ボツワナは、長年にわたって民主主義が確立した国として知られ、民主主義やガバナンスの指標においてアフリカ大陸内で常に上位にランクインしている。また、国の主要な資源であるダイヤモンドの輸出を中心に順調に経済成長を続けてきた。
しかし、近年ではそんな民主主義に暗雲が立ち込めており、指標においてもその順位を落としている。一体ボツワナで何が起きているのだろうか。この記事では、ボツワナの民主主義体制と安定した経済成長に焦点を当てるとともに、今後のボツワナの展望についても見ていこうと思う。

ボツワナの独立50周年を祝う子供たち(写真:Mahyar Sheykhi / Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0 DEED])
ボツワナの歴史
ボツワナは、アフリカ大陸南部にあり、人口およそ263万人、面積が56.7万平方キロメートルで、ザンビア、ナミビア、ジンバブエ、南アフリカに囲まれ、カラハリ砂漠と平地で構成される内陸国である。
そんなボツワナの歴史は長い。十万年前からサンやコイと呼ばれる人々が現在のボツワナの地域にやってきて、狩りを中心とした生活を営むようになった。その後、今からおよそ1,000年前にジンバブエ帝国の拡大(※1)と共に、牧畜民や農耕民であったツワナの人々が多く移住した。そして、1800年代初頭には南アフリカからこの民族の大移動が起こり、以降はこのツワナの人々がボツワナの人口の多くを占めるようになった。そして、当時のボツワナの領土では、概ね8つのグループがそれぞれ領土を持ち、それぞれが統治していた。
その後、オランダから現在の南アフリカに進出してきたボーアと呼ばれる人々がこの地域へ入植して来て、後にイギリス政府や企業が進出してきたことをきっかけに、この地域の情勢は変化することとなった。当時は、現在の南アフリカの領土内で、多くの王国や帝国と、支配する領土を拡大しようとするボーア勢力やイギリスの勢力との対立が生じていた。そして、それが現在のボツワナ領土にも及び、ツワナ人もボーア人と対立することとなった。しかし、このボーア人との対立を継続することが難しいということになり、8つの内の3つの主要なグループの長がイギリスに対し保護を求めた。その結果、1885年3月に現在のボツワナと南アフリカの一部を含むベチュアナランド保護領が設立され、これ以降ボツワナはイギリスの保護領となった。
だが、支配に関しイギリス当局は、現地の人々を直接的に統治するのではなく、元々分かれていた8つのグループにある程度自治を行わせる間接統治の形をとった。そして、1920年代以降、当局は保護領における自治の形を整えていった。1951年には合同諮問評議会(JAC)を設立し、保護領における法案の審議などを行った。さらに1961年には立法評議会(LEGCO)を設立した。これは保護領内において初の立法権を持つ機関であり、独立するにあたり必要な基本的な法を作成し、交付まで行った。
そんな1960年代に、ベチュアナランドの独立の動きは加速することとなる。その中心となったのが、ツワナ人の有力なグループであるバナンワトの人々の王で、保護領の設立の際にイギリスと交渉を行った3人の王のうちの1人であるカーマ3世の孫の、セレツェ・カーマ氏であった。彼は、イギリスや南アフリカで法律を学んでおり、帰国後1962年にベチュアナランド民主党、後のボツワナ民主党(BDP)を結成した。そして彼は、1961年に既に結成され、白人入植者の追放など急進的な方針を打ち出していたベチュアナランド人民党、後のボツワナ人民党(BPP)と対照的に穏健な政策を取り、民衆の支持を集めていった。そして1963年にイギリスがベチュアナランドの独立計画を発表し、その2年後の1965年の選挙においてBDPは全体の8割の票を獲得し、政権を勝ち取った。同年には憲法が制定され、最終的に1966年、ベチュアナランドはボツワナに国名を変更してイギリスからの独立を果たしたのだ。
安定した成長と民主主義の確立
独立後、セレツェ・カーマ氏が初代大統領に就任したが、独立直後のボツワナは、国内の舗装された道路はわずか12キロメートルしかなく、わずかな人しか中学校を卒業しない、という状態であった。
しかし、そんなボツワナの成長に大きな影響を与えたのが、独立翌年の1967年に発見されたダイヤモンドの原石の鉱山の存在であった。この発見の後、ボツワナはダイヤモンドの原石の安定的な採掘や輸出を通じて収入の確保や外貨の獲得に成功した。

