2018年から2019年にかけて、かつてアラブの春を経験した国々に、再び革命が訪れようとしていた。背景には、北アフリカや中東の国々で権威主義体制に対して溜まっていた国民の不満が限界に達したことがある。スーダンとアルジェリアでは国民の不満が長期政権打倒につながった。さらにこれ以外の国で大規模なデモも発生した。街を人々が埋め尽くし、政権打倒を訴える姿は、かつての「アラブの春」を彷彿とさせることから、この一連の革命運動は「第二のアラブの春」とも呼ばれている(※1)。
第一のアラブの春がそうであったように、市民が失業、物価の高さ、腐敗を背景に立ち上がり、国民のデモが長期の権威主義政権を倒し、その動きが国境を越えて広がったという現象は、その後の世界情勢を左右するような重大な出来事と言える。果たして日本の報道機関はこの傾向を察知し、伝えることが出来たのだろうか。この第二のアラブの春と呼ばれる現象をどれくらい、そしてどのように報道していたのだろうか?今回は日本の報道機関による北アフリカの報道に注目して、その報道(※2)の在り方を分析する。

スーダンの都市アトバラに向かう列車で、抗議活動をする人々(Osama Elfaki / Wikimedia commons [CC BY-SA 4.0])
第一、第二のアラブの春
第一のアラブの春が起きたきっかけは、2010年12月にチュニジアで警察の腐敗に対する抗議のために青年が焼身自殺をしたことだった。この事件をきっかけに、チュニジア全土で政権打倒のための抗議活動が広まり、2011年1月にザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー政権が崩壊した。ここで特筆すべきは、この動きが国境を越えて中東や北アフリカ諸国に広がったことだ。チュニジアの政権崩壊後、エジプトでも反体制デモが起こり、その約1か月後に当時のムハンマド・ホスニー=ムバラク大統領が退陣し、同じく政権が倒された。このような反政府運動を受け、リビアやイエメンでも同様に政権が崩壊し、そのほかのアルジェリア、クウェート、シリア、スーダン、バーレーン、ヨルダン、モロッコ、といった国々でも反政府デモが起こった。いずれの国にも共通しているのは、長期の権威主義政権や経済格差、政治腐敗といった問題が国民の不満の背景にあったことだ。共通する苦痛を経験したこれらの国の民衆が一斉に立ち上がり、中東や北アフリカに広がった抗議活動は、長年の権威主義体制を冬に例えて、アラブの春と呼ばれている。
2018年を境に、北アフリカ諸国では再び権威主義政権や格差、腐敗といった問題が浮かび上がり、革命の要因が作られていった。まず、2018年12月にスーダンでインフレや生活必需品の価格高騰に市民が怒りの声を上げ、反政府デモが起きた。その後、相次いでアルジェリア、イラク、シリア、パレスチナ、レバノンといった国々に再び経済問題の解決や民主化、政権打倒を訴えるデモが広がった。スーダンとアルジェリアでは2019年1月から4月にかけて大規模な反政府デモが続き、それにより長期政権が崩壊するに至った。また第一のアラブの春で政権打倒に成功したエジプトやチュニジアといった国でも、政権やその経済政策に対する不満から抗議活動が起こった。2011年に政権打倒を成し遂げた後も、再び権威主義体制に逆戻りしてしまったこと、あるいは民政がその国に根付く経済問題などに上手く対処できなかったことが背景にあった。このような権威主義政権下で苦しむ民衆が政府に抗議の声を上げ、それが国境を越えて広がるという動きが、2011年のアラブの春を彷彿とさせることから、この2018年から2019年にかけての一連の革命運動は、第二のアラブの春と広く呼ばれた。
その中でも今回は、北アフリカにフォーカスを当てて、政権打倒に至ったスーダン、アルジェリア、そして2011年の第一のアラブの春で政権を倒したにもかかわらず、再びデモが起こったエジプト、チュニジアの4カ国について、デモに至った経緯を簡単に振り返ってみよう。
