2010年11月25日。スリナムの首都パラマリボの独立広場には、様々な文化的背景を持つ人々が集まり、オランダによる植民地支配からの独立35周年を祝っていた。新しく選出されたデシ・ボーターセ大統領は、この国の更なる発展と繁栄を誓い、実際のところ景気は良かった。しかしそれから7年後、独立広場には人々が詰めかけ抗議の声があがっていた。10年にも満たぬ間にスリナムに何が起こったのだろうか、そしてこの国を待ち受けるものは何なのかを探っていきたい。
スリナムの基本情報
南米の北東の沿岸部に位置し、東は仏領ギアナ、西はガイアナ、南はブラジルと接する南米大陸では最小の国がスリナムである。人口は約57万人、人口密度の低さは世界第6位。90%もの国土が、豊かなアマゾンの熱帯雨林で覆われた世界で最も森林でおおわれた国であり、人口の大多数が沿岸部に居住し、そのうち約半数が首都であるパラマリボに集中している。この国は世界でも17番目に天然資源が豊かな国だ。その経済の大部分である貿易額の約7割をボーキサイトや金、石油の輸出に頼っており、これはスリナムのGDPのうち15%を占める。
スリナムは、最初はイギリスによって植民地化されていたが、1667年にイギリスとオランダとのニューアムステルダム(現ニューヨーク)との交換を契機に、1975年の独立までの約300年間は、オランダの統治下にあった。独立後も10年以上の間、軍事独裁政府に取って代わられた時期がある。この軍閥統治の期間には、国を荒廃させた一因ともなった紛争が起こり、1991年に再び民主化した。
今日のスリナムは世界屈指の民族的多様性に富んだ人口構成だといえる。オランダ統治期にアフリカの人々が奴隷として強制的に連れてこられ、1863年に奴隷制度が廃止されたのちは、イギリスやインド、ジャバ(当時はオランダ領東インドの一部であり現在のインドネシアにあたる)の人々が年季奉公労働者として移動した。結果として現在では上記の国々にルーツがある人々が大多数を占め、土着の人々は全体の4%に過ぎない。民族構成は多い順からインドースリナム(27.4%)、ともにアフリカ由来の人々であるマルーン(※1)(21.7%)とクレオール(※2)(15.7%)、ジャワ由来の人々(13.7%)となっている。さらに20世紀後半から増加した中国からの移民(人口の約1.5%)や、最近では、ブラジルの鉱夫(人口の約3.5%が活動しているとされているが、その大半が不法滞在)も増加傾向にある。
その文化的多様性は国民的アイデンティティの重要な一部分として捉えられている。首都の中心街にシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)やモスク(イスラム教寺院)が住宅と林立する様子は象徴的だ。実際、大統領であるデシ・ボーターセ自身にも、クレオール、オランダ、フランスそして中国にルーツを持ち、2015年の大統領就任演説の際には、民族的背景は分裂ではなく、豊かさと繁栄の源泉になりうると述べている。
彼の民族的ルーツと前向きな言葉は、まさに多文化国家にふさわしいリーダーであるような印象を与える。しかし現実はどうだろうか。例えばガーディアン紙は彼を「世界で最も物議をかもすリーダー」と形容した。そこには理由がある。

ボーターセ大統領(写真:Pieter Van Maele/ Wikimedia Commons [CC BY 3.0])
独立後のスリナムとデシ・ボーターセ氏
もし、スリナムの歴史上で最も重大な役割を果たした人物がひとりいるとするならば、満場一致でデシ・ボーターセ氏だろう。しかしそれは決して誇れるような文脈ではない。
