世界中の様々な地域で起こるたくさんの事件は、そのすべてを十分に報道することはできない。過熱報道によって事実が誇張されてしまう事件もあれば、多くの犠牲者を生んでいても報道されない事件もある。各メディアは、どのニュースを報道するべきか、どの事件が注目を浴びるか、などを考えながら、取捨選択して発信している。しかし、報道するかしないかの基準は妥当なものだろうか。例えば「テロ」と呼ばれる事件は、武力紛争に比べて被害が小規模であるのにもかかわらず、日本では前者の方が大々的に報道されている。さらに、「テロ」の中でも、注目される事件とされない事件がある。報道されたものとしては、2015年にフランスで起こった二つのテロがあげられる。年始早々に起こったシャルリエブド社襲撃事件は、2年経った今でも多くの人の記憶に残り、11月に起こったパリ同時多発事件の際には”Pray for Paris” という投稿がSNS上で数多くなされる等、話題性に富んでいた。
確かに、フランス・パリという比較的治安が良く観光客であふれる大都市で大規模な殺傷事件が起きたことは注目されると予想される。しかしながら、フランスでのテロにばかり着目していていいのだろうか?2015年は他にも多くの衝撃的なテロや事件が起きていたのである。そしてそれらは残念なことにほとんど報道されなかったため、多くの人の耳に届くことなく風化してしまった。
そこでGNVでは、フランスでの事件と同時期に起きた事件や同規模の事件を取り上げ、日本の新聞社の報道の偏りについて調査することにした。1月7日に起きたシャルリエブド社襲撃事件については同時期の1月3日に起きたナイジェリア・バガでの事件を、11月13日に起きたパリ同時多発事件については同年4月2日に起きたケニア・ガリッサ大学での事件を比較対象とした。それぞれの事件についての記事数を、事件が起きた月内で数えた。調査対象は日本の代表的な新聞社である朝日、毎日、読売の3社である。
まず、ナイジェリアでのボコ・ハラムによる大量虐殺事件と、フランスでのシャルリエブド社襲撃事件の比較である。前者は1月3日、過激派組織「ボコ・ハラム」の活動拠点となっていたナイジェリアのボルノ州で起きた。この事件でボコ・ハラムは、同州のバガという町でボコ・ハラムの掃討活動を行っていた 多国籍軍の拠点を占拠しただけでなく、周辺の住民に対して無差別に銃乱射を行い、2,000を超える人が殺された。
一方フランスの事件では、風刺画で有名なシャルリエブド社がイスラム過激派を挑発するような風刺画を描いたことを理由に標的にされ、過激な思想を持った二人組が新聞社を直接襲撃した。その後のパリ各地における関連事件を含め、17人が殺害された。同時期に起きた二つの事件に、報道量の差は出ているのだろうか?
ナイジェリアではこれだけ多くの無実な一般市民が殺されたのにも関わらず、日本の新聞社三社は、なんと一切記事にしなかったのである。そして、数日後に起こったシャルリエブド社の事件を大々的に取り上げ続けたのだ。
次に、2015年4月にケニアのガリッサ大学で起こった襲撃事件と、11月に起こったパリでの事件を比較する。ケニアの事件では、4月2日に平穏な大学のキャンパスに突如現れた、隣国ソマリアを拠点とするアルカイダ系過激派組織「アルシャバブ」が、 キリスト教徒の学生をターゲットにした事件である. 学生寮を占拠した襲撃者に人質として長時間拘束された被害者もいた中で、およそ150人が殺された。
一方、11月13日に起きたパリ同時多発事件は、1月のシャルリエブド社の事件に続いてまたもやフランスで起きた事件である。イスラム国の戦闘員と思われる襲撃者がパリ市内の飲食店や劇場などで乱射、爆破を起こし、130人以上の死者を発生させた。数字をみればどちらの事件も同じくらいの犠牲者を出したが、報道量に差はあるのだろうか。
このように、フランスの事件が1月のシャルリエブド襲撃事件以上に報道されているのに対し、ケニアの事件は軽く報道されているだけである。
どうして報道される大事件と報道されない大事件があるのだろうか。「治安が悪くテロが多発する地域」というイメージの強いアフリカで起きた大量虐殺よりも、治安の良いヨーロッパ、しかも観光地として人気のパリで事件が起きたことの方が日本人にとっては前代未聞であり、同じく安全な大国である日本の人々にとってはより親身にとらえられると推測される。実際ボコ・ハラムはこの事件だけにとどまらず、拉致や襲撃を繰り返している。
また、バガはナイジェリアの田舎町であり、ボコ・ハラムに占領されていたため、足を運びにくく取材できなかったということも考えられる。さらに、新聞社の風刺画が原因であったことから、「報道の自由」と「異文化の尊重」を巡った議論が紙面で活発になるなど、日本のメディアが一斉に注目したのも頷ける。しかし、2014年の統計ではISISよりも多くのテロの被害者を生み出したボコ・ハラムにこれだけの人が殺された事件をまったく報道しないままでいいのだろうか?
そもそも、「アフリカ=危険」というステレオタイプは正しくない。ケニアはアフリカの中でも上位に入る近代化の進んだ国である。確かにフランスのような先進国ではなく、ガリッサはパリと違って近代化された都市とも言えないかもしれない。しかしながら、ケニアはナイジェリアと違って、紛争中の国ではなく、フランスと同様に大規模なテロが頻繁におきる国ではないのだ。事件の起きたガリッサという都市は当時、その地域の中でも安全な都市として有名であった。加えて、若者のたくさん集まる大学という教育および研究機関でこのような無惨な事件が起こったというのは前例がなく、世界中のキリスト教徒を震撼させる一大事件だった。これはパリ事件の特異性と話題性に劣らない事件だったのである。
さらに、ガリッサはナイジェリア・バガとは違ってアクセスしにくい町だったわけではない。アクセスの側面を考えるとケニアで起きた別の事件も見る価値がある。2013年に首都ナイロビのショッピングモールで67人が命を落とした襲撃事件があったが、この事件も三社合わせて31記事しか報道されていない。観光客が少なくなく、アクセスしやすい大都会で起きた未曾有の大事件であるにもかかわらず、報道量はパリの足元にも及ばない。西洋の国々で発生したテロによる被害者は、9・11アメリカ同時多発テロの事件を含めても、2000年以降で全世界のたった2.5%である。しかしこの数パーセントばかりが報道されているのである。いずれにしろ、これらの事件の比較した結果、”If it bleeds, it leads.(血が流れて初めて記事になる)”というが、多くの犠牲者を生んでも記事にすらならない事件が存在するということが明らかになった。
数ある事件の重要性を決め、順位を付けて報道するのはメディアの基本的なやり方である。しかし今回の比較を見た限りでは、その順位を決める際に優先されるのは、事件の規模や被害者の数ではない。また、事件の特異性や事件現場のアクセスしやすさも優先されるには足らない。フランスだけでなく、ヨーロッパやアメリカなどで発生する類似の事件が大きく報道されていることから、これらの理由よりも、被害者の社会的・経済的地位の高さが報道の有無の大きな要因だと考えざるをえない。メディアは世界情勢を伝える重要な役割を担っている。様々な事件が各紙で報道されている一方で、全く報道されない大きな事件がたくさん存在する。読者は常に新聞に信頼を寄せ、そこからのぞく様子が世界で起こっている主要な出来事のすべてだと思い込んでしまう。報道に偏りが出れば、事実を歪曲していなくても、事実を隠していることになるのではないだろうか。
ライターAya Inoue
グラフィック Ikumi Kamiya