2021年2月、ネパール、バングラデシュ、ラオスの社会経済状況が評価され、「後発開発途上国(LDC: Least Developed Countries)」という国連が設ける分類からの「卒業」が推奨された。これは国連開発政策委員会(※1)の決定であり、3か国は5年間の準備期間を経て、2026年に「後発開発途上国」から卒業する予定だ。また、世界銀行が設けている別の分類でみると、この3か国はすでに「低所得国」から「下位中所得国」に昇格している。一見、貧困から抜け出し、「開発」が進んでいることのあわられとも捉えられるが、同じ世界銀行のデータによると、ネパールとバングラデシュでは人口の半分以上(それぞれ51%と52%)は月々100米ドル未満で生活しており、極めて深刻な貧困状況とも捉えることができる。ラオスでも人口の37%は同じ状況に置かれている。
「発展途上国」と「先進国」、「低・中・高所得国」など、各国の社会経済状況を分類するのに、様々な言葉が用いられている。このような社会経済状況の分類、もしくはその分類に付されたラベルは世界各国の貧困の度合いに対して我々が持つイメージを形成しているとも言えるだろう。しかし、実際のところ、これらの分類はどのような意味を持っているのか。そして世界が抱えている貧困や格差の課題をどれほど捉えることができているのだろうか。この記事では貧困の尺度を表す様々な分類の方法に隠された問題を探る。

低所得者層のアパートビル、バングラデシュ(写真:Zoriah / Flickr [CC BY-NC 2.0])
貧困からの「卒業」?
2021年の時点で、世界の46か国が国連によって「後発開発途上国」として分類されており、そのうちの33か国はサハラ以南アフリカにある。では、どのような基準で「後発開発途上国」となり、どのようにして卒業していくのか。後発開発途上国からの卒業には3つの基準が設けられ、一定のレベルを超えると後発開発途上国からの卒業が決まるという仕組みとなっている。その基準の1つが一人当たりの国民総所得(GNI)である(他の2つの条件については下記に紹介する)。つまり、その国の国民が国内外で得ている所得だ。しかし後発開発途上国からの卒業基準となっているGNIの条件は決して高いとは言えない。2021年の時点で、基準として設定されているGNIは年間一人当たり1,222米ドル以上である。これは月々約100米ドルの計算となる。
世界銀行による各国の低・中・高所得国への分類も年間一人当たりのGNIで決められている。しかし「後発開発途上国」からの卒業と同じく、「中所得国」への昇格に必要な所得の設定が非常に低い。「中所得国」という言葉からすると、裕福ではないものの、貧困が蔓延していない状態を想像するだろう。しかし、現状はそのようなイメージとは異なる。2021年の時点で、年間一人当たりのGNIが1,046米ドルを上回ることができればその国は下位中所得国となり、4,096米ドルを超えると、上位中所得国としてみなされる。さらに、12,695米ドルをクリアすると高所得国となる。月額に換算すると、最低限の生活すらままならないような87米ドル(平均)を超えると中所得国に、1,058米ドルで高所得国に昇格することとなる。
世界の多くの問題が解消されつつあることを主張する書籍『ファクトフルネス』の著者であるハンス・ロスリング氏は世界銀行のこれらの分類を用いて、世界の大半の人々が中所得国に暮らし、貧困でも裕福でもなくその間に位置すると論じる。西洋の国々とその他の国々、裕福な者とそうでない者との間のギャップはもはやないとまで断言(※2)した。
しかしこのデータの見せ方も、たどり着く結論も非常にミスリーディングなものだと言わざるを得ない。既述のように世界銀行の基準では「中所得国」になるのに設定されている所得のレベルがあまりにも低いことに加え、主張を裏付けるために用いられているグラフにも大きな問題がある。年間一人当たりのGDP(国内総生産)と平均寿命を基準にしているが、GDPの目盛りの数字が均等にではなく、倍ごとに増えているのだ。このグラフを左右半分で見た時、左半分の目盛りではGDPは0から5千米ドルまでしか増えないのに対して、右半分では5千から20万米ドルにまで増えているのだ(※3)。その結果、緩やかなグラデーションで各国の一人当たりGDPが徐々に増えているように見えるが、事実はそうではない。同じデータを用いて、一人当たりのGDPの目盛りを均等に配置するだけで以下のようなグラフになる(再生ボタンで1986年から2015年の30年分の変化が表示される)。
