2018年、南太平洋に浮かぶ小さな島国は、静かに重要な年を迎えた。2014年の選挙から4年が経ち、フィジー共和国は、民政に復帰してから2回目となる総選挙を行う。
フィジーは、周辺にあるサモアやソロモン諸島、ツバル、トンガなどの太平洋諸国の中では群を抜いて経済発展を遂げた国だ。人口は90万人で、その経済は3分の1が砂糖の輸出で支えられているが、次ぐ観光業が成長のバネになっている。年間を通して温暖な気候や透明度の高い海から、観光業においては「 Home to happiness (幸せのふるさと)」と呼ばれる程で、穏やかなバカンスを求めて世界各地から人が集まってくる。しかし、フィジーが4度のクーデターを繰り返した「穏やかではない」歴史を経験したのは、ほんの一昔前のことだ。話は植民地時代に遡る。

IMFのデータ を元に作成
インドから連れて来られた農園労働者
現在、フィジーはおおよそ6割のフィジー系住民と4割のインド系住民(2007年)の他、多数の民族グループで構成される多民族国家だ。(※1)インド系はイギリス統治時代、サトウキビ農園での労働のために本国から連れて来られ、1879年から1916年の37年間で61,000人を超える人々が移動した。1970年の独立時にはフィジー系の人口を上回っており、国の経済を実際に回していたのはインド系だった。しかし、政治の舵取りは旧宗主国の後押しもあってフィジー系の手に握られ、政治と経済の分離、そして当時当たり前に区別されたこの2つの民族間の対話の欠如が、対立とフィジーの不安定な政治を生み出してく。
独立と同時に憲法が作られた時、インド系は人種的差別のない国民の政治参加を求めたものの、できあがった憲法の不平等は明らかだった。国会は2院制で、民族別に配分された議席を投票によって決める下院に対し、上院では、村々を統治するフィジー系の伝統的な政治リーダーが3分の1以上の議席を任命する。土地所有に関しても、国土の80%以上が剰余不可能なフィジー系の共有地とされ、逆にインド系の土地所有は制限された。

首都スバを行き交う人々。多民族が入り交じる。(2012) (写真:kyle post/Flickr [ CC BY 2.0])
クーデターのはじまり
1987年、最初のクーデターが起きる。きっかけは同年4月の総選挙において、それまで過半数を保持してきた同盟党を、インド系が支持する国民連合党とフィジー労働党の連立政権が取って代わったことだった。インド系の閣僚が国会の半分を占めた選挙結果を受け、フィジー国防軍ランブカ中佐は2度のクーデターによって政権を奪取し、英連邦からも離脱して共和制へ移行する。 1970年憲法は停止され、フィジー系の伝統や利益保護を最大目的として改正憲法を公布する。下院70議席中フィジー系が半数以上の37議席、インド系は27議席を配分された。上院でも人種別配分が適用されたが、インド系は含まれず、フィジーの村のリーダーの助言にもとづいて34議席中24議席が大統領によって任命された。他にも、首相はフィジー系に限定するなど、政府の民族主義はインド系住民に危機感を抱かせ、多くの人々を国外へ流出させるのに十分な内容だった。1987年から9年間で、7万5,000人のインド系が国を離れた。
しかし、政権はすぐに政策転換の必要性に迫られる。民主政を放棄したフィジーは国連や近隣諸国から非難の声を浴び、また、スキルベースの職業に多く就いていたインド系が流出したことで、経済社会が空洞化したのだ。民族主義がフィジー系にとっても不利益をもたらしたことや、インド系の流出によってフィジー系人口が過半数を越えたことの安心感も相まって、民族融和ムードの中新憲法を公布し、立て直しを図ろうとする。
立て直しの夢淡く
フィジーが国として新たな一歩を踏み出すかに見えた試みは、あまりにもあっけなく崩れ去った。新憲法公布の翌年にあたる1999年に行われた総選挙で、初のインド系首相として労働党のチョードリーが選出されたことは、再び一部のフィジー系の危機感に火を着けた。選挙の翌年の2000年、事業家のジョージ・スペイトは、武装グループを率いて国会を占拠し、チョードリーを56日間人質に取る大事件を起こす。政権はフィジー系のガラセの手に渡り、民主政治にフィジー系によるクーデターが対抗するという歴史を再び辿ることになった。

