世界が直面する問題について議論するダボス会議(※1)で、2019年1月、ある参加者の発言が物議を醸した。「今回、初めてダボス会議に参加したのですが、正直なところ困惑しています…真の問題である租税回避や、高所得者が公平に負担していないことについて話している人はほとんどいません。… 消防士の会議に参加したのに、水について話すことが許されていないような気分です」。こう話したのはオランダの若手歴史家、ルトガー・ブレグマンであった。「慈善活動の話はやめて、税金の話をしなければならない」とも強く主張していた。
ブレグマン氏の指摘は的を得ているだろう。低所得国は高所得国との関係において、政府開発援助(ODA)や支援団体から得ているものより、租税回避、アンフェアトレード、貿易障壁などで失っているものの方が圧倒的に大きい。高所得国が世界が直面する問題を解決するためには、支援などの慈善活動にフォーカスするよりも、低所得国のマイナスになるような行動を減らし、貿易や金融システムの改革について議論することのほうが重要なのは明らかである。
それにもかかわらず、高所得国で貧困や格差といった世界の問題が議論されるたびに、加害者側としての行動は棚上げされ、解決策として「支援」のみが話題の中心となる。しかもそれは支援活動をする政府や支援団体だけではなく、世界について真実を探り、伝える役目を担うはずのメディアにおいても同様の傾向にある。そこでこの記事では「国際貢献」がどのように報道されているのかを探る。

ダボス会議(2019年)での様子(写真:World Economic Forum [CC BY-NC-SA 2.0])
国際貢献の明暗
「国際貢献」の定義はひとつではない。「国際的な課題に積極的な役割を果していこうとする立場」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)や「国際社会の一員として、より良い秩序作りのために協力すること」(三省堂大辞林)等が挙げられる。「国際協力」とほぼ同様の意味として使われることもある。しかし上記の定義のいずれにせよ、国際貢献が「支援」という狭い枠内に収まらないことは明白である。たしかに、国際貢献には低所得国の発展を促すための支援が含まれているが、その発展を妨げる行動をやめ、障害となるものを取り除く責任も含まれると言える。
そこでアメリカ・イギリスのグローバル開発センター(Center for Global Development, CGD)は、高所得国が低所得国の開発にどこまで貢献しているのかという指標(Commitment to Development Index)を作成し、毎年発表している。開発への貢献度を評価するにあたって、「支援」は7つの指標のうちのひとつに過ぎない。支援のほかに、金融、技術、環境、貿易、安全保障、移民政策も評価の対象となる。
支援以外の要素には、低所得国の発展を妨げる原因が多く見受けられる。貿易がその主要な例であろう。国際貿易の半分が、紙上で秘密が保持されているタックスヘイブンを経由しており、それ自体がまさに物語っている。高所得国に比べ、取り締まる能力が低い低所得国は、高所得国の租税回避やその他の不法資本流出を通じて莫大な経済損失を受けている。さらに、価格設定において弱い立場にある低所得国はアンフェアトレードの被害も受けており、鉱物資源、カカオ、たばこを始め、あらゆる商品から生まれるはずの富の大部分を外資系企業に搾取されてしまっている。その上、高所得国は自国産業を守り・発展させるために、付加価値を付けた輸入品に対して関税をかけたり(例えば、コーヒーだと生豆には関税をかけないが、焙煎豆には高い関税をかける)、自国の生産物に対する補助金の交付等を行ったりしている。これは、低所得国にとっての自由貿易・輸出の機会を奪い、発展を妨げている。つまり、世界貿易システムは高所得国にとって極めて有利になるようにデザインされているのである。
