2022年12月8日から、前大統領であるホセ・ペドロ・カスティージョ・テロネス氏(以下、カスティージョ氏)が議会に弾劾され、警察に拘束されたことをきっかけとして、ペルーで全国的なデモが起こっている。デモ参加者はカスティージョ氏の釈放と大統領を決めるための再選挙について強く求めている中、アムネスティインターナショナルによれば、2023年2月時点でデモに関連する死者は少なくとも60人であり、政府の暴力的な取締りは人道的に問題だと非難している。
今回デモが起こった背景には、今回の前大統領の逮捕だけでなく、ペルーの社会的・政治的問題が潜んでいる。本記事ではその背景についてより詳しく見ていきたい。

首都でのデモ行進の様子(写真:Mayimbú / Wikimedia [CC BY-SA 4.0])
ペルーの政治体制
まず、今までのペルーの政治的な歴史を見ていく。ペルーは中南米に位置する、人口約3,300万人の国である。1万年以上前から文明があったとされ、多数の文明が興亡する中、11世紀にはそれまでにない巨大な帝国、インカ帝国が成立する。1500年までに、インカ帝国は他の文明を吸収しつつ、北は現在のエクアドル、南は現在のチリの首都であるサンティアゴまで勢力を拡大していた。
しかし、1532年にスペインからやってきた侵攻勢力によってインカ帝国は征服される。スペインはこの地域を植民地化し、多くの入植者が移り住んだ。現在のペルーに住んでいた先住民は国外から持ち込まれた病原菌によって人口が激減した。1821年にスペインから独立するも、少数のスペイン系エリートによって支配される政治的・経済的構造は変化しなかったため、依然として先住民族が抑圧され続けた。また、政府内での勢力は統一されず、独立以後も、独立運動で力を持った元軍人や経済エリートである保守派といった勢力が対立するなど政情不安が続いた。そんな中、1840年代ごろから、グアノと呼ばれる、肥料や火薬の原料の開発を進めたことで近代化が始まるなど経済的に成長する側面も見せた。
1879年から鉱物資源を巡って隣国チリと武力紛争が起こった。この紛争によってペルーは鉱物資源の豊かなタラパカ県の領有権を失ったことで、経済的な基盤を大きく失う。これを受けて政府は国家の再建のため、20世紀初めにはアメリカの資本によって公共事業などを行い、財政支出を拡大した。また同時期にはアメリカの国際石油会社がペルー国内の油田を獲得するなど、1908年から1930年代ごろまで、ペルー政権は外国投資への依存を強め、独裁的な政治体制を築いた。この頃からペルーは国内の石油、銅、ゴムといった生産物を輸出する経済構造で経済成長を進めていた。

ペルー国内の亜鉛・銀・鉛の鉱山(写真:SkyTruth(Google Earth画像) / Flickr [CC BY-NC-SA 2.0])
経済が拡大する中、都市部と農村部の格差は縮まることがなかった。入植者の子孫であるエリートがプランテーションで先住民を農奴として強制労働させていた構図は変わらず、先住民や農民は教育や保健医療へのアクセスが困難であった。1969年、当時の左派政権が土地の再分配を行う農地改革や、校舎を創設したコミュニティに政府から教師を派遣する法律を打ち立てるなどの政策を行ったが、先住民の権利保障や農村部でのインフラは充分でなかった。また非識字者の投票権が認められたのは農地改革の10年後であり、それまで識字が普及していなかった先住民や農民は選挙から排除されていた。
また1980年代に大統領となったフェルナンド・べラウンド・テリー氏は新自由主義政策を推し進めたが、エルニーニョ現象(※1)といった自然災害による漁業生産の低下、世界規模での物価の下落といった問題により、ペルー国内での経済状況が悪化した。これによって失業率が上昇するなど、市民の生活に打撃を与え、貧困層はますます苦しい生活を強いられることになった。このような社会的不満に乗じて、農村部では「センデロ・ルミノソ(ペルー共産党)」と呼ばれる反政府勢力が出現した。彼らは暗殺やテロ行為などを繰り広げ、ペルー国内は混乱に陥る。
