これまでのGNVの記事では日本の国際報道において地域の偏りが激しいことを指摘してきた。すでに記事であるように、2015年の日本の国際報道におけるアフリカ報道は全体の3.4%であった。報道量の少ないこの地域でも、ここ数年で比較的注目された出来事があった。それはいわゆる「アラブの春」だ。アラブの春とは、2010年から2012年にかけて中東・アラブ諸国で行われた大規模な反政府デモを中心とした民主化運動のことである。発端は2010年12月チュニジア・ジャスミン革命とされ、インターネットで情報拡散されたことから多くの国に広がった。チュニジア、エジプト、リビア、イエメンでは独裁政権が倒されることになったが、同時に社会の不安定化も招いた。中でもシリア、イエメン、リビアでは武力紛争に発展し、またその混乱に乗じて、イスラム国(IS)やアルカイダが台頭するなどし、米国をはじめ、サウジアラビアやイランなどの地域大国が介入した。現在もこれらの武力紛争が続いており、多くの犠牲者や難民が生じている。
今回はアラブの春の発端となった北アフリカに着目し、その地域を構成する7ヶ国(エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、西サハラ (※1)、モーリタニア)に対する日本の報道を見ていくことにする。データは大手全国紙である朝日新聞の東京朝刊を用い、見出しに北アフリカの国名が入っている記事の文字数を国ごとにカウントした。カウントする記事はその国の情勢を伝えているものであり、事件や事故も含む。(※2)
でははじめに、2010年から2016年までの北アフリカに対する国別報道量を見てみよう。下のグラフは2010年から2016年までの報道量の合計を国別に示したものである。報道量は上に述べた方法で集計した記事の文字数の合計である。
グラフを見るとエジプトが二番目に多く報道されたリビアのおよそ倍と、群を抜いて報道されていることがわかる。一方、モロッコ(7,760.5字)、西サハラ(1,378字)、モーリタニア(206字)の下位3国は7年間で10,000字未満の報道量であった。モロッコは2014年から2016年までにおいて1度も報道されていない。西サハラは2011年に2記事、2013年に1記事、モーリタニアにおいては全期間に1記事(2012年)のみしか報道されなかった。この3国は、日本との関係が薄いように見えるが、食において深いつながりを持っている。特に、魚介類においての重要な貿易パートナーであり、モーリタニア、モロッコから日本のタコの輸入量の72%を占めている(2009年)。モロッコの漁業の約55%は占領する西サハラ沿岸から国際法に反して獲っているとされ、西サハラも無関係ではない。西サハラとモロッコについて詳しくはこちらの記事を読んでいただきたい。
次に、エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリアの上位4国における年別報道量を見ていこう。次のグラフは2010年から2016年までの報道量の推移を表したものである。この4国は(モロッコもだが)、2011年からのアラブの春を経験した国である。アラブの春とその後の報道について注目したい。
グラフからわかるように、2011年アラブの春が起こり、エジプト、リビア、チュニジアは前年よりもはるかに報道量が増えた。
・エジプト
エジプトは他の北アフリカ諸国に比べ、毎年一定量の報道がされている。チュニジアから始まったアラブの春はエジプトにも及び、2011年1月に起こったデモから1か月も経たずして同年2月、1981年より続く長期政権が倒れ、ムバラク大統領が辞任した。注目していただきたいのは、11年の独裁政権崩壊後も13年のクーデターを含むその後の政治的不安定や暫定内閣の動向などが継続的に大きく報道されている点である。他の北アフリカ諸国に対しエジプトだけが継続的に報道されるのはなぜだろう。エジプトは人口的にも経済的に地域大国となっていることがひとつの理由であろう。朝日新聞は他の日本の報道機関と同様に、アフリカには2ヶ所にしか特派員を派遣しておらず、その1ヶ所はエジプトの首都カイロとなっている。また、ピラミッドの存在から、歴史や観光の名所ともなっているエジプトは日本でも馴染みがあるという点が関係するのだろう。
・リビア
リビアに対する報道は、2011年が2010年の約178倍と際立っている。これは、リビアではデモが武力紛争へと発展し、長期化したからである。チュニジアとエジプト周辺の反乱に触発され、2011年2月ベンガジでデモが起き、リビアの最高指導者カダフィー大佐が率いる治安部隊と反政府勢力の衝突が激化。反政府勢力を支持する北大西洋条約機構(NATO)によるリビアへの空爆など激しい戦闘が、同年10月カダフィー大佐が捕まり、反体制派の国民暫定評議会(NTC)によってリビア全土の解放が宣言されるまで約8か月続いた。この間、朝日新聞ではほぼ連日複数の記事でリビアのアラブの春についての報道がなされた。
