2017年10月、一人の人間がおよそ400ドルで売買される映像に、世界中が衝撃を受けた。多くの移民や難民がヨーロッパに向かうための主要な通過点の一つとなっているリビアでは、「奴隷オークション」というものが行われている。必要な労働力をいくらで取引するか話し合う様子は、まるで物を扱うかのようだ。

(写真:Kyle Cope/Public Domain)
脅したり騙したりして拘束した人間を、金銭や利益の授受を伴って輸送、引き渡しし、収受して搾取することを人身売買という。リビアの奴隷売買の例に限らず、想像を絶する劣悪な状況に置かれ、当然のように搾取、虐待されている人々は、世界のほとんど全ての国に存在する。国際労働機関の調査によると、世界では現在でも、約4,030万人 もの人々が過酷な労働を強制されたり、結婚を強いられたりする「現代の奴隷」として売り買いされているという。こうした人間の取引は、国内に限って行われるわけではなく、2018年の国連薬物犯罪事務所の報告によると、人身売買の被害者のおよそ40%は国境を越えて売買されており、事態はグローバルな規模で深刻な状況となっている。こうした大規模な動きを見せる人身売買の現状を、果たして日本の報道は、人々に伝えることができているのだろうか。いくつかのデータを参照しながら見ていきたい。
世界の実態
脆弱な立場にある人々を搾取の目的で取引するのが人身売買であるが、売買の方法や搾取の方法は多岐にわたり、性的搾取、強制労働、臓器売買、こども兵士としての利用、家庭内労働、犯罪強要など様々なタイプがある。その中で、最も多くの被害が報告されているのが、性的搾取である。2018年の国連薬物犯罪事務所の報告によると、2016年に発見された人身売買の中で、性的搾取に分類されるものは全体の59%であるという。性的搾取には、売春の強制や強制結婚、ポルノグラフィーの強要などがあり、売春のような直接的な搾取だけでなく、インターネットチャットを用いて身体を性的対象として利用して金を稼ぐケースも相次いでいる。同報告書によると、性的搾取の被害者のほとんどは女性であり、割合としては、全体の68%が成人女性、26%が女子、成人男性と男子は、それぞれ3%となっている。性的搾取は高所得国、低所得国を問わず深刻で、西ヨーロッパ、日本、オーストラリアなどの先進国でも問題となっており、北アメリカや中央ヨーロッパなどでは、人身売買のうち性的搾取が70%以上を占めており、その中で、移民や難民を搾取するケースも非常に大きな問題となっている。

