2022年9月、アフリカのタンザニアでマサイ人の土地利用に関する重要な判決が下された。2017年にタンザニア政府によってマサイ人が代々住んできた土地から立ち退かされていることについて、政府の行為は合法だと東アフリカ司法裁判所(EACJ)(※1)によって判断されたのである。政府はかねてよりセレンゲティ国立公園における生態系を保護するという理由で、住民であるマサイ人に立ち退きを要求していた。2017年に行われた暴力行為を伴う立ち退きによって、20,000 人のマサイ人と5,800 戸の家屋が被害を受けたとされている。2017年以降も立ち退きを拒絶するマサイ人の家屋を燃やしたり、抗議活動に対して銃撃を行ったり、暴力的な行為が報告されていた。
こうしたタンザニア政府の行動に関して、裁判所は最終的に合法であると判決づけた。この判決は、自然保護を名目とした権利侵害を助長する恐れがあると指摘されている。そもそも政府は自然保護を謳っているが、実際に住民の立ち退きが自然を保護することにつながっているかどうかも疑わしい。実はこのような事例は、タンザニア国内に限った話ではない。タンザニア以外の地域でも、アフリカの各地域で自然保護を名目とした暴力的な立ち退き行為が行われている。一体なぜこのような事態が起きているのだろうか、本記事ではその背景と実態について探っていく。

牧畜を営むマサイ人(写真:safaritravelplus / Wikimedia [CC0 1.0])
立ち退きの歴史
まずは東アフリカにおけるマサイ人の歴史について振り返ってみよう。マサイ人は、主に牧畜を営み生活をする遊牧民の経緯を経てきた。現在、この伝統的な生活を続けるマサイ人多くは主にタンザニア北部とケニア南部に居住している。マサイ人はかつてケニア北西部付近にあるナイル川の下流域で生活していたと言われている。その後15世紀ごろから南下し始め、17世紀半ばごろには現在の居住地である東アフリカ地域に移住した。
植民地支配によるマサイ人の立ち退きが始まったのは、19世紀ごろからである。1884年から1885年に行われたベルリン会議で、ヨーロッパ各国によるアフリカ植民地の線引きが行われた。そして現在のタンザニア本土に位置する地域をドイツが占領することとなった。1895年にはドイツ土地令が施行され、当時使用されていなかったとされたすべての領土の土地が王家の土地としてドイツの管理下に置かれた。当時マサイ人たちは、遊牧民であることを理由に住んでいた土地の権利を否定され、一部を除いて立ち退きを余儀なくされた。1907年に設置されたドイツの土地委員会は「マサイ人は強盗をはたらき追放されたので、土地に対する権利はない。」とし、王家の土地としてマサイ人から土地を奪い取った。この頃から、マサイ人の土地と権利のはく奪は行われてきたのである。また、この土地での農業政策がドイツ政府の予想よりも上手くいかなかったため、土地の代替的な利用法として自然公園の設立が検討されていた。結局計画は断念したものの、自然保護という考え方がこの時代から存在していたという点は注意しておきたい。

植民地時代における狩猟のイメージ図(写真:Internet Archive Book Images / Flickr [CC0 1.0])
その後勃発した第1次世界大戦において、イギリスは敵国であったドイツを破り領土を占領した。そして大戦後には、現在のタンザニア本土はイギリスの統治下(※2)に置かれた。こうしてイギリスの植民地となったタンザニアでは、1940年に狩猟条例が策定された。この条例によって、マサイ人が住んでいた地域にセレンゲティ国立公園と狩猟保護区が創立された。そして、これらの場所における定住や放牧等の利用が制限されるようになった。ただし、この条例の対象に国立公園内で元々居住していた人間は含まれなかったため、マサイ人が大きく影響を受けることはなかった。
しかしその後、自然保護を名目としたさらなる規制が行われた。1957年にセレンゲティ国立公園はセレンゲティ国立公園とンゴロンゴロ保全地域の2つに分割され、動植物を保護するという理由で国立公園内におけるすべての人間の居住が禁止されたのである。結果、マサイ人は保全地域内での生活に追いやられることとなった。さらに1959年には国立公園条例が制定された。これは、植民地政府の現地代表である総督にタンザニアにおいて国立公園を創設する権限を与えると同時に、その公園内における総督以外の一切の権利の消滅を定めるものだった。この法律は、公園内におけるマサイ人の権利の完全な消滅を意味した。
しかし、同年に移動先であるンゴロンゴロ保全地域(Ngorongoro Conservation Area : NCA)における条例も制定された。そこには、マサイ人が保全地域内の定住権を持つことが明記されていた。それにも関わらず、NCAの管理団体には耕作や放牧といった地域内の様々な活動を制限することができる権利が与えられていた。さらに、当初はNCAの統治機構にマサイ人も組み込まれていたが、1960年代には除外されてしまった。
