問題について考えるときは地政学的な捉え方、すなわちインドと中国の対立構造に組み込んで分析するという見方が分かりやすい。
ブータンの姿勢
ここでは、先ほどとは逆に視野をブータンに絞って見ていこう。まずはブータンの政治について軽く確認していく。ブータンは立憲君主制を採用しており、王室は大きな影響力を保持しているが、政策決定の干渉には消極的であると評価されてきた。また、新型コロナウイルスのパンデミックを巡っては、一連の対応を通じて王室は人々からの支持を得ている一方、このパンデミックを利用して権力を強固にしようとする試みは国王にも政治家にも見られないと評されている。議会は二院政であり、全72議席のうち5議席が王の任命により選ばれ、残りは選挙により選出される(※11)。首相は下院の多数を占める党の党首が任命される。

インドのラーム・ナート・コーヴィンド大統領と握手するブータンのジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク第5代国王(MEAphotogallery / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
ブータンは現在インドとあらゆる面で深い関わりをもっているが、ブータンの人々の間で、特に若い世代の間ではインドへの過度な依存に対する懸念の声がある。このような意見を持つ人々の間では貿易と投資の促進のために中国との関係を深めるべきだとする主張がなされている。またドクラム高地に対しては、2005年にドクラム高地を含む西部を中国に譲る代わりにその1.8倍ほどの面積があるブータン北部の係争地域をブータン領にするという中国の提案を検討していたが、ブータン政府はおそらくインドとの関係を優先して受け入れなかったと考えられている。一方で、ブータン北東部の国境付近に住む人々の間では、この取引を受け入れ、早期に国境を画定すべきだとする意見もある。というのは、ブータンと中国の係争地域であるドクラム高地周辺は牧畜に適した豊かな土地であり、ここでブータンと、中国の自治領であるチベットの牧畜業者が牧畜を行っているからだ。これはドクラム高地に近いブータン北東部の住民にとって深刻な問題であり、国境画定を求める要因になっている(※12)。
また、ブータンのツイッター利用者の約76%、そしてフェイスブック利用者の約65%が、ブータンが中国と対話するにあたってインドに過度に依存していることに疑問を持っているという調査結果がある。このように、ブータンは無条件にインドと深い関係を持っているというわけではなく、インドへの依存に懸念する意見や中国との接近を求める意見も存在するようだ。

ブータンの首都ティンプーの市街地(hewy / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
インドへの依存は実際に問題になった例がある。2012年に国連持続可能な開発会議が開かれていたリオデジャネイロで、当時のブータンの首相が中国と首脳会談を行い、両国は外交関係を樹立することを決定したと発表した。この発表の後、インドはブータンへの食用油と灯油の補助金を削減した。この措置は、ブータンが中国と接近したことに対する制裁だという指摘がある。その結果、当時与党だった政党は次の選挙で敗北した。また、事実として2023年現在に至るまで、ブータンと中国の間に国交は結ばれていない。
次に、ブータン政府の外交姿勢について注目してみよう。ブータンはインドと中国の間で振り回されているだけではなく、双方を刺激しないように慎重にバランスを意識した外交を行っているという見方がある。例えば、ブータン政府は中国の利害に関わるチベットや台湾についてコメントを避けている。また、ドクラム高地でインド軍と中国軍が対峙したとき、ブータン政府は一度原状回復を求める声明を出したのみで、抗議や非難を行うことはなかった。このように、大国の板挟みとなったとき、ブータンは沈黙を多用して中立の姿勢を保とうとする傾向があるようだ。
また、ブータンは1952年に即位したジグミ・ドルジ・ワンチュク第3代国王の時代から他国との関係を結ぶことに消極的な孤立主義を転換し、国交の多様化を進めてきた。1972年に王位についたジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代国王もこの方針を継承し、開発援助を主な基準としつつ、大国の覇権争いに巻き込まれないよう慎重に国交を広げていく政策をとった。
2009年頃にはこの方針から外れて国交を急速に広げていった。このとき、ブータンは国連の非常任理事国に立候補するなど、外交活動を活発化させていた。その結果、非常任理事国にはなれなかったものの、2012年時点で28か国、そして2020年時点で54か国と国交を結ぶに至った。その一方で、国連安全保障理事会の常任理事国5か国との間に正式な国交関係は現在結ばれていない。