第一に、薬物との関連が深い。例えば、1999年のオランダ欠席裁判にて、コカインの密輸入について11年の投獄判決を宣告され、2011年にはウィキリークスにて、少なくとも2006年までは薬物貿易に手を染めていたことが暴露されている。また、コロンビアの武装勢力であるFARCと武器や薬物の取引を行っていたという証言もある。欧州刑事警察機構は、彼に対して国際令状を発行しているが、スリナムはボーターセをオランダに引き渡すことを拒否した。
第二に、人権侵害に対する責任が重い。ボーターセはスリナムを崩壊させた紛争での事実上の国家指導者であり、かつ軍の統率者であったことから主要人物の一人とみなされている。この紛争は1986年にボーターセの元警備員がマルーンによるゲリラ司令部を形成したことから勃発した反乱だ。主な争点はスリナム東部のジャングルで生活しているマルーンたちの人権であったが、同時に、コカインの密輸において極めて重要な地域であるジャングルの管理に関する争いでもあった。スリナム紛争の際、ボーターセは学校やインフラ社会基盤、政府関連の建造物を破壊した上にマルーンの人々の村を焼き払った。何百人ものマルーンを殺害した虐殺も起こっている。

スリナム軍とデシ・ボーターセ氏(写真:Sanoesoe101 / Wikimedia Commons)
1982年には悪名高い「12月謀殺事件」が起こった。この事件にもボーターセ現大統領は最重要人物として関与していたとされている。独立直後の1980年に、当時陸軍曹長であったボーターセは軍部士官集団を率いたクーデターを起こし独裁政権をしいた。その2年後、民主化運動の指導者であった15名が拷問を受けたのち処刑されたのである。
ボーターセは、事件に対する政治的責任は認めつつも、現在に至るまで法による裁きは受けていない。特に際立つのは矛盾した証言と、恩赦法の制定であろう。
まず矛盾した証言とは、2007年に12月謀殺事件に関する裁判が開廷された際、殺人現場であったジーランディア要塞には居合わせなかったというボーターセの証言と、のちに告発された兵士の一人であったルーベン・ローゼンダールによる相反する証言とを指す。その内容は、ボーターセはジーランディア要塞にて殺害指示を下し、その上2人を自らの手で銃殺したというものだった。

パラマリボにあるジーランディア要塞(写真:Rijksdienst voor het Cultureel Erfgoed / Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0])
次に恩赦法についてである。2007年の開廷以来、ボーターセは犯罪者たちに恩赦を嘆願していた。スリナム政府では、2012年のローゼンダールによる証言の直後かつ判決を宣告される1週間前というタイミングで、既存の恩赦法を拡張する改正が行われた。この法律は、12月謀殺事件を含むスリナム紛争末期に犯された20の犯罪に対する恩赦を認めるものであった。この法案は可決された。しかしこの法律は明らかに進行中の裁判に対する禁止された干渉であり憲法違反であったことから、スリナム国内外で反発の声があがった。諸外国の政府、国際連合、ヒューマンライツウォッチといった組織、米州人権機構からの反応も大きかった。
今日に至るまで、スリナムは憲法裁判所を有してはいない。そのため、恩赦法に関する憲法問題は棚上げされたまま12月謀殺事件に関する裁判は再開廷され、2017年にはボーターセに20年の拘置刑を要求している。しかし彼は、大統領であるという権限の下、有罪判決の受け入れを拒否した上でこのように述べている。「神の思し召しで大統領になっているというのに、誰が私を追い払うよう判決できよう」ボーターセは大統領であり続けることによって投獄を免れている。大統領とは軍法会議を阻害するとともにスリナムの民主性を排除し続ける力を持つ唯一の人物なのだ。
新ボーターセ政権
以上を踏まえると、なぜこの人物が2010年そして2015年の選挙にて大統領に当選したのかを不思議に思うかもしれない。彼はどのようにして国民の人気を獲得してきたのだろうか?

