2019年2月某日、ポルトープランス国際空港にプライベート機が降り立った。搭乗していたアメリカ傭兵たちはハイチ大統領の側近たちと合流し、ハイチ中央銀行へと歩を進める。受けた依頼は以下の通り、ある資金8,000万ドルをハイチの大統領が管理している口座へ移転せよ。しかし、もし万が一見つかれば大問題になることは間違いない…。これは映画のワンシーンだろうか?いや、これらは全てハイチで起こった現実の話である。カリブ海に浮かぶこの小さな国で今、何が起こっているのだろうか。

ハイチの国旗をまとう男性(acdallahh/ Flickr [CC BY 2.0])
栄光ある独立と独裁
今でこそ「中南米の最貧国」ともいわれるハイチだが、かつてフランス植民時代には「世界で最も豊かで生産的」な地域とも呼ばれる時期があった。フランス栄光時代の大きな収入源は実はハイチのサトウキビプランテーションであり、労働力は50万~70万人のアフリカ系黒人奴隷によって賄われた。また、ハイチを語るうえで欠かせないのが独立の話だろう。1804年に黒人奴隷たちが立ち上がり、宗主国フランスから権利を勝ち取ってできた、全世界最初の黒人共和国がハイチであった。このニュースは中南米全土に広がるアフリカ系奴隷の子孫たちにとって解放運動の希望となると同時に、奴隷制の受益者である欧米にとっては様々な阻害と干渉をもたらす口実となる。

ハイチ革命(絵:Auguste Raffet /Wikimedia Commons)
第一にハイチを苦しめたのは、独立国家承認との交換条件に提示された巨額な賠償金であった。ハイチ独立によって巨大な収入源を失ったフランスが、要求した額は実に1億5,000万金フランと高額で、ハイチはその後約120年の間国家予算の約8割に当たる額を返済に充てることで完済している。
また、アメリカによる干渉もハイチを苦しめる一因であった。カリブ海を裏庭とみなすアメリカにとって、ハイチはキューバと並ぶ警戒地域であったため、1915年には債務不履行を口実に、ハイチを占領、軍政を敷いた。20年に及ぶアメリカによる軍政の後、民政と軍政の混乱時代がしばらく続く。1957年大衆的な人気に押されて大統領の座についたのが元医師のフランソワ・デュバリエ(通称パパ・ドク)であったが、その後彼は独裁化し、政権は息子のジャン・クロード・デュバリエ(通称ベビー・ドク)へと引き継がれた。彼ら親子による独裁政治は1986年まで約30年にも及んだ。財政の私物化はさることながら、秘密警察トントン・マクート(正式名称:国家治安義勇隊)による言論統制も問題視された。ある人権擁護団体の調査では6万~10万人もの市民が同団体によって殺害または、行方不明にされ、それ以外にも多くの人々が投獄され、拷問を受けたとされる。そんな暗黒の時代も1985年に発生した全国規模のデモを受けて、やがて軍が退陣を要求し、デュバリエがフランスへと亡命することで終止符を打ったと思われたが、その後もデモや人権侵害は続くのであった。
民主政治の名のもとの干渉
1987年に民主主義的な新憲法が制定された。貧困層を支持母体に、大きな期待が寄せられた人物こそが、1991年に着任した元司祭ジャン・ベルトラン・アリスティドであった。
彼の在職期間は波乱に富むものだった。結局、アリスティドは1年を待たずしてクーデターによって失職し、アメリカへと亡命することとなる。ハイチが軍事政権下に置かれた間、彼は国際的な支持を取り付けることに奔走し、功を奏して国際連合によるハイチミッションの下、多国籍軍が展開、「従来の在任期間である1995年まで」という条件付きではあるが、1994年には再び大統領の座に戻った。
しかしその後、政治的混乱のどさくさに紛れて、アメリカによって市場および政策の自国優位な改革(※1)をハイチ政府に導入させていた。最初のターゲットは農業であった。名目上、ハイチの惨状に対する打開策として打ち出されたのは、補助金によって価格が下げられたアメリカ米の輸入であった。安価な米が大量にハイチ市場へ出回ることで、結果として米の価格は暴落、国内の稲作農耕は壊滅状態となった。その被害は甚大であり現在まで尾を引いている。後日、悪気はなかったとしてクリントン元米大統領自身が謝罪しているが、未だにハイチの国内の米消費量の大部分を輸入に頼っており根本的解決はしていない。

