チリでは新しい憲法の草案をめぐる2回目の投票が2023年12月に行われる予定だ。1度目は2022年9月に行われたが、結果は反対が過半数を上回り、否決となった。この結果を受け、内容が新たに見直されたものが国民投票の場に登場する。
現行の憲法は、1973年に軍事クーデターを起こしたアウグスト・ピノチェト将軍の政権下でつくられたものだ。それから約50年が経ち、なぜチリは憲法を書き直すことを決めたのか、チリで今何が起きているのかに焦点を当てながらみていく。

首都サンティアゴを行き交う人々(写真:Via em Santiago do Chile / picryl [Public domain Dedication(CC0)])
歴史的背景
現在のチリには元々、いくつかの民族的グループに大別される先住民がそれぞれの集落を形成して暮らしており、マプチェと呼ばれるグループが中心だった。彼らは統一国家を作らなかったものの、インカ帝国やスペインからの勢力に抵抗するために力を合わせることはあった。スペインがチリを植民地として支配している間には、入植した人々から大規模な農場を経営する目的で土地を奪われるなど搾取された。
チリは1818年にスペインによる植民地支配から独立したが、その後イギリスやアメリカなどの外国資本が流入し、国内の主要な産業が押さえられると同時に、外国資本と結びついた地主などの層が富を独占した。19世紀後半に産業革命をむかえると、主に小麦や銅の輸出の増大した影響で国の収益も上がった。同時に土地の価格も上昇し、所有者である企業や地主が主にその恩恵を受けた。こうして所得の分配は悪化した。
1930年前後に世界恐慌のあおりを受けると、貿易に軸をおいた経済体制が見直された。また、産業発展とともに労働運動も活発化していく中で、一部のものによる支配的な社会構造も疑問視され始めた。
1970年に発足したサルバトール・アジェンデ氏の政権は、民主的な政府形態をとりながらも、前述のような問題を解決するべく、医療の無償提供や大規模な農業用地の再分配、銅をはじめとする産業の国有化といった社会主義的な政策をとった。しかし、3年後にクーデターにより転覆してしまう。このクーデターにはアメリカが積極的に関与したと見られている。これには、当時各国の政治経済政策をめぐりソ連と対立していたことや、チリに進出していたアメリカの大手企業の利益を保護するためなど、様々な背景・理由が考えられている。
このクーデターによって成立したピノチェト政権は、国内の経済活動に対し国家があまり規制をかけないという新自由主義を採用した。これは主にアメリカのシカゴ大学で学んだチリの経済学者らによって考えられたものだ。この経済体制に先立ってピノチェト政権下で作られた憲法は、大手企業や富裕層などの雇用側の利益を優先し、団結権などの労働者が抵抗するための権利を制限する内容になっていた。また同時に、年金などの公的サービスやインフラ、社会福祉制度に関連する事業を民間企業に売却し、政府の役割を縮小した。
国内総生産(GDP)の観点から見ると、1970年代に比べ1980年代以降の成長率は著しく、新自由主義的な体制は経済成長を大きく促したと言える。しかしその反面、前述の問題に加え、持つ者と持たざる者の隔たりが大きくなり、格差という根深い弊害をもたらした。
新憲法の道のり
1990年にはチリは平和的な形で民主主義に移行したものの、民主化以降の政府はピノチェト時代の憲法や新自由主義的な経済システムを継承した。是正されない格差に苦しむ人々は2000年代からたびたび大規模なデモを行ってきた。しかし、これに対し2006年から2010年と2014年から2018年の間で二期大統領を務めたミシェル・バチェレ氏の政府は、多方面で改革を試みるも、ピノチェト時代の新自由主義という政策方針を根本から変える対策を打ち出すことはなかった。
特に2019年から続いたデモは、2020年の新型コロナウイルスによる不況もあり、沈静化しなかった。人々の不満が、こうした格差を生み出す新自由主義的な経済システムに向けられていたことから、セバスティアン・ピネラ氏が率いる当時の政府は、そのようなあり方を定める現行の憲法を書き換え、新たに憲法を作成することに関する住民投票を行うという対応を取った。2020年10月の国民投票の結果、賛成多数でチリの憲法は新しく書き直されることが決定した。翌2021年4月には新たな憲法を起草する代表者会議のメンバーを選ぶ選挙が行われた。投票の結果、会議は男女比が1:1で構成され、政党に所属していない候補者が最も多く占めるものになった。そのメンバーは、女性の権利向上を求める活動家や環境保護活動家の他に、弁護士や政治学者など幅広い層から選出された。また、先住民代表のために確保された議席もあった。

