世界には、主義として肉を食べない人が各地にいる。そう、ベジタリアン(vegetarian)やヴィーガン(vegan)のことである。彼らは肉や魚介類などの動物の身やその副産物、もしくはすべての動物性食品を、さまざまな理由によって摂取しない食生活を送っている。実は菜食主義の歴史は古く、例えばエジプトでは約4,000年に渡って実践されていた。彼らがなぜ動物を消費しないことを選んだのか、その理由は決して一概ではない。この記事では、古代から現在に至るまで存在してきた「菜食主義」が一体どのようなもので、なぜ実践されており、それが社会や地球もたらす影響について紹介したい。

マーケットに並んだ野菜(brainsick/Pxhere [CC0])
ベジタリアニズムとは?ヴィーガニズムとの違いは
肉や魚介類などを口にしない人は「ベジタリアン」と呼ばれており、その主義自体は「ベジタリアニズム(菜食主義)」と呼ばれる。実はベジタリアニズムには複数の種類があるのだが、いずれにも共通しているのは肉を食べないという点だ。ベジタリアン・ソサイエティ(Vegetarian Society)によると、一般的なベジタリアンは動物の肉、魚や貝などの魚介類、あらゆる動物に対する殺戮の副産物を摂取しない。したがって、ベジタリアンは卵や乳製品を摂ることができる。人によって摂取したりしなかったりする食品があり、それよって呼称が異なっている(※1)。そして、卵も乳製品も、さらには蜂蜜を含むあらゆる動物由来の食品を摂取しない、より厳格な菜食主義を「ヴィーガニズム(完全菜食主義)」と呼び、それを実践する人や食事そのものがヴィーガンと呼ばれている(※2)。
一方では、比較的にゆるくベジタリアニズム実践する人もいる。肉は食べないが魚介類は食べるというペスカタリアン(pescatarian)や、基本的にはベジタリアンだが、状況によっては肉食を許容しているフレクシタリアン(flexitarian)などがその例だ。しかしながらこれらの人々は、動物の身を摂取しているという点でベジタリアンの定義に当てはまっていないと解釈されることもある。ベジタリアニズムではある程度摂取する/しないを選択できる食品があるが、ヴィーガニズムでは少しでも動物の搾取に関わっているものには手を出さない。
では、ベジタリアニズムやヴィーガニズムはなぜ実践されているのだろうか。以下では、動物を消費しないという選択に至る理由や背景についてまとめた。
動物への配慮としてのベジタリアニズム・ヴィーガニズム
世界的に多くの人が動物を摂取しない理由の一つとして、宗教が挙げられる。まず紹介したいのが世界で最もベジタリアンの多い国、インドだ。インドはヒンドゥー教と深く結びついており、人口の8割ほどがヒンドゥー教徒である。ヒンドゥー教にはアヒンサー(非暴力・不殺生)という思想が根本にあり、動物を食べることがタブー視されているためベジタリアンが多い。インドにおけるベジタリアンの割合は、これまでに行われた調査では人口の約3〜4割だとされてきた。ただし、これは肉を食べないことが美徳であるという社会的なプレッシャーの影響を受けた数字であり、実際の割合は2割ほどだという指摘もある。いずれにせよ、少なくとも人口の5人に1人が肉を食べないというのは割合においても世界一だ。

ヒンドゥー教のベジタリアン料理 (chiragkpatel/Flickr [CC BY-NC 2.0])
しかしながら、ベジタリアニズムがヒンドゥー教の教えによるものと考えられるようになったことには社会的・政治的な裏があるという主張もある。これによると、バラモン階級(カーストの最上位)が肉の不足を案じることなく消費できるようにするための策略が、かつてあったというのだ。また、8世紀にイスラム教がインドに入ってくると、本来ヒンドゥー教徒が食べない牛肉の消費が進み、乳製品の供給が脅かされる恐れがあったことも挙げられるという。宗教にかこつけて肉の消費を減らそうとするカースト上位層の権謀が、今日では宗教的な美徳になったと言えよう。