クーデターに続いて発生した暴動で焼けたレストラン(スバ 2000)(写真:Merbabu/Wikipedia Commons [ CC BY-SA 3.0])
クーデターを先導したスペイトの本当の目的は、彼が代表を務める木材会社2社との契約をチョードリー政権が取り消したからではないかという説もある。スペイトが民族主義的な感情から動いたのか経済目的だったのかにしろ、ガラセがクーデターを裏で手を引いていたと噂されるなど、政権はクーデターとビジネスに纏わる不透明性を抱えていた。ガラセは2001年に総選挙で首相に就任し、2006年6月には再選を果たすが、同年12月に、政府の透明性を糾弾するバイニマラマ国軍司令官によるクーデターよって政権を奪われる。この無血クーデターを成功させたバイニマラマは、翌年1月に首相に就任した。
バイニマラマの時代
民主政治を放棄したフィジーに対する、周辺国からの視線は厳しかった。 PIF(太平洋諸島フォーラム)で提示されたフィジーの民主化へのロードマップを無視したことで、フィジーはPIF参加資格を剥奪される。また1997年に英連邦再加盟を果たしていたが、英の求める民主化プロセスに応じなかったことで、連邦から追い出された。これにより近隣のオーストラリアやニュージランドとの関係も冷え込み、フィジーの外交はロシアや中国、ASEAN、アラブ諸国との関係強化へと、大きく舵を切っていく。

ロシアのメドベージェフ首相(当時)と握手するバイニマラマ首相(右)(モスクワ 2013)(写真: The Russian Government )
国内は一党独裁体制で、軍による国民への統制が行われた。メディアの自由は厳しく制限され、放送局では軍による監視も行われた。政権を批判した有識者で、国外へ追放された人もいる。2009年、裁判所は当時の暫定政府は非合法・非合憲だという判決を下し、大統領に対して新たな暫定首相と暫定政府の任命を命じた。これを受け、バイニマラマは大統領から再び、向こう5年間の首相に任命され、2014年までの総選挙の実施を宣言した。
選挙の前年の2013年には、政府が作成した草案を元に、国民の意見を聴取して完成した新憲法が公布された。フィジー系や少数民族の所有地保護を明記することで彼らへの配慮を示し、同時にフィジー語とヒンディー語を共に初等教育課程に盛り込むなど、民族を越えた国民のアイデンティティの創出を目指す内容だった。国会は2院制から1院制50議席に変更され、民族的な区別はなく、有権者はフィジー系もインド系も平等に一票を投じることが可能になった。
そして2014年、8年ぶりとなる総選挙が執り行われ、バイニマラマは再選を果たした。人種区別のない初めての選挙による、フィジーの民主国家としての再出発だった。
民政復帰後2回目の選挙へ
2014年の選挙以降、フィジーは本当の意味で民主国家になったのかといえば、批判も多い。厳しい立候補の条件によって他党に足かせをし、選挙はバイニマラマが勝つと分かっていてやったものだという見方もある。また、政府によるメディア監視は表向きには2012年に終わったものの、政府批判を含む記者の自由な言論は未だに認められておらず、選挙前に国外追放になった有識者は未だ祖国に帰ることを許されていない。
ただ、民主国家としての再出発を果たしたばかりではあるものの、選挙以降、フィジーが世界で存在感を増して来たのもまた確かだ。オーストラリアやニュージーランドとの関係は復活し、PIFにも復帰した。また、国連総会議長にフィジー常駐代表のピーター・トムソンが選出されたこと、また2015年のCOP21(国連気候変動会議)では全世界で最初にパリ協定を批准し、2年後のCOP23ではフィジーがホスト国になったことも大きい。気候変動の影響をダイレクトに受ける太平洋の国の立場から、フィジーは環境問題の改善に向けた広告塔として、世界をリードする働きを見せている。

COP23で演説するバイニマラマ首相(ボン 2017)(写真:UNclimatechange /Flickr [ CC BY-NC-SA 2.0])
クーデターはここ11年間起きていない。今年の総選挙が平和に遂行されれば、フィジーの民主主義が少なくとも形式的には定着しつつあることが証明されるが、国民はこの4年をどう評価するのだろう。今年2月に行われた世論調査では、バイニマラマ率いる フィジーファースト党が32%、次いでフィジー系の社会自由民主党が22%、インド系の 国民連合党が3%の支持を集めている。ただその時点で回答者の34%はどの党に投票するか決めかねており、彼らの決断が選挙結果を左右する。選挙日程は近々公表される予定だ。これから本格化していく選挙キャンペーンでは、民族問題の他、教育や貧困削減といった開発課題が争点になっていくだろう。多民族国家としての困難を乗り越えようとしているフィジーの動向から、目が離せない。

デナラウ港から観光客を乗せて離島へ向かう船(写真: Miho Kono)
※1:以降、フィジー系フィジー人を「フィジー系」、インド系フィジー人を「インド系」と表記する。
ライター:Miho Kono
グラフィック:Miho Kono
また民族対立が再燃し、クーデターで憲法が変えられることで、人種差別が深刻化しませんように…
しかし、十数年前にクーデターで政権をとった人が未だに権力の座に居残っている・・と考えると、不安はちょっと残りますね。
フィジーが行っている環境問題への対策を知りたいです