2022年12月1日、約180人のロヒンギャ難民(※1)を乗せた船がインドネシアを目指して、バングラデシュから出発した。その船には、バングラデシュの難民キャンプにおける劣悪な環境や暴力から逃れてきた妊婦や子どもたちも乗っていた。しかし、その1週間後、船はベンガル湾にて嵐に見舞われ沈没し、乗船者の消息は不明となっている。
とある人権擁護団体はこの出来事をロヒンギャ難民に対する各国政府の無策と世界の無関心を示す最たる例であると主張している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)はベンガル湾やアンダマン海を通ってバングラデシュから東南アジアに渡ろうとする船のうち遭難船の救助を要請してきたが、無視されていると述べた。
東南アジアの難民対応を考えるにあたり、取り上げておきたい事実が存在する。それは、難民の地位に関する条約(1951年条約)と難民の地位に関する議定書(1967年議定書)の両方、合わせて「難民条約」と呼ばれている条約を批准しているのは東南アジア11か国(※2)中フィリピン、カンボジア、東ティモールの3か国だけだというものだ。この記事ではそんな東南アジアにおける難民の現状やその対策についてみていく。

クアラルンプールのロヒンギャ難民宅に掲げられたマレーシア国旗(写真:Overseas Development Institute / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
東南アジアにおける難民の概要
東南アジアで発生している難民または東南アジアに入ってくる難民について整理しておきたい。歴史的にみると1970年代においては、インドシナ3国(ベトナム、ラオス、カンボジア)(※3)における武力紛争およびアメリカの軍事介入とその後の社会主義体制への移行により多くの難民が発生した。他にも、ミャンマー政府と反政府勢力との紛争により生じた難民やインドネシアによる東ティモール侵攻により、東ティモールから多くの難民が発生したことが挙げられる。
また、1980年からは、スリランカにおけるタミル系勢力(※4)と政府の紛争や、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)によるアフガニスタン侵攻により発生した難民が東南アジアにも流入した。2000年以降においては、アメリカによるアフガニスタンおよびイラクへの侵攻により生じた難民が挙げられる。2010年代では、シリアにおける紛争により生じた難民に加えて、ミャンマー政府の武力弾圧を機に発生した、多くのロヒンギャ難民を例示することができる。このような地域外の紛争から発生した難民を東南アジアも受け入れることとなった。
この歴史を踏まえた上で、現在、東南アジアにおいて多くの難民が流入している場所についてまとめる。まずは、ミャンマーからの難民である。とりわけ、ロヒンギャ難民がその難民の大部分である。次に、アフガニスタン難民で、これまでの武力紛争に加えタリバン勢力による政権の奪還もその一因となっている。他にも、中東・アフリカ・南アジアなど武力紛争や抑圧から逃れてきた人々が挙げられる。その中には東南アジアを目指すものもいたが、東南アジア経由でオーストラリアを目指す難民もいる。
次に、東南アジア諸国に滞在している難民の人数をみていく。
これは、2022年における東南アジア諸国の難民の受け入れ数を国ごとに示し、比較したものである。このグラフからもわかるように、難民条約を批准しているフィリピン、カンボジアよりも未批准のマレーシア、タイ、インドネシアの方が受け入れ数が多い。ここからはこの受け入れの現状の詳細を紹介していく。
難民条約を批准している国の難民受け入れ政策やその問題点
ここからは先ほど紹介した、1951年条約と1967年議定書の両方を批准したフィリピン、カンボジア、東ティモールの3か国における難民政策について述べていく。その前に条約や議定書の役割について確認しておきたい。難民条約はUNHCRによると、「難民の保護を保障し、問題を解決するためには、国際的な協調と団結が非常に大切であるという認識に基づく」という目的のもとで採択したとされている。この難民条約には難民の入国を拒んだり、生命の危機に直面する国へ送還したりしてはいけないという原則があり、これはノン・ルフールマンの原則と呼ばれている。この原則は慣習国際法であるため、難民条約に加盟していないという理由で、難民や亡命申請者を国外に送還することはできないとされている。