性的に搾取される女性(イメージ写真)(写真:ACF HHS/Flickr [CC BY-NC 2.0])
さらに、冒頭に紹介したリビアの奴隷貿易は、強制労働に該当するものであるが、これは世界における人身売買の被害全体の34%を占めている。強制労働の被害者の多くは、劣悪な環境下で、極度の低賃金もしくは無報酬で脅迫や暴力におびえながら過酷な労働を強いられる。国連薬物犯罪事務所の報告によると、被害者のうち成人男性が55%を、成人女性が20%、女子が15%、男子が10%を占めているという。地域的には、アフリカ大陸における強制労働の割合が他のタイプに比べて多く、その被害者数は性的搾取のおよそ2倍となっている。こうした国々では、大人だけでなく子供を労働力として扱うことも多く、学校で教育を受ける権利などの基本的権利を著しく奪うものとして、子供の権利条約においてもたびたび言及されている。先進国においても、移民や不法移民を労働力として搾取するケースが多発している。
こうした人身売買は、冒頭でも述べたように世界のいたるところで問題となっているが、一体どのような地域で深刻化しているのだろうか。本記事では、人身売買の長期的な傾向を把握するため、米国国務省が各国の人身売買の深刻さを段階に分けて表したデータ(※2)の平均値をとって、国ごとの傾向を分析した。段階は、段階1、段階2、段階2(監視リスト)、段階3に分けられ、段階が上がるごとに深刻度が高くなる。なお、このデータは2011年から2018年の8年間にわたって記録されたものを用いている。
187か国中、段階1に分類されたのは24%(46か国)、段階2は55.6%(104か国)、段階2(監視リスト)は16.6%(31か国)。そして、段階3に分類された国、すなわち、8年間連続で「最悪の現状」という評価を受けた国は全体の3.2%。赤道ギニア、エリトリア、イラン、北朝鮮、リビア、イエメンの6か国という結果になった。この結果から、段階3や段階2(監視リスト)などの人身売買において深刻な状況にある国は、ある一定の地域に局地的に集まっているわけではなく世界中に散在しているということが分かる。ただし、地域的な傾向として一つ言えるのは、貧困に苦しむ国に被害が集中しているということである。段階3または段階2(監視リスト)に含まれる国37か国のうち、2018年の一人当たりの名目GDPランキングが40位以上の国は33位のクウェートと40位のサウジアラビアの2か国のみであり、その他は、ランキング後位の国がずらりと並ぶ。
このような結果からもわかる通り、人身売買が発生する大きな要因の一つは極度の貧困である。貧困地域では、高い非雇用率が常に問題となるが、職を得られずに路頭に迷う人々は、人身売買業者の格好の餌食となってしまう。生きていくために必死に職を得ようとするあまり、人身売買業者に騙されて強制労働させられたり、売春などの性的産業に従事させられたりしてしまう可能性も拡大するのである。さらに、極度の貧困地帯においては、親が子供を売ることによって生活費を稼がざるを得ないという悲しい状況が存在している。
また、国によっては、法の拘束力が弱まっていたり、犯人を捕らえることができなかったりして、人身売買の横行を看過してしまっている場合も多い。世界的にみると、人身売買の深刻化に伴って、多くの国が包括的な規制による対策をはじめ、ここ数年で人身売買に加担した者に有罪判決を下す件数が増えてきている。しかし、アフリカやアジアの多くの国では、多くの被害者がいることが明白であるにも関わらず、有罪判決が下った件数はいまだに低いままである。これは、ただ単に人身売買の加害者を野放しにしてしまうだけではなく、その国の現状の把握を困難にし、適切な対策をとることができないという問題を引き起こしてしまう危険性を含んでいる。
人身売買の要因は、貧困や未検挙だけではない。武力紛争などの社会不安によって法律等の規律効果がうまく機能しなったり、犯罪に対処する資金が不足したりすると、人身売買の実行者が犯罪を実行しやすい状態となってしまう。特に、性的搾取は、アフリカ、中東や東南アジアなどで起こっているほとんどすべての紛争において問題となっている。武装勢力は、このように人身売買によって恐怖感を与えることで市民をコントロール下に置き、紛争を有利に進めようとする。すなわち人身売買の実行者は、搾取によって実際に利益を得るだけでなく、人身売買の副次的作用を戦略の一つとして利用しているのである。

イエメンの紛争から逃れた国内避難民(写真:Hugh Macleod/Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
日本の報道の現状
では、日本のメディアが報じる人身売買はこのような現状をとらえることができているのだろうか。本記事においては、1989年1月から2018年12月までの読売新聞を調査し、国際面の記事中で人身売買を主な内容として取り上げているものをピックアップした(※2)。特筆すべきは、何といっても、その記事の少なさである。30年間の記事を対象にして、人身売買の内容を扱っているものはたったの109記事、つまり、平均して年に3.6記事程度でしか報じられていないのである。2009年から2018年の10年間で3記事を超えている国は中国とミャンマーのみであるという事実からもわかるように、人身売買の問題自体が日本でほとんど注目されていない。それだけではなく、2009年から2018年の10年間で、米国国務省が定めた人身売買が最も深刻な段階3に8年間連続で含まれた6か国について扱っている記事は、34記事中リビアと北朝鮮の2か国に関するもののみであった。さらに、段階2(監視リスト)の31か国のうち、記事に登場したのは、中国、ロシア、ミャンマー、シリア、マレーシア、ハイチの6か国のみ、段階2は104か国中、イラク、カンボジア、ナイジェリア、インド、バングラデシュ、インドネシア、ベトナムの7か国のみであった。この少ない記事数で世界の人身売買の実態をとらえることはほとんど不可能である。

