2020年2月トルコ政府は、トルコ軍の軍人複数名がリビア反政府勢力との戦いで命を落としたと発表した。この反政府勢力は外国からの軍事支援を受け、首都トリポリを脅かす存在となっている。
リビアは2011年のムアンマル・カダフィ(Muammar Gaddafi)長期独裁政権崩壊後、混乱の中にある。混乱を長引かせているのは誰なのか?それぞれのアクターの思惑はなんなのか?紛争から見えてくる、リビアの複雑な歴史と現状を紐解いてみたい。

不発弾と爆弾の瓦礫の数々(写真:United Nations Development Programme / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
歴史的背景
リビアは北アフリカに位置し、637万人あまりの人口は、アラブ、ベルベル、テブといった多様な民族から構成されている。さらに人口の12% は隣国などからの移住労働者が占める。人口は2千kmにも及ぶ地中海沿岸部の大都市、首都トリポリ、ミスラータ、ベンガジなどに集中している。その広い港湾部分が海へのアクセスを容易にしたことからも、リビアは歴史的にもアフリカとヨーロッパの交易の拠点となってきた。さらに、スルト地域にはアフリカ最大量の石油が埋蔵され、アフリカ第4位の天然ガス埋蔵量も持つなど天然資源にも恵まれている。
リビアは16世紀、オスマン帝国下によって、3つの地域(トリポリタニア、キレナイカ、フェザーン)からなる一国であると制度的に定められた。19世紀に入りヨーロッパ諸国がアフリカ大陸へ勢力を拡大し、それまで隊商交易と牧畜によって支えられていたリビアの経済状況は一変した。アフリカの貿易の拠点がリビアからヨーロッパ諸国がコントロールするギニア湾へと移されたことに加え、鉄道建設の推進は隊商交易の数を減らす要因になった。さらに、植民地の拡大は牧畜にも影響を与えるようになっていった。このような状況は20世紀に入りさらに悪化していくこととなる。20世紀前半にイタリアがリビアへ入植すると、リビアの人々による農業や他の経済活動は打撃を受け、貧困状況は劇的に悪化していった。
その後1951年の独立で立憲君主制のリビア連合王国が誕生し、イドリス(Idriss)が国王に即位した。しかし、リビアは外国資本を得るための産業や、自国のみで十分な経済循環を生み出す基盤がなかったため、リビアの独立を助けたアメリカとイギリスに経済的、軍事的に頼るようになっていった。1950年代中頃に大きな油田が発見され、多額の外国資本がリビアへと流入するようになったものの、これらの資本は腐敗した政府と外国資本の石油会社を潤すだけにとどまり、多くの国民へと還元されることはなかった。この石油産業の活性化は地方の産業に従事していた人材が都市に大量に流入するきっかけとなったばかりでなく、アラブ地域から高い教育を受けた技術者の移民も増加させた。移民の増加に伴い、市民の間に「アラブの国」としてのアイデンティティが芽生えるようになっていった。1967年の6日戦争(※1)は、ヨーロッパ寄りの立場をとる政府と汎アラブ主義に基づいたナショナリズムの間に社会的な亀裂を生じさせ、社会の不安定になる要因を作り出した。この亀裂が1969年のカダフィ大佐率いる軍事クーデターへと発展することとなる。クーデターは、「ヨーロッパの影響から国家の自立を取り戻す」という多くの人の願望に後押しされていた。
カダフィ大佐による統治は当初、リビアの政治的自立を取り戻すことに注力していた。しかし、油田を外国企業から押収するなどの政治的独立のプロセスで、リビアの石油によって自国企業が莫大な利益を得ているアメリカとイギリスは徐々に不満を募らせていく。さらに外国の軍事施設の撤収命令などもリビアとアメリカ、イギリスの対立を深めていく要素となっていった。1970年代の経済危機後、アラブ社会主義的な経済政策が導入されるようになったことを起点として、カダフィ大佐による統治は権威主義的なものへとシフトしていく。