1990年代に大統領として選出されたアルベルト・ケンヤ・フジモリ・イノモト氏(以下、フジモリ氏)は緊縮財政といった政策を打ち立てた一方、1992年に議会を解散し、憲法を解散するなどして、強固な独裁政権を築いた。およそ10年間続いたこの体制では、「テロ容疑」とみなされた人は無差別に虐殺される事例が発生しており、その指示をフジモリ氏が行なっていたとして、2009年には25年の禁錮刑を言い渡されている。
フジモリ氏が辞任した後も、2016年から2022年の6年間で7人の大統領を輩出するなど、ペルーの政治的不安定は続いた。
カスティージョ政権
2021年7月の選挙で勝利し、大統領となったカスティージョ氏は、ペルーの政治史から見て異例の存在である。彼は1956年以降、都市部リマの生まれではない2人目の大統領であり、農民出身としては歴史上初めてである。それまで大統領職は入植者の先祖などのエリート層出身がほとんどであり、農村に住む先住民族などの人々は経済的・政治的に排除されてきた歴史がある。現在においても、多くの農村は貧困状態にあり、基本的なインフラである病院や学校などの施設が十分でないことが多い。そのような現状に対して、カスティージョ氏は数十年ぶりの左派政権として、極度の貧困状態が続く農村部と都市の格差を是正するため、保健や教育といった社会保障への支出拡大を公約したことで農村コミュニティから多くの支持を受けた。

演説するカスティージョ氏(写真:OEA-OAS / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
また、カスティージョ氏は、ペルーの鉱物資源に関する政策においても変化をもたらす姿勢を示した。鉱物資源に頼ってきたペルー経済において、現在でも鉱物資源は大きな影響を持っているが、その利益の大半が外資企業に流れている。世界の3大鉱業会社であるBHPグループ、リオ・ティント、グレンコアといった企業や、石油会社のシェルといった企業もペルーの鉱山事業において多額の出資をおこなっている。このような外資企業に対して、その利益をペルーに還元するよう主張したのはカスティージョ氏であった。彼は外資企業がペルーを「略奪」しており、国内の天然資源による利益の大部分をペルーのために利用できることを重要視していた。そのために国内のガスインフラ整備や内需拡大を通して国内産業を育成することを計画していた。
しかし、就任当時、彼を支持する議員は議会で約3分の1ほどであり、その他はエリートで保守派の右翼が占めていた(※2)。これらの議員がカスティージョ氏の政策を積極的に阻止してきた側面があり、上に挙げたような政策は実行に移すことが難しかった。さらに議会はカスティージョ氏を汚職容疑にかけ、2023年2月時点で6つの汚職捜査を進めていた。カスティージョ氏は自身の汚職疑惑を否定し、検察庁といった国家機関を支配しているのは右翼勢力であり、自分は常に攻撃されてきたと主張していた。彼は就任以来、1年間で過去2度の議会からの弾劾を乗り越え、4回の内閣変革を強いられた。その他にエリート層を代弁するとされる主流メディアの中傷キャンペーンを通じて右派から政治的圧力があったと言われている。
しかし、この政権の不安定は阻止する勢力があったからだけではない。カスティージョ氏が大統領になるまで政治経験がなかったこともひとつの要因とも考えられている。例えば、カスティージョ氏は選挙時の公約として掲げた鉱物産業の国有化と憲法改正のための国民会議などを要請していた。しかし彼の政策には妥協の姿勢が見えず、政治的基盤を固めることができないまま、大きな変化をもたらす政策の導入を試みていた。

式典に参加するカスティージョ氏(中央)(写真:Ministerio de Defensa del Perú / Flickr [CC BY 2.0])
「クーデター」の発生、そしてデモへ