式典に参加するデシ・ボーターセ大統領(写真:Palácio do Planalto/ Flickr [CC BY-NC-SA 2.0])
デシ・ボーターセが再選するまでには3つの政権が存在していた。しかし各々の政権に対して、国際関係、経済状況、犯罪率の高さ、その他にも政治家の汚職や民族間の政治的応対の偏好に対して、スリナム国民は不満を抱いていた。そのような国民にとって、前述したとおり多民族のルーツを持ち、国家統一への扇動的な演説を行うカリスマ的なボーターセは、希望的な存在として受け入れられたのだ。
民族的なルーツやカリスマ性の他に、ボーターセが国民の人気を得た要因の一つとして、「敵」の設定が挙げられる。彼は、元植民地国であったオランダや、民族によって優遇の度合いが異なる政策を推し進めた元大統領と自身とを対比した。その結果「één volk, één natie(一つの国民、一つの国家)」というモットーは広く国民に受け入れられ、主に若者の支持を集めることとなった。
国際的な文脈におけるスリナム
スリナムの現在の国際関係を理解する上では、以下の2点に留意したい。第一に、スリナム経済は他国企業への依存を深めている点であり、第二に、2010年以降、実質的な外交政策の方針が転換した点である。
スリナムの経済はその大部分を鉱山資源に頼っている。すなわち鉱物資源の国際価格の流動の影響を直接的に被るため極めて不安定であった。2013年には国際的な物価および鉱物資源の価格下落の影響をあおり、スリナムの経済は大打撃をうけた。政府はこの状況を克服しようと対処に迫られたが、なかなか状況は改善せず、2016年には本格的な不況に突入した。明らかに経済破綻寸前だった。では当時どのようにして資金調達を行っていたのだろうか。
歴史的にスリナムは、独立後もオランダとの繋がりが強い。オランダが公用語であり、両国の貿易も活発、また、全スリナム人口のうち、実に60%にあたる35万人ものスリナム出身の人々が現在オランダに住んでおり、オランダの対外援助に大いに頼っている節があった。しかし、2010年の大統領選でのボーターセの当選は、西洋諸国、特にオランダには受け入れられず、二国間の関係は悪化した。この関係に拍車をかけたのが2012年の恩赦法であった。当初、開発援助は継続され、その額は実に年間2,600万米ドルに達していたが、オランダは当法の適応を受けて援助停止を決定した。
援助元を失ったスリナムは、不況を脱却するために2016年の春、IMF(国際通貨基金)による24か月間の4億780万ドルものスタンドバイ取極め(SBA)を承認することに決めた。条件の一つが、付加価値税と関税を導入することであったが、これらの導入は国民には不評であった。大統領からの失脚がすなわち獄中生活を意味していたボーターセにとって国民からの反発は何よりも怖かった。そこで、彼は最初の8,100万ドルの支払いを受け取ったのち、協定を脱退した。そして同年にイスラム開発銀行(IDB)からの出資を受けた。契約条件は、IMFが約束した額の3倍以上にあたる約1780億ドルの出資をする代わりに、イスラムの銀行業及び融資の導入と促進を行うというものであった。

スリナムの首都パラマリボにある大統領官邸(写真:teachandlearn/ Flickr [CC BY-NY-SA 2.0])
またスリナムは、アメリカ、カナダ、ロシア、インドなどの国々との繋がりも深めつつある。特に中国との接近は顕著だ。この数十年世界のいたる所にて中国は台頭してきているが、スリナムも例外ではなかった。中国は、積極的かつ短期間でインフラ基盤や店、家屋から外務省の新しい本部に至るまで様々な建築物を作っている。また、スリナムの困難に際していち早く対外援助を増加した国家のひとつであり、不況時には低利子の借金を提供し、そのほかにも軍事援助や、再生可能エネルギーの開発を行っている。
国内では中国による援助に感謝し、敬愛の念を示す人々がいる一方で、スリナムは中国の事実上の植民地になりつつあると不平を漏らす人もいる。低賃金労働が流入し、比較的中国からの移民は国内で優遇される傾向にあるからである。
中国からの援助や投資に関わらずスリナム経済は悪化の一途にある。2017年の暮れには、スリナム中央銀行は倒産しかけ、その結果、国際信用格付け機関によって警告が促されている。例えば、米国格付け機関のムーディーズは2月にはスリナムへの海外ローンは「かなりの危険を孕んだもの」と表現し、スリナムの格下げを発表している。