ボツワナの鉱山の様子(写真:Cretep / Wikimedia Commons [public domain])
そして、ダイヤモンドの原石の輸出により、ボツワナは目覚ましい発展を遂げることとなる。1975年から1995年の20年間にわたって、ボツワナの実質経済成長率は年平均9.2%を記録した。また、一人当たりの国内総生産(GDP)も上昇し続けており、隣国のジンバブエと比較すると1990年時点ではボツワナはジンバブエのおよそ3倍であったが、2020年にはその差はおよそ8倍にまで拡大している。
また、ボツワナは独立以降、民主主義体制を確立していった。独立当初からボツワナでは選挙において、過半数の票を得た政党が全ての権力を手に入れるという、勝者総取りシステムと呼ばれる制度を導入している。このシステムにより、ボツワナではBDPがずっと政権を握ってきたことで批判の対象となってきたが、独立以降憲法通りに選挙を行い、統治してきた。
そうした民主的な政治制度とダイヤモンドの輸出によって得た収入をもとに、セレツェ・カーマ氏は自身が亡くなる1980年まで3期の間大統領を務め、国内のインフラや教育施設の整備、さらには義務教育の無償化などの政策を行った。
また、カーマ氏が亡くなった後も民主主義なプロセスで政権は引き継がれ、1980年から1998年はクェット・マシーレ氏が、1998年から2008年はフェストゥス・モガエ氏が大統領を務めた。そして、モガエ氏は退任時の2008年にアフリカのリーダーシップに関するモ・イブラヒム賞を受賞した。この賞は、民主的に後継者にその権力を引き継ぎ、自国の発展に貢献したと評価されたアフリカの権力者に送られる賞であり、過去には南アフリカの元大統領のネルソン・マンデラ氏も受賞している。
このように、ボツワナは独立以降民主主義を保ちながら、ダイヤモンドの輸出を中心に大きく経済成長を遂げてきたのだ。

ボツワナの国会(写真:Shosholoza / Wikimedia Commons [CC BY-SA 3.0 DEED])
ダイヤモンドの収益は誰のもの?
ボツワナの発展に大きく貢献してきたダイヤモンドだが、ダイヤモンドやその貿易の収益に関しては議論が存在している。1967年にダイヤモンドの鉱山が発見されて以来、ボツワナ政府は南アフリカ発祥で、イギリスに本社を置くデビアス社と共同で合弁会社デブスワナを設立し、その会社を通じてダイヤモンドの輸出を行っている。ボツワナのダイヤモンドは世界でもトップクラスの産出量を誇り、全世界のダイヤモンド生産額のおよそ25%を占めている。そんなダイヤモンドの収益はもちろんボツワナにとっても大きなものであり国のGDPの40%、政府の収入の33%、外貨収入の70~80%という膨大な割合を占め、名実ともにボツワナの経済を支えている。またボツワナのダイヤモンドに大きく依存しているのはデビアス社も同様で、貿易で取引するダイヤモンドの原石のうち70%は同国産のものになっている。
ただ、ここで問題とされているのは、ボツワナ政府とデビアス社の間での、ダイヤモンドの取り分に関する取り決めである。2011年の取り決めでは、算出したダイヤモンドの原石のうちボツワナ政府の取り分は10%のみとされ、残りの90%は全てデビアス社の取り分とされた。この取り決めは2020年に改正され、ボツワナ政府の取り分は25%に拡大した。
また、この取り決めではボツワナ政府側はダイヤモンドの原石の取引しか行えないことになっており、ダイヤモンドを加工した宝飾品の製造や販売もできない状態となっている。このルールによりボツワナ政府はダイヤモンドの原石に付加価値をつけることができず、実質的に加工や装飾ができればボツワナ政府が得られるであろう利益が無くなっている、と言える。ただ、ボツワナ政府はデビアス社の株を15%保有しており、政府がデビアス社全体の利益からその恩恵を得て利益を得ているという事実もある。