信教の教えによって肉を食べないという人はこれ以外にもいる。例えば、同じくインドに信者の多いジャイナ教でも、ヒンドゥー教におけるアヒンサーの考えを共にしており、菜食を実践している人がいる。さらに、中国や日本などで食べられているベジタリアン食「精進料理」が表しているように、仏教のなかにも動物の殺生は避けるべきだと考えている宗派がある。さらに、ユダヤ教の聖典である旧約聖書には、食べてはいけないものとして豚を始め多くの動物が挙げられている。旧約聖書の教えに通底しているイスラム教でも、豚や犬などの不浄とされている動物の摂取は禁止されており、そのほかの動物であっても認められた手順で屠殺されたものしか食べることを許されていない(※3)。さまざまな考え方や制限があるが、宗教上の理由で肉を食べない人は世界中にいると言える。

牛と戯れる少女 (Avinash Bhat/Flickr [CC BY-SA 2.0])
次に挙げられるのは生命倫理・動物福祉である。人間を殺さないのと同じように、動物を殺したり惨たらしく扱ったりしてはいけないという動物愛護の考え方だ。動物も、人間と同じように喜びや苦しみを感じる(意識・感覚性がある)ことは生物学的にも証明されているが、そのような生命を傷つけることは、人間どうしが傷つけ合ってはならないという道徳と整合性が取れないということだ。つまり動物を尊重し「種差別(speciesism)」を否定しているのである。
以上では動物を傷つけること自体をタブーとしているが、「動物を商品として無惨に扱ったり、大量消費したりするのが間違っている」という、いささか異なった考え方も存在する。現代ではモノが大量生産・大量消費されるようになり、動物も同じように「モノ」として商品化され、残酷な扱いを受けている。そのため、人間にとって都合よく搾取されるためだけに、生かされ消費される生命があってはならないという考えがここにはある。実際、畜産ではいかに生産効率を高め、利益を最大化するかが最優先であるため、その現場はむごたらしいものだ。
例えば、鶏卵の生産現場では雄として生まれたヒヨコはすぐに殺される。雌鶏もほとんど身動きの取れないケージや過密した飼育場の中で、出血や骨折を繰り返しながら、日光を一度も浴びることなく一生を過ごす。乳牛は生まれてから12時間以内に母親と引き離され、私たちに牛乳を提供するため不自然に肥大させられたのち、繰り返し人工的に受精させられ、乳が出なくなると殺処分されてしまう。悲劇は輸出の場でも起こっている。オーストラリアから中東に向けて輸出された羊が、息をすることも難しい船の中で1,000頭以上死んだことが報じられた。このように悲惨な畜産を否定するため、動物性食品の消費をやめることを選ぶ人がいる。
したがって動物福祉を理由に肉食をやめる背景には、そもそも動物を食べるべきではないという考えと、畜産のやり方や動物の搾取に反対していることが挙げられる。また、このような理由でヴィーガニズムを実践する人は、肉食だけでなく全ての搾取に反対しているため、革製品や動物実験のもとで開発された化粧品などの商品にも手を出さない。「ヴィーガン」という言葉は、食品以外でも非動物性の商品について使われており、欧米の国を中心にそのような商品には「Vegan」という表記が施されている。また、イギリスでヴィーガンの数が急速に増えている主な理由は動物福祉のためだと言われている。オーストラリアや他の欧米の地域では、ヴィーガンたちが動物の消費をやめるように訴えるデモを起こすなど、菜食を謳う活動も多い。

狭い養鶏場のバタリーケージ(Dzīvnieku brīvība/Flickr [CC BY-NC 2.0])
地球や自分への配慮としてのベジタリアニズム・ヴィーガニズム
動物への配慮以外で肉を食べない理由に環境保護がある。一見すると肉食と地球環境のあいだに関連などなさそうだが、実際には畜産を行うことは、私たちの住む地球に深刻な影響を与えている。森林破壊がその一つだ。食肉を生産するには、大量の飼料を使って動物を成長させなければならず、その飼料を育てるには広大な土地が必要となる。国連の食糧農業機関(FAO)の報告によると、現在地球上にある陸地の26%が、飼料作物の栽培によって占有されている。なかでもブラジルでは、破壊されたアマゾン熱帯雨林のうちおよそ7割が牧草地として使用されており、残りの土地の多くも牛の飼料となる大豆栽培のために使われているという。
さらに、畜産は地球温暖化にも影響を与えている。実は排出されている温室効果ガスのおよそ2割が畜産によるものであり、その割合は温室効果ガス排出の主な原因として知られている移動・交通を上回るという。温室効果ガスの1つであるメタンガスは、動物(特に牛)の排泄物から発生し、その温室効果は二酸化炭素の23倍である。畜産で牛が排出するメタンガスは1頭あたり1年間で70〜120kgであるが、例えば1年間に100kgが排出されれば、それは2,300kgの二酸化炭素に相当するということだ。