環境問題にしても、工業化した国々の行動によって生じた気候変動は、その原因にほとんど関与していない低所得国に対して大きな被害をもたらしている。砂漠化、洪水、異常気象などの頻度が増え、これらの国がそのコストの大部分を負担せざるを得ない。例えば、2019年3月にモザンビークを直撃した巨大サイクロン「アイダイ」。これは気候変動との関連が疑われている。モザンビークはその莫大な被害に対して、国際通貨基金(IMF)から融資を受けることになったが、その代わりとして、既存の債務に対する救済措置の可能性が絶たれ、最終的にモザンビークの納税者が負担することとなった。

2019年3月、モザンビークを直撃したサイクロン「アイダイ」(写真:Denis Onyodi: IFRC/DRK/Climate Centre [CC BY-NC 2.0])
そもそも、実際に支払われているODAはあまり多くない。日本やアメリカのような大国は国連目標の3分の1以下の資金しかODAに割り当てていない。また、支援の大部分は自国国内のプログラムに使われたり、あるいは実質的な「紐付き援助」、すなわち「ODAビジネス」として行われ、自国企業の利益につながる形がとられることもある。一方、搾取や不公平な貿易システム、気候変動などによって低所得国が被っている損害はODAを遥かに上回る。これらの問題の原因を取り除き、改善に向かわせるという加害者側としての責任を果たすことも「国際貢献」であろう。興味深いことに、CGDの国際貢献度を計る指標において、日本は2018年の時点で高所得国27カ国中24位にランクインしている。
国際貢献をめぐる報道
日本のメディアが「国際貢献」について報じる場合、上記のような貿易問題や租税回避など日本政府や企業が問題の原因に寄与してしまっている分野にはほとんど触れず、基本的に「支援」という文脈でしか語っていない。例えば、2014〜2018年の5年間で朝日新聞において「国際貢献」に言及した記事は310掲載された(※2)。その中では、自衛隊による平和維持活動(PKO)への参加(42%)と日本での技能実習生問題(16%)の文脈で登場していた記事が特に目立った。どちらも「支援」となるが、そのあり方または実施の仕方が問題視されていたことから報道量が伸びたと考えられる。その他に、日本政府、日本の非政府組織や個人による支援(15%)、災害(5%)、スポーツ(4%)、医療(3%)関連の支援の記事も多かった。国際貢献の文脈でフェアトレードに言及する記事は1つだけ掲載され、それ以外で貿易、租税回避などの問題を取り上げる記事はなかった。
同期間において読売新聞で「ODA」と検索すると、417の記事が掲載されていたことがわかる。一方、金額でみてODAより国際貢献への影響が大きい「タックスヘイブン」で検索すると、その約半分の212記事という結果になった。しかも、タックスヘイブン関連の記事の大半は日本や他の高所得国における損失と対策に注目しており、低所得国への影響に着目している記事はほとんどない。「フェアトレード」と検索するとその結果はわずか33記事にすぎない。元々、日本のフェアトレード報道にも数多くの問題が指摘されており、フェアトレードを「支援」であるかのように見せる傾向が強い。

数々の租税回避スキャンダルを起こしてきたスイスのUBS金融グループ(写真:Martin Abegglen [CC BY-SA 2.0])
また、たびたびメディアに登場する池上彰氏は国際貢献について、「『国際協力』を通じて、途上国の人が“日本”という存在に感謝してくれたとき、それは真の『国際貢献』に変わるのではないでしょうか」と語っている。低所得国を題材にするバラエティ番組においても、支援に対して日本・日本人を「絶賛・感謝」する人々が定番の切り口となっている。
「国際貢献」=「支援」だという勘違いは報道において幅広く、かつ、深く根付いているようだ。以下で2つのケーススタディを取り上げたいと思う。
バングラデシュ:アパレルと貧困
グローバル化された世界において、企業は人件費が安く、生産過程への規制が少ない場所を探すことによって生産コストを下げ、安い物を求める客に提供しつつ利益をあげたいと考えている。それが行き過ぎると、労働者は安全基準が低く劣悪な環境で働かされ、極度の貧困状態となってしまう。アパレル・ファッション産業において、その代表的な例がバングラデシュである。
