2021年5月、カタールで移民労働者として働く一人のケニア人男性が、カタール当局によって強制失踪(※1)の扱いを受けた。彼は、カタールで働く移民労働者たちの状況を記し、移民労働者の労働環境における制度を批判するような投稿をブログ上でしていたという。カタールで移民労働者の立場が低く、差別を受ける状況にあることを訴えた彼のブログを、国は「嘘」の情報だとして対処したという見方がある。彼のように故郷を離れて働く移民労働者たちは、特に湾岸諸国(※2)に多く、全世界の移民の10%以上が湾岸諸国で暮らすともいわれている。湾岸諸国は、何がきっかけで多くの移民労働者を受け入れるようになったのだろうか。そして移民がもたらす労働市場への影響はどのようなものなのだろうか。

ドーハの風景の写真を撮る女性たち(写真:slack12 / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
現代国家へ
湾岸諸国とは、中東・ペルシア湾岸地域のアラビア半島に位置する6カ国を指す。中東・ペルシア湾岸地域の地域経済統合の1つである湾岸協力会議諸国(GCC)に属するバーレーン、クウェート、オマーン、カタール、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)の6か国だ。これらの国が位置する地域は、地理的にアジア、アフリカ、インド洋、地中海を繋ぐ位置にあり、中継貿易の主要拠点であった。そして7世紀前半、イスラームに基づく国家が築き上げられたのち、周辺のビザンツ帝国やササン朝ペルシアなどの大きな勢力に影響を受けた。16世紀頃からオスマン帝国が進出し、アラブ半島の大部分を影響下においていたが、各地で王国が徐々に構築されていった。
その後、19世紀に入り、勢力が弱まっていったオスマン帝国に代わり、産業革命などで力をつけたヨーロッパ列強が進出していった。その中でもイギリスは、オマーン、クウェート、バーレーン、カタール、そして現在のUAEと保護条約を締結し、これらの国々はイギリスの保護下に置かれることになった。現在のサウジアラビアのもととなるサウジアラビア王国については、イギリスは保護領化せず、サウジアラビアが独自に統治していた。そして20世紀後半になり、イギリスの財務状況が厳しくなったことなどがきっかけで、イギリスの保護領下にあった湾岸地域各国は、相次いで独立を目指し始めた。1963年にクウェート、続いて1971年にオマーン、バーレーン、カタール、UAEが国際連合に加盟した。
実は独立がささやかれる以前、1930年代に湾岸諸国では膨大な石油埋蔵量が発見されていた。それまでの農業や交易を中心とした経済から、石油が中心の経済へと変化し、政府の収入は激増した。2018年のデータによると、湾岸各国のうちUAEの国家予算比35%という数字を除き、残り5カ国では国家予算の50%以上を石油関連の収入に頼っている。
現在では、石油を通じて大幅な経済成長を遂げたこれらの国々は、石油の発掘、精製、輸出において欠かせないものを備えている。それに加えて、人々の生活水準向上に向けた都市化に伴う道路や病院、学校などのインフラを整備する必要性の高まりとともに、多くの雇用も生み出されていった。また国民が裕福になっていくにつれて、家事労働を代行するサービスの需要も高まった。このような背景から、湾岸諸国には国外から移民労働者と呼ばれる人々がやってくるようになったのだ。移民の数は増え、湾岸諸国各国の国籍を有する人々の数を上回るようになっていった。2018年のUAEとカタールでは特に移民労働者の割合が多く、人口の87%以上を移民が占めており、湾岸諸国全体としても人口の半数以上が移民で構成されている。インド、バングラデシュ、フィリピン、ナイジェリアなど主にアジア・アフリカ地域からやってくる推定約3,500万人の移民労働者は、各国の経済発展に寄与している。
役割分担の社会へ
また、移民と一言で言っても、彼ら・彼女らの中には短期の出稼ぎ労働者の場合もあれば、長期滞在を予定する場合もある。移民労働者全体としては、男性が約7割を占めているが、特に家事代行を行う家庭内労働者の場合は女性が圧倒的に多い。では、そのような状況のなかでアラビア半島の国々にやってきた移民労働者、そして自国民の人々はそれぞれどんな仕事に就くようになったのだろうか。近年のGCC諸国の国民、移民労働者の部門別割合を見てみよう。
