普段目にしている報道から、私たちはどれほど世界を理解できているのだろうか?以前GNVに掲載した記事の通り、グローバル化が進み、国と国との境目が曖昧になってきている今、地球の裏側で起きていることが自分とは関係ないと言い切るのは難しくなってきている。インターネットの普及により、ビジネスでも日常生活でも一瞬で世界中の人たちとつながることできるようになった。このことからも、国際報道によって世界の現状を知る必要性が非常に高まっている。同時に、国民の関心を醸成しているのはマスコミが発信している情報であるということも言える。自国中心主義のレンズを通した世界は、現実の世界とは異なっていることは少なくない。GNVの日本の国際報道の実情を調査・分析した記事でも述べたように、日本の国際報道には偏りがある。報道される地域は日本との結びつきが強かったり、国際的地位が高かったり、先進国などが中心だ。このような偏りのある現状の報道は、世界のありのままを伝えているとは到底言えないだろう。
世界のどこを重要視していて、どこを重要視していないか確かめる一つの要素は特派員だ。特派員とは外国の支局または総局に派遣されて、その都市を拠点にその地域の取材や報道を担う特別な記者だ。世界中の特派員から毎日ニュースの取材内容が伝えられ、そのニュースを実際に報道するのか報道しないのか、編集者が毎日判断している。 ここでは、そんな「特派員」という視点から、日本における国際報道を見てみよう。
特派員の配置と地域別報道量
まず、日本の大手新聞社2社(朝日、読売)とNHKの特派員がいる海外支局の位置と、2016年の地域別の報道量を表した図を見ていただきたい。

地域別報道量と海外支局の配置
図からわかるように、海外支局が多く存在するアジアやヨーロッパの報道量が多くアフリカや中南米などの報道量は比較的少ない。先進国や日本との貿易額が多い地域には支局が存在するが、貧困国には少ない。また、2012年のNHKのNews Watch 9という番組の中では半年間の間に、アフリカで報道されたのはエジプトのみ、中南米で報道されたのはリオのカーニバルのみだったことがある調査ある調査で明らかになっている。報道量の少ないアフリカには55の国が存在しており、これは世界の約4分の1に相当する。しかし、その国の実情は報道されることは少ない。ニュースが少ないから支局がないのではなく、支局が無いからニュースが少ない、と言ったほうが正しい。支局を置かないということは、長期的な視点において「その国あるいは地域には報道に価する事柄は少ない」として地域に偏りをつけているといえる。
特派員の少ない地域での報道
通信技術の発達により、世界のどこからでもリアルタイムの情報を手にいれることは可能になったが、報道機関がそのような二次情報にのみ頼っていたら存在している意味がない。海外特派員が報道したい地域の近くにいなかったら報道のあり方はどうなるのだろうか。
それぞれの報道機関の海外支局は、サハラ以南のアフリカには一箇所しかない。カバーしなければいけない範囲はとても広く、ほとんどの国についての情報収集ができていないのが現状だ。同時には一箇所にしか滞在できないため、報道することができる地域は限られ、犠牲にせざるを得ないニュースも少なくない。では、この地域において悲惨な事件が起きたらどうなるだろうか。例えば、あるアフリカの国の田舎で虐殺が行われたという情報が入ったとしたら、その取材に行くのは海外支局にいる特派員だ。交通の便を考えると、現場に到着するのに数日かかることもあり得る。ただでさえフレッシュさこそが価値であることが多い報道において、事件発生から報道するまでに時間がかかってしまうのは致命的であるのに、加えて事件発生の場所とは別のところで新たな重要な出来事が起きたらどうなるだろうか。数少ない特派員を複数箇所に分けて取材に活かせることは難しい。ゆえに、当初予定していた国の取材は後回しにされ、結果的に十分な報道がされなかったり、そもそも一度も報道されないという可能性も大いにあり得る。
また、アフリカのような地域では長期に及ぶ取材をすることも難しい。特派員の数が少ないため、一箇所に長期間滞在してしまうと別の地域の取材がおろそかになってしまうからだ。これは実際にあった出来事だが、南アフリカの元大統領ネルソン・マンデラ氏が病に倒れ、重篤状態になったときのことだ。マンデラ氏の存在は国際的に考えても非常に重要で、たくさんの報道記者が普段訪れないアフリカに取材に駆けつけた。いわば、マンデラ氏の死というニュースを待っているのだ。

マンデラ氏の死を悼む儀式を取材するジャーナリストたち (by Dscott (CC BY-SA 3.0) )
世界中から尊敬 を集めるマンデラ氏の死というニュースを報道しようと、各国は記者だけでなく、カメラマンなどのたくさんのスタッフを派遣する。ヨハネスブルグのホテルは報道陣で溢れかえっていた。しかし、記者たちの期待に反しマンデラ氏は記者たちが予想したよりも命の炎を燃やし続けた。毎日マンデラ氏の病院を訪れるものの、報道したい出来事は起こらない。思いがけず長期滞在になる記者たち。アフリカにたくさんのスタッフを滞在させ続けるわけにはいかなかったため、報道陣は不謹慎な希望を抱いていた者もいた。そしてその様子はマンデラ氏の長女マカジエ氏のよって「ライオンが水牛を食べ終わるのを待っているコンドルのようだ」という表現をもって軽蔑された。
では、特派員がいない地域は報道することができないのだろうか。そのようなときは通信社を使うことが多い。通信社とは、報道機関向よりもはるかに幅広い情報を集めている組織のことで、報道機関の多くの情報を供給している。この通信社から得た情報をもとに報道機関はニュースを伝えるが、いかんせん通信社の情報は単なる事実程度でしかなく、本来報道したいような背景のストーリーや関係性を伝えることはできない。やはり、実際に取材をしないと集めたい情報は手に入らないのだ。

記者たちは常にニュースを追っている( NASA Goddard Space Flight Center/ flickr: (CC BY 2.0))
世界のありのままを知るために
世界の特派員の配置は自国との関係などで決まるが、あまりにも偏りすぎているため、世界の大部分は報道ではほとんど見えていない。特派員の人数を地域ごとに傾斜をつけることは間違っていることではないかもしれないが、現状のあり方ではありのままの世界を伝えているとはいえない。冒頭でも確認した通り、国家の境目がきわめて曖昧になってきている現代において、「自分たちとは関係ない」といって情報を排斥することは賢明ではない。世界は今どうなっているのか。本来の報道の姿に近づくために、特派員という存在が持つ役割はとても大きいのだ。
ライター:Yusuke Sugihara
グラフィック:Hinako Hosokawa
海外に報道したい事があります。
多分、日本人の陰謀が明らかになります。
ワクチンについても、何か分かるかも知れません。