外資系のメーカーがこのような搾取を繰り広げながら、同じ国の政府やNGOが支援活動も行っている。そもそも総合的に考えれば、労働者に相応の賃金をきちんと支払い、安全な労働環境を提供していれば支援をする必要もなくなるが、搾取からの損失レベルは支援のレベルを遥かに上回るため、問題の根本的な解決にはならない。
しかし日本の報道は貧困の背景にある搾取ではなく、支援のほうに注目している。読売新聞(2014〜2018年の5年間)で「バングラデシュ」と「ODA」(または支援・援助)というキーワードで検索すると、198記事が掲載されていることがわかる。しかし、そのキーワードを「バングラデシュ」と「賃金」に変えれば、7記事に減り、「バングラデシュ」と「フェアトレード」にすると5記事しかない。2019年に入ってからも、最低賃金が低く(95米ドル相当)生活ができないことを理由に5万人もの衣類工場の労働者がストライキを起こし、そのうちの1万人がデモに参加している。数週間に及んだデモで1人が死亡、50人が怪我をし、5千人が解雇されたが、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞はこの一連の出来事を一度も報道しなかった。

バングラデシュの衣類工場で労働者代表に選ばれた女性(写真:ILO in Asia and the Pacific [CC BY-NC-ND 2.0])
サウジアラビア:「支援」と戦争犯罪
「女性の社会進出支援」。日本政府の河野太郎外務大臣が2019年4月にサウジアラビアを訪問し、女性が雇用されている日系企業の工場を視察した際、NHKニュースはこのように報じた。同訪問について、各大手紙もこのような日本政府による「支援」のメッセージを4月29日の記事でそのまま強調した。読売新聞は「サウジの経済改革支援」、朝日新聞は「サウジ経済改革、河野外相『支援』」、毎日新聞は「サウジ外相と会談 経済改革後押し伝える」と、それぞれこのような見出しとなっていた。
河野外務大臣自身は「多くの日本企業にサウジアラビア・中東への投資を考えていただけるような支援もやっていかなければいけない」と述べていた。つまり、これはサウジアラビアへの支援ではなく、日本企業への支援となる。そもそも、サウジアラビアは日本の石油の4割を供給する世界最大級の石油埋蔵量を誇り、1万5千人もの人が所属する王室での豪華な生活ぶりが度々注目されている。「支援」する必要性を問う声があってもおかしくないが、そのような報道もなかった。
日本の外務大臣のサウジ訪問をめぐり日本のメディアが唯一追及したのが、サウジ政府が2018年にトルコの領事館内で殺害したジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏の問題だ。河野外務大臣はサウジアラビア政府との会談において、この問題を言及したのかどうか問われたもののしなかったようだ。しかし、人権問題であれば他に注目すべきところがいくらでもある。例えば、河野外務大臣訪問の1週間前に、サウジアラビアは1日に37人の首切り公開処刑を実施している。 さらに、見せしめとして、切断した1人の頭部を棒に貼り付け、その姿を公開した。 いずれも「テロ」のグループに所属していたというあいまいな罪だったため、極めて不公平な裁判だと人権団体等から非難が集中していた。しかし、この一連の出来事についても、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、NHKは一度も報道しなかった。

イエメン紛争を逃れてきた国内避難民(写真:IRIN Photos [CC BY-NC-ND 2.0])
そしてなんといっても世界最悪の人道危機とも呼ばれているイエメン紛争へのサウジアラビアの介入の問題もある。2015年以降、サウジアラビアが率いる連合は2万回もイエメンに空爆を行い、現在も地上戦を繰り広げている。紛争の原因で多くの人が餓死している中、河野外務大臣が訪問した際に言及する大手報道機関はなかった。毎日新聞の2018年の報道では、サウジアラビアによるこの紛争への関与より、サウジアラビア代表のサッカーワールドカップへの参加のほうに文字数を割いている。
