2021年4月、東ヨーロッパに位置するモルドバ内のトランスニストリア地域において、平和維持という名目で軍を派遣しているロシアが軍事演習を実施した。またその動きと合わせて、隣国ウクライナがモルドバとの国境に増援部隊を派遣し、国境警備を強化した。トランスニストリアとはモルドバ内部の事実上の分離独立地域であり、モルドバの実行支配下にはないものの、ロシアがこの地での影響力を増している。東欧で渦巻く国際関係は一体どうなっているのだろうか。本記事ではモルドバに視点を当てる。

モルドバの国旗(写真:t_y_l / Flickr [CC BY-SA 2.0])
モルドバとその周辺国
モルドバは、ルーマニアとウクライナと国境を接する東欧の内陸国であり、多くの国から侵略されてきた歴史を持つ。現在のモルドバの領土は、16世紀にオスマン帝国によって長期にわたり支配されていた。しかし1792年の露土戦争の際に締結されたヤシ条約によって、現在のトランスニストリア地域に該当する領土がオスマン帝国からロシア帝国に割譲された。1812年には、新たに勃発した露土戦争の末、現在のモルドバ共和国に概ね相当するベッサラビアと呼ばれる地域がロシアに編入された。しかし第一次世界大戦下に発生したロシア革命の混乱の後、1918年にルーマニアがベッサラビアを占領した。1940年になるとソ連がベッサラビアに侵攻して再びこの地を占領し、モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国が誕生した。冷戦終結後、ソ連の崩壊に伴い1991年8月にモルドバ共和国として独立を宣言するまでは、ソ連が現在のモルドバ全域を支配した。このように、モルドバは常にルーマニアやロシア帝国・ソ連を中心とした周辺国との関係に影響を受けてきた。
現在のモルドバはキシナウに首都を置き、人口は約400万人である。2020年の1人当たりのGDPは3,395米ドルで、ヨーロッパ最貧国の一つである。ソ連からの独立後、1992年に市場経済を導入したものの、汚職が蔓延し、経済成長の大きな妨げとなってきた。サービス業に次ぎ、農業用の機械の生産などの工業、また、最も盛んなワインの生産の他に植物油や砂糖などの食品加工業がモルドバ国内の主な産業として挙げられる。GDPの産業別構成比において、農業が約14%を占めているほか、農業従事者は労働人口の3 割ほどを占め、農業国という側面が大きい。
モルドバが周辺国との関係において現在どのような立ち位置にあるのかを概観する。まず旧ソ連国として、ロシアとの関係は常にモルドバにおいて重要視される。ソ連の支配体制がモルドバ国内の中で比較的長かったトランスニストリア地域では、ロシア系住民が1990年に独立を宣言しており、ロシアからの財政的支援を受けながらトランスニストリア独自の統治機構が機能している。後に述べるように、モルドバ国内の資源・エネルギー問題においてもロシアの存在感は大きく、かつての宗主国との関係は切りたくても切れないものである。イゴール・ドドン前モルドバ大統領は度々ロシアを訪問し、親ロシア派の政治家として知られた。
一方で、隣国ルーマニアとの関係も重要性を増している。モルドバの公用語はルーマニア語であり、統一の可能性が示唆されてきたほど両国の親密性は高い。現在は統一に対して積極的な動きはないものの、現行の親西欧派のモルドバ大統領をルーマニア外務大臣が訪問した際には協力関係を確認しており、両国の接近が見られる。これはルーマニアがヨーロッパ連合(EU)加盟国であることにも関係している。モルドバはEUに加盟していないが、2014年にEUと非EU諸国との間で締結される連合協定に署名した。これは政治や文化、貿易、安全保障上の結びつきを強める役割を果たすものであり、モルドバ現政権はこれに留まらず、最終的にはEUへの加盟を目指している。モルドバとしては、EU加盟国として物資や流通に恵まれているルーマニアからの支援を受け、また自国のEU加盟を後援してくれるという側面でも、ルーマニアとの関係を非常に重視している。
また、もう一つの隣国であるウクライナとの関係も重要である。モルドバ・ウクライナの関係は現在良好であり、モルドバ、ウクライナにジョージアを含めた旧ソ連3カ国は、EU加盟に向けた外交活動・協議を進めるなどの協力関係を確認する覚書に署名している。ただ、ウクライナと関係が悪化しているロシアがトランスニストリアに影響力を及ぼしていることで、モルドバはこの2カ国の対立に巻き込まれる可能性がある。