スーダンは1989年にクーデターで政権を獲得したオマン・ハサン・アフマド・アル=バシルを大統領とする権威主義国家であった。第一のアラブの春では、スーダンでも抗議活動が展開された。抗議活動の要因には、2011年7月に南スーダンと分離したことによって国内の石油の埋蔵量が大幅に減ったことに伴い、外貨不足が起こり激しいインフレに悩まされていたことがあげられる。これに対しバシル大統領は、2015年の大統領選に出馬しないことを表明した。加えて抗議活動に対する政府の激しい弾圧もあり、政権打倒に至ることなく抗議活動は収束していった。しかし結局2015年以降もバシル大統領は大統領の座にとどまっており、国民の不満が解決することはなかった。再びデモが起こるきっかけとなったのは2018年12月にパンやその他の生活必需品の価格が大幅に高騰し、既に経済的に困難な状況にあった国民生活を直撃したことだった。2018年12月から2019年3月にかけて市民が大規模な抗議活動を続け、政府軍の弾圧による犠牲者も出ていた。結果的には軍のクーデターによってバシル大統領は退陣に追い込まれた。しかしその後、クーデターを起こした軍が暫定政権を担うことに対して国民が強く反発した。こういった反発を受け2019年8月17日に、完全な民政ではないものの、軍部と文民による共同統治に移行することが正式に決定した。しかしこれはあくまで暫定的なものであり、今後どうなるのか先行きは未だ不透明だ。
アルジェリアは1962年に独立を果たし、権威主義体制の下で石油に依存する経済状況が続いていた。その不安定な経済状況から、1991年にアルジェリア紛争が発生し、多くの市民が犠牲となった。この混乱を収め、国を再建させたのが1999年に就任したアブデルアズィーズ・ブーテフリカ大統領であった。一連の復興政策で国民からの支持を集めたものの、政治腐敗や物価上昇に対する不満が高まっていた。2011年のアラブの春では、周辺国での抗議活動を受け、アルジェリアでデモが起こった。しかし、国民の主要な要求の一つであった、1992年からアルジェリアの主要都市でのデモを禁止する緊急事態宣言を解除したこと、また新しい経済政策を打ち出すことを約束したことで抗議活動は収束したため、政権の打倒には至らなかった。しかし2014年から、ブーテフリカ大統領が、入院により国民の前に姿を現さなくなった。その間、事実上の行政はその側近や身内によって行われていた。それにもかかわらずブーテフリカ大統領が憲法を改正して、自身5期目の大統領選に立候補しようとしたことに対して国民が怒りの声を上げ、2019年の激しいデモにつながった。2019年のデモは参加者が100万人以上の大規模なもので、アルジェリア各地に広がり政府もこれを無視できない状況であった。2月に本格的にデモが始まってから約1か月が経った3月11日にブーテフリカ大統領は次期選挙への出馬辞退を表明し、4月1日には大統領を辞任した。

2009年、国連総会で演説をするブーテフリカ大統領(United Nation Photo / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
エジプトでは、2011年のアラブの春でムバラク大統領を退陣させるも、新たに政権を握ったムハンマド・ムルシ大統領による政権はわずか1年でクーデターにより終わりを遂げた。その後暫定政権を経て、2014年にクーデターを率いたアブドルファッターフ・アッ=シーシ氏が大統領に就任する。だがシーシ大統領の政策はムバラク大統領よりもさらに抑圧的なものであり、度重なる汚職も問題視されていた。2019年に大統領と関係が深かった、建設業者のモハメド・アリ氏によって、大統領と軍が関与していた様々な汚職が告発されたことで、国内の各主要都市で大統領の退陣を求めるデモが起こる。政権側は厳しくこれを弾圧し、ジャーナリストをはじめとした反対勢力が次々と逮捕・拘束され、デモの参加者には催涙弾や実弾を用いて制圧しており、多くの犠牲者が出ている。
チュニジアは、第一のアラブの春で政権が倒された後、民主化へと移行した。だが民政移管後も、前政権時代からの課題であった経済問題への効果的な打開策を見いだせていなかった。デモが起こる契機は2018年1月にガソリンや通信料などの生活インフラに対する税率の引き上げに関する政府の決定がなされたことであった。これが市民の生活を直撃し、各地で抗議活動が展開された。
