2021年1月、アメリカの経済雑誌フォーブスマガジン(Forbes Magazine)はアフリカで最も裕福な女性であったイザベル・ドス・サントス氏を同雑誌が選ぶアフリカで最も裕福な人々のリストから外すと発表した。彼女はアンゴラの前大統領、ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス氏の娘である。ドス・サントス氏は2017年まで、約40年間に渡ってアンゴラの大統領を勤めてきた。彼の政権下では、ドス・サントス一家がアンゴラの資源や富を支配してきたため、イザベル氏を含む一家の盛衰はドス・サントス氏の政治的地位とアンゴラの政治状況と深く結びついている。
約40年間に渡るドス・サントス一家の支配が終わった現在、アンゴラの状況はどうなっているのか。この記事では近年のアンゴラの政治や経済の変化について説明していきたい。

イザベル・ドス・サントス氏(写真:Nuno Coimbra / Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0])
アンゴラの歴史について
アンゴラはアフリカ大陸の大西洋側南西部にあり、コンゴ民主共和国とナミビアの間に位置している。16世紀から19世紀半ばにかけて行われていたアフリカから南北アメリカへの奴隷貿易と、1575年から1975年までのポルトガルによる植民地支配に大きな影響を受けてきた国である。植民地時代以前のアンゴラは、異なる民族性やアイデンティティを持つ人々で構成された王国等の多数の政治組織で構成されていた。その後の植民地支配体制が、現在の国境線を引き、政治的・経済的・文化的慣習や言語、宗教に影響を与えてきた。
1961年から1974年にかけての長い戦争の末、アンゴラは多くの犠牲とともに独立を果たした。この戦争には3つの組織によるポルトガルからの独立運動も含まれている。1つ目の組織はアンゴラ共産党とアフリカのための共闘政党が結びついて1956年に設立された「アンゴラ解放人民運動」(Movimento Popular de Libertação de Angola:MPLA)である。MPLAの拠点はアンゴラの首都ルアンダに位置していた。2つ目の組織は1960年代半ばにポルトガルの植民地支配体制に対して最初に武力攻撃を実行したことで世界的に注目された地方ゲリラ集団「アンゴラ全面独立民族同盟」(União Nacional para a Independência Total de Angola:UNITA)である。UNITAは、オヴィンブンド民族が中心となって構成され、活動の拠点はダイヤモンド資源が豊富なアンゴラの北東部にあった。そして3つ目の組織が「アンゴラ民族解放戦線」(Frente Nacional de Libertação de Angola:FNLA)である。FNLAは1956年に「アンゴラ北部人民同盟」(União dos Povos do Norte de Angola:UPNA)として成立したが、その後名前をFNLAと改めている。FNLAの構成員の多くは難民であった。
1960年代にはほとんどのヨーロッパ諸国がアフリカの植民地支配から撤退していた。しかし、サラザールの独裁政権下にあったポルトガルはアフリカ諸国の独立運動を武力で制圧し、サラザールが失脚する1974年まで植民地支配を続けた。1975年にアンゴラはようやく独立を果たし、MPLAとUNITA、FNLAは一つの政府を作るために、ポルトガル政府とアルヴォー合意を結んだ。しかしそれぞれの組織は敵対関係にあり、また政治的な差異もあったため、どの組織が政権を握るかをめぐって戦争が始まった。その結果、MPLAが首都と中央政府の支配権を勝ち取り、UNITAとFNLAはそれに対抗する組織として存在していくこととなる。これら3つの組織の敵対関係は、植民地体制が一因となって生じた社会的・民族的・イデオロギー的分断が招いた結果である。特にイデオロギー的差異については、冷戦時にアメリカとソ連がアンゴラを含むアフリカ諸国に影響力を広げようとしていたことに大きく影響を受けたとされる。MPLAやUNITA、FNLAを支援していた国々は冷戦構造の中で対立していた。例えば、ソ連とキューバはMPLAを支援していた一方、アメリカとアパルトヘイト政権時代の南アフリカはUNITAを支援していた。後に政治的にも軍事的にも衰退するFNLAはアメリカと、幾らかの中国からの支援を受けていた。また実際に、アメリカやソ連による軍事支援に加え、南アフリカとキューバは自国の部隊も投入していた。
1992年に国連が仲介役となり、UNITAとMPLAの間で平和条約が結ばれた。この平和条約には、MPLAのジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス氏とUNITAのジョナス・サヴィンビ氏が候補者となる総選挙を開催する内容が含まれていた。選挙の結果、ドス・サントス氏が勝利したが、UNITAはその結果を受け入れなかったため、アンゴラは再び紛争状態へと突入していった。この紛争は2002年にUNITAが軍事的に敗れ、サヴィンビ氏が殺害されるまで続いた。