1969年より続いたカダフィー政権が倒されてからの2012年以降、リビア情勢に関する報道が激減するが、2017年現在リビアにおいて紛争はまだ収まっていない。12年に国民暫定評議会より権限移譲された制憲議会が、14年6月の代表議会選挙で再び制憲議会から国民暫定評議会へ権限委譲されるはずだったが、委譲されなかったことで両議会の政府が両立する事態が生じた。統一政府樹立のため国連が仲介支援を開始、15年にはリビア政治合意が実現したものの、国民統一政府の上級閣僚から成る首脳評議会が16年に提出した政治合意案及び閣僚リストは否決された。そのため正式な国民統一政府の樹立には至らず 、両議会の政府は存続し続けているため、3つの政治勢力が国内に並立する無政府状態と部分的な武力紛争が続いている。
さらに、昨年12月に制圧されたものの、14年10月からISがリビアに介入、ISに対する他国からの空爆も見られた。加えて無政府状態を利用し、リビア沖から欧州へのアフリカからの移民ルートでの密航船や奴隷市場が問題となっている。内政も治安も非常に不安定な状況が続いているのだ。アラブの春以降も様々な問題が生じているのに、11年以降のリビア情勢がほとんど報道されていない。複雑化した問題を理解するために日々の報道は欠かせないのではないだろうか。
・チュニジア
チュニジアのアラブの春に対する報道量は比較的少ない。これは、チュニジアで発生していた異例の出来事が地域においてさらに大きな動きにつながっていたことを察知したのが遅かったことと、そもそも日本メディアがチュニジアに注目していなかったことが理由に挙げられる。2011年1番目の記事が1月14日「(地球24時)チュニジア大統領、デモ拡大受け内相更迭」であり、15日には「チュニジアで数千人デモ、12人死亡 ベンアリ大統領「14年に退任」」と数日間で独裁政権の崩壊が報道されている。また、15年のチュニジア報道は、一つの出来事である博物館襲撃テロ事件が65%、残りがノーベル平和賞に関するものであった。博物館襲撃事件は日本の死傷者がでており、日本人が関係するニュースであったため大きく報道されたのだろう。
・アルジェリア
最後にアルジェリアの報道分析を見てみよう。アルジェリアとモロッコはアラブの春の影響を受けたが国民に不満事項の対策を約束したり、憲法改正をして政権打倒にまでは至らなかった。グラフをみると13年が突出していることがわかる。ほとんどがアルジェリア人質事件に関する報道であり全期間の96.9%を占めている。これは、アルジェリアの天然ガス施設をイスラム過激派勢力が襲撃し、日本人を含む800人を超える人々が拘束された人質事件である。日本人の被害状況や背景などが連日報道された。14年の大統領選挙についての報道は少なく、15,16年はアルジェリアについての報道は一度もなかった。
報道量下位3国への報道分析では、日本に関係のある国であっても必ずしも報道されるわけではないことが分かった。普段報道されない国であっても、チュニジア博物館襲撃テロやアルジェリア人質事件のように日本人が被害者になった場合、大きく報道がなされる。ただでさえ報道の少ない地域で日本人が現地で被害に遭った事件ばかりを報道すると、その地域における理解は進まないだけではなく、誤ったイメージまでも生みかねない。
北アフリカ諸国における報道分析を通して、報道の偏りは目立つ。エジプトが例外かもしれないが、全体的に報道が非常に少なく、断片的なものであった。一時的に大きく報道される限られた出来事があっても継続して報道されない。紙面の制約や取材コスト、需要などの様々な要因はあるだろうが、決して他人事ではないこの地域を含む世界への理解、イメージ形成は、報道やメディアが大きく影響をもたらすことも考慮する必要があるのではないだろうか。
ライター:Miho Takenaka
グラフィック:Miho Takenaka
脚注
※1:西サハラは領土の3分の2はモロッコに占領されており、国連加盟国になっていないが、アフリカ連合の加盟国となっている。
※2:カウント方法は例えば、2016年1月27日「(地球24時)閣僚名簿を世俗派が否決 リビア、統一政府づくり」(197字)であり、複数の国、機関名が見出しに含まれている場合、その数に合わせて文字数を半減した。例えば、2016年8月2日「米、リビア空爆 対IS」(287字)はアメリカとリビア二国であるので、143.5字とカウントした。