タンザニア本土は1961年に独立を果たしたが、その後も狩猟区域内での活動を制限する野生生物保護法が成立するなど、住民の権利は虐げられる一方だった。また、ンゴロンゴロ保全地域は1979年に、セレンゲティ国立公園は1981年に世界遺産に登録され、ますます観光資源として利用されるようになっていった。こうしてマサイ人はさらに居住区域を狭められ、生活まで制限されるようになっていった。
このように、政府によって植民地時代も独立した後もマサイ人ら住民の権利は奪われ続けてきた。そして、2017年にタンザニア政府はンゴロンゴロ保全地域内に住む住民に対して、自然を保護するためという理由で立ち退きを要求した。立ち退きを拒絶したマサイ人に政府は暴力的な立ち退き行為を行い、EACJによる裁判へと発展した。これが記事冒頭で紹介した判決の発端となった出来事である。
この訴えをきっかけとし、マサイ人の権利と政府による立ち退き行為に関する裁判は5年間続いた。マサイ人からの訴えを受けた裁判所は、2018年には一度タンザニア政府に対して立ち退き行為の差止令を出している。それにも関わらず、判決後もタンザニア政府は暴力的な立ち退き行為をやめることはなかった。そして2022年9月、政府の立ち退き行為は合法であるという最終判決が裁判所によって下された。政府は2017年の立ち退き行為は法律に従い、住民に十分な敬意を払って行われたと主張しているが、マサイ人の代表は暴力的な立ち退き行為によって被害を受けた旨を主張している。結果的に裁判所は、マサイ人の主張を裏付ける証拠が不十分であると結論付け、政府の主張を認める形で「合法」という判決を下した。
なぜ政府は立ち退きを要求するのか
そもそも、政府は何のためにここまでして住民を立ち退かせようとしているのだろうか。かつてドイツやイギリスは、タンザニアを含むアフリカ地域に存在する鉱山資源や広大で肥沃な土地、そしてそこに住む住人たちを労働力として確保するという目的で植民地政策を行い、土地をコントロールしようとしていた。タンザニアには金資源が豊富に存在しており、現在では主要な輸出品目となっている。また肥沃な土地を利用した農業も盛んで、国土の40%以上が農地として利用され、とうもろこしなど農産物の生産が広く行われている。植民地時代は、所有する家屋ごとに税金を支払わなければならない小屋税が導入された。今まで自給自足の生活をしていた住民たちは小屋税を支払うために現金を入手する必要が生まれ、植民地政府が求める建設業や鉱山事業を行わなければならなかった。
これに加えて、象牙など動物からとれる価値ある交易品を獲得するための狩猟場所を確保したいという目的も存在していたと考えられている。さらにタンザニアではスポーツとしての狩猟、いわゆるトロフィー・ハンティングも行われており、その目的のためにも狩猟場所の確保が行われていた。こうした狩猟動物や狩猟場所の確保は植民地政府にとって非常に重要であり、それらの狩猟動物を守るために「自然保護」を推進した。タンザニアが植民地とされていた時代は、主にこれらの理由によってマサイ人ら住民は従来の居住地から追い出されることとなったと考えられる。

タンザニアのマサイ人と動物たち(写真:David Roberts / Flickr [CC BY-NC 2.0])
では独立後のタンザニア政府によって行われている立ち退き行為には、どのような意図があるのだろう。現在のタンザニア政府が立ち退きを要求する理由の1つに、狩猟やサファリを含む観光によって得られる利益が挙げられる。観光業は、タンザニアの経済発展において非常に重要な役割を果たしてきた。世界銀行によると、2019年時点で観光業はタンザニアの最大の外貨収入源となっており、またGDPのうち2番目に大きい割合を占める産業となっている。同年にタンザニアを訪れた観光客の数は150万人にものぼる。このことからもタンザニアにおける観光業の重要性がうかがえる。
こうした観光事業から利益を得ている政府は、観光資源である国立公園や保全地域に、より多くの観光客が訪れることができるように住民の立ち退きを行っているとされている。保全地域では、マサイ人のように古くからそこに住む住人が長きにわたって自然や生態系と共生してきた。しかし政府は自然を保護するためという大義名分を掲げ、保全地域に住む住人を追い出し、政府の管理下に置こうとしている。タンザニア政府による複数土地利用モデル(Multiple Land Use Model : MLUM)計画では、ンゴロンゴロ保全地域の管理をマサイ人が行い、政府が十分に観光資源として利用できなければ2038年までに予想される利益のうち半分を失うという推測もなされている。こうした利益を失いたくないという考えも、立ち退き行為の要因となっているだろう。