このようにしてみると国別の格差が一目瞭然であろう。一人当たりのGDPが1千から2千米ドル程度にとどまっているアフリカ諸国やインドなどと、1万米ドル程度にまで成長した中国、ブラジル、メキシコなどと、3万から6万米ドルもある欧米や日本など、それぞれのグループとの間には大きな隔たりが存在していることが明らかである。この30年間でほとんどの国のGDPも寿命も増えているが、GDPが著しく低い国々(特にサハラ以南アフリカ)の状況はそのほかの地域と比較しても改善状況が非常にゆっくりであると言えるだろう。一方、グラフの左側から右側への移動が最も大きい、つまり最も成長しているのは元からGDPが高かった欧米や日本の国々であり、他のほとんどの国を大きく引き離し、各国の収入の差が広がるばかりだということもわかる。さらに、密かに富の集中を促すタックスヘイブンのシステムを設けているスイス、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、チャンネル諸島(英領)、バミューダ(英領)などにおける8万米ドルを上回るGDPの急激な成長も目立つ。ここからわかるのは国別の一人当たりのGDPで見ると世界の格差が非常に大きく、かつ広がっているということである。
所得レベルで貧困を考える
しかし、国の一人当たりGDPやGNIだけでは世界の経済や貧困の実態は見えてこない。問題を2つ挙げることができる。1つ目に、これらの指標はある国の総生産・所得を全人口で割っている平均数値に過ぎず、国内で激しい格差があってもまったく読み取れない。また、各国の平均をとっているために、国同士の比較はある程度できたとしても、世界の全体像を把握するのに適していない。2つ目に、GDPとGNIはあくまでも金銭的な価値が付けられているものしかカウントすることができず、経済や社会の実態が十分に見えてこない。例えば、経済にとって必ずしも有意義でない(もしくは有害な)投機による金銭的な動きはカウントされるが、社会や経済の成長に必要不可欠な子育てや家事労働の価値はカウントされない。また、ものづくりなどから発生する公害や環境破壊による被害も考慮されない。
1つ目の問題を踏まえ、世界で貧困状態にある人々の実態を捉えるために、一定の所得以下で暮らす人々を数えることができる。なお、世界の全人口を比較することにあたって、単位として米ドルが用いられるが、物価の違いで国によって同じ米ドルで買えるものが変わってくる。そこで各国・各地域での物価に合わせて米ドルの価値を調整した数値(購買力平価:PPP)が使われる。例えば、調整された1米ドル(PPP)で買うことができる穀物の量はどんな国で買っても同じだという計算となる。データが不足している場合が多く、決して完璧なシステムではないが、物価の安い低所得国であっても、物価が高い高所得国であっても、その米ドルの数値はおおよそ同じ価値のあるものとして扱うことができる。

茶畑、タンザニア(写真:CIFOR / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
しかし調整された米ドルで統一したところで出てくるさらなる問題は、貧困状態とそうでない状態を分ける線をどこで引くか、というものである。世界銀行は2015年以降、1日1.9米ドル以下で暮らす人が極度の貧困状態に値すると定めている。1990年に1米ドルと設定されてから、インフレに合わせて少しずつ引き上げられているこの線はもともと、15の低所得国で設定された貧困ラインの平均から決められた。
国連の持続可能な開発目標(SDGs)もこの数値を用いて、2030年までに極度の貧困を撲滅することをひとつの目標として定めている。つまり、1日1.9米ドル以下で暮らす人をゼロにすることが目指されているのだ。現状ではこの目標が達成される見込みはないが、そもそも1日に使えるお金が1.9米ドル(月額60米ドルに満たない金額)を超えた段階で極度の貧困から抜け出したことにならないのも明らかだろう。既述のようにこれはPPPによって調整されている金額なので、日本のような国に置き換えて考えることもできる。つまり、家賃、光熱費、食費、医療費、被服費などを全て換算した上で1ヶ月に6千円ほどの支出があれば極度の貧困状態にはない、と読み替えることができてしまうのだ。このあまりにも現実離れした貧困ラインが使われ続けるのは、より高く設定した場合、近年大きな改善が見いだせず、貧困削減の成果を見せることができなくなるからだという指摘もある。
「極度の貧困」は改善された?