グラフ(※3)から、各国の労働市場で働く移民労働者の割合は、民間部門において圧倒的に多いことがわかる。特にUAEにおいては、民間部門で働く人口の約99%(※4)が移民労働者である。彼ら・彼女らは、主に建築、整備、小売などの単純労働や、家事代行などの家庭内労働を担っている。また、移民のなかでも移住した土地で公務員として働く人もいるほか、特定のスキルを持つ優秀な人材として移民労働者を受け入れる場合もある。一方で、国民の多くは、給料がよく、労働時間が短く、安定していることで知られる公務員として働いている。各国の移民の人数は受け入れ当初から急激に増えている。実際に、UAEでは移民受け入れ当初の1960年と比較し、2017年には約3,000倍以上の数にまで増えていた。その結果、国民は公務員に、急増した移民労働者は民間企業や家庭内労働に従事するという構図ができていった。こうして、公共、民間、それぞれにおける「役割分担」の社会が湾岸諸国で出来上がっていったのだ。
引き起こされる問題
急激な経済成長により変化した労働者の構造は大きく2つの問題を引き起こしている。1つ目は、移民労働者への差別的扱いだ。移民労働者を苦しめる背景にあるのはアラブ諸国に広く知られる「カファーラ(Kafala)」という、移民のビザ保証人制度である。移民労働者と彼ら・彼女らの雇用主との関係を定めた法的な決まりであり、多くの移民の出入りがあるなか、政府がその行動を管理しやすくすることを1つの目的として取り入れられている制度だ。つまりこの制度の下では、政府が雇用主である個人や企業に移民労働者の管理を委託しているものともいえる。国によっても少し異なるが、委託された雇用主は、被雇用者である移民労働者の旅費、居住地を負担すると同時に、移民労働者の就労ビザの保証人になることが義務付けられている場合が多い。この制度の管理は徹底しており、多くの場合、雇用主によってパスポートが保管される。そのため、移民労働者らは雇用主の許可なしには転職もできなければ、帰国・出国もできず、不当な扱いを受けても、自分を守ることもできない。また、移民労働者が現地の労働法の適用外になる場合も多い。このようなことから、移民労働者が雇用主に言われるがままに強制労働を強いられ、虐待を受けるなどの事例が生じている。雇用者と被雇用者の不平等な関係性を助長することから、「現代奴隷」とも呼ばれているほどだ。

カタールの移民労働者たち(写真:ILO / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
その例として挙げられるのが、2019年10月に判明した、クウェートなどの湾岸諸国にてオンライン奴隷市場に相当するものが存在し、家庭内労働者の人身売買が行われていたという事実である。主に取引されていたのは、移民労働者の女性だった。人身売買の事実を周囲に伝えることができず、泣き寝入りする状態が続いていたのだろう。家庭内労働者の多くが劣悪な環境で働かざるを得ない状況にあったことがわかる。
そして問題の2つ目は、自国民における若者の失業率の高さである。ここまでみてきた移民大国の湾岸諸国において、若者の失業率は非常に高い。サウジアラビアでは28%と特に高く、バーレーン、クウェート、オマーンにおいても約20%であり、世界平均と比べても高い数字を示している。湾岸諸国では、人口に対する25歳未満の割合が高くなってきており、国民全体のうちサウジアラビアでは46%、オマーンではさらに高く50%を占め、若者人口の増加が顕著に表れている。このように若者人口が増加する一方、その失業率が高いことで、社会全体に対する影響力は大きいといえるだろう。失業率を世界平均にまで下げることにより、経済的利益が増加するというデータもある。

サウジアラビアの首都リヤドの街を歩く人(写真:Stephen Downes / [CC BY-NC 2.0])
増え続ける若者らの多くは、高収入で安定した公務員の職を希望する傾向にある。これだけ多くの若者が公務員を志望する一方で、公共部門の雇用枠が同じように増加するわけではなく、公共部門が多くの若者の受け皿となる余裕がない。クウェートでは政府予算の36%が公務員など公共機関にて働く人の給料などの支払に充てられており、近年では公務員の賃金の見直しが行われているほどだ。このようなことから、経済状況によって公務員の雇用者の削減を見込むことはあっても、増加することはないと考えられる。そこで、彼らが公務員の枠の空きを待っている状況が続き、これがすなわち「失業している状態」になっている。自国民は、民間部門が公務員と比較して給与が低く、長い労働時間を強いられることが大きな理由で民間企業を志望していない傾向があるとされている。一方で民間企業を志望したとしても、民間企業の比較的給与が高い仕事には、専門性やスキルが求められることが多い。