紛争で破壊された建物(写真:Nathan Holland / Shutterstock.com)
これらの紛争だけでなく、アンゴラは格差と極度の貧困にも苦しんできた。アフリカ諸国の中で、アンゴラは石油やダイヤモンドをはじめとした天然資源に最も恵まれている国の一つであるにも関わらず、それらの富の大部分は一部の政治的・経済的権力層に支配され、一般の人々にその恩恵が行き渡ることはなかった。
ドス・サントス政権下について
近年のアンゴラの歴史は、2017年まで38年間アンゴラを支配してきたジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス氏なしには語ることができない。彼はMPLAの創設者であったアゴスティニョ・ネト氏と共にアンゴラの独立のために戦い続けたカリスマ的存在であった。ドス・サントス氏は大統領時代に、議会における党代表の指名をはじめとした行政・立法機関を管理できる憲法上の権利を持ち、政府も政党も支配していた。さらに、検事や最高裁判所の裁判官を任命できる司法権も掌握していた。彼は自身の政敵を抑圧するだけでなく、市民社会に対しても恐怖を植え付け徹底的な支配を行っていた。
憲法上の権利以外に、ドス・サントス氏は石油やダイヤモンド、そして全ての国有企業を含む、国の資源を管理する権利も保持していた。そうして国の資源の大部分を私物化し、彼の側近が利益を得ることができるよう分配していた。
この支配体制によって、一般市民は飢餓と極度の貧困に苦しむ一方、ドス・サントス氏とその側近が国の大部分の富を掌握するという状況が生じていった。ドス・サントス氏らは多数の企業を営み、多額の富を得てきた。実際にアンゴラの主要な国有会社のほとんどはドス・サントス氏の側近によって管理されていた。これらの利権政治(※1)や縁故主義(※2)はドス・サントス政権の大きな特徴である。例えば、売上がアンゴラのGDPの3分の1、また輸出額がアンゴラ全体の90%を占めていた国営の石油会社ソナンゴル(Sonangol)は、ドス・サントス氏の家族と彼の政党の権力者層によって直接的に管理されていた。
このように、ドス・サントス氏は長きに渡る政権時代に、彼の一家を中心とした巨大なビジネス帝国を築き上げてきたのである。アフリカトレンディ(Africa Trendy)が発表しているランキングによると、2020年時点においても尚、同氏はアンゴラで最も裕福な人物とされており、資産は総額200億米ドルと言われている。

ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス前大統領(写真:Fabio Rodrigues Pozzebom/Agência Brasil / Wikimedia Commons [CC BY 3.0 BR])
ドス・サントス氏の子供たちもまた権力を持ち、多額の富を得てきた。冒頭に紹介した彼の娘のイザベル氏は40ヵ国以上の国々に異なるセクターで数多くの企業を築き上げてきた。これらの企業は政府の公的契約を獲得し、またコンサルティング業や貸付なども行ってきた。このようなビジネスを背景にイザベル氏はアフリカの最も裕福な女性となったのである。また彼女は2016年から2017年までアンゴラの国営石油会社であるソナンゴルの幹部も務めた。
ドス・サントス氏の息子、ジョゼ・フィロメノ氏(通称ゼヌ)も多額の富を得た一人である。彼は銀行業と金融業の経験があったことから、2013年には国営の政府系ファンドを管理する役目に任命されている。この政府系ファンドは金融危機に備えて、投資や石油関連で得た収入、鉱物株、他の国家の歳入を確保し経済を安定化させることを目的として2011年に設立された。彼はこの権力を濫用し、マネーロンダリングや他の賄賂に加担してきた。
ドス・サントス氏の他の娘、ウェルウィッチア氏は2009年からアンゴラの主要なメディアと広告代理店を管理してきた。また2010年にはベンフィカ・デ・ルアンダというアンゴラのサッカー1部リーグに属するチームの会長にも選ばれた。さらに、彼女は2008年に史上最年少の24歳で国会議員に選出されている。