世界銀行はこの1日1.9米ドルで暮らすという極度の貧困ラインに加え、「下位中所得国」の下位ラインを1日3.2米ドル、「上位中所得国」を1日5.5米ドルに設定している。では、このような所得レベルで暮らしている人がどれほどいるのだろうか。世界の人口をこれら分類に分け、1981年から2017年までの推移を示したグラフは以下の通りである。
世界全体で見ると、確かにこの表示されている36年間の間に1.9米ドルで暮らす人が大きく減少した。1日10米ドル以下の所得に絞ってみる限り、世界の貧困の度合いが全体的によくなっているのも間違いではない。しかしこのグラフは世界全人口の割合を表す数値であって、改善の度合いは地域によって大きく異なる。特に中国の急激な経済成長による貧困削減がこの改善の多くを占めている。では、現在も貧困が蔓延している地域ではどれほどの改善が見られたのだろうか。以下のグラフでは、サハラ以南アフリカに絞り、1990年から2018年までの期間(※4)で同じ分類、同じデータを基にした人口の割合を表示している。
サハラ以南アフリカにおいて、1.9米ドルのラインでは確かに一定の改善が見られ、約30年間で全人口の55%から40%に減少した。しかしそれ以外の分類では改善が極めて緩やかで本格的な改善と呼ぶには程遠い。また、所得の全体的な低さにも注目する必要がある。サハラ以南アフリカで最も極度の貧困状態(1日1.9米ドル)で暮らしている人々の多さ(人口の40%)は危機的なレベルであるばかりでなく、1日5.5米ドル以下で暮らす人を含めると86%にも上る。
そもそも、これほどまでに低い所得基準で世界の貧困や格差の状況を実態に沿って捉えることはできているのだろうか。1日5.5米ドル(月額170米ドル程度)、あるいは1日10米ドル(月額310米ドル程度)になったとしても実際の生活はどこまで可能だろうか。根拠が必ずしも現実に見合っていないこれらの所得基準に対して、「エシカル(倫理的)な貧困ライン」を提案する研究者もいる。寿命と所得との関係がその基準となり、暮らしに使える所得がどこまで下がると生存率が著しく下がるかを見極めたものである。つまり、極度の貧困ラインなど世界銀行が定める基準が複数の国の貧困ラインなどから算出されているのに対して、エシカルな貧困ラインでは生き延びることが保証できるかどうかを基準に最低ラインを定めている。「生きる」ことを基準にしているという点で客観性のある妥当な極度の貧困ラインとも言える。2015年の時点で、そのラインは1日7.4米ドルだと推定されている。世界銀行の2014年のデータによると、世界人口の半分以上(56.8%)がこの所得レベル以下で暮らしていた。
また、最低の貧困ラインを計算するのに、「ベーシック・ニーズ・バスケット」という概念・手法もある。特定の国や地域とその生活環境に合わせた、生活するのに最低必要な衣食住などの出費をリストアップし、その費用を計算したものである。国ごとの物価の違いのみならず、農村部と都会の差や、生活習慣や文化によって必要となるものとその価格が変わってくることが考慮されている。
極度の貧困(絶対的貧困)は生と死に密接に関わってくるが、相対的貧困(※5)にも十分な苦しさを伴う。2013年の時点で、高所得国であるアメリカでの貧困ラインは4人家族で23,600米ドル以下の年間所得として設定され、一人当たりに換算すると、5,900米ドルとなる。しかし同年にこの所得レベルに達していたのは世界人口の2割程度しかいなかったというデータもある。同じデータでは1人あたりの年間所得が14,500米ドル(月額1,208米ドル)を上回ると世界の所得上位10%に入る。さらに、所得のみならず資産額で世界の人々の状況をみると世界の格差はより顕著に現れる。

水を汲む女性、エチオピア(写真:Martchan / Shutterstock.com)
お金だけではない
ここまでは主に人々の所得という側面から貧困について考えてきた。これは貧困を考える上での重要な指標とはいえ、「お金」だけでは貧困を捉えることができない。「貧困」の形態は場所や状況によって大きく異なる。貧困を考えるにあたって、衣食住の存在はもちろん、大気質や水質、保健医療や教育の現状にも目を向けていく必要がある。そのためには個人の所得だけではなく、政府が提供する福祉制度やその他のサポート体制によっても人々の置かれる状況は異なる。現金はあまりないが自給自足の生活を営む農民から見た貧困は、都会の低所得者層地区に暮らす無職の人から見た貧困とは違う。ジェンダーや年齢、障害の有無、健康状態、教育の機会などによっても違う。その状態に置かれている人々にしかわからない側面も多々ある。様々な形態で現れる貧困のことを「多次元の貧困」という。
この現状を踏まえて、貧困をより包括的に捉えるために、イギリスのオクスフォード大学と国連開発計画(UNDP)によって多次元貧困指数( Multidimensional Poverty Index: MPI )が作られ、保健、教育、生活水準という3つの次元から貧困を数値化している。2021年の報告書では、調査の対象となった60か国のうち、43か国では多次元貧困の状態にいる人数が1日1.9米ドル以下で暮らす人の数を上回っている。UNDPによって作られた人間開発指数(Human Development Index: HDI)においても、多様な側面から人間開発の度合いを計るために同じ3次元が用いられている。
