先祖代々暮らしてきた土地から追い出される人々の気持ちを考えたことはあるだろうか。チリ中南部からアルゼンチン南部に暮らすマプチェという民族グループの人々の権利と領土は脅かされ続けてきた。下図にあるようにマプチェの人々は昔から住んでいた土地を移動せざるを得なかった。その全てが非常理にアルゼンチンとチリの政府によって奪われてきた。土地を奪うだけでなく、両政府は彼らの保護されるべき権利も保護していない。マプチェの人々を取り巻く現状をみていきたい。

World Encyclopedia とStratfor のデータを参考に作成
マプチェの人々と侵略の歴史
マプチェとは、チリ中南部からアルゼンチン南部に住むアメリカ先住民族のことを指す。独自の言語であるマプチェ語を話し、マプチェ(Mapuche )とはマプチェ語より大地(Mapu)に生きる人々(Che)という意味である。チリの統計によればマプチェの人口は604,349人でチリ全体の人口の4%に当たる。アルゼンチン側では約300,000人がアンデス山脈に居住している。古くから、農業や家畜で生計を立ててきたが、近年は都市部に居住する人が増え、教育機関で働いている人が多い。また、都市部にすむマプチェ女性たちの多くが家政婦として働いている。伝統として、音楽演奏を通して自然崇拝を行っている。また、彼らの作る金属加工品は有名であり、下写真のような頭にまく飾りなどのアクセサリーに使われている。現在民族衣装を普段からきて生活している人はごく少数であり、結婚式などの行事ごとでのみ民族衣装を着る人が多い。

民族衣装を着るマプチェの女性と子ども(写真:Ministerio Bienes Nacionales/WikimediaCommons [CC BY 2.0] )
現在の国家が建設される前、マプチェの人々は2つの侵略から自分たちの土地を守ってきた。一つは15世紀頃のインカ帝国、もう一つはスペインの入植者達である。スペインの入植者達に至っては、17世紀のクリン条約においてマプチェの自決権を認めざるを得なかった。しかし、19世紀終盤、アルゼンチンとチリは自国の農業権益のために彼らの土地の侵略を始めた。マプチェの人々は、アルゼンチンとチリで半分に分断され、それぞれに支配されることとなってしまった。マプチェの人々への政府による差別は、軍事暴力によるものだけでなく、政治的、経済的、社会的な権利からの遮断も多かった。彼らは資源や土地を一方的に収用され、先祖代々住んでいた土地から追放された。アルゼンチンのツクマン地区でのサトウキビ農園や軍隊で強制的に働かされ、マプチェ語を学校で教えること、使うことを禁止された。現在、アルゼンチンやチリの政府がマプチェの土地を狙う理由は、彼らの土地が持つ豊富な天然資源である。アメリカ合衆国エネルギー省によれば世界で2番目にシェールガスが眠っているとされているその肥沃な土地は、国内国外の不動産会社、石油会社、炭鉱会社が喉から手が出るほどほしいものだ。両国において、政府や外資系企業によってマプチェの人々の土地と権利が侵害されている。
アルゼンチンにおける抗争
アルゼンチン政府によるマプチェの抑圧は、上で述べたように19世紀後半から始まった。1878年から1885年にかけて、アルゼンチン政府は「砂漠の征服」という皮肉的な名前の計画を遂行した。実際にはそれらの土地は、砂漠ではなく、肥沃で豊かであったからである。この作戦により15,000人ものマプチェの人々が住んでいた土地から追放された。これが最初のパタゴニアにおける政府のマプチュへの抑圧であり、スペインからの独立の手助けをすることで南米諸国への経済的影響力を強めていったイギリスから援助を頼りに行われたものだった。20世紀に制定されたアルゼンチン憲法第75条第17節において、先住民族は「伝統的に占める土地の共同所有権」を保証されている。しかし、1990年代、カルロス・メネム大統領はアルゼンチン経済の新自由主義的見直しに着手し、政府のサービスと財産の私有化を進めた。安価で肥沃なパタゴニアの土地の購買を世界中の投資家や企業に推奨した。多くの投資家達がこの時に、パタゴニアの土地を購入し、マプチェの人々の土地はいつのまにか、他人の私有地となってしまい、多くのマプチェの人々が土地を去らざるを得なくなった。
私有化が進むアルゼンチンの土地において、最も私有地を有しているのは、世界的ファッション会社のベネトンだ。その私有地は約89万ヘクタールに及ぶ。使用用途は、家畜や服の原材料の耕作から炭鉱資源の試掘、化石燃料の抽出、材木の伐採へと多岐にわたる。ベネトンが所有する土地では、マプチェと政府の衝突が度々起きている。昨年の1月には、アルゼンチンの連邦治安部隊がマプチェの人々を襲撃するという事件が起きた。しかし、べネトンはこの件に関して、「知らず知らずのうちに関与していた」というような当事者ではないという立場をとっている。

