「私たちにはパリ協定に署名する余裕がない。」これはグリーンランドの外務副大臣であるカイ・ホルスト・アンデルセン氏による2016年の発言である。2015年に196の国と地域によって締結されたパリ協定は気候変動への取り組みに関する協定である。この協定にはほとんどの国と地域が批准しているのだが、独立国ではないグリーンランドが独立国として署名することができない。また、仮にグリーンランドが独立を果たしたとしても、彼らには署名する余裕がないというのだ。この発言の背景には気候変動への取り組みの難しさだけではなくグリーンランドの独立に向けた問題が隠れている。この記事では大きな転換期に差し掛かっているグリーンランドについて見ていこう。

グリーンランドの旗(写真:GRID-Arendal/Flickr[CC BY-NC-SA 2.0])
グリーンランドの歴史
グリーンランドはアメリカ大陸と北欧の間に位置する世界最大の島であり、その面積は世界で2番目に大きい島であるニューギニアの約3倍の約216万平方キロメートルである。これだけ大きい島であるがそのうちの約80%が厚さ4キロメートル以上の厚い氷に覆われているため、国家人口は約57,000人しかいない。またグリーンランドは独立国ではなくデンマークの属領であるということも大きな特徴である。国家予算の約3分の2はデンマークからの補助金で賄われており、補助金を除いた主な収入源は漁業である。
グリーンランドの歴史を振り返ってみると、紀元前2500年ごろにはすでに北アメリカから移住してきた人が定住していた。しかし約1,000年前に始まったヨーロッパからの入植がグリーンランドに大きな影響を与えることとなった。982年に殺人の罪で現在のアイスランドがある地域から追放されてグリーンランドにたどり着いたとされるエンリーク・ソルヴァルズソン氏はグリーンランドのことを広めるために一度島を離れ、アイスランドからの入植者を引き連れて島に戻った。しかしそこに移住者が長く定住することはなかった。その後、1721年にデンマークからの移住者がグリーンランドの現首都であるヌーク近くに居住地域を建設するとデンマークとの関係性が強まり、1775年にはデンマークの植民地となった。第二次世界大戦中にアメリカの保護下に入る経験を経て、1953年にデンマーク王国の一部となる。
グリーンランドはデンマークの一部とはなったものの1979年に国民投票の下で自治法を制定した。その結果、外交と軍事権は依然デンマークの下にあるもののグリーンランド独自の政府と立法府が創られ、教育や社会福祉に関する自己決定権を得て限定的な自治を行うことが可能になった。その後もグリーンランドの政府関係者を中心に独立運動が拡大し、2008年に再びデンマークの支援を得て行われた国民投票で7割を超える投票者が独立に賛成という考えを表明した。この国民投票は法的拘束力を持つものではなく、この結果を受けて直ちに独立ができるわけではない。また、グリーンランドには独立に向けて解決しなければならない問題が多くあり、その中でもデンマークからの補助金が予算の3分の2を占めているという財政状況は大きな足かせとなっている。そこに一筋の光明が差す現象がグリーンランドを中心に起きているのである。
グリーンランドに訪れた転機
グリーンランドは地球上の他の国と同じく、もしくはそれ以上に大きな影響を気候変動から受けてきた。この気候変動こそがグリーンランドにおける環境問題を悪化させる一方で、デンマークからの独立の可能性も提示し始めている。前述のように、グリーンランドは国土面積の80%が厚い氷で覆われている。その氷床が、気候変動による気温上昇によってすさまじいスピードで溶けているのだ。そのスピードは過去12,000年間で最速であると言われる。あまりに急速な氷床の融解のために氷を補充する降雪量が追い付いておらず、このままでは年々氷床が減少してしまい、元の姿に戻ることはないとされている。この問題はグリーンランドのみの問題ではない。氷床の融解により世界の海面上昇が大きく進んでいるため、このままの状況が続くと21世紀末には海面が10センチメートル上昇し、約4億人の人々が洪水の被害に遭うと予測されている。