このように、北アフリカ各国で深刻な政治・経済問題に対する不満から、2018年から2019年にかけて市民によるデモが勃発し、スーダンとアルジェリアでは長期政権が倒された。ここからは日本の報道機関が、この第二のアラブの春をどのように伝えていたのか、朝日新聞(※3)を事例に分析する。
対スーダン報道
まずはスーダンのデモ、及び政治異変・政権交代に関する報道に着目する。2018年から2019年の2年間で、朝日新聞がスーダンについて報じていた記事は合計で16件出ており、文字数は合計で8,176字であった。スーダンで最初に反政府デモが起きたのは、2018年12月19日のことであった。政府側はこのデモに対して催涙弾などを用いて対抗し、多数の死傷者が出た。朝日新聞は2018年12月29日に585文字の記事でこれを報じている。その後2019年の1月から3月にかけて市民の抵抗は続いた。2019年1月20日にもスーダン全国でデモが起こっており、人権団体の報告によると40人が政府の弾圧により死亡したという報道もある。続く2月と3月にも各地で同様のデモが頻発していた。しかしこの1月から3月の間、スーダンでのデモを報じる記事は2019年の2月23日の280文字の記事一つだけであった。

バシル大統領の退陣を求めてデモ活動をする人々(Hind Mekki / Flickr [CC BY 2.0])
スーダンの情勢が大きく変わったのは、2019年4月6日から始まった大規模デモであり、それを受けて11日に軍がクーデターを起こし、バシル政権は崩壊に至った。この市民運動からクーデターに至る一連の政変はスーダン革命とも呼ばれている。しかし、2月23日の記事を最後に、政権をめぐる攻防が激しかった3月、4月上旬にかけて、スーダン情勢に関する報道はなく、バシル政権が崩壊した4月11日の翌日の記事で、バシル大統領が軍のクーデターによって退陣したことが報じられた。政権崩壊後の4月には合計8記事で軍事政権に対して市民が反発の声を上げていることが報じられ、7月の軍事政権から民政移管の決定まで5記事でスーダンが取り上げられている。また大統領選が始まる2019年12月にもスーダンに関して1記事での報道があった。このようにクーデターが起きた後の報道はある程度なされていた一方で、市民運動の拡大から長期政権の打倒までの2019年1月から4月上旬の間、スーダンについて朝日新聞では2月23日の短い記事で一度触れられただけであった。
続いて報道のされ方について見てみたい。2018年に初めてスーダンのデモが報じられた12月29日の記事では、市民のデモが起こった背景には物価高があったということが言及されている。 4月以降のスーダンに関する報道でも、経済的問題や生活に苦しむ市民の声について記事の中で触れられており、デモが起こった背景については報道の中で説明されているといえる。一方で、周辺国で同時期に同じような背景で起きたデモや、第一のアラブの春との関連性については指摘されていない。

スーダンでの会議に出席するバシル元大統領(Paul Kagame / Frickr [CC BY-NC-ND 2.0])
対アルジェリア報道
デモの結果、政権交代が起こったアルジェリアはどのように報道されていたのだろうか。一連の抗議活動が展開され、2019年の1年間で、朝日新聞で取り上げられたアルジェリアの政治に関する報道は、合計で12記事、文字数に換算すると合計で4,609字であった。そのすべてがアルジェリアのデモや、大統領選に関するものだった。アルジェリアで最初の反政府デモが起こったのは、2019年2月12日だ。その翌週の22日に起こったデモは、推定80万人が参加する非常に大規模なものであった。次の週になるとさらにデモの規模は大きくなり、3月1日に行われたデモには、推定100万人が参加したと言われている。これらの大規模なデモが連日続き、ブーテフリカ大統領はデモの訴えを受け、2019年3月11日に5期目の大統領選には出馬しないことを表明した。4月1日には任期満了前に大統領を辞任することも表明した。