一方、インドとの関係をより円滑にするために、ブータンは近年インドの中央政府だけではなく地方政府などとの関係を強化する動きも見せている。例えば、2018年にインド東部のアッサム州にブータンの領事館を設置した。このような動きは、ブータンとインドの国境付近の関係を円滑にし、貿易、投資、観光の促進につながると考えられている。
展望
これまで見てきたように、ブータンでは中国との国境を巡る直接的な暴力は発生していないが、不安定な状況があることには変わりない。また経済についても深刻な貿易赤字やインドへの過度の依存などの問題を抱えている。そのような環境の中で、これまでブータンはインドと中国の間で中立的な態度を保ってきた。しかし近年は中国との関係を改善することに意欲があるようにみえる。
なお中国との国境問題について、2023年3月にツェリン氏はあと数回の話し合いで国境問題を解決できると発言した。実際に解決につながるのか、またそれに対してインドはどのような動きを見せるのか。今後もブータンを注視していく必要がある。
※1 国民総幸福(GNH)とは、人間は幸福を求めるという信念のもと、物質的、非物質的な価値のバランスを保った全体的で持続可能な発展の指標である。GNHは4つの柱として、持続可能な開発の促進、文化的価値の保存と促進、自然環境の保全、善い統治の確立を掲げている。なおブータンの憲法9条は、国民総幸福量を確保することができるよう制度等の整備に努めなければならないという努力義務が明文化されている。
※2 ブータンが外交をインドの「指導」下に渡した背景には、ブータンとインドの友好条約が結ばれたのと同じ年の1949年に中国共産党が中国の政権を握った事実があると指摘されている。王政を否定する共産党の理念は、王政を維持するブータンと対立するものであり、中国の侵攻を恐れたブータンはインドとの関係を維持することで体制の維持を図ろうとしたと考えられている。なお、この友好条約にはブータンの防衛についての言及はない。
※3 12~13億米ドルという数字は、2020年のブータンとインドの貿易額である、約950億ニュルタムを2020年当時のレートで換算したものである。
※4 インドは中国に大きな貿易赤字を抱えており、それを改善するために対立を避ける必要があったこと、そして中国との対立を助長するよりもアメリカや中国に話し合いで対処する姿勢を示したほうが国民からの支持を得られるという考えがあったと指摘されている。
※5 この建設については、2017年に発表されたチベット自治区の国境地域に600以上の村を建設するという計画の一環として行われた可能性があるという主張もある。
※6 このような中国の動きは、サラミを薄く削ぎ落とすことになぞらえてサラミスライス戦術とも言われている。
※7 正確な犠牲者の数はよくわかっていない。中国の主張では数百人とされているが、ダライ・ラマは8万人が死亡したと推定している。一般的には、数千人程度だと考えられている。
※8 この紛争の背景には、2019年にインドが、自国が支配する部分のカシミール州を分割した上で州権限を剥奪し、連邦直轄領に格下げしたことが中国を刺激したという見方がある。中国は自国を中心とする巨大経済圏構想、「一帯一路」の一環でカシミールを通る形で中国とパキスタンをつなぐ計画があり、この地域でインドの影響力が強まることはこの計画に対する脅威になると考えられるからである。
※9 正確にはこの制限はインドと国境を接する国すべてに適用されたが、過去20年間でインドが受け取った対外直接投資の99%が中国からのものであることを考慮すると、この制限は中国からの投資をターゲットにしているという分析がなされている。
※10 しかしこれらの動きに関わらず、今の所全体としては中国との貿易は堅調であり、むしろ全体としてみれば増加している。
※11 ブータンの議会は二大政党制になるように設計されている。具体的には選挙が2段階あり、第一段階の選挙で上位2位の政党が進み、第二段階の選挙での得票率に応じて議席が分配される。
※12 牧畜業者の侵入について、ブータンとの交渉で有利に立つための中国による圧力だという主張がある。一方、中国はこの地域について、1890年に中国とイギリスの間で結ばれた条約に基づいて領土を主張しており、そして1960年代以前にブータンの牧畜業者がこの地域で牧畜を行うためには中国に税を支払う必要があったということを示す書類も援用して牧畜の正当性を示している。
ライター:Seita Morimoto
グラフィック:Haruka Gonno
Yudai Sekiguchi
二つの大国に挟まれて、ブータンむっちゃかわいそうだな
自分のブータンの印象に反し、土地をめぐる衝突の存在や周囲の大国と上手く渡り歩く外交姿勢を知れて面白かった。
大国の影響のもとにある中で、上手く立ち回っているところから、かつての世界大戦のタイの外交を想起しました。
外交官ってスゴイ頭が切れますね。
大国の覇権争いに巻き込まれないよう、うまく中立を保っているのが、小国の生き残り方として上手だなと感じました。
今、外交広げていく政策をとっているようですが、今後はどうなっていくんでしょうか。
たしかにそう感じますね!でも、ブータンはブータンでバランスを取った外交を強かに行っています。小国なりの生き抜く知恵は興味深いですね!