2019年4月2日、民衆の大規模なデモにより、アルジェリアで20年大統領の座にあった81歳のアブデラジズ・ブテフリカ大統領は、即日辞表を発表した。この大統領、6年前からほとんど公に姿を見せておらず、演説も行っていない。脳梗塞を患って以来、彼の健康状態は謎に包まれており、トップの役人が最近大統領はちゃんと生きていますと報告しなければならないほどだ。任期中も、たびたびヨーロッパの病院で治療を受けていたとされている。実は今回の辞任発表も、大統領自身は言葉を発しておらず、辞任を表明するとされる手紙を誰かに渡しているだけの映像が流れただけであった。明らかに大統領として機能を果たせていなかった彼が、なぜこれまで大統領の座に君臨し続けることができたのだろうか。また、大統領の辞表後もデモが続いているが、それはなぜなのか。果たしてこのデモはアルジェリア政治に真の変革をもたらすのだろうか。

デモの様子(Abdelfatah Cezayirli [Pexels License])
アルジェリアの暗い歴史
19世紀以降アルジェリアはフランスからの植民地支配を受け、第2次世界大戦後、独立運動が勢いをつけはじめた。1954年11月、当時フランス領であったベトナムがフランスから独立を勝ち取ったことを機に、民族解放戦線(FLN)がアルジェリア全土で武装蜂起し、アルジェリア独立戦争が勃発した。その後アルジェリア問題をめぐり、当時のフランスの弱腰姿勢に不満であったフランス軍が、1958年5月フランスでクーデターを起こし、これがフランスの「第五共和制」が生まれるきっかけとまでなった。さらに1961年4月には、フランス軍の著名な将軍たちが、アルジェリアの植民地支配を続けることを目的とするクーデター未遂もアルジェリアで起きた。この戦争は1962年国民投票で独立を果たすまで続き、死者は100万人に達したとされている。この戦争後、軍はアルジェリアの政治においても重要な役割を果たすようになった。
独立後の政権は権威主義なものとなったが、1980年代に石油価格が下落し、主に石油に依存していたアルジェリア経済は大きな打撃を受けた。その結果、社会不安が全土に広がり、民主化へと進まざるをえない状況になった。しかし、1991年の選挙で、イスラム救国戦線(FIS)の勝利を恐れた政府与党が選挙を中止したのを機に、「暗黒の10年」と呼ばれる紛争が始まった。イスラム主義勢力が拡大するのを恐れた政府与党が弾圧し、これに対抗するためイスラム主義反政府軍は複数の武装組織を結成した。双方がテロや虐殺を繰り広げ、いまだ正確な数は分かっていないが、約20万人が犠牲となった。この混乱のなか、1999年に行われた大統領選挙で政府与党の候補者として出馬したブテフリカ 氏が当選した。就任以来、国民和解を進め、治安回復に尽力し、国民から高い人気を得た。
アラブの春の到来
2010年から2012年にかけて北アフリカと中東では、アラブの春と呼ばれる大規模な市民運動が広がった。発端は2010年12月、チュニジアの失業中の青年が焼身自殺を図り、物価上昇、高い失業率、蔓延する汚職や、長年続く独裁政権に対するデモが拡大したジャスミン革命だ。1か月も経たないうちに大統領は国外逃亡を余儀なくされ、23年間続いた独裁政権が崩壊した。チュニジアの民主化デモは、国境を越えて各国に急速に広がった。これによりエジプトやリビア、イエメンでも、市民デモによって長期政権が崩壊した。アルジェリアにも同じように市民運動は飛び火した。しかし、政府は国民に豊富な石油で市民の生活良くする、という不満事項の対策を約束したり、野党や市民デモの弾圧のため、1992年から続いていた非常事態宣言を解除すべきというデモ側の要求に応えたり、憲法改正を行うなどして政権打倒にまでは至らなかった。また、隣国リビアがアラブの春の結果、多くの市民が犠牲になる状況を見て、デモの意欲は低下した。

アルジェリアにおけるアラブの春(写真:Magharebia/ Flickr [CC BY 2.0])
大統領の脳梗塞と「ル ・プヴォワール」
アルジェリアを平和に導いてくれた大統領として着任当初は国民人気の高かったブテフリカ大統領だが、2013年脳梗塞に見舞われて以降、車いすでの生活を余儀なくされ、公に姿をほとんど見せず、演説することもなくなってしまった。それにも関わらず、翌2014年もブテフリカ大統領は選挙に立候補し、なんと本人による選挙活動は一度もなく当選してしまった。そのうち体は回復するだろうという国民の期待もあったかもしれない。だが最も大きな原因は、ブテフリカ氏の周りに固めている「ル ・プヴォワール (le pouvoir)」(権力)と通称呼ばれている、国軍・諜報機関(DRS)・大統領の弟サイド・ブテフリカ氏を含む与党のエリートたちの存在だ 。ブテフリカ氏の弟は、事実上のリーダーだと見なされており、実際には彼らが裏で政治を操っている状態であった。彼らにとっては現状維持、つまりブテフリカ氏を大統領として存続させることが最大の利益だったということだ。しかし、この現状を見ていた市民の間に不満が募っていた。特に2016年国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)のパナマ文書では、アルジェリア政府の役人やビジネスマンの汚職が発覚し、アルジェリア国内で大きな物議を醸した。