1980年代に入るとリビアとその隣国、さらに欧米諸国の間との対立は激化していく。1988年、スコットランド・ロッカービー上空で民間旅客機(パンアメリカン航空103便)が爆破された事件で欧米諸国はリビアを激しく非難し、経済制裁を強めた。これによってリビアはますます世界的に孤立していくこととなる。経済制裁に加えて2000年代に入ってからの石油価格の世界的な暴落がリビアの経済を圧迫した結果、リビアは欧米諸国との国交正常化をするに至った。経済の自由化は外国企業からの投資を急増させ、リビアと欧米諸国の間で移民管理や対テロ諜報活動といった面での協力関係が築かれていくようになる。
「アラブの春」と武力紛争
2011年、北アフリカと中東を中心に「アラブの春」が広がり、政権に対する反対運動や社会不安の波が広がっていった。この波はリビアにも例外なく広がり、カダフィ政権に対する反対運動は2月に本格的に始まった。当初、カダフィ政権はこの運動を厳しく弾圧していたが後に武力紛争へと発展した。その翌月、アフリカ連合(AU)の反対を押し切った北大西洋条約機構(NATO)は軍事介入し、カダフィ政権は崩壊した。逃亡したカダフィ氏は2011年10月21日に殺害された。国を率いる組織や人物も定まらないうちにカダフィ政権が短期間で倒されたことはリビアに大きな混乱を生み、今日まで続く不安定状況や武力紛争の原因になっている。
紛争の最中に国民評議会(National Transitional Council:NTC)は「暫定政権」として立ち上げられた。国際機関からの支援を受けて「反カダフィ」を掲げた運動を行い、これがのちに民主化を求める基礎となった。しかし、リビアが非常に複雑な背景を持った国家であること、国際機関からの支援がなくなったことによって国民評議会は不安定な状況へと追い込まれることとなる。異なる民族グループ、クラン(氏族)、コミュニティなどそれぞれの自治権の下に多くの武力勢力が組織され、カダフィ打倒に向けて動いていた。政権崩壊後はこれらの勢力を統合しようとする動きもあったがこれは失敗している。複数の対立する武力勢力が乱立する不安定な状況は、砂漠にある軍用庫から軍用武器が大量に略奪されるなどの事件によってさらに拡大していくこととなる。

反政府勢力の戦車の周りに集まる市民たち、アジュダービヤー、2011年3月(写真:Al Jazeera English / Flickr [CC BY-SA 2.0])
首都が含まれるトリポリタニア地域は反カダフィと親カダフィそれぞれの勢力が最も激しく衝突し、リビアにおけるアラブの春の中心地であった。カダフィ氏が殺害されると、反・新カダフィ内の細分化した勢力は地域やクランの利害をもとに衝突し始めた。他方でリビアの東部に位置するキレナイカ地域は歴史的にカダフィ政権に対して敵対的な姿勢をとり続けていたこともあり、政権崩壊後も比較的安定した自治が行われていた。南西地域のフェザーンは、これよりもだいぶ後になってから民族的に組織された集団を基盤とした蜂起が起こり始める。さらに、カダフィ政権下で抑圧を受けていたイスラム系勢力の多くにとってもカダフィ氏の死亡は転機となった。
このような紛争状況下で国民評議会は2012年7月に選挙を実施する。この選挙は、憲法の草案と国会制度の基盤作りを目的とする国民全体会議(General National Congress:GNC)を構成することだった。しかし国民全体会議はその任期を過ぎても解散せず、2014年7月に議会(House of Representative:HOR)選挙の準備を始める。選挙は投票者が非常に少ないまま行われ、リベラルで世俗主義の勢力が勝利を収めた。この結果に不満を募らせたイスラム系勢力は選挙の結果に対抗し、「リビアの夜明け」(Libya Dawn)として知られる連合勢力とともに攻撃を仕掛けた。この攻撃によって2014年8月、世俗派議会は首都トリポリからリビア東部の都市トブルクへと追われ、イスラム系の勢力がトリポリを占領することとなる。
