2023年6月、メキシコでは2024年に行われる大統領選挙に向けた選挙運動が始まった。2018年から大統領を務めてきたアンドレス・マヌエル・ロペスオブラドール(名前の頭文字を取ってAMLOと呼ばれている)大統領は就任以降約6割の支持率を維持し続けてきたが、2024年の大統領選で再選することはできない。というのも、メキシコでは憲法により大統領の再選が禁止されているからである。
ポピュリズム(※1)政権と評されるAMLO大統領の政権下でメキシコでは改革が行われ、国内外に大きな影響を与えてきた。この記事では、AMLO大統領がメキシコにもたらした変化について詳しく見ていく。

演説をするAMLO大統領(写真:Eneas De Troya / Flickr [CC BY 2.0])
メキシコの政権変化
まず、メキシコにおける政治の変化を追う。かつてはマヤ文明やアステカ文明などが繁栄していた現在のメキシコは、16世紀以降スペインの植民地として支配下に置かれ、キリスト教が布教された。その後1810年の武装蜂起に始まる10年に及ぶ独立運動を経て1821年に独立した。
1846年から1848年にかけて行われた米墨戦争では、アメリカに敗れて現在のテキサスやカリフォルニアなど、国土の約半分を失った。この米墨戦争中に政権を握っていたサンタ=アナ大統領の独裁政権に対する革命が1854年から始まった。この革命はレフォルマ革命と呼ばれ、政教分離や特権廃止などの自由主義改革を主張する派閥と教会勢力を主とする保守派の紛争に発展し、1861年に改革派が勝利するまで続いた。
革命が終結した1876年以降ポルフィリオ・ディアス大統領の長期独裁政権が続いた。土地の搾取や政府の腐敗に不満を抱き、フランシス・マデロ氏が呼びかけて結集した農民軍により1910年にメキシコ革命が起こり、1911年にディアス氏の政権は打倒された。
この革命の動乱が終結した1920年から、71年間にわたり中道政党の制度的革命党(PRI)の長期政権が続いた。PRIは党内の部派の利害を事前に調整した上で大統領選に臨むという特徴があり、候補者の乱立を防ぐことで長期的に政権を維持してきた。2000年にはカトリック教会および経済界と密接な関係をもつ中道右派の国民行動党(PAN)が政権を取り、以後12年間政権を維持した。しかし、2012年PRIが政権を奪還した。AMLO大統領は2006年、2012年の選挙にも出馬していたが接戦で当選を果たせず、選挙結果の不正も疑われていた。
2018年に行われた大統領選では、PRIやPANなどの汚職や腐敗が蔓延し、経済エリートが特権的立場を確保する既成政治を否定する野党の選挙同盟「共に歴史を作ろう」から左派政党である国家再生運動(MORENA)のAMLO大統領が出馬した。同氏は独立やメキシコ革命等に続く「第4次変革(※2)」を掲げ、一般大衆を優先する政治をアピールした。汚職の蔓延や、武力紛争が問題となる中で、AMLO氏は自身を含めた高官の給与削減、任期中に国民の実質賃金を2倍にする、新設の国家警備隊による治安維持などを宣言した。このような民衆に目を向けた公約は多くの支持を集め、約53%の得票率で当選を果たした。
AMLO大統領は就任後も国民からの支持を集め、就任から4年が経った2023年6月時点での支持率は68%であった。任期中にメキシコは経済成長を果たし、通貨であるペソの対米ドル価値は上昇している。また、失業率の低下や最低賃金の20%上昇も達成している。
AMLO大統領が多くの国民から支持されている理由の一つとして、国民と近い距離感で発信を続けてきたことも挙げられる。就任以来、平日に2〜3時間記者会見を放送し続けている。記者からの質問の他に、自ら強調したいトピックについてその場でフランクに答えている。
他国との関係においても変化が見られている。アメリカが長年「覇権的地位」を保持しているラテンアメリカ諸国とアメリカの関係性も任期中に変化している。また、他国の他に他国の企業との関係にも変化が生まれ、メキシコの鉱物資源の採掘に外資家企業の関わり方も見直されようとしている。以下ではAMLO大統領政権の具体的な政策をいくつかピックアップして述べていく。
エネルギー問題と天然資源
石油やリチウムなどの豊富な天然資源を有するメキシコにおいて、資源に関する政策は経済に影響を与える。AMLO大統領の政権下でメキシコの天然資源の扱いに変化が現れた。その一つとして天然資源の国有化が挙げられる。メキシコは石油や銀、リチウムなどの多くの天然資源を有しているが、歴史的に、その採掘の大部分を外資系の企業が行なっており得られる利益の多くが国内に還元されていなかった。
1917年に制定されたメキシコ憲法ではメキシコ政府による石油などの天然資源の収用を認めたが、制定当時は外資系石油会社の抵抗によりこの条項は実施できなかった。1934年から1940年に大統領を務めたラサロ・カルナデス氏はこの条項を行使し、それまでアメリカやイギリスなどが採掘してきたメキシコの石油資源を国有化した。その後、歴代の大統領は徐々にエネルギー部門を民間に解放し、結果としてメキシコは豊富な化石燃料埋蔵量を有しているにもかかわらずエネルギーをアメリカなどの国から輸入していた。2013年に当時のペニャ・ニエト大統領政権が憲法を改定し、エネルギーへの民間投資を認めたため、外資企業がメキシコの天然資源を求めて進出してきていた。