スリナムの展望
現在のスリナムは経済崩壊の瀬戸際にある。経済危機を乗り越えるための可能性としては、エコツーリズムや国外離散者(ディアスポラ)が挙げられる。後者に関しては、計100万人のスリナム出身の人々のうち国外で暮らしているのは45万人である。その大半がスリナム国内の人々より裕福であり、自国と国民に愛着を持っている。実際、月間約1,200ドルがスリナムの家族へと送金されているという。
また、経済危機の遠因でもある政治腐敗への対策も迫られている。ボーターセが任期終了後には投獄されることを考慮すると、状況はただちには改善されないだろう。大統領の任期は5年である。これからの動向を注意深く見守っている必要がありそうだ。

パラマリボ(写真:Георгий Долгопский / Wikimedia Commons [CC BY-SA 3.0])
※1 マルーン:プランテーションから逃亡してスリナムの後背地へやって来た奴隷の子孫
※2 クレオール:植民地時代の住民であったヨーロッパの人々(主にオランダ)とアフリカ奴隷の血を受け継ぐ人々
ライター:Dennis Boor
翻訳:Yuka Ikeda
グラフィック:Eiko Asano
恥ずかしながらスリナムという国を初めて知ったのですが、非常に興味深く読ませて頂きました。
ここまで悪事を暴かれながらも大統領の立場から失脚しないのは、いろいろな要因があるのでしょうが、やはり大統領に与えられた権力の大きさが一番の問題なのでしょうか?同国の政治体制が気になりました。
選んだ国民の責任……と言ってしまえばそこまでですが選挙というものの難しさを改めて考えさせられます。
コメントありがとうございます。質問に返答させていただくと同国の政治体制は立憲共和制で、やはり大統領の権力の大きさは無視できないものがあります。現大統領が2期連続当選していることに関しては、カリスマ性によるところも大きそうです。とはいえ、2015年5月25日の国会議員選挙では、与党である国民民主党(NDP)が、ボーターセ氏が自動的に大統領となるほどの圧勝ではなく、国会による指名によって同氏が2期目の大統領に選出されたことをからは、現在の与党を支持しない人々も一定数存在していることがうかがい知れます。
スリナムという国があることも知らなかったので、知識を広げるきっかけとなる記事でした。
経済危機を脱し、スリナムの人々が平和に暮らせる日が来ることを願います。
ここまで人権侵害を繰り返しているにもかかわらず、大統領として政治を行い、逮捕されないという事実に非常に驚きました。今回の記事でスリナムについて初めて知りましたが、このように政治腐敗が続く国が世界にはたくさんあり、その原因が国民にもあると思いました。「敵」を作り、内と外を作ることでナショナリズムを仰ぐ政治は世界の至るところで見られ、多くはそれに乗せられているのが現状です。今後グローバル化が進み、多様性の尊重が大切になってくる中で、国民の価値観も少しずつ変わっていくことを願いたいです。
スリナムは日本ではほぼ報道されていないと思うので、全貌が理解できて興味深かったです。読み応えがありました。
大統領が、どんなに酷いことをしていてもカリスマ性によってその地位に居座り続けているとなると、一般的に難しい問題だなと感じます。
経済危機に関しては、日本ももっと注目しておくべきではないかと思いました。
コメントありがとうございます。外務省のデータによると、2017年には日本はスリナムに対して47.2憶円の輸出を行っています(主な輸出品目は自動車)。経済危機が悪化すれば少なからず影響を受けることが予想されます。
参考:外務省「スリナム基礎データ」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/suriname/data.html
どれぐらいの人々がボーダーセの悪事を容認したうえで彼を支持してしまったのか気になりました。
私もスリナムという国家の存在自体を知らなかったので大変勉強になりました。
コメントありがとうございます。ある調査によると2015年の時点でボーターセ氏に対する支持率は、投票者のうち42%だったという結果が出ています。
参考:The economist, “Suriname”
http://country.eiu.com/article.aspx?articleid=1990558783&Country=Suriname&topic=Politics&subtopic_5