2020年10月、チリでは新憲法作成の是非を問う住民投票が行われ、78%の賛成を得て新たな憲法が作成されることとなった。今回廃止される憲法は、アウグスト・ピノチェト(Augusto Pinochet)氏による独裁政権下の1980年に作られたものである。この憲法では、国家の経済における役割を最小限にすること、労働者よりも雇用者にとって有利になるような内容になっている。そのため、この憲法はチリで長期にわたり問題となっている社会・経済的な格差を生み出した一因となっている。
チリは現在、中南米で最も裕福な国の1つである一方で、世界で最も不平等な国の1つでもある。1990年代からの経済成長を通じて貧困や失業率の低下につながったが、何十年も続く社会・経済的な格差は解消されていない。人口の1%が国の富の33%を所有しており、中間層や労働者層の多くの人々が生活に苦しんでいる現状である。この記事で詳しく見ていこう。

首都サンディアゴ(写真:Sami Haidar/Flickr[CC BY-NC 2.0])
チリの歴史
1818年、チリは植民地支配を受けていたスペインから独立した。そして、19世紀後半には産業革命が発生し、国全体が栄えた。その影響で輸出が増加し国の収入が増える一方、政治家、産業資本家、地主がその富を独占するようになった。その結果1913年までに人口の上位1%の持つ富が国全体の収入の25%を占めるようになった。一方で、19世紀の後半にはチリの政府や軍による先住民のマプチェへの抑圧が悪化した。マプチェの人々の権利を無視し、天然資源の豊富な彼らの土地を侵略し、その土地を使って事業を行うようになった。このようにチリに様々な形で不平等な状況が生み出されていった。
1938年から、この格差に対する問題意識を持った政権が誕生し、政府は経済構造の改革を目指すようになり、特に1970年から1973年にかけて当時大統領であったサルバドール・アジェンデ(Salvador Allende)氏が医療の無償提供など社会主義的な改革を進めた。しかし、1973年に発生したクーデターによりアジェンデ政権は転覆し、ピノチェト氏が新たな大統領に就任した。このクーデターは、当時冷戦中であったアメリカの中央情報局(CIA)が関与したと言われている。中南米地域に社会主義が広がることを恐れていたのだ。

ピノチェト元大統領(写真:Biblioteca del Congreso Nacional/Wikimedia Commons[CC BY-SA 3.0CL])
政権の座についたピノチェト氏は独裁を開始し、政策の一環として自由市場改革を行うようになった。この改革は「シカゴ・ボイズ」(Chicago Boys)の影響を受けている。シカゴ・ボイズは、1950年代に新自由主義者(※1)でマネタリズム(※2)を発展させたミルトン・フリードマン(Milton Friedman)氏のもと、アメリカのシカゴ大学で教育を受けたチリの経済学者たちに付けられたあだ名である。シカゴ・ボイズの計画では、経済活動における政府の介入が少ない社会や輸入に開かれた経済を目指しており、こうした政策はアメリカ政府の支持を受けたものであった。ピノチェト独裁時代にシカゴ・ボイズは政府に加わり、そのうち数名は大臣に任命された。その影響を受けたピノチェト氏の政策では、国家の役割を最小限にとどめることとし、公共住宅や教育、社会保障、インフラなどの予算の削減、国有企業の売却を行った。教育、年金、医療システム、水資源などは民間の会社も担うようになり、1973年から1980年までの間に国が運営する会社が300社から24社に減少した。
1980年には新憲法が制定された。憲法の内容も自由市場改革を反映したものであり、政府が社会福祉を拡張することや企業に介入することを制限し、企業の活動に有利なものとなった。そして、社会サービスの担い手が国家から民間に変わった。また、この憲法に基づく法律は改正することが難しくなっている。憲法に基づいた教育や選挙などに関する法律の内容を変えるためには上院と下院の議員の57%の賛成が必要であり、憲法の内容に違反する法律であるかを判断する憲法裁判所のチェックを受けやすい。
その後1990年に住民投票が行われ56%の賛成を経て民主主義に移行し、独裁政権が終了した。しかし、民主主義に戻った後もピノチェト独裁政権時代の自由放任主義の経済体制と憲法を維持することとなった。そして、自由貿易や輸出の拡大など新自由主義的な政策を行った。

[Vemaps.comの地図を基に作成]
経済の「奇跡」とその裏側
自由放任主義の経済システムにより、チリの経済は急速に成長し、2018年には国内総生産(GDP)の値が1990年の約9倍に達した。この経済成長により貧困率や失業率が劇的に減少した。1992年に33%だった貧困率は、2014年には8%まで減少した。さらに25年間に及んで実質賃金が持続的に上昇した。経済成長を経て、チリは中南米で最も裕福な国の1つとなり、2019年には1人あたりのGDPがウルグアイに次ぎ、南米で2番目に高かった。
この経済成長の背景には、チリの銅産業や国際貿易からの多額の輸出収入、外国からの投資が関係している。銅産業はチリの経済で占める割合が高く、輸出の49%も銅産業である。鉱山労働者の収入は多く、賃金も高い。なかでも世界最大の露天掘りの銅鉱山のあるアントファガスタの鉱山地域は、最も経済成長のスピードが速く、1人あたりのGDPが国のなかで最も高くなっている。銅産業に加えて、チリの輸出率や海外からの投資率も南米で一番高く、経済成長を支えている。

