2016年9月上旬、アメリカ沿岸警備隊は、中米海洋上を航行している自走式半潜水艦を拿捕した。この事件で、コカイン約2.5トンが押収され、その価値は7,300万ドル(83億円相当)の上ると推計された。同様の事件は頻発しており、2015年10月から2016年10月までにかけて、総重量にして、コカイン約190トン(56億ドル相当)が海上で摘発されている。
一連の密輸に使用された潜水艦は、別名ナルコ潜水艦と呼ばれ、90年代頃から、新しい麻薬密輸を模索していた南米の麻薬カルテル(※1)達によって、積極的に運用されてきた。巡視船のレーダーに捕捉されにくく、小型で、建造費用も密輸成功の利益によって十分まかなえる、この画期的な運搬システムによって、現在も大量のコカインがアメリカに運び込まれているという。カルテルが、麻薬の密輸のために潜水艦を使っていることに驚かれる読者も少なくないだろう。しかし、現実として彼らは、豊富な資金と技術力をもって密輸犯罪に手を染めているのである。

エクアドルで押収されたナルコ潜水艦(写真:US Drug Enforcement Administration)
この種の出来事は、南北アメリカに張り巡らされた、麻薬密輸ネットワークの一端にしかすぎない。では、今アメリカ大陸では、麻薬をめぐって一体何が繰り広げられているのだろうか?ここからは、麻薬についての基礎的な事項を説明したのち、南北アメリカの麻薬密輸がどのように展開され、どのような人々がその過程で関わっているのか、大まかな状況を紹介していく。
まずは、麻薬についての基礎的な知識を説明したい。広辞苑(第6版2008)によれば、麻薬とは、「麻酔作用を持ち、常用すると習慣性となって中毒症状を起こす物質の総称。阿片・モルヒネ・コカインの類」とされている。しかし、実態としての麻薬は、この広辞苑の定義の枠には収まりきらない。見渡してみれば、一方では、モルヒネなどの薬物が、その麻酔・鎮痛作用から医療現場で導入されている。また一方では、コカインやLSDなどの薬物が、強い禁断症状や過剰摂取による死亡事故など、重篤な社会問題のトリガーとなることが知られている。すなわち、麻薬は、その使用目的に応じて、「薬」ともなり「毒」ともなりうる、二面性を持ったモノなのである。そして、世界各国で法的に禁じられているのは、概して「毒」となる麻薬の使用であり、「薬」としての麻薬も、厳重な法的監視下に置かれている。このため、一般個人が麻薬を手に入れるには、必然的に非合法組織による流通、売買経路が必要となる。ここから麻薬の密輸がカルテルによって執行されることが理解できるだろう。

アンデス地域で栽培されるコカの葉(写真:amadeustx / Shutterstock.com)
現在、アメリカ大陸では、アンデス3カ国(コロンビア、ペルー、ボリビア)がコカイン(※2)を、メキシコがヘロイン(※3)を、それぞれ生産している。栽培された麻薬は、カルテルと呼ばれる密輸組織によって加工、輸送され、大量の消費者を抱えるアメリカへと流れこんでいる。では、麻薬は具体的にどのように大陸をなぞってアメリカへと流入していくのだろうか?以下では、南北アメリカで流通している主要な麻薬であるコカインを中心に説明していく。(※4)
アメリカ大陸では、コカインは南から北へと流れる(※5)。この経路は、コロンビア、ペルー、ボリビアを出発地として、カリブ海を経由してフロリダへと密輸するルートと、中南米を通って米墨(アメリカ=メキシコ)国境から密輸するルートの2つに大別される。
1980年代までは、主としてカリブ海ルートを、コロンビアの麻薬カルテルは利用していた。コロンビア北岸からフロリダまでの1,500kmの距離を、飛行機を用いて輸送することは、比較的容易にできたためだ。しかし、1982年にレーガン米大統領が断行した麻薬掃討作戦以後、フロリダへの密輸は、極めて難しい状況となった。行き詰まったカルテルは、より押収されるリスクの少ない、メキシコを中継地とした陸上輸送に舵を切り替え、米墨国境を跨ぎはじめた。米墨国境は、全長3,141kmにも及ぶ。国境上には、リオグランデ川、アリゾナの砂漠、国境都市などが存在する。そのうえ、年間数億人が横断するこの国境では、麻薬の密輸を完全に防ぐことは困難を極める。こうした経緯から、コロンビアからメキシコを経由してアメリカへと密輸されるルートが確立されたのである。現在では、カリブ海ルートよりも、この米墨国境ルートを用いた麻薬密輸が大半を占め、アメリカで流通するコカインの9割はメキシコを経由していると言われている。