また、政府と狩猟会社などとの間にある密接な関係も政府が立ち退き行為を行う原因だとされている。タンザニアには、狩猟を目的とした観光客が多く訪れており、そうしたサービスを提供する狩猟会社が多く存在する。そのような会社に対して政府が狩猟場所と権利を提供し、その見返りに資金を得ている。例えば、アラブ首長国連邦(UAE)を拠点とする狩猟会社OBC(Otterlo Business Corporation)は、1993年に初めてタンザニア政府から土地の提供を受けた。その見返りとして政府は数百万米ドルの資金を受けとったとされている。
こうした仕組みによって利益を得られる政府にとって、狩猟会社との結びつきはマサイ人を立ち退きに追い込む理由になり得るだろう。このほかにも、自然保護規則の重大な違反を犯したにも関わらず、その後再び政府から狩猟許可を得たグリーンマイルという狩猟会社も存在する。このように、タンザニア政府は自然保護ではなく政府の利益のために住民の権利を侵害する立ち退き行為を行っていると考えれられる。

タンザニアにおけるサファリの様子(写真:Colin J. McMechan / Flickr [CC BY 2.0])
他国における同様の事例
このように自然保護を名目に住民の権利が侵害されている事例は、タンザニアに限らない。例えば、ケニアでもマサイ人の土地と権利が奪われ続けてきた歴史が存在する。タンザニアと同様に、ケニアでもイギリスによる植民地化の過程で住民が立ち退きを余儀なくされてきた。現在のケニアにあたる場所に住んでいたマサイ人は、先祖代々の土地を入植者に奪われ「保護領」へと移動した。この移動について、イギリス側は1904年と1911年に調印された2つの協定に基づいていると主張している。しかし、当時のマサイ人にとって、言語的な問題などから協定の内容を理解して行った調印ではなかったという意見も存在する。また、移動先の保護領も決して良い環境と呼べるものではなかった。保護領における住民は厳重に管理され、道路建設などの強制労働や強制的な学校教育、検疫の制限などのもとで生活を行っていた。加えて、タンザニアと同様に小屋税の導入もケニアの住民を苦しめることとなった。
近年では、世界銀行が資金提供を行う天然資源管理プロジェクト(Natural Resource Management Project : NRMP)というプロジェクトの実施のために住民たちが排除されている。自然保護という名目で従来の森林保護区の境界を変更し、そこに住んでいた住民を立ち退かせているのである。2010年に改正されたケニア憲法には、何世紀も前から先祖代々森に住み続けてきた住民たちの慣習や土地、権利を保護しなければならない旨が定められている。しかし、ケニア政府は住民たちに一切相談することなく決定し、家屋を焼いて立ち退きを強いている。さらにケニア政府は世界銀行から支援を受けながら、森に住む住民たちを国内避難民と同一に「不法占拠者」として扱い報道することで、立ち退き行為を正当化しようとしている。
コンゴ民主共和国でも、自然保護を名目に住民が暴力的に退去させられている。1970年、コンゴ民主共和国東部にカフジ=ビエガ国立公園が設立された。設立時には、先祖代々から住んでいた約6,000人のバトワ人が立ち退かされた。しかし、政府から住人に対する相談や補償等は無かった。その後1980年にこの国立公園は世界遺産に登録された。公園には絶滅危惧種としてレッドリスト(※3)に記載されているゴリラをはじめとして様々な生物が生息している。こうした生物たちの保護を名目に、住民に対する暴力的な立ち退き行為が続けられてきた。2019年から2021年にかけての暴力行為について調査した報告書によると、公園の警備員やコンゴ軍によって村の焼き払いや重火器を使った住民への攻撃が行われ、3年間で少なくとも20人のバトワ人が死亡したとされている。

カフジ=ビエガ国立公園でゴリラを撮影する人々(写真:Advantage Lendl / Flickr [CC BY-ND 2.0])
カメルーンでは自然保護を目的とした国際NGOである世界自然保護基金(WWF)によって支援された政府が、伝統的にカメルーンに居住しているバカ人の権利侵害を行っているとして問題となっている。カメルーン国立公園には、絶滅危惧種に指定された多くの生物が生息している。そんな公園内に住む彼らは狩猟を生業としているが、その狩猟が自然に及ぼす影響は非常に少ないとされている。それにも関わらず、狩猟場所への立ち入りを禁止され生活が立ち行かなくなっている。そして奪われた森林は、密猟が行われたり観光客によるサファリのための土地として利用されたりしている。またWWFは、カメルーン国立公園と密猟防止のための活動を行うエコ・ガードという団体に資金提供を行っている。本来自然を保護する役割を担う彼らは、自然に寄り添った生活を行うバカ人の住居を破壊し、立ち退きを強制したり財産を奪ったりして、暴力行為を繰り返している。
利用される「自然保護」