世界最大の露天掘りの銅鉱山であるアントファガスタのチュキカマタ鉱山(写真:Tennen-gas/Wikimedia Commons[CC BY-SA 3.0])
しかし、GDPは国の経済全体の規模を表すものに過ぎず、経済活動で得た富の配分や経済的な格差を計ることはできない。経済成長は貧困を減らし裕福な人々に利益をもたらした一方で、チリの社会全体には格差が残った。貧困率が減少したとはいえ、現在も国民の50%は1か月の給料が500米ドル以下で生活している。経済格差の現状は悪化傾向にあり、2006年に人口のトップ10%の収入は下位10%の収入の約30倍であったが、2017年には約40倍に達している。また、土地に関しても、1%の農家が70%以上の土地を所有している状況である。そのためチリは世界で最も不平等な国の20か国の内の1つとされている。さらにチリの経済を支えてきた銅産業も、2014年には銅の需要の低下によりその価格が下がり、経済に影響を与えた。
苦しくなる国民の生活
では、このように格差の激しい国における人々の生活の状況について詳しくみてみよう。1980年代に教育、医療、年金システム、水資源などが民営化されたことにより、裕福な人々とそうではない人々の間で社会サービスに関する不平等な状況が現在まで続いている。

首都サンディアゴの貧困地区(写真:C64-92/Flickr[CC BY 2.0])
教育においては、政府が高等教育に費やすお金はGDPのわずか0.5%のみであり、OECD諸国の中で最も低い割合である。150以上ある大学のうち3分の2の大学は、民間の会社によって営利目的で運営されている。大学にかかる平均費用は平均収入の約41%を占めている。そのため、お金を払うことができる裕福な家庭の子どもは良い教育を受けることができる。しかし、教育に多額のお金を払うことができない家庭では、子どもが良い仕事や高い収入を得るための能力を教育によって身につけることが出来ず、経済格差の一因ともなっている。そこで、2007年に政府が支援する学生ローンが提供されるようになり、約70%の学生が高等教育を受けることができるようになった。しかし、教育を受けることができるようになったことと引き換えに、多くの人が卒業後に巨額の奨学金の返済に苦しんでいる。
医療や福祉に関しても問題が発生している。ピノチェト独裁政権時代に営利目的の民間医療システムが台頭した。民間の医療は公共の医療システムに比べて圧倒的に医療費が高いため多くの人は公共の医療システムを利用している。しかし、公共の医療システムは民間の医療に比べると質の低い医療である。さらに、世界で初めて民営化された年金システムは、低所得者層や非正規雇用の労働者の老後の生活を十分に保護することができていない。民間から支給される平均の年金額は、最低賃金である約400米ドルを下回っている。チリの退職制度では、軍や警察を除いて退職しても国家や企業から退職金などをもらえる保障はない。そのため退職後の生活において年金が重要となるが、物価が高まってきている中、十分に生活できるだけのお金をもらうことができていない。2008年に大統領であったミシェル・バチェレ(Michelle Bachelet)氏が、最も貧しい年金生活者に対して年金改革を行ったが、それでも老後の生活に十分なお金を手にいれることができていない状況である。