密輸する際の方法も多彩だ。コロンビアからメキシコまでは、船、潜水艦、飛行機などを通じて輸送される。また、一つ手前のホンジュラスやグアテマラで一旦積荷を降ろしてからメキシコへ向かうルートも存在する。これらの地域は、中央政府が脆弱で、カルテルを取り締まる警察の力も強くないため、密輸の中継地として利用されやすいからだ。そして、メキシコからアメリカへは、従来、改造が施されたトラックや車、旅行客のスーツケースやバックパックの中に隠れて、麻薬が持ち込まれる。しかし、密輸の手段はこれにとどまらない。米墨国境付近では日夜、カルテルが、地下トンネルを掘り進めている。さらには、改造トラックに搭載された大砲から麻薬が打ちあげられ、ドローンが、小包を抱えてフェンス上を行き来する。麻薬を国境の向こう側へと放り投げる投石機までもが登場しており、その多様な手口に、密輸の取り締まりは難航している。
このように、南北アメリカの麻薬密輸は、これらのルートを中心に展開されている。では、その南米で生産されるコカインがメキシコなどを経てアメリカへ到達するまでに、具体的にどのような人々が関わっているのだろうか。先述した米墨国境ルートの道筋をたどりながら、各国の麻薬に関連した事象を取り上げてみたい。
まず、コロンビア、ペルー、ボリビアの農民たちがコカの葉を栽培する。そして、コカの葉は、コカ・ペースト精製工場へ持ち運びこまれ、農民は報酬を受け取る。これらの農民たちは、貧困や失業を背景に、カカオやコーヒーよりも利益率が高い、コカの葉を栽培している。しかし、それらの栽培によって得た利益は、農民以外のグループにも行きわたる。というのも、コロンビアでは、1964年から、武装勢力である左派ゲリラと中央政府のあいだで武力紛争が続いており、ゲリラグループは、主なコカ生産地域である南部地域を占領してきた(※6)。領内の農民たちは、コカ栽培に従事し、そこから得られた収益は左派ゲリラによって課税され、彼らの貴重な収入源となってきた。一方、コカインは政府に近い民兵グループの収入源でもあった。さて、工場で加工されてブロック状となったコカインは、コロンビアのカルテルによって、陸・海・空を通じてメキシコへと運び込まれる(前述の潜水艦もそのひとつである)。続いてコカインは、米墨国境に位置する「プラサ」と呼ばれる、カルテルが縄張りを形成する地域に集まっていく。ここを通る際は、そのプラサを支配するカルテル対して使用料が支払われ、コカインは国境の向こう側へと渡っていく。
メキシコからアメリカへの密輸には、就業機会に恵まれない貧困層の子供達のほか、まとまったお金が欲しい、様々な階層の人々が参加する。彼らは、カルテルによって「ラバ(運び屋)」として雇われ、リスクが高いものの、手軽な高額派遣業務をこなしているのである。最終的に、運び込まれたコカインは、アメリカ国内のギャングたちが仲介して高値で取引され、麻薬を求めるアメリカの人々の手に渡る。
こうしてコカインの価値は、コロンビアからニューヨークまで運び込まれる間に、12倍以上にも跳ね上がる。そのため、コカインに関わるグループ、主に麻薬カルテルや武装勢力らは、この非合法の取引を通じて莫大な利益を得る。そうした収益から、彼らは武器の輸入や、政府への贈賄を行い、組織の強大化を続けているのだ。

メキシコ警察の麻薬対策特殊部隊(写真:Gerardo C.Lerner / Shutterstock.com)
もはや、こうした非合法組織の中南米における地位は、看過できるレベルを超え、国によっては、軍隊や警察を超えるほどの武力を所持するまでに至っている。また、軍隊、警察、司法、その他の関係者がカルテルに買収されるケースが多数報告されている。地元の住民たちは、彼らによって支配され、場合によっては、命を取られることも少なくない。力をつけた麻薬グループは、取り締まろうとする軍隊や警察、敵対する他のカルテルとの抗争を頻発させ、大量の犠牲者を生み出しているのである(※7)。なお、こうした状況の中で、中南米の殺人率は世界的にも非常に高い。実際、上位10カ国中6カ国(ホンジュラス、エルサルバドル、ジャマイカ、ベネズエラ、ベリーズ、ニカラグア)が中南米地域に属し、北上する麻薬密輸の経由地となっている。
以上のように、麻薬は、現代の南北アメリカを代表する違法ビジネスとして機能し続けている。このビジネスモデルは、非合法組織を増強させ、ますます中南米の治安を悪化させる温床ともなっている。この記事では紹介しきれないが、中南米の生産国、北米の消費国では、それぞれこの問題に対処すべく、様々な取り組みが進められている。代表的なものとして、大麻などの一部麻薬の合法化・非処罰化を通じて、麻薬密輸の管轄を、非合法組織から行政へと移行しようとする動きがあげられる。しかし、このような努力とは裏腹に、麻薬は現在も南北アメリカを駆け巡っている。最終的に、この問題を解決するためには、先進国をはじめとする国々において、人々がニュース・メディアを通じて、中南米で何が起きているのかを認識し、麻薬に対する態度を改めていくことが不可欠だろう。
