「難民」という言葉を聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。受け入れれば、国にとって「負担」や「重荷」になる。そんなことを連想する人も少なくないだろう。難民や移民に対する負のイメージは、昨今の報道による世界情勢の取り上げられ方からも読み取れる。例えばイギリスの欧州連合(EU)離脱、トランプ政権による移民規制、ドイツでの難民政策に対する反対勢力などがそうだ。難民を受け入れると「コストがかかる」「治安が悪くなる」「職を奪われる」。難民を受け入れることは、国にとって全面的にマイナスだ。このように考える人も中にはいるだろう。しかし、私たちが持っているこれらの印象は果たして正しいのだろうか。確かに、移民や難民の受け入れ数が少ない国に住む人々にとっては、彼らが受け入れ国に何をもたらしているのか、想像しがたいに違いない。また、難民を多く受け入れている国であっても、彼らが社会にどのような影響を与えているのか、目に見えてわかるようなものではないかもしれない。

1975年、アメリカ・カリフォルニア州に上陸する最初のベトナム難民(写真:manhai/Flickr [CC BY 2.0])
困っている人を助ける。それは良心のある人間であれば誰もが倫理的に正しく感じるだろう。国際法の難民条約にも明記されている通り、難民を含むすべての人間には基本的人権を享受する権利があり、したがって庇護を求める権利を持っている。難民を受け入れ、彼らの保護を保障することは国際的な義務なのだ。それに加え、世界中で行われている研究によると、難民を受け入れることは実益を伴うスマートな選択である可能性が高いようだ。
難民の現状
難民とは、紛争や人種差別、宗教的・政治的な思想の弾圧といったようなさまざまな理由から国を逃れている人々のことである。2017年の統計によると、その総数は国内避難民を含めて約6,850万人で、5年連続で増加している。難民の出身国は多い順にシリア、アフガニスタン、南スーダンなどだ。また、受け入れ数の多い国にはトルコ、パキスタン、ウガンダなどがある。難民の出身国と受け入れ国の間には地理的な近さがもっとも関連しているが、政策として難民を多く受け入れているドイツはその数が世界第6位と多い。

アムネスティのデータを元に作成
特にウガンダでは、難民の受け入れ数がヨーロッパ全体のそれを上回った年もあるほど難民を受け入れており、その難民に対する寛容さは世界でも高く評されている。比較的に小さな発展途上国でありながら、移動や就業の自由があることに加え、教育・医療サービスの提供も行われるという政策を採っている。
では、難民たちは何から逃れようとしているのだろうか。数字が語っているように、シリアからは非常に多くの難民が発生しているが、これは2011年より続くシリアでの武力紛争に端を発している。国外に逃れる難民だけでなく、国内避難民の数も660万人に登っているというデータもある。難民の出身国が第2位のアフガニスタン、第3位の南スーダンについても同様に、難民が逃れているのは紛争だ。世界で発生する難民の大半は、紛争に伴う危機から身の安全を確保するために、故郷を後にしているのである。

リビア・トリポリにあるUNHCRの難民登録所で難民申請を提出するシリア人家族(写真:World Bank Photo Collection/Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
本来ならば、何の責任もなく危機から逃れざるをえない難民を他国が保護することは、先述の通り国際的な義務である。しかし、世界では難民の受け入れを渋る国が多いのが現状だ。2016年の統計によれば、84%の難民は発展途上国にて避難生活を送っており、これらの国では、国の人口に対する難民の割合が非常に高い。例えばレバノンでは、なんと人口の4人に1人が難民である。難民の多くが、隣国にて避難生活を送っていることは先の表からも読み取れる。しかし問題視すべきは、経済的により豊かな先進国における受け入れ数の少なさだ。これには難民に対するさまざまな「懸念」が絡んでいるのではないだろうか。確かに、難民を受け入れることは一筋縄にはいかないだろう。難民を多くは受け入れられない「理由」があるはずだが、実はその多くは研究によって否定されており、ただの「誤解」である可能性が高い。難民を受け入れるに際しての問題と、彼らを受け入れるメリット、そして彼らに関する誤解を一つずつ見ていこう。
難民を受け入れるに当たっての諸問題
難民の多くは、逼迫した状況で危険から逃れようとしている。国によっては難民申請の判定結果を出すのに数年以上かかることもあるが、彼らにはそのような時間はない。そして準備期間もなく他国へ逃れた難民には、お金も仕事もなければ、新たな生活の場における言語能力もない。移住先における基礎的な生活能力だけでなく、異文化の中で社会生活を築くことも一苦労であり、時間とともに受け入れ側によるサポートが必要となる。その上、難民には心にトラウマを抱えている人もいるため、その治療をする必要もあるだろう。難民を受け入れて彼らの生活を保障するには、教育や労働の機会を設ける必要があり、そのためには言語能力が不可欠であって、しかも心や体に傷を抱えたまま「普通の」生活に近づくことは難しい。これらのことを考慮すれば、難民を受け入れるにはしっかりと体制を立てる必要がある。
したがって、難民の受け入れにはコストがかかる。受け入れ側によるサポート、すなわち多額のお金と時間、人材が必要となるのだ。