2022年12月1日、ペルー議会はカスティージョ氏に対する複数の汚職疑惑によって3回目となる弾劾への手続きを進めた。この試みは過去2回、必要な票が足りなかったことで失敗しており、今回に関しても失敗の色が濃厚だとされていた。しかしこの動きに対抗して、カスティージョ氏は国民へのテレビメッセージにおいて、一時的に議会を閉鎖し、新憲法を創設するための臨時政府を設置することを宣言した(※3)ことで事態が大きく変わった。内閣の大臣は彼の動きに追随することなく発表直後にほぼ全員が辞職し、カスティージョ氏の決定を非難した。1992年にフジモリ氏が行なった議会の解散は彼の独裁政権のきっかけとなった事例もあり、憲法裁判所はカスティージョ氏の「クーデター」を防いだと主張した。同様にペルー国内の司法機関や軍も、この決定は憲法違反であるとしている。
議会は「永久的な道徳無能力」を理由とし、議員の3分の2が賛成に票を投じた場合、大統領を罷免できるというペルー憲法第113条を根拠に、2022年12月8日にカスティージョ氏を罷免し、司法機関は彼を「反乱罪」で起訴したことで、警察はカスティージョ氏の逮捕に踏み切ろうとした。この議会の決定を受けてカスティージョ氏はメキシコ大使館に亡命を求めたものの、その道中で警察に拘束され、裁判手続きを経ることなく投獄に至った。またカスティージョ氏の2026年までの任期を全うするために副大統領であったディナ・エルシリア・ボルアルテ・ゼガラ氏(以下、ボルアルテ氏)を大統領に就任させ、議会は新たな内閣を発足させたが、この流れは民主的な選挙の手続きを取っておらず、全て議会内で決められたものである。

大統領となったボルアルテ氏(写真:Presidencia Perú / Flickr [CC BY-NC-SA 2.0])
このような動きに対して、ペルー国内の多くの人々は、カスティージョ氏を全面的に支持し、全国で抗議デモを起こした。彼らは、カスティージョ氏が議会の「クーデター」による被害者であると主張し、ボルアルテ氏の辞任と早期選挙の実施を求め、国の主要道路を封鎖し、リマ市で行進をするなどの抗議運動を行なった。
しかし、デモ隊に対する政府の抑圧は激しく、2022年、カスティージョ氏が罷免されてから3週間で、デモ関連での負傷者は500人、死亡者は26人と報告された。デモ参加者や時にはデモに無関係な市民への攻撃が報告されており、すでにボルアルテ氏が発足した内閣からは「同胞の死を正当化できない」として2人の大臣が辞任するなど、一連の政府の対応に対して波紋を呼んでいる。ボルアルテ氏は就任後から4日で一部の地域に非常事態宣言を行ったものの、デモの勢いは収まることなく、その後全国に非常事態を宣言することになった。
その一方で、ボルアルテ氏は抗議を活発に行う国民に対して休戦を呼びかけ、ペルー国内の平和を主張した。またデモ参加者の早期選挙の要望に対して、ボルアルテ氏はカスティージョ氏が本来全うする予定の任期を2年短縮することを妥協案として提案している。
ペルーを取り巻く周囲の反応
以上のようなペルーの政情に対して、各国の反応は分かれる。近隣のラテンアメリカ諸国は、メキシコ、コロンビア、アルゼンチンなど少なくとも14カ国がカスティージョ氏を支持し、現政権の承認さえ拒否している。さらにメキシコ、アルゼンチン、コロンビア、ボリビアの4カ国はカスティージョ氏を支持する共同声明において「カスティージョ氏が大統領に就任した日から議会によって反民主的な嫌がらせを受けていた」といったことを記載している。実際、カスティージョ政権で出席しなければならない国際的な会議について、カスティージョ氏の出席をペルー議会が拒否する事件も過去にあった。このようにペルー議会とカスティージョ氏の対立は国際的な立場においても明確であった。
このラテンアメリカ諸国の動きは、地域内での右派政権、左派政権の対立が背景にあるとされる。ラテンアメリカにおける右派政権は主に親米政権であり、新自由主義的な政策が多い一方、左派政権は反帝国主義(※3)を掲げ、社会福祉拡大のための政策を打ち出すことが多い。このような左派政権が増加する傾向は「ピンクタイド」(※4)と呼ばれており、2022年頃からこのような傾向が新たに見られている。今回カスティージョ氏を支持した国々は、右派・左派の対立が揺れ動く中南米において、左派政権の連携を主張する意義を持っていたのかもしれない。