また、自然資源の一つである水の莫大な消費も問題化している。肉を生産するには膨大な量の水が使われており、例えば1kgの小麦を生産するのに必要な水が500〜4,000Lであるところ、1kgの肉を作るには5,000〜40,000Lの水が必要になるという。実に10倍の量だ。水不足が進むなか、肉を消費することは間接的に問題を悪化させていると言える。畜産と環境に関する問題はこれらにとどまらず、新しい研究やデータが次々と発表されている。持続可能な消費を願う人々がベジタリアンやヴィーガンになったり、意識的に動物性食品の消費を避けていたりもする。これは特に欧米ではここ数年で大きなトレンドとなっている。

焼かれるブラジルのアマゾン(Alzenir Ferreira de Souza/Wikimedia Commons [CC0])
さらに動物を食べない理由として、自身への配慮、つまり健康志向がある。動物性食品の摂取をやめることによって防げる病気があるからだ。植物ベースの食生活に切り替えることでコレステロール値や血圧の低下、心臓病やガンのリスクの低下などを見込めることがわかっている。また、家畜の生産効率を上げるために抗生物質が過剰に使われていることも問題視されており、大量の抗生物質を間接的に摂取することを避けるために肉を食べない人もいる。さらに、抗生物質の過剰使用が耐性菌を増やすと、動物だけでなく人間にも感染することが懸念されている。
何を食べるか?
生きるためには他の命をいただくしかないのが生命の理だ。育った環境や信教が食生活に必然的に影響することもあれば、食べるか食べないかの選択が個人の自由である場合もある。ただし肉食には、私たちと同じく生命を持つ動物にとって、そして私たちの住む地球にとって負の側面があるということも事実だ。中国などでは生活水準の上がった人口が増えていることに伴い、肉の消費量も増加している。そんな中でも、それぞれが肉の摂取量を適度に減らすだけで、例えば水の消費を最大35%カットできると言われている。さらには肉の代わりに野菜や果物の摂取量を増やすことで、生活習慣病が減り、2050年までに800万人の命が救われるだけでなく、温室効果ガスの排出量を現在の3分の2まで減らし、気候変動や医療福祉にまつわるお金を約1.5兆米ドル削ることができると報告されている。

フェンス越しに覗く豚 (Steve Evans/Wikimedia Commons [CC BY 2.0])
ヴィーガニズムがトレンド化している地域では肉や乳製品の売り上げが落ち、畜産業界が危機感を覚えるようになった。ヨーロッパでは、肉に似せた非動物性食品を肉の代替品として販売することに規制をかけるよう、畜産業界が政府に働きかけている。このような葛藤もあるが、ここではベジタリアンやヴィーガンが動物を食べない理由について紹介した。改めて食と生命、地球について考える必要があるのではないだろうか。
※1 乳製品は摂らないが卵は食べるベジタリアンをオボ・ベジタリアン(ovo vegetarian)、卵は食べないが乳製品は摂るベジタリアンをラクト・ベジタリアン(lacto vegetarian)、卵も乳製品も摂るベジタリアンをラクト・オボ・ベジタリアン(lacto-ovo vegetarian)と呼ぶ。
※2 植物の殺生をも許容していない果実食主義であるフルータリアン(fruitarian)も存在する。
※3 ユダヤ教において食べてもよい食品はコーシャ(kosher)、イスラム教ではハラル(halal)と呼ばれる。
ライター:Mina Kosaka
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畜産業界の動物の悲惨な状況を見ると、人間の自己中心さを改めて感じます。でもやっぱりベジタリアン、ヴィーガンになる勇気も強さもないです。でもでも今日はベジタリアンの日などと決めて、少しずつ取り組んでいきたいと思います。
ベジタリアニズムやヴィーガニズムの区別から、私が初めて聞くペスカタリアンやフレクシタリアンという概念まで、非常に勉強になりました。ありがとうございます。
