2020年5月、「20年に1度」といわれる大洪水、ただし過去20年でいえば5度目となる、サイクロン(※1)を原因とする大洪水がバングラデシュを襲った。 さらに、降雨の続くモンスーン(※2)期にあたる同8月上旬には国土の3分の1が浸水し、550万人以上が被災、105万世帯以上が浸水、145人以上が死亡したバングラデシュでは、洪水被害と新型コロナウイルス感染症による経済の停滞の二重苦により、人口の約3分の1が貧困状態に陥っている。
このようにバングラデシュで甚大な被害をもたらしている洪水の背景には何があるのか、またどのような対策がとられているのか、当記事で見ていきたい。

サイクロンが通過した地域(写真:UNWomen / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
バングラデシュで何が起きているのか
バングラデシュを襲う洪水には大きく分けて河川の氾濫、降雨、高潮、鉄砲水という4つのパターンがある。最も一般的なのは河川の氾濫による洪水である。バングラデシュには57の国際河川を含む230の河川があり、なかでも三大河川と呼ばれるガンジス川、ブラマプトラ川、メグナ川の水位が雨季に同時に上昇したときには、全国的に大洪水が発生しやすい。降雨による洪水は6月から11月の雨季に都市部を含むバングラデシュ南西部のデルタ地帯(※3)でみられる。高潮による洪水は、およそ800kmの海岸線に沿った地域で主にサイクロンに伴って発生する。鉄砲水(※4)による洪水は短期間の集中豪雨などによって起きている。
バングラデシュでは、従来から雨季には一定の浸水を繰り返しており、洪水が肥沃な農地をもたらしてきた側面もある。しかし過去半世紀の間には国土の50~70%に影響を与えるような大洪水が複数回観測され、生活に悪影響を及ぼしてきた。例えば2020年5月にバングラデシュを襲った大型サイクロンは、沿岸地域の240万人以上が避難を強いられた。また、家屋や堤防、衛生施設、田畑、家畜なども被災し、その被害総額は115億米ドル以上といわれる。

洪水で家を失った人々(写真:UN Women/Flickr[CC BY-NC-ND 2.0])
さらに、洪水による人的被害は溺死などの直接的なものだけではない。洪水により蚊などの媒介生物の生息数や範囲が拡大することでデング熱やマラリアといった疾患が増加したり、汚染した生活用水を使用することで感染症リスクが増加したりするのだ。さらに、洪水により住居を追われた人々が集団移動することで、新型コロナウイルス感染症を含む感染症に集団感染するリスクが高まることも指摘される。
頻発する洪水と甚大な被害の原因
ではなぜバングラデシュはこれほどまでの洪水被害に遭っているのだろうか。この疑問に答えるには、まず初めにバングラデシュの特殊な地理を知る必要がある。南アジアに位置しベンガル湾に面するバングラデシュは、強い季節風に影響されるモンスーン気候であり、6月から9月の雨季に降水量が集中する。またベンガル湾で発生するサイクロンの通り道となりやすい位置でもある。さらに、国土の大半がガンジス川、ブラマプトラ川、メグナ川によって形成された巨大なガンジスデルタにあり、国土の3分の2が海抜5メートル以下、首都ダッカも海抜8メートルという低地国である。これらの地理的要因から、バングラデシュは従来より洪水の影響を受けやすかったのだ。
さらに、近年では様々な別の要因も加わっている。1つは、バングラデシュを流れる河川の上流地域にあたるインドとバングラデシュ国内での森林破壊である。これらの地域では人口の急増に伴う食料や薪の需要増加に対応するため、森林伐採が加速しているのだ。上流地域での森林減少はモンスーン期降水時の土壌侵食や地滑りにつながり、その結果下流地域での洪水を引き起こす。また、バングラデシュは1平方キロメートルあたり約1,126人という高い人口密度であるが、現在も増加する人口に対応するため、農地だった場所に住宅や道路をつくるなど急速に都市化を進めている。都市化が進むと激しい降雨があった時にその排水が追いつかなくなるまでの時間が短くなるため、洪水の危険が高まると考えられている。他にも、ダムなどによって川がせき止められることで下流の流れが遅くなり、堆積物が川床に沈降しやすくなって川の貯水能力が低下することや、耕作によって表土が流出することで土地がさらに低くなることなどの要因も挙げられる。