元気な頃のブテフリカ大統領(写真:Magharebia/ Flickr [CC BY 2.0])
2019年2月、ブテフリカ氏は4月18日に予定されていた大統領選挙に5期目の出馬を表明したことをきっかけに、デモは始まった。都市部だけでなく各都市にも広がり、80万人ほどの規模にまで拡大した。また、抗議行動はアルジェリアだけでなく、フランスでも起こった。アルジェリア系移民や、移民2世がフランス中心部でデモを行った。3月1日にはアルジェリア全土で数万人が抗議活動を行い、大統領はこれを受けて出馬を断念。首相交代も約束したが、抗議活動は収まらなかった。政治エリートや軍隊、経済団体はブテフリカ大統領の政権を守ろうとしていたが、4月2日、陸軍参謀長のアフマド・ガイド・サラ氏は、軍隊はアルジェリアの民衆の味方だと表明し、ブテフリカ大統領の即時退任を求め、ブテフリカ大統領は軍の支持を失った。
しかし、大統領が辞任をしてもデモが続いている。なぜなのか。それは、いま国民はブテフリカ大統領を降ろすことだけが目的なのではなく、「ル・プヴォワール」を引き下ろし、アルジェリアの根本的な制度を変えることが目的だからだ。執筆現在、元上院議長のアブデルカデル・ベンサラー氏が暫定指導者に就任しており、7月に自由選挙を行うことを誓った。しかし、前政権と関わっていた人物が権力を握る現在の体制自体が変わらなければ、選挙をしても現在の政府側に有利に進められるだけであることを国民は分かっているため、彼ら全員を追放しようとデモは続けられている。また、選挙時に大きな役割を果たす裁判官たちも現在の状況で選挙をすることは許さないと抗議している。この動きに対応し、多くの権力者たちが取り調べ対象となり、数々の億万長者や元首相などが逮捕されている。5月5日には、2013年にブテフリカ氏が脳卒中に見舞われて以来、ブテフリカ氏の弟と、2人の元諜報機関長が軍事裁判所に出頭させられた。
第2のアラブの春となるのか
今回のデモでは、ある写真がSNS上で話題になっていた。2010年のサミット会議にいる6人のアラブのリーダーたちが赤で×印をつけられている写真だ。左から4人は2011年のアラブの春で辞任に追い込まれたチュニジア、イエメン、リビア、エジプトの元大統領たちだ。その右隣の2人が、アラブの春で倒されなかったスーダンのオマル・アル=バシル大統領とブテフリカ氏だ。彼らも倒される日が来るということを意味しているような写真だ。実はアルジェリアのデモと同じような動きが現在スーダンでも起きている。パンや燃料の値上げをきっかけに、2018年12月から政府に対する抗議が広がり、30年にわたって政権を握り続けていたバシル大統領の退陣を求めて、首都ハルツームなどで、大規模なデモが行われた。アラブの春と同じようにアルジェリアとスーダンの大規模デモは、お互いに影響しあった。スーダン軍は4月11日、バシル大統領を解任し、拘束したと発表した。しかし、アルジェリアと同じように、前政権を支えていた権力者が残ったままであるため、今度は軍事政権への移行に反発する大規模デモが続いている。

赤く☓印を付けられたアラブのリーダーたち(2010年)
アルジェリアの4,100万人の人口の40パーセントが25歳以下で、彼らの多くはブテフリカ氏以外のリーダーの存在を知らない。制度変えたいという国民の意見はまとまってるが、大統領後任は誰にするべきかという意見はまとまっていない状況だ。また、現在の政府や軍の側には力強い味方が存在する。エジプト、サウジアラビアのような独裁政権国家や、資源や対テロ、軍備の面からこれまでの政治体制を維持させたいと思われるフランス、ロシア、アメリカだ。アラブの春の結果、エジプトでは独裁政権に逆戻り、リビア、シリア、イエメンでは武力紛争に発展した。このような過ちを繰り返すことなく、アルジェリアは真の政治改革を果たすことができるだろうか。次回選挙までの国民と軍の動向に注目したい。

アルジェリアの独立とその犠牲者のための記念塔(写真:Magharebia/ Flickr [CC BY 2.0] )
ライター:Mizuki Uchiyama
グラフィック:Saki Takeuchi
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大統領が辞任した後も講義デモは未だに続いていますね。7月の選挙は本当に行えるか期待しています。
これからを担う若い力に期待したいとシンプルに強く思いました。
裏のない政治の実現は難しいと思うけど、その裏に気づけた市民は諦めずに活動を続けてほしいと思った。
ル・プヴォワールがもし全員降ろされたとしたも、再び同じようなグループが権力を握れるようなシステムのままだと、同じ問題が発生するかもしれませんね。
改革を目指して立ち上がる場合、どのような変化を誰に求めるのか、そのために民衆がどう動くべきなのかを明確にするべきだと感じましたが、そもそも蜂起というものは流れに従って大きくなっていく自然発生的なものであって計画的で明確な皮切りが必ずしもあるというわけではないので、うーん難しいものですね,,,,,,,
国民の意見がまとまってないことが非常に問題だと思います。