モルドバのイゴール・ドドン前大統領と会談するロシアのプーチン大統領(写真:Пресс-служба Президента Российской Федерации / Wikimedia Commons [CC BY 4.0])
さらに注目するのは、モルドバの労働人口の16.5%に相当する働き手が国外へ出稼ぎに出ていることである。国内の産業では充分な雇用を満たすことができず、ロシアやルーマニアを中心に労働者が周辺国へ流れている。彼ら彼女らからの送金額はGDPの10%に相当し、モルドバ経済を支えている。このようにモルドバは周辺国と様々な側面で密接な関係にあり、国際関係が国家の動向に多大な影響を及ぼす。
言語とアイデンティティの問題
様々な国から介入を受けてきたモルドバの地に暮らす人々にとって、言語やアイデンティティもその周辺国との歴史的な関係から影響を受けてきた。
言語学においてはモルドバ語とルーマニア語は近似しているというが、これまで別物として取り扱われ、政治的に利用されてきた。モルドバ西部では歴史的にルーマニア語が広く使用されてきた。しかし第二次世界大戦中にモルダヴィア・ソビエト社会主義共和国が誕生すると、言語を表記する文字がルーマニア語に使われるラテン文字から、ロシア語に使われるキリル文字へ改められた。使用言語は事実上変わらなかったが、ソ連はモルドバの住民が使用する文字を変え、そして公用語の表記を「ルーマニア語」から「モルドバ語」に変更することで、モルドバをルーマニアから切り離し、ソ連の一部として同化しようとした。しかしソ連支配体制末期の1989年に制定された国家言語法では、公用語は「モルドバ語」のままであるものの、ルーマニア語と同じラテン文字表記へ戻すとされた。ソ連解体後1991年のモルドバ独立宣言の際には、ルーマニア語が公用語とされた。モルドバ憲法裁判所が2013年、独立宣言に記載されている公用語を優先すると正式に表明したため、ルーマニア語がモルドバの公用語とされ、現在に至る。
現在では、モルドバの学校で学習するのはルーマニア語であり、モルドバ人の75.8%がルーマニア語を母語としている。また、ルーマニア国籍を取得するモルドバ住民の数は増加しており、2021末には全体の3分の1に上るとも言われている。この背景として、モルドバのパスポートではビザなしでのヨーロッパへの渡航が未だに認められていないことが挙げられる。EU加盟国であるルーマニアの国籍及びパスポートを取得することで、モルドバの住民もEU市民としてシェンゲン協定内へのアクセスが可能となるのである。多重国籍者は増加していると言えるが、モルドバの住民はあくまで実務的にその便宜性を利用している。国内では他にもロシア語やウクライナ語、また自治州であるガガウツィアで話されるガガウズ語など多くの言語が使用されている。この言語とアイデンティティの複雑な関係は、次に述べるトランスニストリア問題にも大きく影響を与えている。

モルドバの市場で商品を売る人々(写真:International Labour Organization ILO / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
トランスニストリア問題
トランスニストリア地域とは、モルドバ東部を流れるドニエスター川とウクライナとの間に存在する事実上の分離独立地域である。かつてルーマニアに占領されたベッサラビアではルーマニア語が主に使用されていたが、ロシア帝国が長きにわたって支配したトランスニストリア地域では、モルドバ国内ではあるものの主要言語はロシア語であった。しかし、ソ連支配体制末期の1989年にモルドバ全土においてモルドバ語(すなわちルーマニア語)が公用語とされ、ルーマニアを模した国旗・国歌が制定された。モルドバとルーマニアの統合を危惧した多くのロシア系住民がこれに反発し、1990年9月に分離独立主義者らはモルドバからの独立を宣言し、「沿ドニエストル共和国」(※1)として独立政府が樹立された。1992年3月には、モルドバ政府から受けた武力攻撃をきっかけとして、トランスニストリア地域とモルドバの武力紛争が発生した。武器や志願兵の供給は、モルドバに対してはルーマニアから、トランスニストリア地域に対してはロシアやウクライナから主に行われた。この紛争は死者1,000人以上、負傷者1,500人以上を出した。ロシア軍の参戦を加えたさらなる戦闘も辞さないというロシア政府の構えに対して、モルドバはその強大な戦力を前に恐れ、ロシアとモルドバの大統領が停戦条約に調印し、1992年7月に武力紛争が終結した。その後、ロシア、モルドバ、トランスニストリア地域合同の平和維持軍が組織された。