AMLO大統領は石油国有化を自身のスピーチの中で評価し、石油や電力の業界における国営企業の立場を強化した。また、2021年10月に「メキシコ国民の利益のために」リチウムも国有化することを掲げた。
メキシコには約170万トンのリチウムが眠っている可能性があり、最重要天然資源の一つである。「白い金」や「新しい石油」とも呼ばれるリチウムは、電子機器や電気自動車のバッテリーに使われている(※3)。パソコンやスマートフォン、ハイブリッド自動車や電気自動車などの普及により世界的に需要が増加しており、2030年にはリチウム電池の需要が2023年時点の5倍以上になるとの試算がなされている。

リチウムイオンバッテリー(写真:VARTA / Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0])
AMLO大統領はリチウム貯蔵施設を国有化することに加え、電池生産工場の設置も計画している。電池生産工場の設置により、原料から製品にする中で生まれる付加価値も含めた、リチウム関連産業による利益をメキシコのものにすることが狙いのようだ。
このリチウムの国有化には反対派も多い。反対派はリチウムの国有化に対し、メキシコ経済の長期的成長を遅らせていると指摘している。2013年の憲法改定以来、国内外の民間資本がリチウム産業の関係施設に投入されており、世界的企業から数十億米ドルの資金が流入してきたという。これらの民間企業の新しい技術や手法を利用しなければメキシコにあるリチウムを活かしきれず、今後増加するリチウム需要の恩恵を経済発展に繋げられないとしている。
メキシコが抱える武力紛争
AMLO大統領は長年問題になっている、メキシコが抱える武力闘争および治安問題にも取り組んでいる。まず、この問題の背景にはアメリカに流入する麻薬と密接に関係している。アメリカで需要が高いコカイン(※4)はボリビアやコロンビア、ペルーなどの南米諸国で製造されており、メキシコの麻薬犯罪組織が仲介してアメリカに密輸されている。メキシコとアメリカの国境線は全長3,141kmにも及び、年間数億人が横断するため麻薬の密輸を防ぎきることが困難である。それゆえ、1980年代以降多くの犯罪組織が発達し、メキシコを中継地点としてアメリカに麻薬を密輸している。
メキシコでは密輸ルートをめぐる犯罪組織どうしの争いや、犯罪を取り締まる政府と犯罪組織の間の武力紛争が続いており、国内で多くの人が被害を受けている。2006年に当時のフェリペ・カルデロン元大統領がこの状況を「犯罪」ではなく「戦争」であると捉えて軍事的対策を行い始めたことから、2006年以降の状態は「麻薬戦争」と呼ばれている(詳しくはこちらを参照)。2022年時点で累計約30万人がこの紛争によって命を落としたと言われている。
現在も続く武力紛争に対し、AMLO大統領は政治家として過去には政府や国軍の軍事介入に反対し、紛争の根本的な原因へのアプローチを主張してきた。しかし、2018年に行われた大統領選挙では治安維持のために新部隊を設立することを掲げ、就任直後に国家警備隊の設立をした。この国家警備隊の指揮権はメキシコの国軍にあり、実質的な軍機能の強化とも言える。
このように軍事的なアプローチを含めた治安維持政策を行っても武力紛争の沈静化には至っておらず、AMLO大統領の任期中にも毎年3万件以上の殺人事件が発生しており、殺人事件の発生率は高止まりしている。大統領自身が非対立的なアプローチを掲げているが、実際は軍事的対策が取られており状態が改善されないことから、メキシコにおける組織犯罪の現状を考慮した施策を求める声も挙がっている。
アメリカとの関係
AMLO大統領の政策は、メキシコとアメリカとの関係性を変えてきた。メキシコ経由で越境する麻薬貿易やメキシコでの武力紛争などの問題は、隣国であるアメリカとも影響を与え合っている。アメリカではフェンタニル(※5)やコカインなどの麻薬が流行しており、2021年には約71,000人のフェンタニル中毒者がいた。麻薬中毒者が国民に増加している中で、アメリカ政府はメキシコに対応を迫っている。
また、メキシコからアメリカへの麻薬の密輸だけではなく、アメリカからメキシコへの武器密輸も問題になっている。メキシコには毎年約50万丁のアメリカ製銃が流入しており、犯罪組織の手に渡っている。メキシコでは銃の所持が厳しく制限されており、正規の方法で銃を購入するには身分調査を経る必要がある。しかし、アメリカから大量に銃が密輸されており、メキシコの治安にも大きく関わっている。アメリカはメキシコの麻薬密輸に対して対抗措置を要求しているが、アメリカもメキシコの武器密輸に対してほとんど措置をとっていないと指摘されている。
アメリカとメキシコの国境では南米諸国から北米に向かう移民や難民の移動も問題になっている。両国の国境線は長く、人の移動を取りしまるのは困難であるため、2022年には月間20万人以上の移民や難民が国境を超えてアメリカに入国していた。AMLO大統領は大統領就任以前からアメリカの移民に関する政策への批判を続けており、自身が当選した2018年大統領選挙においてもアメリカが要求する取り締まりには応じないとほのめかした。