紛争の第二段階とハフタル氏の台頭
トブルクへ追いやられた議会はトブルク政府を立ち上げ、トリポリでは保守的でイスラム系のアジェンダを掲げるトリポリ政府が設立されリビアを取り巻く状況は二極化していった。トブルク政府がリビア国民軍(Libyan National Army:LNA)を率いるハリファ・ハフタル(Khalifa Haftar)氏と組みトリポリ政権に対して軍事的な攻撃を開始する。ハフタル氏は1987年にリビア軍からアメリカに亡命した大佐であった。トブルク政府が首都を追われたことによる混乱の際に、中心的な役割を果たした人物である。

ハリファ・ハフタル氏(写真:France24 / Wikimedia [CC BY-SA 4.0])
こんな中で、IS(イスラム国)やアンサール・アリ=シャーリアなどのイスラム系グループがスルト、ベンガジそれぞれの地域を占領するなどさらなる混乱を招く要因ともなった。ISとアンサール・アリ=シャーリアによる国土の占領を受けてハフタル氏は、トリポリ政府を支持する「リビアの夜明け」を含むすべてのイスラム系勢力を全滅させることを誓う。
2015年に入り、国連の仲介を通じてトリポリ政府とトブルク政府が歩み寄り、12月17日に国家統一政府(Government of National Accord:GNA)の樹立が合意された。この合意では国家統一政府の首相をファイズ・サラージ(Fayez al-Sarraj)氏が務めることが決定し、国連に承認を得る。しかし、国内では必ずしも合意を得られているわけではなかった。トリポリ政府は「リビアの夜明け」連合軍を中心に国家統一政府に対して賛成派と反対派に分裂し、トブルク政府は2016年8月に国家統一政府の承認に反対票を投じた。2017年から2019年にかけてトブルク政府と国家統一政府の間で和平に向けた話し合いの場が複数回設けられたものの、合意に至ることはなかった。
その頃、紛争地ではハフタル氏のLNAが西に向けて侵攻を継続し、ISによって占領された領土やトリポリ政府下の領土の奪還を続けていた。2019年1月、ハフタル氏は軍事キャンペーンを打ち出し、リビア西側地域へと支配を拡大させることを主張した。なぜ、リビア西側への勢力拡大が重要になるのだろうか。背景には、石油などの天然資源が豊富な西側へと勢力を拡大することで、活動資金拡大や軍事予算拡大したいというハフタル氏の思惑があった。2019年4月国連事務総長がリビア首都のトリポリを訪問するのに合わせて、ハフタル氏はトリポリ奪還作戦を開始する。作戦は失敗したもののそれ以降、トリポリは包囲され続けている。
世界とリビア
リビアの国内情勢は複雑だが、この紛争は決して「内戦」ではない。国際的にもハフタル氏を支持する側と国家統一政府を支持する側がはっきりと分かれている。国際的な支持が二つの勢力それぞれに分かれている背景には、政治的イスラム、特にムスリム同胞団の存在がひとつの鍵となっている。ムスリム同胞団は北アフリカと中東を中心に、シャーリア法に則った国家建設を目指すイデオロギー運動を展開する。カダフィ政権下で激しく抑圧されてきたムスリム同胞団は、カダフィ政権崩壊とその後樹立されたトリポリ政府を支持する立場を取っている(※2)。
アラブ首長国連邦(UAE)やエジプト、サウジアラビアの政治主導者たちは政治的イスラムの存在を国の権威主義を脅かす存在としてみなしているため、これらの国はトブルク政権とハフタル氏を支持する姿勢を見せている。UAEやエジプトは国家統一政府に対する爆撃やハフタル氏への武器の供給などを行い、さらにUAEはスーダン出身の傭兵の訓練を行っているという疑いもある。ロシアもハフタル氏をサポートするアクターの一つである。ロシアの地位を確立するために経済的、軍事的支援をトブルク政府に対して行っている。具体的には経済的支援としてリビアの通貨ディナールを発行したり、軍事的には民間軍事会社、航空会社を通じた支援を行ったりしている。