首都ダッカの様子(写真:joiseyshowaa/Flickr[CC BY-SA 2.0])
以上に述べたような理由が相まって、バングラデシュは気候変動に脆弱な国の一つだとされる。2050年までには気候変動の影響による国内避難民は1,330万人にも及ぶという予測もあり、被害は今後も深刻化するとみられている。ここ数十年では、予測不能なモンスーン、異常な降雨量、巨大サイクロンの増加、海面上昇、上流にあるヒマラヤの融雪による河川の水位上昇といった様々な異変がバングラデシュを悩ませているが、これらの異変は気候変動に大きな原因がある。バングラデシュは気候変動の原因である温室効果ガスを世界のたった1%しか排出していないにも拘らず、高所得国が中心となって進めてきた気候変動によって低所得国にしわ寄せが及んでいる状態なのだ。
洪水の被害を最も被る人たち
バングラデシュ国内でも、低所得者へのしわ寄せが起こっている。バングラデシュでは人口の半分以上が1日3.1米ドル以下で生活していることからみられるように、深刻な貧困問題を抱えてきた。貧困状態にある人々は洪水被害に遭っても、十分な対策ができないまま洪水に脆弱な地域で生活を続けるか、都市に移住しても低所得者層地域に行き着くことが多い。さらに、所得がないなかで洪水のため食糧が不足し価格が高騰すると栄養不足に追い込まれるなど、洪水によってさらに厳しい生活を強いられる。とくに、人口のおよそ50%を占める農家は、そのほとんどが貧困状態にあるのだが、洪水によって甚大な被害を受けている。なぜなら農業は肥沃な土壌を求めて洪水の危険の高い地域で行われているからである。伝統的にバングラデシュの農業はモンスーン期の洪水によってできる肥沃な農地を利用してきたが、近年の大規模で頻繁な洪水は伝統的な方法での農業を困難にしている。モンスーン期に浸水をすれば移動することで対処してきた農家は、近年の洪水では頻繁に移動しなくてはならず、また塩水が侵入することで土地の環境が変化し農業をできる土地がなくなってきているのだ。

上空から見たバングラデシュ(写真:Mohammad Tauheed/Flickr[CC BY-NC 2.0])
また、女性は男性に比べて洪水による被害を被っているといえる。バングラデシュの女性は歴史的に、意思決定に対する男性との平等な参画は認められず、賃金も相対的に低い傾向にあった。そのため、洪水対策や洪水被害後の生活再建が十分にできないことが考えられる。また、洪水への備えや被災後の復興に必要な情報のアクセスにも男女の格差がみられる。女性は携帯電話の所有率が男性の83%に比べて49%と低く、またインターネットへのアクセス率も男性に比べて低いのだ。さらに、農業や仕立ての仕事といった生計手段を洪水によって失ったり家屋が破壊され避難したりするなかで、人身売買される女性も増加している。
バングラデシュの子どもたちも洪水の大きな被害者である。2020年に洪水で溺死した135人(8月2日地点)のうち70%が子どもであり、2020年内に130万人の子どもが洪水の影響を受けると予測されている。洪水によって溺死や感染症、十分に安全を確保されていない避難先での事故等によって子どもが被害を受けることが危惧されているのだ。また、洪水による事例だけではないが、バングラデシュの子どものうち1歳から4歳までの死亡原因の42%が溺死であり、この背景には、親が働きにでたり家事を行ったりしなければいけない一方託児所が不足しているなどの理由で、適切な監督者や救助できる大人が近くにいないという現状がある。さらに、洪水による繰り返しの避難や施設の損傷により子どもたちは教育の機会を剝奪されている。
洪水への対策:「治水」か「適応」か
こうしたバングラデシュでの洪水被害に対し、様々な対策がとられてきた。洪水が起こった後の減災に着目した国内外からの対策としては、住居を失った人々に対する住居支援や避難民への資金援助などが行われている。また、生活用水の塩素処理や遺体の処理方法の改善などの衛生面での対策も提案されている。
防災としての長期的な対策としては、「治水」によって洪水が出来るだけ発生しないようにする対策と、洪水のある程度の発生に対して大きな被害を受けないように「適応」する対策という2つの方向性がある。治水による対策には、河川の浚渫(川床を掘って土砂を撤去し、川の水深を深くする工事)や堤防、運河の建設などがある。バングラデシュでは洪水対策の必要が迫られた1960年代から、洪水抑制・排水・灌漑プロジェクト(FCDIプロジェクト)と呼ばれる堤防や排水路、ダムなどを建設するプロジェクトが政府主導で行われてきた。以降、「バングラデシュ洪水・水管理戦略(BWFMS)」(1996年)や「国家水管理政策(NWMP)」(1999年)などでも治水的対策が主要な政策として採用された。

