21世紀に入って東ティモール、モンテネグロ、セルビア、コソボ(※1)、南スーダンと5つの新しい国が誕生した。最近、そのリストに名を連ねるかもしれないと話題になっている地域がある。それは現在パプアニューギニア(PNG)に属するブーゲンビルだ。というのも2019年12月11日に公表された住民投票によれば、投票率は85%、うち98%が独立に賛成票を投じ、独立を熱望する人々の多さが示される結果となった。しかしなぜこのような住民投票が行われたのか?この記事では、ブーゲンビルの歴史や住民投票に至った経緯、現在の課題について探っていきたい。

海に囲まれたブーゲンビル島(写真 :Rapa Nui/pxhere[Public Domain])
ブーゲンビルの概観
ブーゲンビルはPNG東端に位置する面積9,300平方キロメートルの諸島である。その中には小さな島々も含まれており、北端にあるブカが政治の中心地である。PNGは853もの言語が使用されていることで有名だが、ブーゲンビル内だけでも主要言語の数は19に上るとされている。また、ブーゲンビルは金や銅などの天然資源や海洋資源が豊富である。そして、ブーゲンビルは母系社会であることも1つの特徴である。そこでは、土地が母から娘に受け継がれ、土地の使用方法などで女性が主要な意思決定を行っている。
ブーゲンビルは少なくとも3万年前から人類が定住したことが推定されている。自然地理上では、ブーゲンビルはソロモン諸島に属する。そのため、両者は歴史的に人の移動や交流の経緯から文化的、民族的に近く、「北ソロモン州」とも呼ばれてきた。しかし近代に入ると、ブーゲンビルは多くの国の植民地となり、その都合でソロモン諸島と分断された。つまり、ソロモン諸島はイギリス領に、ブーゲンビルはPNGの一部としてまずドイツ領になったのだ。ブーゲンビルを含むPNGは1885年からドイツに、また第一次世界大戦が勃発すると同時にオーストラリアに占領され、大戦後も国際連盟からの委託を受け、引き続きオーストラリアの統治に置かれた。そして第二次世界大戦中の1942年、日本に侵攻され、連合軍も反撃のために上陸したことでこの島は激戦地となった。戦後、1975年のPNGの独立まで再びオーストラリアの統治下に入った。PNGの独立時、ブーゲンビルの政治家は「北ソロモン共和国」としてPNGとの分離独立を望んでいたが、国際的な承認を得ることができず、その翌年国連の提案に妥協する形でPNGの領域となった。
PNG独立前まで(~1975年)
ブーゲンビルの現代史は鉱物資源と深く結びついている。ブーゲンビルの銅鉱床は当時まだPNGが植民地下にあった1964年4月にオーストラリアのコンジンク・リオティント(CRA)採鉱会社による試掘調査が行われて初めてその存在が公になった。CRA採鉱会社の採鉱チームが低品位鉄鉱石のサンプルを採取し始めてから、その地域の住民は先祖伝来の土地を失うことに危機感を抱くようになった。警官が彼らに圧力をかけるために銅鉱床を頻繁に訪れるようになり、それに対抗する住民団体や政党が生まれた。ある神学校の学生団体は「ダイアローグ」という雑誌で行政庁に対してブーゲンビルの大規模開発を非難した。また、非公式の独立をめぐる住民投票が行われたり 、その投票結果を受けてオーストラリアに公式の住民投票や自決の権利を要求したりする動きも起こった。
また、植民地下のPNG政府とCRA採鉱会社の間で、オーストラリアの法律に基づき、ブーゲンビルの住民とほとんど協議をしないまま交渉が行われ、1967年に「ブーゲンビル銅協定」という合意が締結されたことは島内で大きな反響を呼んだ。両者の交渉の結果、1972年ブーゲンビルのパングナで銅鉱床が活動を開始した。鉱山用の土地の取り上げ方においてもいかに住民が蔑ろにされたかが窺える。その一例として、土地所有権は母系にあるのにもかかわらずオーストラリアからの取得交渉に来た担当者が誤って男性に権利を帰属したことが挙げられる。最終的に先祖代々の土地を放棄せざるを得ないという状況に対して、ある女性が「自分の子供と一緒に会社のブルドーザーの下で押しつぶされた方がましだ」と絶望したという証言もある。
ブーゲンビルにとってその利益の配分率は到底納得のいくものではなかった。なぜなら、CRA採鉱会社が利益のほとんどを占め、植民地下のPNGが得られる利益は僅か1.25%。更にそこからブーゲンビルが得られるのはその5%であったからだ。言い換えれば、100万米ドルの利益につき625米ドルということである。この資金はインフラ整備に一役買ったものの、貧富の差の拡大、環境破壊、労働者の低賃金等多くの問題を生み出した。結果的に、銅鉱床というブーゲンビルの金の卵が搾取されている事態に堪忍袋の緒が切れたといえよう。
混沌とした状況の最中、CRA採鉱会社の子会社であり、1967年に設立されたブーゲンビル銅山会社(BCL)の活動が始まってから、パングナ鉱山は予想されていた以上の成果を上げた。操業開始から3年間、PNG国内総生産の約3分の1と、輸出額の半分以上を占めた。当初からブーゲンビル銅協定がBCLを優遇しすぎているとの声があったため、1974年10月に協定が見直され、PNGが受け取る金額が1.25%から20%に引き上げられたが、鉱山が生み出す富のわずか1%にあたるだけで、その利益は必ずしも島民に享受しなかった。それゆえPNG政府に非難の矛先が集中し、分離独立運動をエスカレートさせる結果となった。

