世界には数多くの宗教が存在している。キリスト教やイスラム教といった信者数が多いものもあれば、無数に及ぶ精霊信仰や民俗宗教の類いもある。普段あまり密接に関わることがない宗教に関する知識を身につける大きな機会は、まず学校での授業が考えられるが、他に大きな機会としてマスコミによる報道がある。そのため、日常で何気なく見聞きするマスコミによる報道は、私たちの各宗教に対する関心やイメージの決定に大きく影響するのではないだろうか。そこで宗教別の報道量や、各宗教がどのような文脈で報じられるかを分析することで、日本の国際報道における宗教に関する報道の傾向を明らかにすることにした。
まず朝日新聞・読売新聞・毎日新聞の大手全国紙3社による国際報道の全記事において、「宗教に関する」記事の割合を抽出した。(分析方法についての詳細は脚注の※1参照) 。それらの記事を宗教別に分類し、まとめたグラフは以下の通りである。(分析方法についての詳細は脚注の※2参照)。
ご覧のように、3社とも圧倒的にイスラム教に関する記事が多いことがわかる。読売新聞に至っては、割合が85%を超えている。次にキリスト教に関する記事が多いのも、3社すべてにおいて共通する傾向である。そしてユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教の記事がわずかに並ぶ。ここで、世界の宗教人口の割合を見てみよう。
31%がキリスト教信者、23%がイスラム教信者、15%がヒンドゥー教、7%が仏教を信仰している。このことからわかるように、信者数の割合の大きさと報道量の多さに不一致が見られる。信者数に応じて報道量が変化しているというわけではないようである。
ではなぜ、イスラム教に関する記事がこれほど圧倒的に多いのだろうか。その大きな理由の1つにシリア・イラクの一部を占領している「イスラム国」という武装勢力がある。本分析において、宗教を連想させる単語を見出しに含む記事を「宗教に関する」と判断しているため、イスラム国の記事はイスラム教のカテゴリーに入るものとしてカウントする。しかし、それらの記事の内容は武装勢力の活動や勢力拡大に関するものが多く、イスラム教の教義や習慣といった純粋な宗教自体に関するものとは一線を画している。そこで、「イスラム国」を見出しに含む記事を除いた場合、宗教別の報道量は以下の通りとなる。
「イスラム国」を見出しに含む記事を除いたとしてもイスラム教に関する記事が最も多く、毎日新聞では4割以上、朝日新聞と読売新聞では共に5割以上の割合を占めた。さらに、3社ともイスラム国に関する記事が宗教に関する記事の大きな部分を占めていた。具体的には、朝日新聞では47.9%、毎日新聞では39.4%、そして読売新聞に関しては72.0%という割合を残した。ここにも、報道における宗教の取り扱われ方の大きな偏りを見ることができる。
ここまでは宗教に関する記事の報道量について見てきたが、次は各宗教についての報道内容を考えてみる。例えばイスラム国に関する報道において、宗教はテロや紛争といった暴力行為や破壊行為を伴う、否定的な文脈で語られることが多いのではないだろうか。そこでGNVでは、独自のデータベースの中に「暴力性の有無」という項目を設け、各記事の見出しを元に分類をしている。(分析方法についての詳細は脚注の※3参照)。それに基づくと、「宗教に関する記事」全体における暴力性のあるトピックを取り上げた記事の割合は、朝日新聞で48.9%、読売新聞で47.6%、毎日新聞で37.2%であった。3社ともに宗教に関する記事の約4割~5割は暴力性を伴う“Bad”なニュースの報道であることが分かった。
また、キリスト教とイスラム教に関する記事に分けて暴力性を比較した。結果は以下の通りである。
一目でわかるように、キリスト教よりもイスラム教の方が暴力性を伴う内容の記事が多かった。ここでも同様に、イスラム国に関する記事を除いた場合の分析を行った。朝日新聞ではイスラム国に関するものを除いた記事の方が暴力性を伴う割合が減少した(58.3%→51.9%)が、他2社ではイスラム国に関するものを除いた方がむしろ割合が高まる(読売:52.2%→54.5%、毎日:42.4%→53.5%)という結果になった。イスラム国に関する報道の中には、彼らへの対策を講じる内容も多いため、そのバランスが新聞社によって異なるためにこのような結果になったと考えられる。
そしてここで注目したいのは、キリスト教が暴力性を伴う記事内容で登場する場合の文脈だ。内容に暴力性ありと判断された全社併せた13の記事において、12の記事でキリスト教側は「被害者側」として登場しているということがわかった。(記事の見出し例1:「キリスト教徒90人を拉致か シリア北東部、少数民族の村襲撃」(朝日新聞2015年2月26日)、例2:「大学襲撃、70人死亡 過激派、キリスト教徒狙う ケニア」(朝日新聞2015年4月3日))。一方でイスラム教が登場する際の文脈において、イスラム教側が「加害者側」として描かれている記事は過半数を超えている(毎日:74%、朝日:70%、読売:59%)のである。
この傾向には、不安を抱かざるをえない。というのも、常にキリスト教が被害者側で、常にイスラム教が加害者側であるという偏った対立構造があまりにも強調されているからである。すなわち、イスラム教徒=危険な思想を持った人々という誤りのある偏った認識を広めてしまう危険性がある。ここで、事実として紛争や暴力を伴う事件において、イスラム教徒が加害者である場合が多いのでは、という考えも浮かぶかもしれない。しかしそれは本当に正しいのだろうか?
そこで、他の宗教の信者が加害者、イスラム教徒が被害者という紛争についても考える必要がある。例えば、2015年に世界最大の人道的被害をもたらした武力紛争のひとつである中央アフリカ共和国の紛争では、2015年にキリスト教徒を中心とした武装勢力によって、数多くのイスラム教徒が虐殺の被害者となった。またミャンマーでは、イスラム教徒であるロヒンギャ族が仏教徒を中心としたコミュニティや政権によって迫害を受けている。さらに、イスラム教が関連する紛争は宗教上の対立のみが要因ではない場合も多いのだ。そもそも武力紛争とは、権力闘争や富の分配をめぐる関係など様々な要因が非常に複雑に絡みあう社会現象である。よって、紛争における加害者も被害者もイスラム教徒である例も圧倒的に多い。そこに「宗教の対立」というラベルだけを貼るのは、いささか単純すぎると言わざるを得ない。
今回の分析によって、そもそも各宗教の報道量に大きな偏りがあること、そしてキリスト教とイスラム教では報道される文脈にも大きな差があることが判明した。マスコミ報道の宗教に関する情報ソースとしての役割の大きさを考えると、大きく偏った報道はそのまま人々の大きく偏った(=誤った)認識を形成することにつながる。宗教とは、信者やコミュニティにとって信仰の対象であるだけでなく、日常の中で様々な役割を果たすものである。そのことを考えず、紛争や暴力の要因という1つの極端な側面から捉えようとすると、宗教を取り巻く事実が見えなくなってしまう。イメージや対立構造にとらわれることのないよう、報道自体が変わることはもちろん必要だ。しかし今、情報の受け手として我々にもできることがある。それは、報道の文脈を鵜呑みにして特定の宗教やその信者に良いもの・悪いもの、怖いものというラベルを貼るのではなく、各宗教や取り巻く状況に対して正しい理解をもつ努力を怠らないことではないだろうか。
ライター:Sota Dokai
グラフィック:Hiro Kijima