ブラマプトラ川の支流、ティスタ川に建設された水門を兼ねた橋 (写真:Salim_Khandoker/Wikimedia Commons[CC BY-SA 4.0])
一方、この治水的対策に対しては、大規模な設備の設置・維持のために莫大なコストと時間がかかること、設備が崩壊した時あるいは設備自体によって更に甚大な被害をもたらす可能性などの問題が指摘されている。実際、両岸に高い堤防を建設したことで水位が上昇したり排水が機能しなくなったりした事例や、完成した堤防の一部に住民たちが家屋を建設することで堤防を脆弱にしてしまった事例が報告されている。また、全ての洪水可能性のある地域に堤防を建設できない以上、一部の地域に堤防を設置することは別の地域の洪水の危険性をさらに高めることとなり、地域間の格差や紛争につながる。
こうした問題があるにも拘らず治水的対策が推進されてきたのは、国際組織や諸外国からの技術・資金援助に依存してきたことに一因がある。外国が各々蓄積してきた技術がバングラデシュでの洪水にも対応できるとは限らない。外国の援助する堤防建設に対し先述したような危険性を指摘する声も当時から挙がっていたが、バングラデシュ政府は海外からより多くの資金援助を得られる堤防建設プロジェクトを採用してきたとされる。
では洪水に適応する対策はどうだろうか。バングラデシュ政府は、1960年代の治水的対策の限界を認識して以降、治水的対策と同時に適応的対策としてサイクロンシェルターの建設や洪水時の警報システムの確立などを行ってきた。サイクロンの接近や洪水の予測などを伝える警報システムは1970年に創設され、何度かの改良を経た現在では携帯電話のテキストメッセージなどで警報を受け取ることができる。住民全員がこの恩恵を受けられるわけではないが、これらの対策は既に多くの人命を救ってきた。また農業についても、全国の研究所で稲などの耐塩性品種の開発に取り組んでいる。
さらに、イギリスの技術支援を受けての稲作からエビやカニなどの養殖への転換、同じくデルタを抱えるオランダに支援を受けた干拓地農業や知識や技術の共有を目的とする協力プログラムなども行われてきた。だがどのプロジェクトも、外国に依存してしまう点や、刻一刻と変化するバングラデシュの環境にいつまで適応できるのかといった点が懸念される。

新しく開発された品種の稲を育てる農家(写真:IAEA Imagebank/Flickr[CC BY-NC-ND 2.0])
バングラデシュの現状を知る必要性
バングラデシュにおける洪水は急激に悪化しており、「治水」にも「適応」にも限界があることは明らかである。毎年悪化していく洪水を引き起こしている気候変動は、主に高所得国が原因となってきた。また、減災や二次災害の回避のためには国内の所得水準の向上が求められるが、ファストファッションに利用される繊維や衣類産業おいて高所得国によるアンフェアな貿易がバングラデシュの経済を圧迫し、結果として洪水に対応する十分な資金を持ち得ないという側面もある。こうして、高所得国が低所得国に負担を強いる「気候アパルトヘイト」的構造が出来上がっているのだ。
さらに、低所得者がより気候変動の影響を受けるバングラデシュ国内の状況も「気候アパルトヘイト」の構造そのもので、低所得国が気候変動への対応により苦しむ現在の世界の縮図であり、バングラデシュの置かれた状況を知ることは極めて重要である。現在、世界では沿岸部の洪水(大波、高潮などによる洪水)だけでも1億7,100万人が洪水のリスクに晒されており、バングラデシュが直面している危機は全世界が直面している危機ともいえる。バングラデシュに対する緊急支援や開発支援と同時に、バングラデシュでの洪水対策や経済成長が進まない原因となっているアンフェアな貿易、洪水を悪化させる原因である気候変動への対策が求められる。
※1:サイクロン:低気圧一般を指す場合もあるが、ここではベンガル湾やアラビア海などの北インド洋に存在する熱帯低気圧のうち最大瞬間風速が秒速17m以上に発達したものを指す。主にベンガル湾を北上したサイクロンがバングラデシュに被害をもたらす。ベンガル湾沿岸のミャンマーやインド、スリランカと比べて、バングラデシュは規模の大きいサイクロンが頻繁に直撃する傾向にある。
※2:モンスーン:季節によって特有な風向をもつ風で、季節風とも呼ばれる。広義ではこの季節風を伴う雨季を指してモンスーンという。バングラデシュでは、モンスーンの影響を受けて夏季に降雨が集中し、冬季にはほとんど雨が降らない。
※3:デルタ:河川付近に形成された、河川の運搬した砂礫による堆積地形。三角州ともいう。ガンジスデルタを形作る3つの川の集水域はバングラデシュの面積の12倍以上であり、また堆積物の量は年間約20 憶トンと、3つの大きな河川が世界でも類を見ない巨大なデルタを形成している。
※4:鉄砲水:集中豪雨などにより急激に川の水位が上昇し、水流が堰を切ったように強まる現象。
ライター:Yumi Ariyoshi
グラフィック:Yumi Ariyoshi
バングラデシュの現状がこんなにも悲しいことに驚いたと同時に、洪水の恐ろしさ・気候変動の問題を改めて認識することができました。ただ単に洪水の問題だけではなく、それにまつわる他国の影響・女性の地位の問題など、包括的に分析しておりとても分かりやすかったです!
バングラデシュの洪水の状況が、単なる自然災害ではなく、いくつもの要素が複雑に絡み合った問題であることを知ることができました。気候アパルトヘイトの構造そのもので、多角的な対策が必要だと感じました。