また、冒頭に挙げた「後発開発途上国」の区分でも、国連開発政策委員会 はGNIという金銭的な指標以外も卒業の基準として用いている。保健医療関連や教育関連の人的資源開発の指数と、経済の不安定性や自然災害の危険性なども反映される経済・環境的脆弱性の指数も設け、各国の開発の度合いを評価している。

ムンバイ、インド(写真:Max Pixel)
貧困の実態と向き合う
世界に対して、実態が反映されていない必要以上のネガティブなイメージを持つことは問題であろう。実際のところ、様々な側面からみて世界はよりよい状況になってきている。世界各地で予防接種プログラムによる地道な努力が実り、5歳未満児の死亡率が数十年で大きく減少している。マラリアなどの病気による死亡数も大きく下がっている。もっとも厳しいレベルの極度貧困状態も少し改善されている。
しかし、未だに世界の貧困の実態は極めて深刻であり、決して楽観視することはできない状況にある。現実的な基準に沿って測れば、世界人口の半分は極度の貧困状態に置かれている。貧困状態に置かれている人や国と裕福な人や国との間に大きなギャップが存在する。さらに世界を構成するマジョリティである低所得国とマイノリティである高所得国という二つの分類(※6)で見れば、世界の格差が縮まっていないことがわかる。それどころか、低所得国と高所得国の間にある格差は拡大しつつある。
貧困が改善されている部分に関しては、ポジティブに捉え評価することが重要である。しかし、現状では人々の苦しみがあまりにも大きく、そして改善状況はあまりにも遅い。世界の貧困と格差の実態を見つめると同時に、これらを助長するアンフェアトレード、不法資本流出、タックスヘイブンなどの問題を含めて、世界経済のあり方をもう一度考える必要があるのではないだろうか。
※1 国連開発政策委員会(Committee for Development Policy)は、経済社会理事会の下で経済、社会、環境の問題に取り組む諮問機関であり、 24人の専門家で構成されている。
※2 Factfulness: Ten Reasons We're Wrong About the World - and Why Things Are Better Than You Think, London: Hodder and Stoughton, 2018, p. 27.
※3 『Factfulness』(p. 98)では、所得が増えれば増えるほど、持っている人にとってその増加の価値が下がることを理由にこのような見せ方をしているとロスリング氏は説明するが、増加率があまりにも高すぎる上に、実際の金額で見たときに、低所得国と高所得国との間にある巨大なギャップの存在を否定できるものにはならない。
※4 世界全体の貧困状態の推移とサハラ以南アフリカの推移のソースとなっているOur World in Dataでも、サハラ以南アフリカに関するデータが1990年からしか表示されていないため、期間に差が生じている。
※5 相対的貧困とは「その国や地域の水準の中で比較して、大多数よりも貧しい状態」のことを指している。
※6 GNVでは「発展途上国」と「先進国」という言葉を使わず、「低所得国」と「高所得国」を用いる。「低所得国」が発展の途上にあるとは限らず、衰退している場合もある。また、「発展途上国」は「先進国」に追いついている最中だというニュアンスも含むとも捉えられる。このように、「発展途上国」という言葉は現実が必ずしも反映されておらず、現状の「先進国」のあり方を美化し、そこへ向かっていくことに希望を込めているかのように捉えられる。そのため客観性を欠いているとして誤解を招く言葉と考える。なお、GNVでは低所得国と高所得国は一定の一人当たりGDPやGNIなどを定めて定義しているわけではない。本文中のGDPと寿命を比較するグラフが示すように高所得国とそうでない国との間には歴然とした差があり、漠然としたグループとして使っている。
ライター:Virgil Hawkins
グラフィック:Madoka Konishi, Virgil Hawkins
ずっと読みたかったトピックを読むことができて嬉しいです。このサイトでは、「貧困」というワードそのものだけでなく、貧困に関連する記事も多く扱われていますが、漠然とした理解しか出来ていなかったように思います。この記事を読んだことで、世界の現実を知り、いまの世界(経済の中心である高所得国)がいかに楽観的で無責任であるかを知ることができました。現状をつくり出している一因である、タックスヘイブンなどについての記事も併せて拝見させていただきます。
普段ニュースで使われているキーワードに隠された現実について過去と比較してどうか、ということがグラフを用いられ解説してありわかりやすかったです。貧困問題は多角的な視点が必要だと改めて気付かされました。