アンゴラの首都 ルアンダ(写真:Anton_Ivanov / Shutterstock.com)
リーダー交代
2017年にドス・サントス氏が約40年勤めた大統領を退任した後、その地位はジョアン・ロウレンソ氏に引き渡された。この引き継ぎは選挙ではなく、MPLAの党大会において決定された。ロウレンソ氏はドス・サントス政権時代に防衛相を担っていた人物である。そのため、ドス・サントス氏の意思を受け継ぎ、ドス・サントス一家が受けてきた恩恵も続くという期待のもとロウレンソ氏が選出されたと考えられており、政権移行は滞りなく行われたかのように見えた。
しかし多くの人の予想とは裏腹に、ロウレンソ氏は政権を獲得してすぐ、ドス・サントス氏が行ってきた方針を一変させる一連の改革を始めたのだった。これらの改革にはドス・サントス氏の側近の起訴やドス・サントス一家を政治的地位・特権から退かせることも含まれていた。ロウレンソ大統領は大統領就任演説で、アンゴラの腐敗を終わらせると国民に対して約束した。手始めに、彼は汚職から資金を得た人々に対して、6ヶ月の猶予を与え、アンゴラの国庫へ返金するよう求めた。この返金は国の経済を回復させることを目的としている。一方で、この改革において、彼はドス・サントス一家を意思決定の座から下ろすことに注力してきたため、MPLA政党との緊張状態が生じている。

ジョアン・ロウレンソ大統領の就任式(写真:GovernmentZA / Flickr [CC BY-ND 2.0])
イザベル氏は汚職とマネーロンダリングの罪で当局から起訴されているがその容疑を否認していて、「私は自分の人格と知性、育ち、仕事上の能力、忍耐力によって財産を得てきた。」とツイッターで主張している。彼女はまた当局による調査が政治的動機に基づいていると主張する。しかし、彼女が築いてきた富と父親の政権時代との腐敗を裏付けるような証拠も出てきている。彼女のビジネス取引に関する膨大なリーク文書、アカウント、電子メールの数々が2020年にルアンダ・リークスとして国際調査ジャーナリストコンソーシアム(ICIJ)によって明らかにされた。これらのリークにより、イザベル氏による汚職の背景には他国の大手銀行や会計事務所、その他の外国企業が加担していたこともわかっている。上記の容疑から同氏がアンゴラとポルトガルに所有していた銀行口座は2019年から2020年にかけて凍結された。そうしてかつてアフリカで最も裕福な女性であったイザベル氏は衰退していった。
またドス・サントス前大統領の息子、ゼヌ氏は国営政府系ファンドのトップを勤めていたが、2020年に、ロンドンにある金融グループ、クレディ・スイスに5億米ドルを送金した罪で5年間の懲役が言い渡されている。ウェルウィッチア氏は2019年に議会から追放された。彼女は新政権下において迫害を受けていると主張し国外に移住しているが、議会は彼女の長期欠席が不当であるとする決定を下した。
根本的な改革と言えるのか?
ロウレンソ政権は、MPLAと政権内の腐敗の撲滅を優先事項として宣言してきた。そして腐敗撲滅に際して前政権での権力者層が犯罪を犯していたことが発覚した場合はこれらの人物が失脚することもいとわないとしている。2017年にロウレンソ大統領が政権を引き継いだ時に発表した汚職資金返還の6ヶ月間の恩赦期間以降は、法的措置のみが有効であるとロウレンソ大統領は述べた。また彼は権力移行を象徴的に示すために、100クワンザ紙幣から前大統領の顔写真を取り除いた。
一方で、現政権がアンゴラにおいて改革を進めるにあたって多くの困難に直面していることも確かである。これまでアンゴラは長年の紛争とその後の復興や腐敗による流出などが原因で国外の金融機関に莫大な借金を抱えている。よってロウレンソ大統領は国の経済を回復させるために、国際通貨基金(International Monetary Fund:IMF)の勧告に従って、ソナンゴルを含む195以上の企業を民営化させた。