ハイチへ運び込まれる米の山(写真:Staff Sgt. Robert Waggoner /U.S. Dept of Defense)
その後1996年からのルネ・ガルシア・プレヴァルの在任期間を挟み、2000年、アリスティドは、再び大統領となる。しかし、4年後、彼は帰国が許されないままに遠く離れた中央アフリカ共和国へと留まっていた。なぜか。背景にはアメリカやフランス、カナダによって画策されたクーデターがある。当時のブッシュ米政権側の主張は、治安悪化を受けたアリスティド氏による「自発的」な中央アフリカ共和国への亡命というものだったが、これは、着陸直前まで行き先は告げられず、事実上の誘拐であったというアリスティドの主張とは食い違う。注目すべきことに、アリスティドは誘拐前年にフランスに対して賠償金返還を要求していた。さらに、アリスティドが謳った最低賃金の引き上げが、現地で工場展開していたアメリカの衣類メーカーなどの企業にとって、生産コストの引き上げを意味していた。これらのことは決して誘拐事件とは無関係ではないだろう。
しかし、予想に反して、アリスティドが去ったのちも国内の賃金引上げ要求は収まらなかった。ウィキリークスが公開したアメリカの公文書によると、アメリカは強硬手段に転じ、2009年には、米大使館が、ハイチの繊維産業関連の下請け工場に対して、最低賃金を時給24セントに抑えるよう圧力をかけたとされる。ハイチ政府の譲歩もあって日給が3ドルと議会で決まったものの、ハイチにて家族3人を養うのに必要とされる収入12.50ドル/日には遠く及ばない。

1990年代に笑顔で演説するアリスティド元大統領とアメリカ政府・軍の関係者たち(写真:Expert Infantry /Flickr [CC BY 2.0])
そのような混乱状態が続く2010年1月12日に起こったのがマグニチュード7.0の未曽有の大地震だった。その被害は甚大で、死者は30万人に上り、被災者数は国民の3分の1に当たるおよそ370万人、被害総額は2009年の同国GDPの1.2倍に当たる78億円、その上コレラが流行した。このように世界でも稀にみる大混乱に陥る中、再びアメリカによる介入政策が展開しようとしていた。
アメリカの政府の政策決定に大きな影響力を持つ保守系シンクタンクであるヘリテージ財団が、地震後24時間を待たずしてアメリカ政府へと提案した内容は、公営住宅建築計画を取りやめ、非課税の企業地区を設置し、最低賃金に関する条項を取り除くというものであったのである。この提言は、「再建」を前面に出しているものの、ハイチ国内での雇用創出よりも、外部委託先のアメリカ企業の雇用及び利益創出が見込まれる内容であった。なぜかこの発表はすぐに取り下げられた。
揺れる現状
2011年、アメリカ、フランス、カナダによる拠出金で賄われた選挙で16.7%という低得票率にて大統領に選出されたのが歌手のミシェル・マーテリーだ。横領にマネーロンダリング(資金洗浄)と、就任後の不穏な話題が絶えない 人物だった。例えば、ベネズエラは、2008年から石油供給を通じてハイチの金銭的支援(ペテロ・カリベ基金(※2))を行っていたが、マーテリーの政権下にてその資金の大部分は行方不明となっている。マーテリーの後任である現大統領ジョブネル・モイーズもまた、着服していたようだ。8年間で約20憶ドルもの資金が横領されたという報告もある。