かつてのパングナ鉱山の建物の一部(写真:madlemurs/Flickr[CC BY-NC 2.0])
PNG独立後に起こった紛争
1975年9月、PNG本国がオーストラリアから独立を遂げる直前、ブーゲンビルの活動家が中心となり北ソロモン共和国として一方的に独立を宣言した。ブーゲンビルで最も影響力のあるキリスト教会も公式的にこの宣言を支持し、島民の大部分も歓迎した。しかしながら、PNG初代首相マイケル・ソマレ氏が北ソロモン地域の資産を凍結したことで共和国政府指導者は孤立し、経済的、政治的に疲弊した。独立宣言から半年後、両者の間で会談が開かれ、共和国に州の中で自治政府を認めることで一連の分離主義運動は終焉を迎えた。
ブーゲンビルの独立運動は1977年から約10年間沈静化していた。しかし、1987年のPNG総選挙でブーゲンビル地区から立候補したジョン・モミス神父の「BCLの総売上高の4%を、島民に還元すべき」という主張を発端として再び焚き付けられた。また、その翌年1988年には銅山会社の測量技士で、鉱区の代表でもあるフランシス・オナ氏がモミス氏に乗じる形で、所有物の略奪と環境破壊への補償として100億キナ(28億米ドル相当)という巨額な金額を要求した。その年11月にオナ氏が先導者となって反政府勢力であるブーゲンビル革命軍(BRA)を創設し、政府施設を襲撃したことで10年間にわたってブーゲンビル危機と呼ばれるゲリラ戦に突入した。この間の1997年にはPNG政府が反政府勢力を鎮圧するために国外から傭兵を雇おうとしたが、メディアにリークされて当時のジュリアス・チャン首相が退陣に追い込まれた事件(サンドライン事件)が発生した。
政府は危機が始まってすぐに非常事態を宣言し、オーストラリア政府はPNG政府に2億米ドルもの軍事援助を行った。その翌年の1989年5月に操業開始から17年間、PNGの輸出額の約44%を占めていたパングナ鉱山は反政府勢力によって鉱山の設備が破壊されたり、給電装置が爆破されたりしたため閉鎖された。政府側も対抗してブーゲンビルの海と空を封鎖したことで諸島に必需品の供給が絶たれ、飢餓や病気に苦しむ人々が続出した。この紛争では、島の20万人の住民のうち15,000人から20,000人もの民間人が犠牲になり、40,000人が避難したといわれている。また、紛争の後もそのトラウマからアルコールや薬物乱用、犯罪などが発生し、住民がメンタルヘルスの問題に悩まされていることが報告されている。

PNGの兵士(写真:Nick-D/Wikimedia[Public Domain])
和平に向けて
ブーゲンビル危機の最中に行われた停戦や和平に向けた話し合いで出された譲歩案も実を結ばず、1990年5月にBRAのオナ氏がブーゲンビル共和国の一方的独立を宣言した。しかし、島内の経済状況悪化に伴い同年7月にPNG政府と第一次和平会談を行った。そこでは、PNG政府が軍事力を行使せず、ブーゲンビル島民にとって教育、保健衛生、通信といった不可欠なサービスの提供を再開することを約束した。
翌年1991年1月に第二次和平会談が開催され、和平、調停、および復旧に関する宣言である「ホニアラ宣言」がソロモン諸島のホニアラで採択された。そこでは6カ月ごとに実施状況が調査され、場合によっては取り決めを破棄できることが記された。また、PNG政府は荒廃したブーゲンビルの社会経済生活を復旧させるため引き続き各種行政サービスの供与が要請された。
同年7月に予定されていた第三次和平会談は延期を重ね、ついに実現に至ることはなかった。ホニアラ宣言の内容が両者とも履行されず、形骸化してしまったのがその一因である。それでも1997年に交渉が再開され、国際連合の停戦監視グループがブーゲンビルで活動を始めた。1998年に停戦の署名がなされ、その3年後の2001年、冒頭にもある「ブーゲンビル和平合意」が結ばれ、ようやくこの紛争に終止符が打たれた。