憲法制定議会の様子(写真:Senado República de Chile / Flickr [CC BY-NC-SA 2.0 DEED])
この会議を通して、新しい憲法の草案が2022年5月に政府に提出された。これには、労働の自由に関する権利の保障やジェンダー平等の政治参加・教育機会の承認、年金システムなどの社会保障、中絶の合法化、先住民の権利の保障など、チリで表面化している問題に対するアプローチが多数盛り込まれていた。しかし、冒頭でも触れたように、同年9月に行われた国民投票の結果、この草案は反対が約62%で否決された。原因は様々考えられており、国民の大多数の支持を得るには急進的過ぎる内容だったのではとの指摘もある。
新政権へ
ピノチェト軍事政権後、1990年に民主化して以来、チリの政権は中道左派連合と右派連合という、複数の政党が構成する大連合2つが担ってきた。しかし、これらの連合は是正されない格差に苦しむ人々から徐々に支持を失っていった。特に、2019年の大規模デモ当時政権を握っていた右派連合は、憲法制定議会の国民直接選挙時に支持を得られず、憲法制定議会における獲得議席は3分の1に満たなかった。新憲法に関する提案には、憲法制定議会の3分の2の賛成が必要なため、右派は議会の決定に大きな影響を及ぼすことができなくなった。
こうした政治状況の中、人々の支持を集めたのが急進的な左派政党である。2021年の大統領選挙で勝利をおさめ、36歳という若さで南米史上最年少の大統領に就任したガブリエル・ボリッチ大統領も、こうした左派政党の所属で、後述する政治連盟の首長である。
彼は首都サンティアゴにあるチリ大学で法律を学んだあと、2011年に同大学の学生連盟の総裁に当選し、学生デモの中核を担うようになった。2014年にはチリの議会を構成する議院の1つであり、下院に相当する代議院に当選し、4年間議員を務めた。彼は2大政党連合には所属せず、2016年にフレンテ・アンプリオという他の左派政党との政治連盟を発足させ、その勢力を拡大し、自身の政治基盤を確立していった。

ガブリエル・ボリッチ大統領(写真:Vocería de Gobierno / Flickr [CC BY-SA 2.0 DEED])
2021年に大統領選への出馬を表明した彼は、格差の是正に向け、年金や健康保険の制度改革に取り組むことを公約に掲げ支持を集めた。同年12月19日に行われた決選投票では、総投票数の55.8%を獲得し、対立候補で右派のホセ・アントニオ・カスト氏に勝利した。
新大統領の方針
ボリッチ政権の第1次内閣は24人の大臣のうち14人が女性で、内務大臣や司法大臣、国防大臣など、いずれも主要なポストに就いた。政府は女性に対する差別や男女間の格差といった問題に対し、積極的に対策を打ち出している。具体的には、保育園を利用できる権利を法的に保護することで、女性が育児と労働市場への参入を両立しやすくするなど、女性の経済的自立を促す試みだ。
また、特に大きな動きとして、中絶に関する制度の変革を目指していることが挙げられる。チリを含むラテンアメリカでは、女性が中絶手術を受ける権利が宗教的観念から長らく制限されてきた。詳しくはGNVの過去の記事を是非参照されたい。近年、女性の生命の保護といった観点から、このような制限に対する非難の強まりもあり、チリでは2017年に中絶の全面禁止を撤廃する法案が可決された。
しかしこの法案では、妊娠中の女性の生命が危険にさらされている場合、胎児が生存不可能の場合、強姦による妊娠で12週(14歳未満の少女の場合は14週)以内の場合に限って中絶が合法とされた。加えて医療施設側が中絶手術を拒否することを認めていたため、実際にこうした手術が受けられる女性は少ないままだった。ボリッチ政権は、こうした現状を打破し、女性が安全で自由かつ合法的に中絶が受けられるよう、無条件で中絶を認可する新憲法案を支持していた。しかし、草案が2022年9月に否決されたことで、この問題の解決は先送りになった。政府は低コストでの避妊薬の提供など、別の方面からの解決措置を模索している。