デビアス社のダイヤモンド販売店(写真:S MAISOUE / Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0 DEED])
そのような自国のダイヤモンドの利益をめぐるボツワナ政府とデビアス社の対立が長年続き、最終的に決着が着いたのが2023年であった。この従来の取り決めが2021年に期限切れになることを受け、モクウィツィ・マシシ現大統領が交渉を行ったのだ。彼は、2021年にこの交渉に際し「奴隷になることは避けなければならない」と述べ、最終的にデビアス社との関係を終わらせることもちらつかせた強固な姿勢でボツワナの利益を増大させることを目指した。さらに、この交渉の追い風になったのが、2022年のロシア・ウクライナ戦争である。この戦争以前、ロシアは世界最大のダイヤモンド産出国であったのだが、ウクライナへの侵攻開始後にロシアに対する経済制裁として欧米がロシアのダイヤモンドを輸入しなくなった。その結果、ロシアに次ぐ世界2位の産出国であったボツワナは実質世界最大のダイヤモンド輸出国となり、同国のダイヤモンドの価値が大きく上昇することとなった。
この交渉は元々2018年から始められ、2021年には終了する予定であったが、新型コロナウイルスの影響もあり2023年まで続くこととなった。そして最終的にはマシシ氏の強硬姿勢と上記のような要因も相まって、2023年の合意では、政府側のダイヤモンドの原石の取り分は徐々に増加することとなり、2033年にはボツワナの取り分は50%にまで増加することとなった。
ただ、ダイヤモンド原石の加工や加工品の販売については現在でもできない状態となっており、その部分についても改革が待たれる状態となっている。
民主主義の陰り
さて、そのようにダイヤモンドの原石をもとに富を増やし、経済成長をしてきたボツワナだが、その一方で長年にわたり築き上げてきた民主主義に関して暗雲が立ち込めているようだ。そのきっかけとなったのが、2008年にモガエ氏に代わって大統領に就任したイアン・カーマ氏である。彼は同国の初代大統領であるセレツェ・カーマ氏の息子であり、彼の政権からボツワナの民主主義に疑問が生じ始めた。その疑問の原因の一つとして考えられるのが、彼が就任後設立した諜報・サービス当局(DISS)と呼ばれる諜報部隊の存在だ。この部隊は、以前から存在していた汚職・経済犯罪総局(DCEC)と協力し、ボツワナ国内で政権の汚職や腐敗を暴こうとする動きを徹底的に監視するようになった。それにより、政府による腐敗を調査するジャーナリストが逮捕や拘留の対象となり、報道の自由が制限された、という指摘がある。

イアン・カーマ氏(写真:GovernmentZA / Flickr [CC BY-ND 2.0 DEED])
そして、そんなカーマ氏の後、2019年に大統領に就任したのが、現大統領であるモクウィツィ・マシシ氏だ。彼について特筆すべきは、前任の大統領であるカーマ氏との対立である。マシシ氏が大統領に就任するにあたり、カーマ氏は与党であるBDPを離党した。その後、大統領となったマシシ氏は、カーマ氏の汚職疑惑を告発した。カーマ氏はこの事件について無実を主張し、後の調査により彼の無実が明らかになった。また、カーマ氏は銃器の不法所持の疑いで逮捕状が発布されている。
一方、カーマ氏はマシシ氏の政権を批判し、民主主義が損なわれていると主張している。そして、与党であるBDPに対抗する野党ボツワナ愛国戦線(BPF)と結束し、BDPから与党の座を奪うことを目指し、現政権と全面的に争う姿勢を見せている。
さらにマシシ氏には、2019年に行われた選挙において不正を働いた、という疑惑が浮上している。彼やBDPが、選挙において勝利するために選挙管理委員に賄賂を渡して買収し、有権者の二重投票を行い、さらに諜報員をも使ってその不正の調整を行わせていた、という報道が出ているのだ。
このように、両者の間の対立の激しさは明らかであるが、ここで問題として考えられるのは、マシシ氏の一連の行動である。カーマ氏が有罪であるかどうかは不明であるものの、このように現職の大統領が現在も国政に携わる前大統領を様々な容疑で起訴し、疑いをかけることは、自身の権力への脅威になりうる政治家を抑圧していると捉えられかねない。

モクウィツィ・マシシ氏(写真:UNCTAD/ Flickr [CC BY-SA 2.0 DEED])
そして、その影響は様々な指標としても現れている。民主主義の多様性 (V-Dem)という研究機関が毎年出している民主主義指数では、マシシ氏の大統領就任後の2020年から、ボツワナはその数字を落とすこととなった。国別のランキングを見ると、2019年以前のデータでは、ボツワナは50位前後であったのが、2020年以降のデータでは60位台に低迷し、最新の2022年のデータでは、その順位は69位になっている。
また、その影響がボツワナ人たちの感覚としても現れている。それが、彼らを対象にした民主主義に対する満足度について定期的に行われているアンケートである。2008年と2018年に、彼らに同国の民主主義のありかたについて満足しているか聞いたところ、2008年には満足していると答えた人の割合は83%にのぼったが、2018年に同様の調査を行うとその割合は59%となり、24%もその割合が減少する、という結果となった。
これらの指標から、近年の政権の不正疑惑や政治的な対立の影響が外部の調査だけでなく、自国の国民にも感覚的に表れている、ということが言えるだろう。
そのほかの課題
現在ボツワナが抱えている課題は、このような民主主義の問題だけではない。まず1つ目の課題として、国内の経済格差が挙げられる。ダイヤモンドの原石の貿易によって多くの富を得ているボツワナだが、その富はうまく社会全体に行き渡っていないと言える。国内では貧困状態にある人々が多く、2015年の時点で人口の約67%がエシカル(倫理的)な貧困ライン(※2)以下で生活を送っていた。また、国内における失業率も高いものになっており、2019年の世界銀行の調査ではその割合は18.2%となっている。そして、社会における所得の不平等さを表すジニ係数において非常に高い値を記録し、世界全体で見ても第7位の数字となっている(※3)。このように、所得の分配も大きな問題となっている。
次に2つ目の課題としてダイヤモンドへの経済的な依存が挙げられる。先述の通り、ボツワナは輸出の大半をダイヤモンドの原石が占め莫大な収入を得ているため、文字通りダイヤモンドなしでは経済が成り立たない状態となっている。しかし、ボツワナのダイヤモンドの生産は現在ピークに達しており、2030年にはその埋蔵量が枯渇する可能性がある、と指摘する専門家もおり、その依存の改善は大きな課題となっている。
さらに、これまでダイヤモンドの原石の鉱産収入に頼りっぱなしであったためにボツワナ国内の製造業はほとんど発展していない。また、第一次産業に関しては、牛の飼育による畜産は発展しているが、それ以外に関しては、気候や土地の状態などの要因もあるが、あまり発展が見られなかった。