注目したいのは、アルジェリアが報道で取り上げられた時期だ。100万人以上が参加する大規模なデモが立て続けに起こるのは世界においても稀なことである。2011年のアラブの春も類似の市民の抗議運動から革命が始まっており、スーダンなどでも類似のデモが発生していたということを鑑みれば、報道価値が高まってもおかしくない。だが朝日新聞の報道は、2月の反政府デモについては報じておらず、3月11日に大統領が退くことが判明して初めてアルジェリアを取り上げており 、それは205文字の短い記事であった。市民の100万人規模のデモには目もくれなかったという状況だ。

「第二のアラブの春」において、アルジェリアで展開されたデモ(Fethi Hamlati / Wikimedia commons [CC BY-SA 4.0])
報道の内容についても見ていこう。3月11日の最初の報道では、ブーテフリカ大統領が度重なるデモを受けて5期目の大統領選に出馬することを断念した、という情報が中心であり、数万人規模のデモが続いていたことは言及されているが、その背景については詳しく掘り下げられていない。次にアルジェリアが取り上げられたのは、4月2日の記事であり、ブーテフリカ大統領が辞任を表明したことを報じるのみであった。ここでも焦点が当てられているのは、デモで声を上げ続けた市民ではなく、大統領であった。4月までの報道を通して、デモが起こった背景にある経済問題や汚職といった問題も一切言及されていない。その次にアルジェリアが取り上げられたのは、それから約5か月が経った2019年9月17日の記事で、ここでは12月に大統領選があることを中心に、軍や一部の国民の声も取り上げられている。2019年12月12日には、時期大統領選を控えて、前ブーテフリカ政権と政権打倒を成し遂げたデモについての特集記事が組まれ、ここでようやくブーテフリカ政権時代の政策や汚職の問題と不満を抱える市民の声が取り上げられた。その後、12月13日、15日、19日には大統領選の投票の様子や開票結果、新大統領について報じられた。2019年の間に報じられたアルジェリアに関する記事のうち、デモの詳しい背景やデモに参加する市民の声に焦点を当てたものは1記事だけであり、それ以外は大統領の辞任と次期大統領選についてのものであった。
2019年の朝日新聞の報道を見る限りでは、大統領の進退は報道されるが、その背景にある事情や辞任に追い込んだ大規模な市民運動、さらにそれに至った経緯についての説明は限られている。第一のアラブの春では、生活に苦しむ市民が現状を打破するために立ち上がった。第二のアラブの春では、その不満が解消されないまま、権力にしがみつく大統領らに対して市民が抗議の声を上げ、それが大統領の辞任につながった。2019年の動きは2011年の第一のアラブの春から繋がっている部分もあり、第一のアラブの春でアルジェリアがどういった動きをしていたのかを報じることで読者の理解は深まるといえる。しかし朝日新聞は第一のアラブの春へ言及していなかった。市民が長年の権威主義体制に対する不満の声を上げ、自らの手で政権を倒したという歴史的な動きと、民主化を求める人々の声が国境を超えて大きなムーブメントとなり、世界情勢に大きな影響を与えるという点において、第一のアラブの春と共通している。第一のアラブの春に見られたように、アルジェリアの政権打倒の動きは周辺諸国や世界に影響を及ぼす可能性があった。今回のアルジェリアの政権交代に関する報道のされ方では、アルジェリアを含めた北アフリカ地域が直面している状況やそれが世界にどう影響を及ぼすのかなど、読者が俯瞰的にこの地域を理解することは難しいだろう。

ブーテフリカ大統領の退陣を求めてデモ活動をする人々(Amine Rock Hoovr / unsplash)
その他の国の報道
続いてスーダンやアルジェリアのように政権打倒という結果には繋がらなかったものの、同時期に市民運動が発生した周辺国を見ていく。