肉の消費から議論する、食糧問題、環境問題は非常に興味があるとともに、今の若い世代が将来に備えて本気で考えなければならないテーマに対し、危機感を煽らされました。個人的な解決や結論にとどまることなく、大勢のコミュニティーの人、あるいは国単位、地球単位でこの問題に目を向けなければならないのは間違いありません。畜産業界だけでなく、経済全体と相談しながらこの議題を進めるべく、こうした記事によって世間が目を向ける流れを作る必要があると感じさせられました。
『肉と環境に関する問題はこれだけにとどまらず、さまざまな機関が次々と研究やデータを発表している。』このデータにも非常に興味をそそられ、自分でも調べてみたいと思います。リンク先の記事も非常に興味深いものでした。
私事ですが、私は現在「未来のエネルギー問題」を扱うゼミで勉めています。そこで議論するうちに行き着くのがやはり、環境問題や食糧問題でした。こちらの記事を拝読し、肉の消費とエネルギーという視点から、有効な解決へのシミュレーションが議論できるのではと考えています。こうした引き金が見つかり、大変嬉しいです。
これから、何を食べるか。日常から一歩身を引いて、考えてみたいと思います。
カースト上位層の思惑によって肉を口にしなくなったという歴史を持つ地域があることを初めて知りました。
ヴィーガンやベジタリアンと肉を食べる人の食事コストはどれくらい変わってくるんだろうか?
今後の技術の進歩で野菜を用いて今の肉と同様のものが食べられるようになればどんどんヴィーガンニズムが進んでいくと思うが現在ヴィーガンになることによって起こる不利益は肉を食べられないということ以外にあるのだろうか?
ヴィーガンに対しては、私自身あまりいい印象を抱いていない。
理由としては、フランスの複数の畜産業者に対して、ヴィーガンが攻撃したというニュースを見たからである。
もちろん一部の過激な人々のみではあると思うが、あくまで個人の選択によって食事の主義は決められるべきであって、暴力的な手段に訴えるべきではない。菜食主義の主張自体は素晴らしいのだから、そのコミュニティは、暴力には断固反対することをもっと対外的に主張していかないと、ヴィーガンコミュニティに対するイメージは下がる一方だろう。
このコメントから、なんだか、ヴィーガンがひとつの「組織」もしくは「人種」みたいに読めちゃいます。
ビーガンというのは「コミュニティ」として存在しているわけではなく、この記事にもあるように、多くの個人がさまざまな理由で、さまざまな形で肉や動物性のものをやめているわけで、組織で動いているわけではなく、何かがあったときに声明発表をするわけでもないのです。
魚介類についてはあまり記事では触れられていませんが、調べてみたところ、畜産業と同じような理由で魚介類を口にしない方もいるようですね。
どのような食生活を選択するかは各個人の自由だと思います。わたしもお肉もお魚もどちらも好きです。(野菜も好きです。)ただ、記事を読んで、どういう過程で生産されたお肉、お魚なのかは配慮したいなと思いました。ヴィーガンとかベジタリアンみたいな括りで、「良好な環境で生育された動物だけを食べる主義」っていうのに呼び名があったら、きっと賛同する人も多いと思うので、この主義を実践する人が増えて、だんだんと食料の生産過程も変わるのかなーって思いました。もう既にあるのかな?ありそうだけど
国によりますが、どういう過程で畜産が生産されたのかというラベルが肉のパックなどに貼られることもあります。
フェアトレード認証マークみたいな制度です。
アメリカだとこのような感じです:
https://awionline.org/content/consumers-guide-food-labels-and-animal-welfare
https://www.nytimes.com/2017/01/31/dining/animal-welfare-labels.html
私の周囲にもベジタリアンが少なくなく、この記事を通して、その人達の考えや思いを少しでも知ることができ勉強になった。
私個人としては、すぐに肉を食べない生活にするということは難しそうだが、日々の食事の中で色んな生物によって生かされているのだと感謝したいと思った。
ベジタリアンとヴィーガンの違いがわからなかったのですが、この記事で知ることが出来ました。ベジタリアニズムを実践する人の中でもペスカタリアンやフレクシタリアンなどの人がいるということも初めて知ることができて嬉しいです!