このように、アフリカの各地で長くそこに住んでいた住人たちが強制退去させられる事例はあとを絶たない。そしてその立ち退きの名目には「自然保護」が利用されている。自然保護のために立ち退きを要求する根拠の1つとして、人口過剰の理論が唱えられてきた。住民の人口増加や家畜の増加が環境に悪影響を与えているので、自然から人や家畜を排除すれば問題は解決するという理論である。
しかしこれには科学的根拠がないという見解もある。むしろマサイ人は地域の自然や動物に大きな負担をかけることなく共生してきており、マサイ人の管理下において生物多様性が育まれたことは評価されている。伝統的なコミュニティは地域の自然や水、土地を管理し保全する農業技術などを蓄積してきた。これを無視した政府の立ち退き要求は正当性に欠けると言わざるを得ない。立ち退きを強制されてきた住民たちの多くは、自然に害を与えるどころかむしろ自然を守り自然と共生してきた。古くから伝統的な土地や慣習を維持している住民たちは、世界の総人口の5%未満に過ぎないが、世界の生物多様性の約80%を支えている。
また、狩猟が自然保護に悪影響を及ぼす可能性も指摘されている。狩猟は大きな経済的利益を生み出している。その利益が保護活動への投資に繋がるという意見もあるが、一方で倫理的な問題や人間中心主義が助長されることでより動植物への被害が大きくなるという見方もある。また国立公園における政府の管理が厳格に行わなければ、違法狩猟が多発し自然保護とは逆効果になってしまう可能性も考えられる。

ンゴロンゴロ保全地域におけるマサイ人の住居(写真:George Lamson / Flickr [CC BY-SA 2.0])
政府が真に「保護」すべきものとは?
これまで見てきたように、政府は「自然保護」を利用してその地で自然と共生してきた住民たちを追い出してきた。多くの住民が本来持つ権利を虐げられ、それによる利益を政府や観光関連会社などは享受している。こうした現状に対して、住民たちの権利を守るためにアフリカ生活文化同盟(Pan Afrikan Living Cultures Alliance : PALCA)が設立された。これはアフリカの住民たちが主導するNGO団体であり、住民たちの権利保護をはじめとし、言語保護や住民による天然資源の管理を促進するなどの活動を行っている。またPALCAを含む複数の団体や住民の代表者が集い、映像を通じた問題解決を図る集会も開かれている。
また、政府の利益とマサイ人の権利を守ることは矛盾しないという意見もある。実際にケニア北部にある保護区では、一定の制限の下で住人に牧草地を提供している。計画的な牧畜が可能になったことで、住民は必要以上に家畜を増やさずにすみ自然への影響も最小限にすんでいる。さらに、住人を保護区内における観光業で雇用し、利益の一部を渡している。このようにマサイ人の牧畜民としての生活と観光業とが上手く両立されている例もある。これは択一的な解決策ばかりではないということを示している。
しかし、立ち退きの悲惨な現状が理解されないことには問題の解決は難しいだろう。多くの人は、美しい自然を「人が存在していない自然」としてイメージしがちである。その風景を観光客が期待し、政府は観光業を促進するために期待された風景を用意しようとしている。こうした観光客のイメージも自然保護を名目とした介入に関係しているという事実を、まずは理解しなければならない。またこれまで述べてきたように、政府による住民立ち退きが目的として主張している自然保護に繋がっているかは疑問の残るところだ。植民地時代から続いてきたこの立ち退きは、このような地域に深く根付いている。自然保護という甘い言葉の裏に隠された暴力行為を見過ごさず、自然を守り自然と共生する住民たちの権利を守っていく必要がある。そうすることで「人」も「自然」も守ることにつながっていくことを期待したい。
※1 タンザニアに存在する、東アフリカ共同体の条約に基づく司法機関
※2 第1次世界大戦後に発足した国際連盟は、現在のタンザニア本土にあたる地域をタンガニーカとし、その委任統治権をイギリスに与えた。その後タンガニーカは1961年に独立を果たし、1963年にイギリスから独立したザンジバルと1964年に合併し、現在のタンザニアとなった
※3 国際自然保護連合(International Union for Conservation of Nature and Natural Resources : IUCN)によって作成された絶滅のおそれのある野生生物のリストのこと
自然保護と聞くとそれが完全に善だと思い込んでしまうので、その裏で酷い人権侵害が起こっているなど考えもしなかったので驚きでした。
マサイ人が立場の弱い人々であることを悪用して、政府の都合によって追い払われた事実に衝撃を受けました。法廷でも政府寄りの見方をしているので、マサイ人がどのような救済を受けることができるのか気になります。
「という名のもとに」系は要注意。
「SDGs」も一部でひどい使われ方をしている。