大統領就任後はアメリカのドナルド・トランプ元大統領からの圧力により移民の取り締まりを行なっていたが、合法的に入国できる機会を拡大するなどのアメリカ側の対策の必要性を主張している。このように、両国間の問題に対してアメリカはメキシコに一方的な協力を求めてきた。しかし、AMLO政権下のメキシコは「メキシコはアメリカの植民地ではない」としてアメリカの指示通りの協力を拒否している。
AMLO大統領の政策に対し、アメリカ政府関係者は「ロペス・オブラドール大統領の2023年連邦予算は、移民、安全保障、貿易といったアメリカとの二国間問題に対処するために必要な投資よりも、社会支出や特徴的なインフラプロジェクトを優先している。」と不満を明かしていることが流出した秘密文書で明かされている。アメリカの政府関係者が思う優先順位ではなく、メキシコ内政での優先順位に応じた支出をしていることを問題視しているのだという。

対談をするAMLO大統領とアメリカのジョー・バイデン大統領(写真:USEmbassyME / Flickr [Public Domain Mark 1.0])
また、麻薬密輸の問題に対し、2023年にはアメリカの共和党の右派政治家からはメキシコに対するアメリカ国軍の侵入を要求する声も挙がっている。これに対し、AMLO大統領は「いかなる外国政府もわが国領土への介入を許さず、ましてや政府軍の介入は許さない」と非難している。
AMLO大統領はラテンアメリカ諸国との関係において大きな影響力をもたらしてきたアメリカとの関係の変化にも取り組んでいる。同氏はアメリカが覇権を握る地域統合ではなく、大陸全体の協調を目指している。2022年にアメリカ、ロサンゼルスで行われた北米・中南米諸国の首脳会談である米州サミットにおいて、アメリカは自国との対立が続いたキューバ、ベネズエラ、ニカラグアを「独裁者は招かない」として参加国から除外しようとしていた。これに対しAMLO大統領はラテンアメリカの全ての国の代表が参加しない限りメキシコの参加を拒否すると警告した。
彼は米州サミットの元となる米州機構(OAS)に対し「誰の手下でもない」組織の創設を要求してきた。OASは冷戦時代にアメリカが米州全体で覇権的地位を確保するために作られた組織とされており、米州サミットも結果としてアメリカの一存で参加国が決まることになっていたことから、AMLO大統領は参加国の除外に対して警告したのである。この警告にはアメリカ政府も対応を迫られ、アメリカの大使は声明の数時間以内にAMLO大統領のもとに説得に駆けつけたという。最終的に参加予定国35カ国のうち、メキシコを含めた8カ国がサミットをボイコットした。
2024年大統領選挙について
2023年時点で、メキシコ国内で約6割の支持率を保つAMLO大統領だが、冒頭で見た通り再選はできない。執筆現在、2024年に行われる大統領選挙ではAMLO氏の左派政党である国家再生運動(MORENA)による政権維持が最有力視されている。しかし、ここまで見てきた通りAMLO大統領の政権は急進的な改革を進めてきているため、国内外の反対勢力も多い。
反対勢力のひとつが穀物農家などの農業セクターである。2023年の5月には穀物の国際価格の下落に対し、トウモロコシ、小麦、ソルガムの価格を保証するよう求めてデモを行なっている。抗議活動の指導者であるバルタザール・バルデス氏は商業農業生産者が約1,000万票分の影響力を持っていると試算し、次期大統領選の結果を動かしうると述べている。
その他に、AMLO大統領は「貧しい人を第一に考える」とした政策を主張してきたため、メキシコ社会で長く特権的立場にあった経済エリートからの反発も大きい。

AMLO大統領の就任式の様子(写真:Gobierno Danilo Medina / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0] )
また、アメリカからの反発も強い。国内政治に直接干渉できるわけではないものの、上述したように、さまざまな形で圧力をかけようとしている様子が伺える。
農業従事者や急進的な改革に反対する経済エリート、メキシコの内政に不満を持つアメリカ政府関係者、反発の中で次期大統領選挙でもMORENAが支持を獲得し続けることができるのか、それとも政権交代がなされるのかはメキシコの将来に大きな影響を与えるだろう。
※1 ポピュリズムとは、既成のエリート層への批判を大衆に訴える政治思想や活動を指す。
※2 独立戦争を第1次改革、レフォルマ革命を第2次改革、メキシコ革命を第3次改革とし、これらに続く改革を行うとして第4次改革を掲げている。
※3 リチウムイオンバッテリー内では、正極と負極の間をリチウムイオンが移動することで充放電を可能にしている。
※4 コカインは南米原産のコカという植物の葉から作られた精神刺激薬で、強力な中毒性を持つ。
※5 フェンタニルは合成麻薬性鎮痛薬の一種であり、臨床で使用される中で最も強力な麻薬である。
ライター:Haruka Gonno
グラフィック:Misaki Nakayama