年金を給付する法律の制定をするバチェレ元大統領(写真:Gobierno de Chile/Flickr[CC BY 2.0])
さらに、ピノチェト憲法で定められた労働者の権利の影響で、雇用主に有利な社会が実現している。雇い主と交渉を行うための労働者の権利が骨抜きになっているのだ。特に、非正規雇用の労働者に関しては、解雇手当や職場での怪我に対して雇用主が払う保険、労働組合の権利など労働者を保護するための権利が十分にない状況である。そのため非正規雇用の労働者は低賃金で働いている。一方、正規の労働者であってもピノチェト時代からの労働規約によって団結する権利が制限されている。
税金のシステムに関しても不平等が発生している。貧しい人々に多額の税負担を求めるシステムであるため、給料が実質的に増えているとしても一般の人々の生活に使うことができるお金が減る原因となっている。そのため、食料や生活必需品を十分に買うことが出来ず、貧困層で栄養失調に苦しむ人も少なくない。一方で、裕福な人々や権力のある人々の多くは、税金逃れや汚職を繰り返しているとされている。
チリの水資源も完全に民営化されており、たとえ所有地に流れる水であっても勝手にその水を飲んだり、使用することは出来なくなっている。また、飲料、燃料、薪、エネルギーなどの産業は3つの大企業によって所有され、国民に配分されている。この3つの大企業が価格を決定し、生活に不可欠なサービスを独占的に提供している。
大規模デモの発生
このような不平等な状況は改善されることがなく、人々は社会・経済的な格差に反発するようになった。そして2011年には教育制度の不平等を背景に学生を中心としたデモ、2016年には年金システムに反対するデモが発生した。デモを受けて、当時大統領であったバチェレ氏は人権、医療、年金、税制度、教育の改革を行ったが、十分な解決には至らなかった。
これらのデモの発生後も社会・経済的不平等な状況は改善することがなく、2019年10月には、地下鉄運賃の約0.04米ドル(30ペソ)相当の値上げを発端として、大規模なデモが首都サンディアゴを中心に発生し、国全体に広がっていった。1日でおよそ120万人がデモに参加し、22人の死者、2,200人以上の負傷者、6,000人以上の逮捕者が出ており、民主主義に戻って以降初めて軍が出動するほどの規模であった。デモの影響を受けて、2019年11月に予定されていたアジア太平洋経済協力(Asia-Pacific Economic Cooperation: APEC)の首脳会談とその翌月に予定されていた第25回気候変動枠組条約締約国会議(COP25)の2つの国際会議のチリでの開催が中止となったほど、大規模かつ継続的なものとなった。

2019年に発生したデモ。先頭の人はマプチェの旗を掲げている。(写真:cameramemories/Flickr[CC BY-NC 2.0])
「30ペソではなく、30年間だ」。これは2019年のデモのスローガンとなった。デモの抗議は30ペソの運賃の値上げに対してではなく、民主主義に戻ってからの30年間に及んで続く経済格差の状況に抗議していることを表している。2019年に発生したデモは、チリにおいて長年にわたり続いている日常生活の苦しみや社会・経済的な格差に対する抗議が背景にあるのだ。
2018年に2期目(※3)の大統領の座についたセバスティアン・ピニェラ(Sebastián Piñera)氏はもともとこのデモに対して強硬な姿勢をとっていた。しかし、デモの規模が拡大し勢いを抑えることが出来なくなったため、デモに応じて政府の支給する年金の額の増加、最低賃金の引上げ、高齢者の医療費の値下げ、富裕層に対する増税、政治家の減給などを表明した。しかし、政府の実行は遅くデモが収まることはなかった。
さらに2020年になると、新型コロナウイルスによる都市封鎖が行われたことで経済が大きな打撃を受け、生活に困窮する人々によるデモも続いた。そこで2019年から続くデモを抑圧するための政府の譲歩として行われたのが新たな憲法作成に関する住民投票であった。
新しい憲法への道のり
冒頭で述べたように、2020年10月に住民投票が行われ、憲法が新しく書き直されることとなった。新たな憲法の内容について協議し、憲法案を作成するための代表者会議は155人で構成されることになっているが、この155人を選ぶ選挙は2021年に行われる予定である。今回作成されることとなった新しい憲法を通じて、チリで長年問題となっている格差の解消につながることが求められている。加えて、現在国家と先住民の関係が悪化している。特に先住民の土地に進出する企業に反対して先住民による暴力行為が行われている。現在の憲法には先住民の権利に関する規定がないため、新しい憲法によって先住民の権利を認め、政治的な権利を獲得することが期待される。

チリの会議の様子(写真:Diputadas y Diputados de Chile/Flickr[CC BY-NC-ND 2.0])
近年は、中南米地域全体における収入格差や貧困状況は縮小しているものの、富の配分は世界で最も不平等である。中南米の多くの国では経済成長の割合が少なく、貧困や格差の状況がチリよりも深刻な状況である。そのなかでもチリは1990年以降経済成長を経験し貧困が減少した一方で、社会・経済的格差が依然として残っていることを詳しくみてきた。チリでは今回新しく作成される憲法によって、何十年にもわたって続く教育、医療、年金を中心とした社会・経済的な格差を根本から改善できるようになることが期待されている。
※1 新自由主義者:規制緩和を行い、政府の市場への介入を最小限にし、経済を市場の自由競争の結果に委ねる立場。
※2 マネタリズム:フリードマン氏が提唱したもので、貨幣供給以外に政府が市場に介入することを控えるべきだという考え。
※3 ピニェラ氏は2010年から2014年に大統領を務め、2018年から再び大統領となった。2014年から2018年の間はバチェレ氏が大統領であった。
ライター:Saki Takeuchi
グラフィック:Saki Takeuchi
この記事を読んで、近年チリで起きていたデモの背景をより深く理解できました。新憲法作成によって格差が改善されていくことを期待します!
チリが、中南米で最も裕福な国である一方で、世界で最も不平等な国ということに驚いた。憲法が全ての悪循環を生み出していると思うので、この憲法改正を機に少しでも改善されることを願う。