アンゴラの石油産業(写真:Eni / Flickr [CC BY-NC 2.0])
この改革の中での最大の課題は世界的な石油価格の下落と高インフレである。石油に大きく依存するアンゴラ経済では、石油は輸出額の約70%を占めていて、輸入の際に使用される米ドルの主要資金源となっている。そのため現在の石油価格の下落に伴い、輸入事業のための外貨が不足した状況である。その影響は大手の貿易会社だけでなく、一般市民の生活にも広がっている。外貨の不足は2017年からの国内通貨(クワンザ:Kwanza)の切り下げにつながり、アンゴラ国内の物価が急上昇したため、人々の購買力の低下が生じている。その影響で輸入品に依存した経済活動を行なっていた人々が大きな打撃を受けている。
政治的な面から見ても課題が山積している。ドス・サントス政権時代、国庫金の横領などで利益を得ていたのはほとんどが与党MPLAの党員であった。新たな法律の下、前政権時に得た富の返還を求められる可能性がある彼らは改革に反発し、MPLA内でも新政権に対する反感が高まっている。政党内に不安定さが生じている中、いくつかの派閥がロウレンソ政権に対して妨害行為を起こしたり、ロウレンソ大統領自身もドス・サントス政権時代に汚職で利益を得ていたという主張を行ったりしている。
新政権の腐敗改革に大きな疑いも生じている。それは、この改革が本当に国を良くするためのものなのか、それともドス・サントス氏の力を排除して、ロウレンソ大統領自身に権力を移行させるためのものなのかという疑いである。汚職改革の対象がドス・サントス氏と同氏の側近に集中していることも疑惑の一因となっている。また、ロウレンソ大統領の補佐官は自身の利益のために職権濫用したとして2020年に起訴されたが、現在も役職を離れていない。ポルトガルの国営放送TVIによると、彼はポルトガルの不動産会社から取得した資金を投資するために、国外に所有する自身の会社を利用したと言われている。

ジョアン・ロウレンソ大統領(写真:Paul Kagame / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
2021年2月にはロウレンソ大統領自身の汚職も告発されている。アフリカや中東を専門とするコンサル会社パンゲア・リスク(Pangea-risk)の報告書によると、ロウレンソ大統領と彼の妻アナ・ディアス氏はアメリカ当局から連邦海外腐敗行為防止法(Foreign Corrupt Practices Act:FCPA)に違反した疑いで調査を受けているとされる。その告発内容にはロウレンソ大統領と関わりを持つ企業が政府からの受注を受けていることや出所不明の資金、アメリカでのロビー活動の規則違反の疑いも含まれている。
まとめ
アンゴラは奴隷制度や植民地支配、武力紛争、ドス・サントス氏と彼の一家の独裁を通して、長い間大きな苦難に直面してきた。格差と極度の貧困を是正し、国がより良い方向へ前進するためにも早急な改革が必要である。
ロウレンソ政権下で行われている改革はアンゴラにとって良い結果を導くと考えられる一方、改革をめぐる疑惑も生じている。法律上、ドス・サントス前大統領は任期終了後5年間は起訴処分を免れるため、彼を起訴することが可能となるのは2022年からになる。新政権はドス・サントス一家に集中して行ってきた捜査をより拡大させると同時に、大統領自身に向けられた疑惑を払拭する必要もある。その一方で党内の反発や石油価格の下落、新型コロナウイルスの影響などがこれらの動きを阻むことも予想される。
2022年に実施予定であるアンゴラの総選挙ではロウレンソ現大統領は間違いなく候補者の一人となると言われている。アンゴラは今後どのように変化していくのであろうか。その未来は未だ不透明である。
※1 政治的な支援の見返りとして支援者に対して利益を与えること
※2 親族など自身と同じ地縁・血縁の者を贔屓する考え方。
ライター:Délio Zandamela
グラフィック:Minami Ono
翻訳:Maika Kajigaya