ライター:Ryuta Ogawa
グラフィック:Mai Ishikawa, Ryuta Ogawa
脚注
※1 カルテルとは、主に中南米を拠点に麻薬の加工・輸送・密輸を行う犯罪組織を指す言葉である。
※2 コカインは、南米ボリビアおよびペルーで野生する、コカの木の葉から作られる麻薬である。そして、世界に流通しているすべてのコカインが、南米の3カ国(コロンビア、ペルー、ボリビア)を原産地としている。その使用効果は、興奮剤(アッパー)に該当し、精神高揚、爽快感を特徴とする。しかし、コカイン摂取の反動として、重い抑うつ、無力感などがあげられ、依存性も強く、多量摂取から死亡事故につながることもある。1970・80年代には、アメリカにおいて、ディスコドラッグ、セックスドラッグとして白人富裕層や若者の間で人気を博し、大量に流通するようになった。 この状況を愉快に思わないアメリカ政府は、1970年代のニクソン政権から、ラテンアメリカ地域に対する軍事介入、通称「War on drugs」を開始し、国家機関DEA(麻薬取締局)を通じて、中南米における麻薬の取り締まりを強化してきた。この間、コカインの原料となるコカの栽培は違法とされた。さらにアメリカは、コカの根絶のために、多額の資金提供を南米諸国に対して行ってきた。しかし、コカの葉そのものは、アンデス地域では古くから高山病に効く薬として扱われてきた歴史を持っており、コカ栽培を生業とする地元住民は少なくない。だが、アメリカが一方的に送り込んだDEAの強硬な取り締まり(暴力や尋問)は、長い間彼らの生活を脅かしてきたそこでボリビア政府は、2004年から、国内向けの伝統的なコカの栽培を合法化するという前例のない措置に踏み切った。続いて2008年には、DEAを国外へ追放するなど、アメリカのこれまでの麻薬政策に対する、はっきりとした対抗姿勢を強めている。
※3 ヘロインは、ヨーロッパ東部を原産とするケシの花から採取される薬物である。代表的な薬物としてあげられる、「阿片、モルヒネ、ヘロイン、オピオイド」は、どれも同様に、ケシの花由来の薬物として知られる。主な不正栽培地域は、アフガニスタン、ミャンマーとされる(総生産の9割を占める)。続くメキシコは、残る総生産の約1割を栽培しており、近年栽培量の伸長が目覚ましい。ヘロインは、抑制剤(ダウナー)に当てはまり、強烈な多幸感と内向的な酩酊状態、その後の激烈な禁断症状による嘔吐、抑うつを特徴とする。そして、現在世界で最も流通している「依存性薬物」でもある。
※4 世界に流通している代表的な薬物として、覚せい剤がある。この薬物は、強い依存症状とともに身体と精神に深刻な影響を及ぼすことで知られている。覚せい剤は、化学的な操作でつくられる化合物であり、北米では、メキシコにとどまらず、アメリカやカナダの中でも国内向けに製造されている。現在、東アジアや東南アジアを中心に、その製造も使用者も大幅な増加傾向にあると言われている。また、大麻は現在最も広く使用されている薬物である。しかし、その植生としてどの国や地域でも栽培可能であり、またその栽培量の膨大さから、流通のトレースが難しい。覚醒剤の製造もどの国でも製造可能であり、このことから、本記事での覚醒剤、大麻に関する事項は割愛する。また、大麻については、その依存性や社会への害の低さなどの理由から、アメリカの諸州、ポルトガル、オランダ、ウルグアイなどは、大麻の非処罰化・合法化を掲げている。
※5 この流れに加えて、メキシコは世界3位のケシ栽培国であり、ケシから生産されるヘロインもまた、アメリカへ密輸される。
※6 中南米最大の武装勢力FARCは、2016年にコロンビア政府と和平合意に達し、今後の動向が注目されている。なお、別の武装勢力ELNと政府との間の和平交渉が現在続いている。
※7 メキシコでは、麻薬カルテルと政府の間で10年以上に及ぶ抗争が起きている。メキシコ政府が2014年に発表したところによると、2007年から2014年までに164,000人が殺害されており、その多くはこの紛争に巻き込まれて死亡したとされている。
貴重な記事を読ませていただきました 中南米の麻薬の規模の大きさと輸入する側の先進国の酷さもわかります