一方で、現政権を支持している国として挙げられるのは、アメリカである。カスティージョ氏の議会解散を宣言したことを受けて、ペルーの米国大使であるリサ・ケンナ氏もカスティージョ氏の行為は憲法違反であり、アメリカはこのような行為を断固拒否するといった趣旨のツイートを行っている。またペルーでの政権交代が行われた直後に、アメリカ国務省は、ボルアルテ政権への支持を即座に表明した。
このようなアメリカの動きについてアメリカの思惑を主張する声もある。ケンナ氏は中央情報局(CIA)出身であり、かつ、カスティージョ氏逮捕の前日、ペルーの国防相と会談したことが報告されている。その国防相は会談の翌日に、大統領であるカスティージョ氏への反抗を軍に命令した人物である。このことからペルーの政権転覆に対してアメリカの関与を仄めかす声がある。

ペルー米国大使とペルー国防相の会談をツイートするペルー国防省(写真:Maika Ito)
ボルアルテ政権に移行後も、ケンナ氏は、現政権のトップ官僚と会談を定期的におこなっており、2023年1月18日にはペルーのエネルギーに関する投資や、産業開発拡大についてペルーのエネルギー鉱業大臣らと話し合ったと発表されている。鉱業事業を国営化しようとしていたカスティージョ氏とは異なり、国外からの投資を積極的に受け入れようとする現政権は、ペルー国内の資源へのアクセスを拡大したいアメリカと利害が一致しているとされる。
今後の展望
2023年3月現在、デモ活動は依然として続いてはいるものの、縮小しつつある。例えば、デモ参加者が封鎖していた道路が解除されたことで、停滞傾向にあったペルー国内の銅の輸出は正常化する見通しである。その一方で、ペルーの検察長官がボルアルテ氏に対して、デモ参加者の死に至る取り締まりについての聞き取り調査を行ったことを公表した。現政権の数名のメンバーが、殺人罪で起訴することを検討していると報告されているため、ボルアルテ氏が召喚されたのである。彼女は記者団に対して何もコメントを残さなかった。このような政権に対して、ペルー研究所(IEP)の調査では回答者の75%がボルアルテ氏を支持しておらず、また議会については90%が支持していないという調査結果が報告されている。以上から、ボルアルテ政権が必ずしも安定傾向にあるとは言い難い。
今回の「クーデター」の背景にある農村と都市部の格差や、右翼が国家機関を支配する政治的システムについて問題視する声も多い。しかし、ペルー国内の限られたエリート層が妥協し、権力を譲らない限りは本質的な解決はできないのかもしれない。そのような姿勢をペルー政府が身につけるかどうかに注目しながら、ペルーの行く末を引き続き見守っていく必要がある。
※1 エルニーニョ現象とは、通常冷水海域の海面水温が、赤道方面から暖かい海水が流れ込むことによって、平年より高くなる現象である。
※2 また、10以上の政党が存在するペルー議会では、政党の力が軽視されやすく、強力な支持基盤を作るのが難しいという政治的なシステム上の問題もあった
※3 カスティージョ氏によれば、この動きは、議会に2回信任を拒否された際に、議会を解散することができるというペルー憲法第134条に基づいて行われたものと主張しているが、この行為は憲法の条件を満たしていないと幅広く見られている。
※4 反帝国主義とは、他国を自国のために政治的・経済的に利用する帝国主義に抗うことである。文中の反帝国主義は、アメリカによるラテンアメリカへの介入に対しての反対運動を意味する
※5 「ピンクタイド:もともと共産主義が広がるという意味である赤潮(レッドタイド)という現象があった。それに対し、中南米で発生した左派政権への移行は共産主義までには達しない程度に社会主義的な政権が誕生したことから、少し共産主義の度合いが低いという意味で、赤色より色の薄いピンクを使ってピンクタイドと言われている。」
ライター:Maika Ito
グラフィック:Yudai Sekiguchi