しかし、自国民が受けた教育とそれらのスキルがマッチしていないことが多いことから、求められる条件を満たす人が少ないという指摘もある。加えて、若者たちが本当に働きたいと考える業界、分野が十分に発達しておらず、選びたいにも関わらず選ぶことができない状況に直面しているということもあるだろう。近年のサウジアラビアでは、石油関連事業よりも観光業界に興味を持つ若者が増えている。しかし現状として観光業の収入は、石油関連の総収入の3分の1程度であり、十分に発達していないとされ、雇用の供給が十分にできていない可能性がある。これらの問題が若者の失業率の高さに関係していると考えられるだろう。
打開策①移民労働者について
移民労働者の人権問題と、自国民の若者の失業という湾岸諸国の2つの大きな課題に対して、実際に各国が行っていること、そしてこれからできると考えられていることとは何なのだろうか。まず、移民労働者が直面する問題の解決策として上述のカファーラ制度の改革・廃止が挙げられる。カタールでは2020年、カファーラ制度の廃止を決定し、要件を満たせば移民労働者の転職なども可能になった。また、2021年初めには最低賃金法が導入され、これまで差別的な扱いを受けることが多かった家庭内労働者を含むすべての労働者の賃金が保障されるという改革がもたらされた。しかし、2022年サッカーワールドカップ開催に向けた建設ラッシュにて数々の労働上の問題が国外から幅広く指摘された背景があり、これらの改革はワールドカップのための表面的な措置だという見方もある。

カタールのスタジアムの様子(写真:Isabell Schulz / Flickr [CC BY-SA 2.0])
サウジアラビアも同様に2021年3月、カファーラ制度の改革を始めた。しかしながら、最も脆弱な立場にあるとされる家事労働者、運転手、農民、警備員など何百万人もの人がこの改革から除外されていたことから、真の改革とは言い難いであろう。カファーラ制度の改革や廃止にとどまらず、労働者の人権が守られるような法整備も考えられる。移民労働者は、長時間の労働にも関わらず、給与が少ない、健康が損なわれて病院に行っても自国民と同じ治療が受けられない、裁判になると移民よりも自国民に有利な判決が下される、など基本的な人権を否定される状況に直面している。
加えて、長期滞在の移民労働者に市民権を与えるべきか、という議論もある。若いころに移住した労働者は、第二の故郷としてその国で長い間働くが、現在の制度ではずっと「外国人」のままだ。実際に、サウジアラビアでは市民権を得るための制度としてポイント制を用いている。アラビア語が話せることに加えて、10年以上の居住や博士号の取得などがポイントとして加算され、一定のポイントを集めると市民権申請をすることができる。しかしながら、彼らに市民権を与えることは、国が背負う国民へのサービスに割り当てられる予算金額の増加、という懸念がもたらされるかもしれない。もともと、湾岸諸国は石油関連で富が築かれ、個人所得税が存在しなかった。国民の税負担は軽い一方、国の手厚い公的サービスを受けることができている。つまり、「国民」の権利を持つ人数を増やすと、国が背負う国民への公的サービスの恩恵を受ける人数が増加し、結果的に国の財政的にも苦しくなりうるからだ。また、近年の石油価格の下落により、湾岸諸国では付加価値税(VAT)が導入され始めていることから財政的な余裕がないことが推測されるだろう。湾岸各国が移民労働者の権利を認め、尊重しつつ、経済状況に合った動きを始めることが今後の課題と言える。

UAEにてビジネス会議の様子(写真:ILO / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
打開策②自国民について
次に、自国民の若者の失業問題については、「労働力の自国民化政策」が推し進められている。自国民化政策とは、「民間企業」で働く「自国民」の増加を狙い、外国人の流入を制限する政策のことである。実際に、サウジアラビアやオマーンでは、企業内の自国民割合の目標値が掲げられ、達成した企業には特典が与えられるなどの施策が実行されている。しかし、そのようにして民間企業で働くようになった国民たちが満足して働く環境がうまく整ってはいなかったという現実もある。自国民を採用し始めたのはいいものの、退職する人が多く、全体として失業問題が解決されたとは言い難い結果となった。民間企業で必要とされるスキルを持ち合わせていなかったり、給料が十分でないと感じた人が多かったとされている。単純に、民間企業での雇用者数を上げることでは根本的な解決には至らなさそうだ。