肉を食べないのは宗教が関係しているからだと思っていましたが、そういうことになっているだけで本当はバラモン階級の策略かもしれないというところを読んでとても衝撃を受けました。
生き物を人間の都合で消費するのは確かに良くないことだし、ヴィーガニズムを実践する人を本当に尊敬します。私もなれたら良いなとは思いますが、肉や魚や乳製品が食べられないのは想像できないし我慢もできる気がしません…
世界にはこのような人々がいるということや、動物達のむごい殺され方など、たくさん衝撃を受けたしとても勉強になりました。
今日から肉や魚を抜く、ということはできそうにないので、少しずつ自分にできることを考えて少しずつ実践していこうと思いました。あと、肉や魚や乳製品を消費するときに 、犠牲になってくれたことに感謝して食べようと思いました。
ベジタリアンとヴィーガンの違いがよくわかる記事でした。ありがとうございます。
ベジタリアンやヴィーガンについて、動物愛護のための菜食主義は個人的な問題だと思っていたが、、地球環境に菜食主義がこれだけ関与しているとは知らなかった。自分自身にも深く関わる大切な問題だと知れてよかった。今後、肉を食べない生活をするのは難しいけれど、何か小さいことからでも変えれたらいいなと思った。そのきっかけをこの記事が与えてくれました。
動物倫理の側面から畜産への疑問があり、また世界の食糧不足への配慮の必要を感じたこともあり、肉を食べることをやめました。ときどき生ハムを食べたい!というような気持ちになることもありますが、そのために苦しむ豚を思うと欲も消えてゆきます。肉を食べなければ生きていけないと思い込み、さまざまな問題から目を背けて生きていましたし、自分ひとりが肉を食べないくらいで世界は変わらないと思っていました。もちろん、世界そのものは変わらないかもしれません。世界を変えるためではなく、自分がどのように世界に在りたいかを表現しつづけるしかない。そんなふうに思いながら、気のすむまで続けてみようと思います。
起因として肉食で病気するからですよ。
昔はそういう知識があって宗教とかでも禁止されたのだと思います。無駄な殺生もそうですし、昔の人は食べて体調がどうなるかとか現代人より良くわかってますから。しかし科学的根拠というのが昔はついていかなかったので、殺生話だけ残ったのでしょう。
私は難病にかかり、食べ物やその摂取量、食べる時間などについて勉強していますが、昔は本能的に理解されていた知識が、科学的根拠が偉い時代になって、忘れ去られている事を知りました。
付け加えて、科学的根拠が追いついて事実が発表されるやいなや、商人たちがそれを防ごうと一生懸命マーケティングをしています。科学者を買収して保身するための発表を促した事件もあるほどです。
肉、一時的なパワーはガッツリ手に入っても同時に不要物も沢山体内に流れ込んでくるので、長期的に見て体に良くないですよ。
かといって肉食べて栄養取るように体が覚えてると急にヴィーガンやったところで体の舵取りがついていきません。
断続的な断食で体質リセットしながら肉を断つか、1-2年かけて少しずつ肉減らすしかないです。
肉を食べると欲深くなります。食欲、性欲、強欲、関係ないようですがとにかく欲が強くなります。食欲は強くなりすぎると自分を傷つけますし、その他の2欲は強すぎると他人を傷付けます。
菜食になると体がクリアになって、血液が浄化された感覚がよくわかります。体験した人にしか分かりませんが、肉を食べると次の日にはそのクリアさは失われるほどです。
菜食は長生きしないというデタラメがありますが、長寿の方全然おられます。肉を食べている長寿の人も、肉はごく少量です。体で処理できる量しか食べないのです。
文章も読みやすく、ソースも随時提示されていて、非常に丁寧な記事だと思いました。インドの菜食事情にはカースト上位層の権謀があったなど、知らなかった話も多く、大変勉強になりました。
両親の影響で幼い頃から魚釣りをしていて、釣った魚を食べるのが当たり前の環境で育ちました。食べるまでの工程を見ている分、命の重みは知っているつもりでした。それに、以前から人間も動物であるのだから動物を食べるのはかわいそう(=植物を食べるのはかわいそうではない)という考え方に疑問があり、その考え方にある意味人間至上主義的なものを感じていました。しかし、「肉食」に関しては動物愛護の観点や、よく耳にする宗教的な観点以外からも考慮すべきことが多いと知りました。食事一つをとっても、生きることの責任はとても大きいのだと感じさせられました。