通年で難民を受け入れているカナダの学校(写真:Province of British Columbia/Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
難民のもたらすメリット
以上に述べたようなコスト面での問題は大きいが、その懸念も払拭されるような研究結果が出ている。まず経済的な面を見てみよう。実は難民の受け入れはその国の経済にとって利益があるということで、多くの経済学者たちは合意している。もちろん難民が定着するまでのコストはかかるが、いったん定着すると、彼らはその際のコストやその後に受け取る社会福祉を上回る税を支払っていることがアメリカでの研究より明らかになっており、その額は21,000米ドルにものぼるという。さらに、イギリスでは1年に260,000人の移民を受け入れることで、50年後にはイギリスの公債を半減させることができるという研究結果も出ている。難民を受け入れる際のコストが大きいことは否定できない。しかし、長い目で見れば、難民の受け入れは経済的にプラスの影響をもたらすのだ。
さらに、アメリカでは移民が実業家である割合が自国民のそれよりも高い。これには「他国へ移住(避難)する」という極めてリスキーなライフイベントに対する行動力、そして自国民とは違った体験や発想力が革新を生むことなどが関連している。例えば、Google社の共同創始者であるセルゲイ・ブリン氏は、幼少期に家族でロシアからアメリカに移住しているし、Apple社の共同創始者であるスティーブ・ジョブズ氏も、実父がシリアからアメリカに移住している移民2世だ。そして、移民や難民が新しく企業を経営することは、新たな職を生むことにもつながる。さらに、政治の分野で活躍する難民もいる。例えばアメリカではソマリア出身の難民であるイルハン・オマル氏が2018年に連邦議会議員として当選している。このように、移民や難民には移住先で活躍する人が多いことがわかる。

演説を行うイルハン・オマル氏(写真:Lorie Shaull/Flickr [CC BY-SA 2.0])
また、難民の受け入れは、教育面においてもメリットをもたらすことがある。例えばヨーロッパへ移住するシリア難民の半数近くは、実は大学を卒業している。つまり、多くの難民は専門的な知識やスキル、資格をもっているため、移住先での教育コストが大幅に削減されるということだ。例えばイギリスでは、一から医者を育てるのに約340,000米ドルかかるところだが、もともと医師である難民に免許を与えるにはその10分の1、すなわち約34,000米ドルしか要さない。
さらに、昨今の先進国では少子高齢化が問題になっているが、難民を受け入れれば、長期的に見て高齢化社会に伴う問題を軽減することが理論上は可能だと言われている。難民の平均年齢は低く、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のデータによると、他国で避難生活を送る難民のうち60歳以上はたったの4%だ。受け入れた難民の平均年齢が低ければ、若い人口や労働力の補填につながり、そのため高齢者を介護するための財政コストによる若者への負担を軽減することも可能だ。もちろん劇的な改善が期待できるわけではないが、高齢化対策としては適切だろう。