この問題はグリーンランドの社会にとって重大だ。グリーンランドの羊農家たちは急激に進む気候変動を懸念している。一見、氷床が溶けて、大地が露出すると羊を飼うことのできる面積が広がるように思われるかもしれない。彼らも最初はその恩恵を受けていたが、気候変動が進みすぎたために夏の時期に乾燥が進み、羊たちが食べる草が育ちにくくなってしまっているのである。ある農家は2008年から2018年の10年間で育った草の量が半分になってしまったと述べている。
気候変動がグリーンランドと地球に悪影響を及ぼしてきた一方、グリーンランドは気候変動による2つの恩恵も享受することになった。1つ目はグリーンランドの輸出の90%を占める漁業に関するものである。気温上昇が進行し、グリーンランドの沿岸の氷が溶けだした結果、今まで氷に阻まれ手が届かなかった範囲に新たな漁場が生まれ、漁獲量が増大したのである。加えて、氷床が溶けだした結果グリーンランドの人々の元に転がり込んできた恩恵がグリーンランドの地下に眠る鉱山資源である。

グリーンランド沿岸を航行する漁船(写真:GRID-Arendal/Flickr[CC BY-NC-SA 2.0])
IT化やクリーンエネルギー化が進む中、需要が高まる資源の1つが希土類である。レアアースとも呼ばれるこれらは電気自動車のモーター部分や携帯電話の液晶部分に使われており、私たちの生活に深くかかわる電化製品の製造に不可欠なものである。またクリーンエネルギー化に必要なソーラーパネルや風車などの製造にも必要である。特にネオジム、プラセウジム、テルビウム、ジスプロシウムの4つのレアアースは電子機器への需要も含めて重要な資源となっている。グリーンランドには石油、天然ガス、ウランといった鉱物資源に加え、これらのレアアースが多く埋蔵されているとされ、特にグリーンランド南部に位置するナルサークのクアナースーツ山には世界最大級のレアアースの鉱床があると言われている。氷床が溶けだした結果、この膨大な資源へのアクセスが容易になり、グリーンランドはこの資源を用いたビジネスを推進していこうとしている。この巨大なビジネスをグリーンランドが成功させることができれば、独立に向けて財政問題を解決できる大きな鍵となる可能性があり、グリーンランド政府もこのビジネスにチャンスを感じている。
グリーンランドミネラルという名前のオーストラリアの企業らがこのビジネスを成功させようと2007年よりグリーンランドで鉱山産業を発展させるための研究を始めるなど、精力的に活動を行っている。グリーンランドの法律は、鉱山での採掘を企業が行いたい場合は環境に与える影響に関する評価書を提出するよう定めている。グリーンランドミネラルが2020年に提出した評価書は法の要求をすべて満たしているとして審査を通過している。これを受けてグリーンランドミネラルは鉱山採掘に関して国民の意見の聴取を行うための公聴会を開くことのできる段階に進むことができるようになり、グリーンランドの鉱山産業にとって大きな一歩を踏み出した。着実に発展している鉱山産業は、グリーンランドの財政を支える屋台骨になりうる可能性を秘めているのである。
グリーンランドを取り巻く国際関係の変化
グリーンランドは国際関係からも大きな影響を受けている。もともとグリーンランドは北米とロシアを繋ぐ海に位置していることから、地政学的に見て重要な土地として注目されていた。加えて気候変動の影響を受けて北極圏に新たな海路ができる可能性があることや氷が溶けだしたことにより海底の資源にアクセスがしやすくなることから、その重要性は高まっている。そこに現れた今回の鉱山産業の発展の動きも含めて、気候変動がグリーンランドにもたらした変化は関係する国や地域の動きにも大きな影響を与えた。ここでは5つの国と地域とグリーンランドの関係について見ていきたい。