ベネトンの私有地で抗議する人々:チュブ・アルゼンチン(写真:Prensa Obrera/ Wikimedia Commons [CC BY 4.0])
アルゼンチンは、先住民族の権利の侵害に強く関与し、確立された法を無視している。最近の動きとしては、アルゼンチン政府は更にマプチェの権利を侵害するような法律を制定しようとしている。リオネグロ州で議論されている事業地法とは、州政府がマプチェの土地を、炭鉱産業、石油産業、観光産業または不動産利用のためなら収用することができるという内容のものである。この法律によれば、政府は約203万ヘクタールの土地をマプチェの人々の住む環境や権利を考慮することなく、支配できるというものだ。政府の行動は、憲法に違反する行為である。
チリにおける抑圧
チリによるマプチェへの抑圧は、1861年のアラウカニア制圧作戦に始まる。これは、チリ軍による残虐な侵略行為である。1881年、マプチュが降伏したことにより終焉した。何万人もの人々が犠牲となり、マプチュの人々の1,000万へクタ―ルあった土地はたった50万ヘクタールとなってしまった。チリの政府もまた、マプチェの権利を無視し、マプチェの人々の土地で炭鉱水素化合物産業や石油抽出産業を推奨する政策を進めている。炭鉱化合物掘削に適した地域では、政府によるマプチェの抑圧が行われ、多くのマプチェが追放された。マプチェの人々は、これに対して道路の遮断や掘削に用いる設備の破壊、デモなどの抗議活動を行っている。

デモ行進:アンゴル・チリ(写真:Carpintero Libre/Flickr [CC BY-SA 2.0])
しかし、チリ政府がこれらの抗議を法律によって抑圧している。その法律とは、1984年の軍事政権下で制定された反テロ法である。この反テロ法によれば、証人は身元を明かす必要がなく、必要以上に長期の刑期や極めて厳しい罰を与えることができる。つまり、マプチェの人々の政府への抗議を「テロ」と扱うことによって、公平性が保たれていない裁判で、通常よりも重い刑罰をマプチェの人々に課すことができる。明確な証拠なしに起訴され有罪とされたマプチェの活動家たちはハンガーストライキを行っている。国の制度自体もマプチェの人々を苦しめている。チリは、1981年の水法により、水の使用権は国ではなく、私有化された。つまり、水の使用権益は、経済市場で価値が決まり、自由に売買されている。河川の水量に配慮された使用や売買を行う必要はないこと、汚染への配慮を定める規則の欠如から、深刻な水不足と汚染が問題である。水の使用権益が市場に委ねられているので、鉱山企業などの資本を多く持った組織が水を買い占めてしまい、マプチェの人々を含む地域に住む人々の安全な水を使用する権利は保障されていない。
マプチェの人々の抵抗
2017年11月、アルゼンチンとチリのマプチェの人々は自分たちの権益を守るために共同で活動を始めている。アルゼンチンとチリに渡るマプチェは両国が接する国境付近で初の連合デモ行進を行うと発表した。マプチェの権利を主張し、政治犯とされている仲間の解放を求めることが目的である。その1カ月後の2017年、12月にはチリのマプチェ団体の幹部であるモイラ・ミランとアルゼンチンのマプチェ団体の幹部であるイングリット・コエジェロ・モンテチーノが、日常生活においてマプチェの人々への抑圧が行われていること、彼らの権利を守るためチリ人とアルゼンチン人は団結すべきだと主張した。また、両政府がマプチュの政府への主張を厳しく罰しているのは、パタゴニア地域の外資系企業の利益に資するためであり、主要なメディアの支援を受け、政府のマプチェへの抑圧ははったりであり、マプチェが一方的に暴力行為を行っていると吹聴していることを非難した。各地で、マプチェによる放火が横行しているとされている。2017年8月には、チリ南部でマプチェと1年以上土地をめぐって衝突していた材木企業のトラック29台が燃やされるという事件が起こった。チリ当局は、放火事件をマプチェの仕業としてマプチェの運動家たちを逮捕、起訴しているが、彼らは容疑を否認し、無実を主張するためにハンガーストライキを行っている。

チリを訪問するローマ法王フランシス(写真:Pontificia Universidad Católica de Chile/Flickr [CC BY-SA 2.0])
争いの終焉にむけて
2017年6月には、チリのミシェルバチェレ大統領がマプチェの権利を抑圧するような行為を行ってきたことを謝罪した。これは、政府による初めての謝罪であるというポジティブな側面を持つものであるが、実質的な政策はまだ実現されていない。2018年1月ローマ―法王フランシスがチリに訪問し、マプチェと政府の間の衝突の平和的解決を求める演説を行ったことで、国際社会の関心も少しは上昇したのではないだろうか。2018年3月、チリの議会に初めて、マプチェの女性議員が2人誕生した。2人は、あたたかく議会に迎られ、セバスチャン大統領は、長年にわたる抗争に終止符を打ちたいと演説内で語った。徐々にではあるが、平和的解決への動きは始まっているのだろう。政府の融和への言葉や国際社会の関心が一時的ではないことを願いたい。

秋のパタゴニア:アルゼンチン(写真:Justin Vidamo/Flickr [CC BY 2.0 ])
ライター:Satoko Tanaka
グラフィック:Hinako Hosokawa
地理大好き人間です。あまり知られていない世界の情報をいつもありがとうございます。もっともっと知りたいです。これからも頑張ってください!
侵略された土地では、侵略した側の人の言葉でしか現状が語られないために、先住民にまで思いが至らないのかと思いました。USという国が移民の国ということは、どういうことなのか、帝国主義が大いに勃興した時代に何が起こったのかを、強いものの視点ではなく、弱い立場に置かれた人(が存在しているという認識をすることも含めて)の視点を想像することで、何かわかることがあるかもしれません。