紅海南部に位置し、アラビア半島南西部のイエメンと東アフリカのエリトリア、ジブチの国境付近の海峡であるバブ・エル・マンデブ海峡(地図はこちら)。海峡の幅が約30㎞と狭く、また潮の流れが急で、しかも毎年11月から数ヶ月間、インド洋から地中海へ強い季節風が吹くため、地中海からインド洋へ航海する船にとっては海峡を通過するのが極めて困難だったことから、「涙の門(悲しみの門)」と船乗りから呼ばれるようになったと伝えられている。しかし、現在は由来とは違う理由でこの海峡付近に住む人々は涙を流している。この海峡を取り囲む周辺国には統治問題、紛争・治安問題、難民問題といった様々な問題が複雑に絡み合っているのだ。
石油をはじめとするあらゆる物資が行き来するこの海峡は、ヨーロッパ、アジア、アメリカを繋ぐ非常に重要な海路である。米国エネルギー情報局は、2014年度に日量470万バレルの原油と石油が海峡を通過したと推定した。ヨーロッパとアジアを繋ぐ最速ルートはこのマンデブ海峡―スエズ運河を通るルートである。その狭さよりマンデブ海峡は周辺国の紛争によって海峡を通過する交通を妨害することも可能である。この海域における不安定は、世界の海上貿易ルートや海上通信の安全性にも影響を与え、国際ビジネスにとって深刻な脅威となりかねない。ここでの情勢は世界中の人々の生活にとって無関係とはいえないだろう。ではどのような問題が近隣諸国に生じているのか、みていこう。
北朝鮮のようなエリトリア
いまエリトリアがアフリカの北朝鮮と言われている。エリトリアはエチオピアから独立以降25年にわたる独裁政治により、世界の中でもトップクラスの圧政国家となった。1991年の自治以来、イサイアス・アフェウェルキ大統領は選挙をせず、制度的制限を受けずに統治し続けているのだ。2002年以来エリトリアは立法権を持たず、司法も行政の管理下におかれ干渉を受けている。そして1997年に採択された憲法は未だ施行されていない状況であり、国内の非政府組織は一切認められていない。こうした状況で国民は徴兵や強制的な労働を強いられている。法律によって18歳から18か月と定められている徴兵制は実際のところ無期限に及び、逃げようと試みる者には厳しい処罰が科せられる。
また言論、表現、信教(限られた宗派の信教しか認められていない)の自由も抑圧されている。2001年以来、政府による管理以外の報道機関がない。「報道の自由」ランキングでは、2017年に北朝鮮に抜かれるまでの10年間世界最低であった。限られた数の新聞、ラジオ、放送のすべてが国営となっている。2016年には国連調査委員会からの政府に対する人権侵害についての勧告もあったが未だ改善は見られない。人権問題の蔓延に多くの国から批判を受けていること、10万人以上の死者が出たエチオピアとの戦争は和平合意が成立したものの、国境線に関する合意が成立していないことからエチオピアとの溝は未だ深い。このような状況下でエリトリアは周囲から孤立しているのだ。
分断されているイエメン
マンデブ海峡北東部イエメンでは現在苛烈な紛争が行われ、国の支配は首都サナアを含む北西部をイランが支援する元大統領であるサレハとシーア派武装組織フーシが手を組んだ反政府組織、サウジアラビア主導の連合に加えアメリカやイギリスが支援するハディ大統領による暫定政府、過激派組織であるアラビア半島のアルカイダ(AQAP)によって分断されている。今現在も3勢力が争う三つ巴状態になっている。詳しくはこちらの記事を参照していただきたいのだが、2017年に入ってもイエメン国内での人道危機は依然酷く厳しい。紛争による死亡者は2015年以来1万人を超えるとされているが、さらに国際赤十字委員会は国内でのコレラ感染が2018年までに100万人に達すると警告している。この100万人という数は、第二次世界大戦の記録が始まってから世界で史上最大である。
政府不在のソマリア、認められないソマリランド
2012年以来、国際的なバックアップを受け暫定的な新政府が成立したソマリアであるが、アルカイダ系アル・シャバーブ武装勢力による戦いは続き、首都と一部の地域をかろうじて統治できている状態である。アル・シャバーブによって民間人や民間施設への標的攻撃は、自爆テロと即時爆発装置(IED)といった激しい攻撃が繰り広げられている。150万人を超えるソマリア人は避難に苦しみ、食糧などの支援物資や医療へのアクセスが非常に制限されている。アル・シャバーブ掃討のために暫定政府からの無差別な大量の市民の強制退去、女性・児童への虐待も報告されている。