1つ目は古くからグリーンランドと深くかかわってきたデンマークである。デンマークはグリーンランドを1775年に植民地化して以来、現在までグリーンランドをデンマークの一部として扱ってきた。しかし、グリーンランドとの関係性は歴史上問題となってきた植民地とその宗主国のような圧迫的なものと必ずしも言えず、グリーンランドが国民投票を行い、自治法を制定した際には軍事と外交を除いた内政の権利をグリーンランドに認めたり、年間約210億ドルの補助金を送ったりするなど比較的穏やかな関係を保ってきた。グリーンランドの一連の独立の流れについても表立って反対は表明していないが「グリーンランドはデンマークからの補助金なしで社会の形を維持できるのか」という発言もみられる。鉱山産業に関しても、2009年12月に制定された鉱物産業における搾取、研究などの枠組みを定める鉱物資源法の中で、デンマークは鉱山産業に法的に介入するチャンスがあったにもかかわらず逃していることからあまり執着はしていないとも捉えられるが、グリーンランドが他国と深い関係を持つことには警戒心を抱いている。
デンマーク以外のヨーロッパ諸国においてもグリーンランドに対する注目度が高まっている。グリーンランドはデンマークの一部であるのでデンマークが加盟していたヨーロッパ連合(EU)の前身である欧州経済共同体(EEC)に自動的に加入していたが、グリーンランドはEECの漁業規制に不満を持っていた。そこでデンマークは自治区であるグリーンランドにおける国民投票でグリーンランドのEEC脱退の可否を決めることを許可した。国民投票の結果、グリーンランドは1984年にEECを脱退しており、EECが1993年にEUに変わった後もグリーンランドとEUの関係はある一定の分野(主に漁業)についてのパートナーシップを組んでいる程度のものだった。しかし、今回の気候変動と鉱山産業の発展を受けてEUは2つの理由からグリーンランドとの関係を強化しようとしており、グリーンランドに対して大規模な投資を始めている。1つ目の理由は地政学的な観点から、EUにとってグリーンランドは北極圏における影響力を高めるうえで大事な役割を果たすからである。2つ目の理由はEU全体として目指すクリーンエネルギー化の観点から、豊富な鉱物資源を保有するグリーンランドとの関係性を強めたいと考えているからである。
またその面積から北極圏において大きな影響力を維持してきたロシアもグリーンランドに注目している。北極圏に眠る天然資源は地球に残存する天然資源のうち一定の割合を占め、天然資源輸出が経済の重要な部分を占めるロシアにとって北極圏で権力を維持し、天然資源を得ることは重要な事なのである。また軍事的な観点からもロシアはグリーンランドとアイスランドの間の海域を占領したいという考えを持っているため北極圏に影響を及ぼすことのできるグリーンランドの状況を注視しており後述する中国と協力しながらグリーンランドにおける影響力を増大させようとしている。

グリーンランド・ヌークの風景(写真:Visit Greenland/Wikimedia Commons [CC BY 2.0])
中国は今回のグリーンランドの鉱山産業について一番注目している国だと言っても過言ではない。というのも中国は世界のレアアース生産のシェアの9割を今まで占めてきており、グリーンランドの鉱山産業が進めば中国のシェアに影響を与える可能性が高いからだ。また中国が推し進める北極海シルクロード計画(※1)を成功させるためには北極圏で影響力を強める必要がある。中国は今まで培ってきたノウハウを生かして、高度な技術が要求されるレアアースの生産に関してグリーンランドに技術を提供したり、グリーンランドの空港の拡張をしたりとグリーンランドへの投資を行っている。それと同時に中国の複合企業であるシェンゲがグリーンランドミネラルズの株の12.5%を購入することで筆頭株主になるなど、グリーンランドの鉱山産業への影響力を着実に伸ばしている。