ボツワナでの牛の放牧の様子(写真:Franklin Pi / Flickr [CC BY-SA 2.0 DEED])
最後、3つ目の課題として、ツワナ人とサン人との関係が挙げられる。サン人はボツワナの領土に何千年も前から住む先住民であり、狩猟を中心に伝統的な生活を送ってきた。しかし、1960年代にツワナ人が中心となった政府がその土地を自然保護区に指定し、1990年代後半にはサン人が保護区外に強制移住させられたことで、彼らの生活は脅かされることとなった。さらに、政府はサン人が保護区に入ることや、保護区において狩猟を行うことを禁じたのだった。
そんな一連の政府の行動に対し、サン人の多くは大きく反発し、最終的には法廷での争いにまで発展した。そして、判決においてはサン人が勝利することとなったが、政府はその判決を無視し、いまだサン人が彼らの伝統的な土地である保護区に戻ることは実現していない。そして、こういった政府の行動の裏には、保護区内にダイヤモンドの鉱山があることが大きな要因として考えられ、サン人の伝統的な生活が戻る見通しは無いままである。
以上のように、ボツワナではダイヤモンドの原石に関する問題だけでなく、様々な問題が入り乱れる状態となっている。
ボツワナの展望
さて、ここまでボツワナの民主主義の発展から近年の民主主義に対する不安までこの記事で触れてきたが、今後のボツワナの展望はどうなるだろうか。それに際しまず注目すべきは、2024年に行われる予定の国政選挙の行方だろう。BDPが政権を維持することも、逆にBPFなどの野党が政権を手に入れ、独立後初の政権交代が起こることも、自由な政治活動や報道活動が保障された民主的なプロセスにのっとった正当な選挙の結果の上であれば称賛されるべきものである。
ただ、どちらが政権を勝ち取ったとしても、カーマ氏とマシシ氏の両氏の過去の行いから見るに、ボツワナが築いてきた民主主義という体制の維持には疑いの目がかけられ、国民の実感を見ても問題視されていると言える。ここまで安定して成長し、民主主義を発展させてきた国であるだけに、その民主主義の復活、ないしはそのさらなる発展が願われるところだ。
※1 ジンバブエ帝国は、1200年代~1400年代にかつて存在していた国である。首都を現在のジンバブエ南東部にある都市グレートジンバブエに置き、金や象牙の取引で栄え、最盛期には王国の伝統であった首都に石造りの建物が並んだ。しかし15世紀になると王国は衰退し、現在その首都は廃墟となっている。
※2 GNVでは世界銀行が定める2021年現在の極度の貧困ライン(1日1.9米ドル)ではなく、エシカル(倫理的)な貧困ライン(1日7.4米ドル)を採用している。詳しくはGNVの記事「世界の貧困状況をどう読み解くのか?」を参照。
※3 ジニ係数とは、世界銀行が発表している、社会における所得の不平等さを示す指標である。その係数は0~100%の間で示され、0%が完全に平等な状態、100%が完全に不平等な状態を表す。ボツワナのジニ係数は最新の2015年のデータにおいて53.3%となっている。この値は世界的に見るととても高いものとなっている。ただ、その前のデータではジニ係数が60%を超えることもあり、少し改善傾向にあると言える。
ライター:Yudai Sekiguchi
グラフィック:Ayaka Takeuchi