ペテロ・カリベに関するデモ(写真:Medyalokal /Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0])
しかしながらついにベネズエラ(※3)の経済は限界に達し(詳しくはこちらの記事を参照してほしい)、2017年ペテロ・カリベが機能しなくなる。ハイチへのその影響は、やはり尋常ではなく、石油の供給量不足や電気不足、極端なインフレーションを引き起こした。状況を打開しようと同年7月には、国際通貨基金(IMF: International Monetary Fund)による指示の下で灯油の51%の値上げを含んだ燃料価格の引き上げが検討されていたが、それに反発した市民によってデモが勃発した。その動きは拡大し、大衆とともに立ち上がった首相が大統領と対立、辞任に追い込まれる事態にまで至った。また、アメリカと肩を並べ、恩人のベネズエラ現大統領マドゥロ政権の承認取り消しの声明を発表したことも国民を逆なですることとなったようだ。
慌てたのはハイチの現大統領モイーズであった。国民の怒りは収まらず、収入源は絶たれ、情勢の立て直しを図ろうにも資金は底尽きている。ここで話は冒頭へと戻る。困窮を窮めた末の苦肉の策が、本来首相の同意なしにはアクセスできないとされる、ハイチ中央銀行にて管理されていた石油基金の運営金8,000万ドルを大統領の口座へと移転するというものだったのだ。結局この不穏な動きは暴かれることとなり、口座は凍結された上に、傭兵は逮捕されたのだった。しかし、この傭兵たちは法廷にかけられることなくこっそりとアメリカへと帰国したのだった。

ポルトープランスの街頭マーケットでアメリカ米を運ぶ少女(写真:Fred W. Baker III /Wikimedia Commons)
奴隷による初の共和国として独立して以来、皮肉にも他国による軍事的、政治的、経済的な介入によって振り回され続けたハイチ。政情不安に加えて災害にも見舞われ、資金不足を筆頭にあらゆる局面で行き詰まっているかのように見える。この国の将来は一体どうなるのだろうか?
※1 ジャーナリストであるナオミ・クラインによって提唱された概念である「ショックドクトリン」を指す。
※2 ペテロ・カリベとは、主催国ベネズエラ及び加盟国17か国で構成される石油同盟である。この同盟によってベネズエラから、1バレルあたり100ドルと安価での石油供給が可能となっていた。また、石油の現物提供を受けたのち、それらの国内販売利益の一部を国家予算として活用するペテロ・カリベ基金にもハイチは加入している。
※3 ベネズエラは現在、2人の大統領による統治に加え、移民・難民問題で混乱状況にある。詳しくはこちらの記事を参照されたい。
ライター:Yuka Ikeda
グラフィック:Saki Takeuchi
SNSでも発信しています!
フォローはこちらから↓
大国が経済的、政治的、軍事的に水面下でこんなにも圧力をかけていることをこの記事を読むまで知らなかった。
不法資本流出のように、大国が途上国を搾取することで潤う実質的な帝国主義が今も続いていることを改めて思い知った。
歴史的な問題をはじめ、大国からの圧力、自然災害など、ハイチを苦しめる要因がこれほど多くあることを初めて知りました。
簡単に解決できる問題ではなく改善には長い時間を要しそうであり、心が痛くなりました。
何でハイチがフランスに賠償金を払わなければいけないの??
何でアメリカに最低賃金上げるの反対されないといけなの??
軍事政権民主政治大統領まで全部操られて
地震後に制度も利用されて
こんな悲しいひどいことってあるんだ、、と驚きました。
アメリカやフランスといった大国からこれほど干渉を受けている事実を初めてりました。特に、災害を利用して介入を強めたことには衝撃を受けました。さらに、国を良くする立場にある大統領までも国民が苦しんでいる現状にかまわず汚職を行っていて悲しく感じました。問題は複雑ですが、この状況を多くの人に知ってもらうことが改善の一歩につながると思いました。
民間軍事会社の人たちがハイチ中央銀行付近で逮捕された事件について、
かなり詳細で証拠(第1資料)付きの調査報道の長い記事が出ています。
https://cepr.shorthandstories.com/haiti-contractors/index.html
どう見ても極めて怪しい事件ですね・・・
植民地責任論に代表されるように、強国優位の構図は戦争が終結したとされようと、根強く残っているのだと少し意識すれば気づきます。おかしな話に違いないのに、声を上げるべき人や国が声を上げない。このままじゃ何も変わらないと感じます。