アメリカは第二次世界大戦中のデンマークがドイツに占領されていた期間、グリーランドを保護を名目に軍を駐留させていたこともあり、その時から空軍基地をグリーンランドに置いている。しかし第二次世界大戦期、および冷戦期のアメリカはあくまで北極圏にアメリカの影響力を及ぼしてソ連を封じ込めたいという地政学的な観点から基地を置いたと考えられる。近年、グリーンランドに対する中国やロシアの動きが活発になったことを受けて、ドナルド・トランプ前大統領が2019年にグリーンランドを買収する計画を持ちかけた。この計画は当然ながらグリーンランドとデンマークに拒否されとん挫した。しかしアメリカは世界中からレアアースを確保するために国防生産法に基づいた支出上限を引き上げ、引き続き最大17億5千万ドルを軍事関連の希土類元素に投資することができることを報告している。これはグリーンランドを含めて世界中のレアアース産業に対して引き続きアメリカは注目していることを表している。引き続きアメリカは民主的なアプローチからあくまで協力のために支援をしていることや、自国の持続可能な観光業についてのノウハウの提供などをアピールしながらグリーンランドとの関係性を強化することを目論んでいる。
独立に向けて
ここまで見てきたように鉱山産業によって、グリーンランドは独立に向けて一番の足かせとなっていた財政問題を改善する手段を手に入れた。そのビジネスに対して他国も投資を始めたことで、財政状況はこれからさらに改善されていくだろう。2020年にグリーンランドを長らく率いてきた与党、シウムット党の党首選挙が行われ、エリック・ヤンセン氏が勝利した。彼もグリーンランドの独立に向けて積極的な立場だ。今までデンマークが担当していた外交と軍事権をグリーンランドに引き継ぐ意向を示しており、これからも独立に向けた動きは加速していくだろう。

シウムット党 エリック・ヤンセン氏(写真:Magnus Fröderberg /Wikimedia Commons[CC BY 2.5 DK])
しかし、独立に向けてまだ考慮すべき課題はいくつか残っている。鉱山産業に関わる大きな課題に環境問題がある。レアアースを採掘する際にはウランを取り除く作業が必要がある。ウランは有害な物質であり、それが空気中に放出されれば周辺住民に被害が及ぶ可能性がある。また、グリーンランドミネラルズは産業廃棄物をグアナースーツ山の近くにある湖に廃棄する予定であり、これは水質を汚染する可能性がある。
また、根本的な問題としてレアアース採掘の際に二酸化炭素を大量に排出してしまうことがあげられる。グリーンランドにおける1年間の二酸化炭素排出量は京都議定書に参画していた1990年からの約20年間では極めて少なかった。しかし今後グリーンランドの鉱山産業が発展すると二酸化炭素排出量が急激に増えることは明白だ。その結果、二酸化炭素排出量がパリ協定の排出制限を超えることとなり、その対策には膨大な費用を要する。冒頭で述べたグリーンランド外務副大臣の2016年の発言の背景には、この膨大な費用捻出できないためグリーンランドはパリ協定に署名することができないという構図があるのである。
終わりに
グリーンランドでは気候変動によって独立に向けた大きな変化が起きている。また、鉱山産業は気候変動への対策として注目されるクリーンエネルギー分野からも注目されているが、鉱山産業そのものが気候変動を悪化させる可能性がある。この結果、グリーンランドは気候変動の悪影響を受けてきたにもかかわらず、独立してもパリ協定には加盟できないという矛盾が起きてしまっている。気候変動に関する問題について世界全体で多角的な視点を持って考えないといけないのではないのだろうか。
(※1)中国が推し進める海路と陸路でアジアとヨーロッパを繋ぐことで経済成長を促す一帯一路政策の一角を占めるもので気候変動によって開かれた北極海を利用する計画。
ライター:Yoshinao Araki
グラフィック:Mayuko Hanafusa
めったに報道されることのないグリーンランドについて取り上げていただきありがとうございました。大変興味深かったです。今後は自国の利益と気候変動の間に挟まれて難しい舵取りを迫られそうですが、行方を見守っていきたいと思います。