初めにエジプトの報道を考える。エジプトでも2019年9月後半に複数のデモが発生している。このデモの参加者も比較的少なく、アルジェリアやスーダンのものと比べると小規模であった。エジプトの政治全般については2018年に23件の記事で18,116文字、2019年に17件の記事で8,307文字で報じられている。一方でこれらの記事の中で2019年のデモについて触れているものは、9月22日の173文字の記事と、9月29日の502文字の記事の2件だけである。その他は大統領選の動向や、憲法改正のための国民投票について取り上げた記事であった。全体的な報道量でみると、同じ時期にスーダンやアルジェリアでは長期政権に対する革命が起きていたにもかかわらず、そのような政変が起こっていないエジプトの報道の方が充実している。
続いてチュニジアの報道を見てみよう。チュニジアで生活インフラの価格高騰などに対するデモが最初に起こったのは、2018年1月のことであり、そこから約1か月にわたり続いた。具体的に何人が参加したのかは明らかになっていないが、1月1日から1月12日までの間に328人が警察との衝突で逮捕されたと報じられており、デモの参加者との間で激しい衝突があったことが伺える。デモはその後1か月間続き、複数の都市で複数回起こっていた。だがこのチュニジアのデモについて扱った記事は1つもなかった。また翌年の2019年には、チュニジアについて10件の記事が出ている。そのいずれもチュニジアの大統領選に関するものであった。
まとめ
以上、第二のアラブの春と呼ばれる一連の出来事に関する北アフリカの4カ国の報道について分析した。いずれの国に関する報道でも、各国で市民運動や革命が起きていながら、大統領が退陣するまでそのことが報じられず、その背景が十分に説明されていなかった。同時期にデモが発生し政権を打倒したアルジェリアとスーダンの間でも、スーダンの方が量と質の両面において報道が充実していた。アルジェリアはブーテフリカ大統領退陣後に民政に移行するのが比較的スムーズであったのに対し、スーダンでは政権打倒後に軍が権力を握ったことで、更なる混乱が生じたということが理由の1つといえるかもしれない。またアルジェリアやスーダンと比べてデモの規模は小さく、大きな政変が起きていないにもかかわらず、エジプトでの政治情勢の方が総じて大きく取り上げられていた。エジプトは日本では観光地として人気で、人口も多く朝日新聞の支局があることがその背景にあるだろう。

2018年5月にチュニジアで行われた、市会議員選挙の様子(Congress of local and regional authorities / Flickr [CC BY-ND 2.0])
総じて言えることは、第二のアラブの春と呼ばれることもあった一連の革命運動が、国境を越えた動きとして取り上げられることがなく、一国の中での政変としての側面への着目が多いということだ。第一のアラブの春がそうであったように、革命や政変は一国での出来事にとどまらず、国境を越えて類似の状況を抱えている国にも広がっていく。高度にグローバル化された現代においては、一つの出来事がもたらした変化が別の国に影響をもたらす。実際に政権打倒に繋がらなかったとしても、市民が苦しい生活や政府に対する不安に声を上げ、政府に訴えるということは、それだけで注目する意義があるとも言える。また、第一のアラブの春がチュニジアの民主化やシリアでの紛争、さらにはイスラム国の誕生といった事象につながったことを鑑みれば、第二のアラブの春も地域及び世界に新しい変化をもたらす可能性が十分予測できた。現にこの一連の出来事で北アフリカ情勢は変わっている。世界は繋がっており、相互に影響を及ぼしあっている。そのような視座が日本の報道には欠けているのではないだろうか。
※1 今回の記事では2010年12月から2012年12月までの流れを第一のアラブの春と呼び、2018年1月以降の流れを第二のアラブの春と呼ぶ。
※2 対中東報道についてはこちら→「変動する中東(2011~2020):どのように報道されてきたのか?」
※3 朝日新聞のデータベース「聞蔵Ⅱビジュアル」を利用しており、本社が発行している新聞と、地方版のうち東京で発行されている新聞の中から、2018年と2019年の記事の中で、見出し及び本文にアルジェリア、エジプト、スーダン、チュニジアの国名が入っており、かつその国が記事の主題であるものを分析対象とした。
ライター:Takumi Kuriyama
グラフィック:Minami Ono
国によって報道量に差が生まれてしまうという現実を知り、つらく感じました。