停戦後、欧州安全保障協力機構(OSCE)による継続的な協議が行われ、2000年代初頭にはモルドバとトランスニストリア地域の連邦化という形での和解が試みられた。しかしロシアがこれに反対し、トランスニストリア地域をモルドバの自治州としてロシア軍の駐留を恒久的に継続させるという計画を提示した。モルドバ政府はこれを拒否し、協議は頓挫した。2006年に事実上の独立政府が実施した、モルドバからの独立を巡るトランスニストリア地域の住民投票では、独立またはロシアへの吸収合併案が圧倒的に支持された。しかしモルドバはこの住民投票を正当なものと認めていない。モルドバとトランスニストリアの間に現状では武力衝突は起きていないものの、多くの問題が未解決であり、緊張した状態が続いている。

戦争での勝利を記念する式典でのトランスニストリア軍(写真:Пресс-служба Президента ПМР / Wikimedia Commons [CC BY 4.0])
現在、トランスニストリアは独自の議会、軍隊、警察、大学を有する。また、トランスニストリア地域住民のうち60%がロシア語を話す。2014年にモルドバがEUとの自由貿易協定を含む連合協定を締結した際に、トランスニストリアはモルドバの一部として、モルドバと同様にヨーロッパ市場に無関税でアクセスできるようになった。トランスニストリアの輸入品の55%、また輸出品の81.6%はモルドバとEUとの貿易によるものであり、この自由貿易協定が西欧諸国との貿易関係を強めている。しかしこれを受けてトランスニストリアは、モルドバが西側諸国との関係を緊密化することを懸念し、またロシアがクリミアを吸収する方向で動いていることを受けて、トランスニストリア独立政府をロシア連邦の属国として承認するよう要請した。財政的にもロシアから莫大な援助を受けているトランスニストリアとしては、巨大なEU市場を前にしてもロシアとの関係再考には及ばず、モルドバとの関係は進展の兆しが見えない。
エネルギー資源を巡る問題
モルドバと他国との関係を見ていく中で、エネルギー資源の問題も重要である。モルドバはエネルギー資源に非常に乏しく、他国からのエネルギー供給に依存している。石油や石炭と比べて天然ガスの割合が多く、全体の63%を占めており、その99%はロシアから輸入している。この天然ガスは、ロシアの国営独占企業であるガスプロム社が取り扱っているため、モルドバの天然ガス市場は事実上、同社に頼り切っていると言える。また、ロシアからの天然ガスはトランスニストリアに入り、旧ソ連時代の施設であるクチュルガン・ガス火力発電所で電力へと変わる。この発電所はモルドバの電力の80%を供給している。従って、モルドバはエネルギー源のかなり大きな部分をロシアに頼っていると言える。更に、トランスニストリアを通してロシアの天然ガスを輸入するにはウクライナを経由する必要があるため、モルドバ、ロシア、トランスニストリア、ウクライナの関係がモルドバのエネルギー問題に大きく影響する。これらの国と地域は元々不安定な関係にあるため、政治情勢の悪化によってエネルギー問題が負うリスクは非常に高く、最悪の場合はエネルギー供給を停止され、モルドバが危機に瀕する。
また更なる懸念材料として、ロシアのガスプロム社からの天然ガスの供給に対して、トランスニストリア地域の未払いが常習化してきたということが挙げられる。ソ連支配下のモルドバ国内の中でも、トランスニストリア地域は重工業で特に繁栄し、現在も同地域での工業生産による天然ガス消費量は大きい。モルドバ政府は、トランスニストリア地域での消費に対する債務は、同地域のティラスポリ・トランスガス社がその返済責任を負うと主張している。しかしガスプロム社は、モルドバのGDP比80~90%に当たる68.8億米ドルというこの債務は、モルドバ国内のトランスニストリア地域で消費されたものであり、全てモルドバ政府が返済するべきものとして、国際商事仲裁裁判所に16回の提訴を行っている。これまでの訴訟ではすべてガスプロム社の主張が認められているが、モルドバ政府はティラスポリ・トランスガス社の債務を支払うことはないという主張を崩していない。