紛争が勃発した1991年にソマリランドはソマリア北部で独立宣言して以来、他の地域をよそに安定が保たれている。民主化も進み、複数政党制による地方選挙や総選挙を実施するなどの政治制度、政府機関、警察、自国の通貨などを成立させてきた。しかし、アフリカ連合をはじめとする国際社会でソマリランドは正式に国家として認められておらず、国際認識への模索を続けている状態だ。ソマリランドとソマリアの間に位置するプントランドも同様に国家ではない。正式な独立は求めていないが、現在は自治地域として事実上の独立状態である。このプントランドとソマリランドの間の境界線も現在争われている。
地域をつなぐ紛争・治安問題
すでに述べたとおり、エリトリア、イエメン、ソマリアは国内に様々な問題を抱えており、内政不安定は国内にとどまることもなく周辺国に影響を及ぼしている。さらにアメリカ、サウジアラビア、イランなどの全地域にも広がる。サウジアラビア主導の連合はイエメンの周りの海を海上封鎖して、人道支援も含めて出入りをコントロールしている。イエメン紛争は、閉鎖的な国家であったエリトリアが関与するに至った。エリトリアはサウジアラビアと湾岸諸国の同盟国への貢献を約束し、湾岸諸国がアサブ港と空域を利用して戦闘に参加することを許可した。引き換えに、エリトリアは金と燃料を受け取っているという。エリトリアの支援には400人以上のエリトリア兵士がフーシ反政府勢力に対抗するための派遣軍に加わることも含まれている。さらに、エリトリアとエチオピアとの対立はソマリア紛争でも繰り広げられたこともある。ソマリア紛争に介入したエチオピアに対して、エリトリアが反対するアル・シャバーブ勢力に対して軍事支援をしてきた経緯もある。
また、ソマリア沖における海賊問題も発生している。現在はある程度落ち着きを見せているものの脅威として残る。ソマリア、特にプントランドが海賊の拠点となってきた。重要な貨物経路を守るためにアメリカ、イタリア、フランス、中国、日本などの国々はエリトリアとソマリランドの間のジブチにマンデブ海峡の軍事基地を設けている。各国がこの海域にプレゼンスを見せ、そこでの動静を監視しているのだ。
難民問題
イエメン紛争によってイエメンからの難民が増えるだけでなく、ソマリア、エリトリアからの難民も行き場を失っている。エリトリアは国民の約12%が難民、亡命希望者として国外に逃亡する。イエメンは伝統的に国際的保護を必要とする人々を受け入れることに寛大であり、難民条約と難民の地位に関する議定書に署名したアラビア半島の唯一の国であるが、進行中の紛争は難民に十分な援助と保護を提供する能力を完全に失わせた。イエメンに滞在しているソマリア難民もイエメンの紛争状況下で帰国することを選ぶ者もいる一方で、イエメンに入ろうとしたソマリア難民の船に向けサウジアラビアのヘリから発砲され42人が死亡した事件も発生している。イエメンが難民を受け入れられなくなった現在、どこの国が難民を受け入れられるのだろうか。
国際移住機関(IOM)によると、ジブチはイエメンから約4,000人を受け入れている。非常に小さい国であるジブチはすでに多くの難民、避難民を抱えており、人道的資源も限界である。さらにソマリランドとプントランドにもイエメンからの難民が移動している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、今はまだ数が非常に少ないが、イエメンからソマリアに避難する動きがあるという。ソマリランドの外相モハメド・ヨニス氏は最大2,000人のイエメン難民を受け入れる準備を進めているという。しかし、ジブチはすでにソマリアなどから何万人もの難民を抱えており、ジブチには約2万4000人の難民、ソマリランドには約9,000人の難民が住んでいる。2016年UNHCRの報告によると、難民がイエメンには27万人、ソマリアには1万人、エリトリアには2,300人いる。国内避難民の数はもっと多くイエメンでは200万人、ソマリアでは150万人にのぼる。国外にできない国内避難民の人道危機状態もすでに述べたとおりだ。国内にいても国外に避難しても危うい状況の中、彼らは置かれた状況からの脱却を目指し移動する。
このようにマンデブ海峡を取り囲む国々は非常に複雑な情勢のなかにある。紛争は国内でおさまるものではない。周りの国々を巻き込み、さらにはマンデブ海峡のように戦略的に重要な地点では世界をも巻き込む事態へと発展している。このように複雑に巨大化した問題はいつ解決するのだろうか。国内外で悲しむ人々の涙はいったいいつ止まるのだろうか。
ライター:Miho Takenaka
グラフィック:Yosuke Tomino