そして、湾岸諸国が近年、石油や天然ガスへの過度の経済的な依存から脱却する「脱石油時代」に向かっており、経済の多様化が図られていくことは、若者の失業問題において大きな変化だといえる。石油に依存した社会的構造はずっと続くとは限らない。石油・天然ガスから十分な収入が見込めなくなるであろう将来には、現在は当たり前のように成り立っている国民への充実した公的サービスが行き届かなくなる可能性はもちろん、公務員の雇用規模も小さくなっていくだろう。よって、石油以外の産業発達、つまり経済の多様化が進められている。実際に、政府は建設業、不動産、観光、技術の必要な研究開発などに事業投資を始めており、技術革新の波に乗っていこうと試みているようだ。

UAEのドバイの豊かな風景(写真:Paolo Margari / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
そのような石油以外の産業発達においては、中小企業の発展が欠かせない。しかし、湾岸諸国では現状として銀行が中小企業に対して融資を進んで行っていないという情報もある。このような状況を変えていくためには、資金が十分でない中小企業のために政府が主導して銀行と連携することも必要となってくるだろう。このように経済の多様化に従って、様々な分野の知識、スキルの充実が求められている。そこで自国民に対する「教育の内容の見直し」も必要になってくると考えられる。これに関しては、現在の教育と、社会に出てから民間にて必要となるスキルとのギャップがあるという見方がある。これらのギャップを未然に防ぐために社会に出てから役立つスキルを知り、得ることができる機会として、「職業教育」プログラムへの参加が考えられる。また、石油だけでない他の産業を興しこのように、湾岸諸国の自国民に対して、民間企業で働くことの魅力付けをさらに行うこと、そしてより多様なスキルを持った人が働くことのできる土台を作っていくことが必要になってくるのだろう。
まとめ
湾岸諸国は、1930年代に大量の石油や天然ガスが発見されてから、多くの移民を受け入れてきた。そのような社会構造のなか、各国は急激な経済成長を遂げてきたが、その背景には様々な問題が潜んでいることがわかった。これから、脱石油時代の到来という転換期に入っていく湾岸諸国にとって、自国民、移民、そして社会が良い方向に進んでいく政策が取れるかが鍵になっていきそうだ。これからの動きに注目していきたい。
※1 「国の機関等が、人の自由をはく奪する行為であって、失踪者の所在を隠蔽すること等を伴い、かつ、法の保護の外に置くこと」(強制失踪条約)
※2 ペルシア湾沿いのアラブ諸国で、湾岸協力会議(GCC)を構成している6か国を指す。
※3 各国の労働人口を100とした際の、国民・移民、公共部門・民間部門別の比率を出したものである。各国において、公共部門とは「政府系(Government) 」と「混合(Mixed)」、民間部門は「民間(Private)」と「家庭内労働者(Domestic)」と「その他(Others)」を足し合わせたものとして計算した。
バーレーン:2018年 クウェート:2018年 オマーン:2017年 サウジアラビア:2018年
カタール:比率は2018年度だが、労働人口は2017年度で計算
UAE:全体人口は2016年度、そのうちの労働人口の割合と、部門別の割合は2017年度を用いて計算
※4 上記グラフと同様の計算方法を用いた(民間部門全体は5,939,483人、そのうち移民労働者は5,889,649人)。
ライター:Naru Kanai
グラフィック:Yumi Ariyoshi , Naru Kanai
移民の問題と自国民の失業率の問題がどのように関連するのか疑問に思いながら読み進めましたが、綺麗にまとめられていてわかりやすかったです。また、最後に教育の問題が出てきましたが、自国の基盤をしっかり築くことが求められているのだとわかりました。
労働人口を確保するために移民を受け入れつつも、移民に対して不当な扱いをする中で、結果的に自国民の失業率の低下に繋がってしまったというところが残念というか自業自得のようなものを感じた。
カタールの移民状況についてはじめて学び面白かったです。とても読みやすくてわかりやすかったです。
UAEでは民間部門で働く人口の約99%を移民が占めるなど、移民の多さにとても驚きました。脱石油の潮流を受けても湾岸諸国に変化が現れてくると思うので、移民についても見直しが図られていくといいなと思いました。