また、1951年条約と1967年議定書の違いにも触れておく。1951年条約は「難民」の定義とその権利の概要や、入国に対する難民の義務について示したもので、1951年1月1日前に生じた事件によって難民となった者のみに適用されるのに対し、1967年議定書は1951年1月1日後の事件で難民になった者にも前条約を適用させることを示したものである。1967年議定書は1951年条約の採択後、新たな事態により難民となった者にもその条約を適用するために採択された。
まず、フィリピンについてみていく。1981年に難民条約を批准したフィリピンは過去にはインドシナ難民やイラン革命などからの難民を受け入れていた。2021年にはタリバン政権の支配から逃れるアフガニスタン難民を自国で受け入れるという決定をしたが、その数週間後にフィリピン政府は、アフガニスタンから逃れてきた人々の亡命申請を、外国政府の公的機関を通じてのみ受け付けるという方針を示した。アフガニスタン難民の受け入れはアメリカからの要請に基づいたものであり、非政府組織(NGO)などの非政府機関からの難民の亡命要請を断ることを意味していることからも、波紋を呼んだ。
2022年時点で856人の難民と780人の亡命申請者(※5)がフィリピンに滞在している。2022年に新規の亡命申請として59件受け入れた。その内訳はイエメンやシリアといった中東の国が大半である。

UNHCRの列車に乗って難民キャンプから戻るカンボジア人(1992年)(写真:United Nations Photo / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
続いてカンボジアについてだ。かつてカンボジアでは、1970年のアメリカによる侵攻や、1975年のポルポト政権の登場、1978年のベトナムによる侵攻、そしてポルポト政権崩壊後の紛争によって多くの難民が発生したという歴史がある。
では、その後の難民の受け入れ国としてのカンボジアを見ていく。カンボジアは1992年に難民条約を批准したが、難民を受け入れていることは比較的に少ない。2014年にオーストラリアとの間で、金銭的な支援を条件にオーストラリアに来た亡命申請者をカンボジアに移住させる旨の協定に合意したということが物議を醸した。また、一旦カンボジアに入国していた難民の多くが、2020年にカンボジア当局によって出身国に強制送還されていたという事実もある。2021年にカンボジア政府は、最大300人のアフガニスタン難民を第三国定住(※5)のための手続きの間、保護することに了承したと述べている。2022年時点では24人の難民と12人の亡命申請者がカンボジアに滞在している。
最後に東ティモールについてだ。かつてポルトガルの植民地だった東ティモールは、1975 年にインドネシアに侵略され、この時点で難民は多数発生したといわれている。その後、1999 年には、国民投票の結果インドネシアからの独立を達成した。多くの人々が難民を経験したという歴史が東ティモールにはある。それを踏まえて、独立後、自国にやってくる亡命申請者を支援し続けるという誓いのもと、1951年条約と1967年議定書を批准した。これは2002年の独立宣言から1年経った2003年の出来事である。
しかし、亡命申請を試みた人々によると、東ティモール政府は、亡命申請者を受け入れる準備ができておらず、かわりに東ティモールから出国するよう提案された者もいる。また、東ティモールの移民・亡命法には、亡命を求めて入国する者は到着後72時間以内に申請を提出しなければならないという規定があるといった問題も批判がされている。
難民条約を批准していない国の難民受け入れ政策やその問題点
難民の受け入れに関するグラフからも分かるように、難民条約を批准していないからといって、難民を受け入れていないというわけではない。実際、マレーシア、タイ、インドネシアは2021年に合計289,000人もの難民と亡命申請者が生活している。今回は東南アジアのなかでも有数の難民の受け入れ国であるマレーシア、タイ、インドネシアの難民受け入れ政策に焦点を当てる。