国連薬物犯罪事務所のラオスでの人身売買反対キャンペーン(写真:Thomas Wanhoff/Flickr [CC BY-SA 2.0])
では、日本における報道では、どのようなタイプの人身売買の被害が報じられているのだろうか。まず、被害者の属性から分析してみたい。1989年から2009年の30年間で成人女性に注目しているものは49.5記事(45.4%)であった。特に、性的搾取に関する記事に占める割合は女性が大きく占めており、性的搾取のみを扱う記事36記事中、女性に関するものは27記事あった。前述したように、世界における人身売買の実に59%が性的搾取であり、そのほとんどは女性の被害であるから、女性の性的搾取を扱う記事が半数近くあるという点では、人身売買のタイプの傾向をとらえられているということもできる。ただし、あくまでも極めて少ない記事の中での傾向に過ぎないので、必ずしも日本の報道が現状を伝えきれているということにはならない。例えば、イエメンでは、移民・難民を含む多くの女性が性的産業に従事させられていることが報告されているが、にもかかわらず、そのことに関する報道は一つも目にすることはできなかった。
記事数として、成人女性の次に多かったのは子供について報じているものであり、34.5記事(31.7%)あった。2000年代からは、児童ポルノによる子供の被害も報じられるようになり、関連する世界会議の内容も報じられた。2014年には、西洋式の教育に反対するナイジェリアの過激派組織、「ボコ・ハラム」による女子生徒誘拐事件が報じられ、犯行グループが少女たちの売買を宣言するなど、教育を受ける権利や宗教の自由が著しく侵害されている現状がそれなりに報道されていたことが分かる。
さらに最近では、移民・難民における人身売買を主に取り扱った記事も増えてきており、1989年~2008年までの20年間では1記事しかなかったが、2009年~2018年の10年間で急に記事数が増加し、9記事になっている。中でもミャンマーからバングラデッシュに逃れたロヒンギャ難民への関心の高まりに乗じた関連記事が多く、多数の国が問題に関与していること、そしてその解決に向けて相互協力のもと、包括的な解決を図ろうとしていることなどを記事から読み取ることができた。ただし、主にサハラ以南のアフリカからヨーロッパへ向かう移民や難民の中継地となっているアルジェリア、ニジェール、スーダンなどにおける、移民や難民の社会的に不安定な立場を利用した搾取は、全くもって報道されていない。この事例は一例にすぎず、日本の報道に見過ごされている現状は山ほど存在しているのだ。

ミャンマー移民労働者が働くエビ加工工場(写真:ILO Asia-Pacific/Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
ここまで、世界の人身売買の深刻な現状と日本の報道の状況を見てきた。人身売買は、何も特別な大事件としてではなく、市民レベルで蔓延し、貧困や紛争などのあらゆる悪条件に普遍的に根付いている問題である。今この瞬間も、人身売買の被害に苦しみ、搾取され続けている人が大勢いる。しかし、このような深刻な状況に反して、人身売買に関する情報に触れる機会そのものが極めて少ないのが、今の日本の現状だ。今日の膨大な数のニュースの中には、見過ごしてはならない多くの悲惨な現状が埋もれてしまっている。今一度報道の在り方を見直すべき時に来ているのではないだろうか。
※1 米国国務省内の人身売買を担当する部署が定めた最低基準を完全に満たす国は段階1に、続いて、最低基準を完全に満たしてはいないが、基準の順守のために努力を重ねている国は段階2に分類される。さらに、先ほどの段階2の基準に加えて、「人身売買の実態が非常に深刻でなおかつ被害数が増えている」、「前年に基準順守に努めていることを実際に証明することができていない」、または「基準順守を予定しているだけであって、まだ実行に移していない」場合、その国は、特別な監視が必要な段階2(監視リスト)に分類される。そして、最低基準を満たしていない上に改善努力も行っていない国は、人身売買における事態が最も深刻な国として段階3に分類される。
※2 それぞれの記事を平等に計数するため、一つの記事で二つのテーマや国を扱っている場合、それぞれ0.5記事として計数する。例えば、一つの記事が女性と子供のことを報じている場合、女性に関する記事0.5記事、子供に関する記事0.5記事としている。
ライター:Akane Kusaba
グラフィック:Yow Shuning
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ここまで報道されていないとは思いませんでした。
やっぱりここでも貧困が関わってくるんですね・・
人身売買は過去の世界が残した遺物だと思っていました。びっくりです。日本にいると世界はみんな平和でなんだかんだうまくいっているという誤解をしてしまうけれど、その原因を歪んだ報道が負う部分は大きいと思います。
ヨーロッパへ移民する手段として周辺国からの人身売買や密輸が現在も行われていると聞きました。EUが国境管理やパスポートチェックを厳しくすればするほど、密輸業者の必要性が高まり彼らが経済的にも潤い、逆に移民する人たちが経済的にも精神的にもますます弱い立場に置かれるということもあるようです。もっと報道されてほしい問題ですね。