サウジアラビアが犯している人権侵害や戦争犯罪を少しでも減らすよう外交努力をすることこそが「国際貢献」と言えるが、今回の外務大臣訪問において日本政府は一切それを行わなかった。これはサウジアラビアの行動を黙認しているとも捉えることができ、さらに堂々と日本企業の進出を「支援」すると発表した。日本のメディアはそれをほとんど追及せずに自国政府の言葉をそのまま視聴者・読者に伝えている。今回の訪問に関する報道で残るイメージは、サウジアラビアによる数々の人権侵害ではなく、単に「日本がサウジアラビアを支援している」ということであろう。
作り出されるイリュージョン
自国中心主義と愛国心・ナショナリズムが蔓延している現代社会において、自国政府・企業が貧困や人権侵害を解消しているどころか積極的に助長させているのだということを、傍観している市民は信じたくないであろう。ましてや、「物を安く買いたい」、「税金の支払いを避けたい」という自分自身の思い・行動が世界での貧困や環境破壊の問題につながっているとも思いたくないだろう。メディアがそのようなありのままの世界の現実を報道すればするほど、視聴者・読者に不快感を与えてしまい、ニュースを見たり読んだりしなくなる可能性がある。
それゆえ、メディアは国際報道をする際に、自国政府、企業、支援団体は「しっかりと国際貢献をしている」、「世界で頑張っているから社会は良い方向に向かっている」という部分のみを強調し、つまり、そのようなイリュージョンを作ることで、視聴者や読者をひきつけようとしている。それが現在の報道を形作ってしまっている大きな原因なのではないだろうか。

(写真:Nick Potts)
※1 ダボス会議とは、世界経済フォーラムの2019年の年次総会である。国家政府、国際機関、企業、NGOなどの代表がスイスのダボスで集まり、世界が直面する課題に取り組む会議として知られている。
※2 朝日新聞、読売新聞のデータは全国版のみの検索で得られたものである。
ライター:Virgil Hawkins
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支援だけが国際貢献じゃない。例えば、非支援国の政治体制が整っていなければ、送ったお金が独裁者の贅沢に使われて終わることも往々にある。根本的な解決から目をそらし、「国際貢献」という名の正義ごっこに苦言を呈したブレグマン氏の指摘がもっと報道されてほしい。
「消防士の会議に参加したのに、水について話すことが許されていないような気分です」まさにその通りと思いました。
先進国の不正を正す取り組みはどうやったら広めることができるんだろう、、。
今のままじゃ、世界の貧困は解決できるわけないですね。
なんとかして現状を変えないといけませんね!
もっとみんなが知らなきゃ。
国際貢献という言葉の裏に、先進国の傲慢さが隠れていることを再認識しました。先進国が途上国を「利用」するのではなく、本来の意味で、各国が世界を良くしていくようになればいいなと思いました。
サウジアラビアについてのネガティブな報道はおそらくカショギ氏の暗殺事件くらいしか日本では伝えられてないかと。支援という聞こえのいい言葉にすり替えて実態を隠そう、知らないことにしようという姿勢は日本の大手メディアでは顕著ですね。伝えてくださってありがとうございます。
SDGsやESG投資などが最近の「トレンド」のようになっていますが、日本に住んでいてテレビ・新聞のニュースのみを情報源にしていると「どれだけ支援しているか?貢献しているか」ということが国際貢献のメインテーマになってしまう傾向があるように見えます。おそらく
アンフェアトレードに加担しない・気候変動の原因を作った国として責任の一端を担う必要があるということがもっと報道されてもよいのではないでしょうか。
国際貢献というのは、途上国の人々たちがもっといい暮らしができるようになるためではなく、国の利益や国の権力者の為に貢献しているような感じですね。
インターナショナルではなく、グローバル社会の為の貢献はされてるのでしょうか。
「助けてあげよう」という姿勢が、先進国出身者のボランティアにおける最大の問題だと思います。これは海外に対する国際貢献だけでなく、日本国内の被災者「支援」でも、同じ問題があると思います。