レバノンの繊維工場で働くシリア難民(写真:DFID - UK Department for International Development/Flickr [CC BY 2.0])
最後に、文化的な側面を見てみよう。他国から難民を受け入れれば、文化の多様性が生まれるであろうことは、想像に難くない。難民は、自国民とは違った知識やスキル、さらには異なった文化を持っている。例えば、難民が自国の料理を提供するレストランを作れば、食文化の多様性につながるだろう。先に述べたような、移民や難民の社会的な活躍も考慮すると、画期的なイノベーションや新たな視点をもたらすこともできる。文化的な摩擦がしばしば懸念されるが、裏を返せば豊かな文化を「もたらす」可能性を難民は秘めており、したがって彼らは受け入れ国において数々の福祉を「享受」するだけの存在ではないのだ。

ケニア・ダバーブで働く難民のジャーナリスト(右)(写真:EU Civil Protection and Humanitarian Aid Operations/Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
逆に、難民の出身国はどうだろうか。難民の受け入れ後、彼らの出身国における問題がいったんおさまれば難民の多くは帰国する。そうなれば避難先の国で得た知識や技術も、ともに持ち帰られることになる。つまり、出身国に新しい知識や技術をもたらし、さらに多様で競争的な経済を生むことができる。このことは、1990年代前半に旧ユーゴスラビアを構成していた国々から出た難民がドイツに一時的に避難した後、母国へ持ち帰った知識と技術が大きな利益をもたらしたことが例として取り上げられる。
難民に関する誤解
このように、多くの研究によると難民の受け入れはプラスの側面も大きいが、それらを知らない人々も多いのではないだろうか。例えば、よく言われるのは「移民・難民を受け入れると治安が悪くなる」だ。しかし、この誤解もまた研究によって否定されている。実はアメリカでは、難民を含む移民全体の犯罪率が自国民のそれよりも低いという研究結果が出ている。具体的な数字を見てみると、不法移民の犯罪率は自国民のそれよりも44%低く、合法移民については69%低い。移民の犯罪率が高いという誤解は、移民の規制を謳う人々によって生み出されているという。さらに、アメリカで難民の受け入れ数が人口比トップ10の地域を調査すると、難民の受け入れ後に犯罪率が下がったということまで分かっている。ここでいう犯罪とは、凶悪犯罪と窃盗犯罪を含むものだ。これらの都市では、そのような犯罪が20〜25.6%減っている。また、難民のテロ犯罪がしばしば懸念されるが、アメリカでの別の研究によれば、1975年から2015年の40年間で受け入れた難民のうち、テロリストは皆無に近かったという。難民・移民の受け入れが犯罪率を上げているとは断言できない研究結果だ。

移民・難民団体の代表たちと受け入れる市議会が囲む円卓会議(アメリカ・シアトル)(写真:Seattle City Council/Flickr [CC0 1.0])
職業・経済面はどうだろうか。これも移民や難民の受け入れに関してもっとも懸念されがちな事柄のひとつである。確かに難民・移民の労働市場への参入は、自国民の賃金の低下という負の影響を及ぼすことがあるが、実はそれは一時的なものに過ぎない。アメリカでの研究によれば、実際には賃金や雇用への影響はほとんどないという。あるにしても、影響を受けるのは元から居住している他の移民や高卒の自国民の場合が多い。先にも述べたが、そもそも難民は自国民とは持っているスキルが異なっていたり、自国民の携わる多くの職業が高い言語能力を要したりするため、労働市場において自国民との直接的な競争が必ずしも行われるとは言えないのだ。さらに言えば、移民が移住してくることによる経済的な影響(好影響であれ悪影響であれ)はGDPの1%以内に収まることが、イギリスにおける複数の研究より明らかになっている。
難民を受け入れると、一時的なコストはかかるものの、治安が悪くなったり、職を奪われたりする可能性は低いことがわかった。これまで見てきたように、長期的な目で見る限りは、難民の受け入れはさまざまな面においてポジティブな影響をもたらす可能性を大いに秘めているのである。しかし、いずれも受け入れ国でサポートができている場合の話だ。もし難民を受け入れる政策を採るのであれば、ドイツやウガンダのように移民・難民政策を進めてきた国を参考にして、事前に体制を整える必要があるだろう。