まずは、マレーシアについてだ。マレーシアは東南アジア諸国のなかで、最も多くの難民と亡命申請者を受け入れている。具体的に2023年現在、合計して、約181,300人の難民と亡命申請者がマレーシアに滞在している。その内訳は、ロヒンギャ難民をはじめとするミャンマーからの難民が多くなっている。その数は全体の約86%に及ぶ。しかし、人権団体であるヒューマン・ライツ・ウォッチによると、マレーシア当局によりミャンマーに強制送還させている難民申請者が増加しているというのだ。そこには、難民条約を批准していないことが大きな要因だという考えや新型コロナウイルスパンデミック中に排外主義的感情が高まったことが関係しているという指摘がされている。
タイには2022年時点で、難民と亡命申請者が合計で、約95,398人滞在している。ミャンマー出身の少数民族を主に受け入れている。その背景にはミャンマーの東部や北部などでミャンマー政府から長年迫害を受けてきた少数民族グループが反政府勢力を形成し、政府との紛争を繰り広げる中で難民が発生してきたというものがある。
タイには難民キャンプの外の都市部で暮らす難民の問題がある。都市部の難民はタイ政府に難民として認識されておらず不安定な状況下にあり、逮捕や強制送還をされる恐れを抱えているのである。また、大半の難民が第三国定住の申請手続きを行っているが、その結果が出るまでには長い時間がかかるため、難民キャンプでの生活が長年続くという問題もある。
近年、タイの難民政策に対する変化がみられる。一つは、2018年12月に国連総会で採択された「難民に関するグローバル・コンパクト」(※7)に基づいて難民問題に関してUNHCRなどの組織とパートナーシップ(※8)を締結したことである。もう一つは、2023年5月に行われた下院総選挙にて勝利し、第一党となった前進党のチョンティチャ・ジェングラウ氏が、難民の保護を促進するために1951年条約への署名と批准をしたいと述べたことである。これからのタイ政府の難民政策の変化が期待される。

タイにあるウンピウム難民キャンプ(写真:EU Civil Protection and Humanitarian Aid / Flickr [CC BY-SA 2.0])
最後にインドネシアについてだ。2022年時点で、インドネシアには難民と亡命申請者が合わせて約12,616人滞在しており、その約55%がアフガニスタン出身である。これらの難民の多くは、オーストラリアなどに到達するための通過点としてインドネシアに一時的に滞在しているとされている。しかし、亡命申請者を追い返すというオーストラリアの政策によってインドネシアに留まることを余儀なくされることとなった。また、過去10年間で、インドネシアに亡命を求めるロヒンギャ難民が数百人にも増加した。
まとめ
ここまで、各国の難民受け入れ政策の現状や問題点についてみてきたが、難民条約を批准しているか否かに関わらず、東南アジア諸国における難民政策、とりわけ難民の権利保障の面に課題が山積みだと考えられる。現に難民は避難先の国内において様々な権利が保障されていない側面が多くみられる。また、難民キャンプをはじめとする劣悪な環境で生活する難民が多くいるとされている。それに加えて、教育や適切な医療を受けること、そして働くこともできず、不法移民という法的地位により強制送還される危険性といった様々な問題を抱えている。教育の観点に着目すると、難民条約を批准していなくても、子どもの権利条約(※9)の批准国であれば、各国が難民の子どもの権利を保護するために国連と協力するという決まりがある。しかし、タイは条約の批准国の中で唯一、子どもの権利条約第22条(※10)を留保している。
では、東南アジア諸国連合(ASEAN)における難民政策はどうであろうか。ASEANにおいて、難民政策に関する規則はなく、難民に関する政策や法律については各国政府の意向に委ねられている。そこには、ASEAN が加盟国の国家主権の尊重と内政不干渉に関する原則を守ることに重きを置いているからだという見解がある。そして、ASEANにおける難民保護の法的枠組みの欠如が、結果的に東南アジア諸国における難民の権利を十分に保障しない法律を生み出しているといえるのではないか。