選挙の投票所の様子(写真:Commonwealth Secretariat/Flickr[CC BY-NC 2.0])
ブーゲンビルの住民投票
「ブーゲンビル和平合意」では3つの重要な要素が組み込まれている。それは自治、住民投票、武器廃棄計画だ。自治に関しては、2004年に完成したブーゲンビル自治州の憲法の下で政府や議会、裁判所を認めるなど幅広い権限、機能、資源を統制できること。その一環で大統領という職が設けられ、2005年以降大統領選挙が行われている。住民投票に関しては、第1次自治ブ―ゲンビル政府が選出されてから15年後(2020年6月)までに独立住民投票が行われること。武器廃棄計画に関しては、実施可能になり次第、段階的に兵器が処分されることを定めた。
この合意に基づいて2019年に住民投票が行われた。11月23日から2週間にわたって行われ、最終的に投票率は85%、そのうち98%(176,928人)が独立に投票し、PNGに残ると投票したのは2%にも満たなかった(3,043人)。しかし、その結果だけで直ちにブーゲンビルが独立できるかといえばそうではない。最終的な権限を持っているPNG国会の批准が必要であり、その後ブーゲンビル政府との交渉がまとまりようやく念願の独立が果たされることになるのだ。PNG政府も自国の一部を失うという前例は作りたくないだろうからそのプロセスは一筋縄ではいかないことが予想され、10年以上かかると予想する声もある。現に今のところ、PNG政府はブーゲンビルの独立に積極的な見方をしていない。

住民投票のポスター(写真: Nick Potts)
ブーゲンビルは独立できるのか?
では、ブーゲンビルは独立するのに十分な経済的基盤はあるといえるのか?残念ながら答えはノーと言わざるを得ないかもしれない。なぜなら、1989年から今に至るまでパングナ鉱山は閉鎖され、ブーゲンビル和平合意で定義された自立に必要とされる収益の未だ56%しか生み出されていないからだ。そのため、PNGやオーストラリアといったステークホルダーからの支援が不可欠である。この状況に関連して、オーストラリアと影響力を競っている中国がブーゲンビルに鉱業、観光、農業の投資をするオファーをしているという噂もある。
そして、一番の難題がパングナ鉱山の処遇である。銅や金などの鉱物資源に恵まれたブーゲンビルだが、パングナ鉱山ほど富をもたらすと考えられているものはない。この話題は2020年のブーゲンビル自治州の選挙でも最大の焦点となっているが 、再開すべきか否かの答えを出すのは容易ではない。さしあたり閉鎖されている鉱山から10億トン以上の鉱山廃棄物が垂れ流され、現在も川を汚染している。そのため、鉱山の周辺住民が下痢や皮膚病変などの健康被害に遭っていることが報告されており、現在進行中の人権災害といわれている。このためリオティント(CRA採鉱会社は1995年に改名)はブーゲンビルの人権侵害の責任を負うべきだとして2020年人権法律センターに告発された。
現下鉱山を再開するための調査が進行中であるが、再稼働のための建設費が40から60億米ドルと推定されており、また再開できるのは早くとも2025年まで待たなければならない。このようなリスクは伴うものの、今もなお530万トンの銅と550トンの金が埋蔵されていると予想されており、それらは約580億米ドルの価値があるとされている。また、住民の中にも賛成派と反対派に分かれている。繁栄をもたらして教育や医療分野が発展するという見解もあれば、これまで起こった環境破壊、人的被害を慮れば再開は中止すべきとの見解もある。
このように、現在の状況では完全な経済的自立は困難ではあるが、別の分野において明るい展望が見られている。ブーゲンビルは鉱業以外に漁業やココアのプランテーションなどの別の収入源が既に存在しているということだ。ブーゲンビルはPNGの魚の漁獲量の30%を派有しており、それは年間1千~3千万ドルを生み出している。また、ブーゲンビルは最近復活した乾燥ナマコといった希少価値の高い水産物の輸出国でもある。小規模な金鉱業も含めて様々な産業が動き出しており、それはブーゲンビルの経済的自立に貢献するかもしれない。

ブーゲンビルの都市ブカで海峡を眺める少年(写真:Antman!/ Flickr[CC BY-NC 2.0])
ここまで分析してきた通り、ブーゲンビルの住民投票で民意が反映されたとはいえ、独立に向けた道のりは長く、パングナ鉱山について言えば功罪が相半ばしているため慎重に計画を進めるだろう。環境問題に対応するための持続可能な開発、教育の機会を十分に保障するための政策、メンタルヘルスの解決といったように課題が山積している中でどのようなステップがとられるのか今後の動向が注目される。
※1 2008年2月、コソボ議会がセルビアからの独立を宣言し、実質的に独立状態にある。2020年の時点でまだ国連加盟を果たしていないが、193の国連加盟国のうち92カ国がコソボの独立を認めている。
ライター: Koki Morita
グラフィック: Yow Shuning
ブーゲンビルの鉱山のことを全く知らなかったので勉強になりました!
独立後のことを考えると、必ずしも独立できればいいというものでもないと思い、難しい問題だなと思いました。
大多数の人が独立を望んでも、様々な問題からすぐに実行には移せないという現状について詳しく知ることができました。