2013年、ウィーンにて難民の人権を謳ったデモの看板:「難民は人間だ」(写真:Haeferl/Wikimedia Commons [CC BY-SA 3.0])
いずれにせよ、人間には生活の危機から身を守る権利、すなわち生きる権利がある。繰り返し述べてきたように、難民の保護は国際的な義務であり、先進国を含む世界中の国々が難民を受け入れることは、国際協力の観点から見てもその必要性が高い。ましてや、難民を受け入れることで得られる利益も大きいとなればなおさらだ。難民の受け入れにはコストがかかるが、捉え方によっては投資であるとも言える。難民の受け入れは、難民にとっても受け入れ国にとっても、そして難民の出身国を入れるとウィンウィンウィンだという見解もあるほどだ。彼らを受け入れるかどうかはイエスとノーの二元論では語れない問題だが、ネガティブに語られがちな難民に対する誤解や懸念が事実なのかどうか、正しい情報を知り、吟味することが必要ではないだろうか。
ライター:Mina Kosaka
グラフィック:Yuka Ikeda
難民条約は締約国に受け入れ義務を課すものではなく(不送還原則はあるけど)、「難民」の定義も各国の国内法によってなされるので、締約国であっても難民の受け入れ数が少なかったりするんですよね…
だけど条約で受け入れを強制するのも、逆に周辺国の負担を増やしてしまうかもしれないし、難民条約から離れる国家が出てしまうかもしれないし…
となると、正しい情報を発信することで難民=厄介なもの、っていう図式を打ち破って、受け入れのハードルを下げていくことが根本的な解決につながるのだろうなとおもいます。
ロックバンド「クイーン」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』が公開されたところだけど、そのフレディー・マーキュリーも難民でしたね。若いときに、ザンジバルで革命が起きて、家族で逃げてイギリスに移りました。
アルベルト・アインシュタインも難民でしたね。それ以外にも、受け入れたところで、社会にも世界にも大きく貢献してきた有名な難民もたくさんいますね。
読み応えのある記事でした。「難民」という言葉に使われる「難」という字も印象を与える一因なのかなと思ったりもしました。幼いころ、私たちにとって困「難」な存在であるのだと勘違いしていたことを思い出します。
悪影響がないだけでなく、むしろメリットがあるという今まで難民に対して抱いていたイメージとまるで違う研究結果で、非常に驚きました。
何の根拠もない先入観だけで、世界が幸せになるウィンウィンウィンの機会を逃しているのは非常にもったいないと思いました!
「難民」に対するイメージを大きく覆す内容の記事で大変興味深かったです。
国民と難民に単純に二分化し、両者間の対立を煽る誤った主張に惑わされないようにしていくべきだと改めて思いました。
難民を受け入れるメリットが研究結果としてきちんと発表されていることに驚きました。日本ではあまり受け入れていないこともありポジティブなイメージが持たれていないことも多いですが、難民に対する正しい認識が広まればいいなと思いました。
意外性のある前向きな記事でよかったと思います。
子どもの難民たちは特に、教育や生活レベルの向上につながる機会を得られるかと思うので、彼らをちゃんと守る団体に活躍してほしいと思いました。
移民、難民に対し誤解が生じているのはやはり負の側面ばかりを誇張した報道が多いからなのかな、と感じます。
難民による好影響が実際に確認されていながら、誤解を招く表現が蔓延っているのは国の思惑などもやはり関係してくるのでしょうか。少し気になりました。
難民を受け入れている国はほとんどが発展途上国であることを初めて知りました。難民はネガティブにとらえられがちですが、先入観にとらわれず、良い影響があることを理解して先進国も難民問題に取り組むべきだと思いました。
データがおもしろかったです。
もっと細かいデータもみたい!
関心が高まりました。
治安の問題についてはアメリカの話では他国での事情と大きく異なるのではないでしょうか。(他の先進国などと比べた元々の治安など)
難民は人間。
もっともな言葉ですが、同時に責任転嫁の言葉でもあります。
何故なら、この言葉を用いたとき、人は他者ひいては国へ難民の責任を押し付けているから。
行動と責任は国へ投げ、主義主張を何の責任を負うことなく発する。
とても無責任です。