一方で、現政府がイスラム的政治を推進するトルコはサラージ政権、つまり国家統一政府を支持する。トルコは大量の軍事装備を国家統一政府に販売するだけでなく、トリポリの守備を固めるために2020年1月に軍隊を配備し始めた。トルコによるこのような大胆な介入の背景にはリビア・トルコ間の領海線を巡り国家統一政府と友好的な関係を築きたいという思惑がある。この領海に埋蔵される天然ガスへのアクセスを担保したいトルコにとって国家統一政府との関係性は重要である。さらにイスタンブールとアンカラで現政権の政党が選挙に敗北したこともあり、国外政治への介入によって権力を示したいという政権の思惑も見え隠れする。既述のようにムスリム同胞団とも近い関係を維持する国家統一政府は、ムスリム同胞団の活動を世界的に支援しているカタールからも経済的、軍事的支援を受けている。

リビア問題について協議する首脳達、ベルリン、2020年(写真:President of Russia [CC BY 4.0])
欧米の動きはどうだろうか。フランスはハフタル氏を支持するような態度をとるが、公式には国連に承認されている国家統一政府をサポートする立場を取っている。アメリカも公式には国家統一政府を支持している一方で、ドナルド・トランプ大統領は一時ハフタル氏を支持するような言動もするなど、その態度は曖昧である。
リビアを取り巻く国外のアクターの動きは軍事的介入をはじめとする「流入」する動きと合わせて人やモノの「流出」する動きも作り出した。国家の崩壊とともに港湾の適切な管理が滞り、リビアは移民、人身売買、密輸のハブへとなっていった。国家の破綻に伴い管理されていない国土を複数の民兵グループが管理するようになったことは、移民にとって国境を越えるチャンスを広げた一方、暴力や人権侵害の問題を引き起こしている。密輸や人身売買を行う業者、そして国家統一政府の中枢人物たちは、アフリカ諸国からリビアを経由してヨーロッパを目指す移民をリビア国内に引き留めることで安い労働者として搾取している。
モノの移動では、中南米からの違法薬物がリビアを経由してヨーロッパ諸国へと入り込んでいる。さらに、リビアは違法な武器売買、違法タバコの取引のハブにもなっている。これらの違法性のある取引の数々は北アフリカ、西アフリカの武力紛争の資金源となったり、武器の供給ルートとして紛争を長引かせている。さらに石油の密輸も問題となっている。

カダフィ政権崩壊の1周年を祝う軍事パレード(写真:United Nations [CC BY-NC-ND 2.0])
2020年1月、サラージ首相とハフタル氏、そして中東、欧米の関係諸国および国連、アフリカ連合は一堂にドイツ、ベルリンに会した。その後、2月のジュネーブでの平和会合で、国家統一政府とトブルク政府の間では停戦合意が結ばれた。この停戦合意は長く続いたリビアの紛争の和解に向けた小さな一歩となるはずだった。しかし、この努力は直後の武力衝突の再開によって水泡に帰すこととなった。国家統一政府の軍隊はトルコの支援を受けさらに強化され、国連安全保障理事会の武器禁輸措置に違反するハフタル派もその軍事力を確固たるものへとしている。リビア紛争終結への鍵は、国家統一政府とトブルク政府、そしてそれぞれを支持するアクターたちがリビアに紛争終結をもたらすのは武力ではないと気がつくことなのかもしれない。
※1 イスラエルがエジプト、ヨルダン、シリアとの間で行った戦争。
※2 ムスリム同胞団の動きは他のアラブの春とも連動していた。例えばエジプトでは民主選挙が行われる前の短い期間ではあるが、ムスリム同胞団が実権を握ったこともある。
ライター: Vipin Kumar
翻訳: Azusa Iwane
グラフィック: Yow Shuning, Saki Takeuchi
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