2022年3月の内閣 (写真:Prensa Presidencia - Gobierno de Chile / Wikimedia Commons [CC BY 3.0 CL DEED])
ジェンダー問題の他に、労働問題に対する取り組みも見ていく。政府は最低賃金の引き上げを実施したほか、労働者の生活の質と権利の向上を目的とし、労働時間を週40時間に短縮する法案を提出し、2023年4月に議会で可決された。
さらに、政府は社会保障制度を充実させるための計画として、年金改革の実施に関する法案を2022年11月末に提出した。これは、既存の年金基金管理者(AFP)制度から、雇用主と州が拠出する新しい官民提携型の制度へ移行するという内容だ。これまで年金の支給は民間の会社が請け負っていて、年金は加入者がそのような会社に支払った保険料を元に支払われていた。そのため、給与の差が給付の格差に直結した。これを取りやめ、公的な部門が役割を請け負うことで、社会保障制度としての年金支給に対して政府予算を組み、年金が広く行き渡るようにすることを目的としている。現在この改革についての議会での議論は、2023年12月の国民投票後まで延期されている。
公約にも掲げていた格差の是正のため、様々な改革を推進している政府だが、その支持率は、制定を目指していた新憲法案が2022年9月に否決されたことで落ち込んだ。その後も犯罪の増加や経済の低迷の影響で低いままであった支持率は、先に述べた年金改革や税制改革を大統領が宣言した後、2023年6月に初めて上昇した。
リチウム産業の推進
さて、政府が目指す様々な社会改革についてみてきたが、こうした取り組みのためには財源の確保が必須である。そこで政府が新たな財源として注目しているのがリチウム産業だ。リチウムは電気自動車や携帯電話のバッテリーなどに使われることから、近年ますます需要が高まっており、今後国内産業における重要度も増すことが考えられる。
米国地質調査所によると、南アメリカは世界の約60%のリチウムを保有している。チリは世界の11.1%、約960万トンを保有しており、これはボリビアの23.7%、アルゼンチンの21.5%に次ぐ。3国は合わせて「リチウム・トライアングル」とも呼ばれる。
世界一の埋蔵量を有するボリビアが、資金不足や外資系企業の参入を拒んでいることなどから、その埋蔵量に対し開発が進んでいない一方、アルゼンチンやチリでは生産量が増加している。2021年時点ではチリが生産面において南アメリカの他のリチウム保有国をリードしており、世界で見てもオーストラリアに次いで第2位の生産量を誇る。

アタカマ塩湖のリチウム採掘現場の様子(写真:Nicolas Nova / Flickr [CC BY-NC 2.0 DEED])
現在採掘権はチリの会社SQMとアメリカの会社アルベマールのみが獲得しており、2社は主にアタカマ塩湖で操業している。その契約は1979年以前に国との間で締結されたものだ。1979年にリチウムが原子力産業に使われる物質と見なされてからは、国が資源確保のために企業と採掘契約を結ばなかった。
2社の契約はそれぞれ2030年、2043年に期限切れになる。政府は2社に対し、期間終了までは契約内容を尊重するとしている。一方で新たに国営企業を設立し、リチウム採掘権を与える予定だ。そしてその国営リチウム会社が民間企業との交渉の窓口となり、提携して探査及び開発を進めるかを決定する。これを実現するためには、2社との再交渉に加え、議会で賛成多数を獲得する必要もあり、計画は難航している。
こうした政府の動きは、国内外においてリチウムの「国有化」と捉えられ、少なくない批判を浴びた。しかし、ボリッチ氏はリチウムの全面的な国有化を否定し、新たに設立する国営リチウム会社と民間企業が官民パートナーシップを結んでさらなるリチウムの開発に当たると主張している。また、環境への影響を抑えた採掘方法をとることで持続可能な経済発展につなげる他、リチウムの埋蔵地を保有する先住民と交渉し、彼らにも産業の利益を分配する考えを示している。
また、政府は外資系企業に利益が流出することを防ぐため、採掘や生産以外に、付加価値のあるリチウム製品の開発やリチウム関連の研究所の設立なども考えており、国の政策のもと民間企業からの出資や知識・技術における提携を結びたい考えだ。実際に、政府は中国の民間企業からの投資を受け、電気自動車の動力源となるリン酸リチウムを生産する工場をチリ国内に設立することを発表している。だが、こうした取り組みに対しいくつか企業側の懸念もある。官民パートナーシップを結ぶ企業の条件に偏りや厳格性がある場合や、既存の大手2社が優遇された場合、その他の民間企業にとって不公平な状況を生むという点などだ。
今後の課題・展望
このように新政権は社会改革とそのための財源確保で様々な動きを見せているが、新憲法の頓挫は作成を支持してきたボリッチ政権にとって痛手であり、少なからず影響を受けた。次の起草案に関する投票結果もまた、政権の試みに大きな影響を及ぼしうることは言うまでもない。

2021年の新憲法をめぐる国民投票(写真:Pontificia Universidad Católica de Chile / Flickr[CC BY-SA 2.0 DEED])
1度目の否決をうけて再編された憲法制定議会は右派の候補者が多数の議席を獲得する結果となり、新たな憲法案は中絶権などさまざまな点において大きく後退する内容であることが分かっている。ボリッチ政権は提出された新憲法案に対し、中立を保つことを示している。
これに対し国民の反応は慎重で、新憲法案が国民投票の段階で承認される可能性は低いとみられている。仮に否決となった場合、ボリッチ政権が3度目の改革は計画していないことから現行の憲法が保持されることになるだろう。
仮に憲法の改正がなされなかったとしても、チリで表面化している問題に対してのアプローチは他にある。これまで見てきたように、政府は法律のレベルからジェンダー問題や労働問題の改善を図ってきた。このような働きかけは今後、チリの国民の生活にどのような変化をもたらすのだろうか。
ライター:Kanon Arai