東南アジアにおける難民問題を見わたすと、難民条約、子どもの権利条約、地域の取り組みといった法的な枠組みも重要だが、その内容をどこまで実行に移すかも問われる。今後の東南アジア諸国の難民政策がどのようなものになるか注目したい。

マレーシアにいるロヒンギャ難民(写真:Overseas Development Institute / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
※1 ミャンマーにおいて迫害されているイスラム教徒の少数民族。2017年のミャンマーの激しい武力弾圧を機に、多くのロヒンギャがバングラデシュへと逃れ、2023年2月時点で、その数は約957,971人に達しており、バングラデシュの難民キャンプから船やボートで東南アジアに亡命するロヒンギャ難民も存在する。
※2 東南アジアをインドネシア、カンボジア、シンガポール、タイ、東ティモール、フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオスの11ヶ国で構成されているとする。
※3 1975年、インドシナ3国(ベトナム・ラオス・カンボジア)で発生した武力紛争やアメリカなどによる軍事介入から生じた難民。
※4 タミル語を話す民族で、スリランカにおいて、1976年にタミル・イーラム解放の虎(LTTE)という武装組織を設立した。
※5 自国を離れ、他国において迫害や人権侵害などからの保護を求めているが、まだ法的に難民として認められておらず、亡命申請の決定を待つ人を指す。
※6 難民が最初に保護を求めた国から、自らを受け入れることに同意した第三国へと移ること。
※7 世界が一体となり難民保護を促進するための国際的な取り決めで、多様なアクターが連携し社会全体で取り組むことが期待されている。
※8 タイ政府は、NGOや民間企業を含むさまざまなアクターとのパートナーシップを強化することで、それらの団体から難民問題への対応の支援を受けている。
※9 18歳未満の子どもの基本的人権を国際的に保障するために定められた条約。
※10 子どもの権利条約第22条1項「締約国は、難民の地位を求めている児童又は適用のある国際法及び国際的な手続若しくは国内法及び国内的な手続に基づき難民と認められている児童が、父母又は他の者に付き添われているかいないかを問わず、この条約及び自国が締約国となっている人権又は人道に関する他の国際文書に定める権利であって適用のあるものの享受に当たり、適当な保護及び人道的援助を受けることを確保するための適当な措置をとる。」これを留保することはその国における難民の子どもが満足に教育を受けることができていないことを意味する。
ライター:Hayato Ishimoto
グラフィック:Ayane Ishida
確かにASEANとしての難民政策の指針が定まっていないのは、難民問題を負のスパイラル化させる要因になりうりますね。
難民問題は、市民と政治家とで大きく乖離しやすい分野でしょう。きっと、政権担当者としては、建前では「難民の権利や命を救う」という人道的な理由を掲げているとは思いますが、その裏には実績のアピールとして利用している面もあるのではないでしょうか。
しかしながら、実際に難民受け入れの弊害を被るのは我々市民ですから、それが賛成であろうと反対であろうとその国の難民政策は、国民の総意に委ねられるべきでしょう。
ヨーロッパでの移民・難民船の難破問題もよく聞きますし、東南アジアに限らず世界的に難民の問題は見られますね。難民を無条件に大量に受け入れれば解決する問題でもないので、難しいですね。
東南アジアではこれほど難民を受け入れていたことにまず驚きました。そして、それにもかかわらずルール作りがしっかりとは行われておらず、実害が起こり始めているのはその国の市民たちがかわいそうだなと思いました。難しいとは思いますが、ぜひとも難民を今後も受け入れつつ地元の人たちが損をしないようなルール作りをしてほしいなと思います。
最近日本でも海外出身の人間による犯罪が少し目立ってきて、治安が乱されていると感じるので、難民の受け入れや海外からの人口の流入についてもこの東南アジアの例を参考にして、しっかりとした、日本人が損をしないようなルール作りをしてほしいなと感じました。
ロヒンギャ難民、バングラデシュだけじゃなくて東南アジアにも及ぶんですね。。