モルドバの天然ガスパイプライン(写真:Photobank MD / Flickr [CC0 1.0])
問題を多く抱える脆弱なエネルギー供給体制から脱却して新たなエネルギー資源を確保するために、モルドバは手を打ち始めている。2014年に着工し、当初の建設予定距離から延伸されたルーマニアとの間の天然ガスパイプラインによって、モルドバはロシア以外からの天然ガスの輸送量を飛躍的に増加させることができる。この新パイプラインは2020年8月に完成しているが、税制問題や新型コロナウイルスパンデミックによるガス価格の下落などの影響を受け、ガスの供給開始は2021年10月まで引き延ばされている。ただ、今後この取引が進み、競争相手としてのルーマニアの存在をロシアに意識させることで、天然ガスの価格交渉において優位に立てるという見方がなされている。さらに、ヨーロッパの電力市場に接続することを目標に、自国の電力ネットワークを欧州電力伝送システムオペレーターネットワーク(ENTSO-E)と同期させるため、ENTSO-Eの技術要件を満たすように発電機や送電線、変電所の刷新が行われている。また、再生可能エネルギーは2020年の時点で発電量全体の6%を占めるに留まっているが、固形バイオマス燃料の開発などを中心に、国際機関による導入計画が推進されている。多様なエネルギーの調達先を確保しておけば、複数の国との価格交渉において競争力をもって優位に進められるほか、何らかの理由で一つのエネルギー供給路が完全に遮断されても、エネルギー紛争の格好の人質になってしまうことは避けられるだろう。
外交と国内の政治
ここまで見てきたように、モルドバは周辺国との関係に強い影響を受けるため、円滑な外交を行うための安定した政治基盤が求められる。しかし、強固な政治基盤が維持されてきたとは必ずしも言えない。これまでモルドバでは既得権益による政治腐敗が蔓延してきたという背景があり、2016年から2020年の任期を務めた前大統領のドドン氏も政商との不正取引の疑いが指摘されていた。そんな中、選挙公約で政治腐敗からの脱却を一番に掲げていたマイア・サンドゥ氏が、2020年末の大統領選挙で当選した。2021年7月11日投票のモルドバ議会選挙では、サンドゥ大統領が党首を務めていた政党「行動と連帯(PAS)」が得票率52.6%で過半数の議席を獲得した。PASはルーマニアとの関係強化やEU加盟など西欧寄りの政策を打ち出しており、ソ連からの独立後初めて親ヨーロッパ派が議会で多数派となった。親ロシア派でこれまで第一党であった社会党・共産党連合(BECS)は得票率27.3%に留まった。国内政治はロシアから一歩離れ、西欧寄りに移行しつつあると言える。汚職を撲滅し、司法制度改革などを推し進める姿勢のサンドゥ大統領は、トランスニストリア地域からのロシア軍の完全撤退をかねてから求めており、ロシア側は警戒感を隠せない。ヨーロッパ最貧国として、国内問題を一つずつ解決し社会経済を発展させつつ、絶妙なバランスを取りながら周辺国と付き合っていくための手腕は相当なものが試される。モルドバの若き大統領がどう動くのか注目したい。

モルドバのマイア・サンドゥ大統領(写真:President office of Ukraine / Wikimedia Commons [CC BY 4.0])
まとめ
この記事では、歴史、言語問題、トランスニストリア問題、そしてエネルギー資源の問題を踏まえて、モルドバを取り巻く国内外情勢について検討した。それぞれにおいて、歴史的、地理的、政治的、またアイデンティティの側面においても、モルドバは周辺国の板挟み状態から抜け出せないでいる。トランスニストリア問題については具体的な解決策が未だ導かれておらず、モルドバやロシアを中心に各国の政治リーダーたちの動向が注目される。悩ましい国際関係をどう展開していくのか。モルドバの今後の動向から目が離せない。
※1 沿ドニエストル共和国は広く承認されておらず、トランスニストリア地域はモルドバの一部とされている。本記事でも未承認の分離独立地域として扱うこととする。
ライター:Manami Hasegawa
グラフィック:Mayuko Hanafusa