海は、地表の約70%を占める、地球上のあらゆる生命にとって不可欠な存在である。古代より人類にとっての、栄養を育む漁場、移動手段、貿易ルート、観光資源、海洋エネルギー供給源等として、重要な役割を果たしてきた。
しかし現在、海は世界一広大な無法地帯となっていると言える。法の支配が十分に行き届いていないがために、様々な問題が起きているのだ。海上で起こる犯罪の例として、資源や環境を脅かす乱獲、違法漁業、有毒廃棄物の投棄、密輸などの犯罪や、人権を脅かす犯罪である移住者密輸、強制労働、奴隷制、人身取引、殺人、海賊問題等が挙げられる。本記事ではその中から、人権を脅かす犯罪に着目していく。

航海中の船舶(写真:Alex Berger / Flickr [CC BY-NC 2.0])
海と人との関わり
初めに、海と人類の密接な関係を示す様々なデータを、漁業、貿易、観光業に分けて見ていく。世界保健機関(WHO)によると、世界中で約10億人が、主なタンパク質源として魚や魚加工品を食べているという。また、第一次漁業及び水産養殖部門に従事している 人の数は、国連食糧農業機関(FAO)によると2020年には推定5,850万人である。
漁業市場の規模は成長を続けており、2023年から2028年の間で、約1兆米ドルから約1.2兆米ドル に成長すると予想されている。これらのデータにおける漁業は、海だけではなく川や湖のものを含む。また、海では、漁業の大半は沿岸付近の領海(※1)で行われており、沿岸から離れた公海(※2)での漁業の85%は、中国、スペイン、台湾、日本、韓国によって独占されている状態だ。
また、海は貿易ルートとしても非常に重要であり、世界の貿易の80%は海上で行われている。世界の海上貿易量は年々増えており、1990年から2021年の間に2倍以上に増加した。2021年の世界の海上貿易量は110億トンだったと推定されている。
そのほか、海は観光資源として利用されており、市場は成長している。グランドビューリサーチ(Grand View Research)によると、世界の沿岸・海洋観光市場規模は2021年には2兆9,000億米ドルだったと推定され、2022年から2030年にかけて更に拡大する予想だ。
上記で見てきたように、世界中で多くの人々が海と関わっており、海上で働く労働者も多くいる。一方、多数の人が働くが故に、海では事故や事件も多く発生している。漁業への従事により亡くなっている人の数は、毎年推定10万人以上であるという。この数字は漁業全体のものであり、必ずしも海上で亡くなった人の数とは限らず、死因は事故死や病死のほかに、人権侵害が少なくない。また、海上で亡くなっているのは漁業従事者だけではない。危険な航海を試みる移民や難民の船が移動中に沈没し、亡くなる事例も多いのである。例えば、アフリカや中東からヨーロッパを目指す途中、地中海で亡くなったり、行方不明になったりした移民、難民の人数 は2021年、3,000人を越えた。
以下より、海上での人権侵害について、人身取引と移住者密輸、強制労働と奴隷制、海賊問題の3つに分けて追っていく。

ボートで働く人たち(写真:ILO Asia-Pacific / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
人身取引と移住者密輸
人身取引とは、国際組織犯罪防止条約人身取引議定書にて、搾取の目的で、暴力やその他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使、誘拐、詐欺、欺もう等により、人を支配下に置き、輸送し、引き渡し、匿い、又は引き取ることと 定義されている。仲介業者は暴力での脅迫のほか、職業紹介所、教育や就職等の機会を利用した詐欺等で被害者をおびき寄せる手法を用いることが多い。この犯罪は世界中のあらゆる地域で発生しており、海上もまた例外ではない。
漁業において多く見られる人身取引は、強制労働をさせる目的で、移民労働者や漁師を取引する事例である。仲介業者が雇用条件を騙って個人を雇い、劣悪な環境で労働を強制するケースが後を絶たない。海上での強制労働については、次の章で詳しく見ていく。
人身取引の他に、移住者密輸も大きな問題の1つである。移住者密輸とは、利益を目的として移住者を非正規ルートで移住先に入国させることを指す。移住者は迫害や紛争、貧困、自然災害等から逃れるために他国への移住を目指し、密輸業者がその状況を、発見や検挙のリスクが少なく、なおかつ利益をもたらすチャンスとして利用するのである。移住者は合法的な手段を持たないため、業者は輸送手段や身分証明等の文書偽造を含むサービスを高額で提供している場合もある。
これらのサービスは違法であるため、当局に助けを求めることを恐れる移住者の立場は弱く、航海中に虐待、強姦、窃盗の被害に遭うなど、過酷な状況に置かれることが多い。生存者の証言によると、そのような状況の中で亡くなった人の遺体が海に捨てられることもあったという。
移住者密輸のルートには、陸路、空路、海路が存在する。そのうち海路の主なルートは、北アフリカや中東からヨーロッパを目指して地中海を通るルート、東南アジアや南アジアからオーストラリアを目指すルート、南アジアから湾岸諸国を目指すルート、アフリカの角(※3)から南アフリカや、湾岸諸国を目指すルート等である。また、欧州移民密輸センター(EMSC)の報告書によると、欧州連合(EU)域で強化された国境管理措置と渡航制限により、密輸は陸路、空路から海路へと移行している傾向にあるという。

送還される移民(写真:Coast Guard News / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
強制労働と奴隷制
国際労働機関(ILO)は、1930年の「強制労働に関する条約」(第29号)の中で強制労働を「処罰の脅威によって強制され、また、自ら任意で申し出たものでない全ての労働」と定義している。強制労働は海上でも行われており、船舶所有者が乗組員に対し、充分な給与を支払わない等の労働搾取がみられる。労働者は人身取引の手口で強制労働の現場である船舶に連れてこられたり、強制労働がなされていると知らずに就労したりして、不衛生で危険、劣悪な環境で労働させられる。労働時間は労働基準法で定められている所定時間を大きく超え、休日や休憩を取ることすら難しいこともある。
関係当局による航海中の船舶の監視が難しいことから、これまで強制労働のデータはあまりなかったが、2020年の米国科学アカデミー紀要(PNAS)掲載の調査によって、分析対象の16,000隻の産業漁船のうち、14~26%が強制労働を利用している可能性があると判明した。これらの船で働く57,000人から10万人もの人々が強制労働のリスクにさらされている可能性があるという。
また、強制労働の次の段階は奴隷であり、乗組員は更に悲惨な環境に置かれる。ある船舶では、1日の食事は米1杯で、1日20時間働かされたケースがあるという報告がある。また、2014年のガーディアン紙のタイ沖の奴隷船の調査によれば、一部の船では殴打等の暴力のほか、拷問、乗組員を長期間働かせるための覚せい剤投与や、殺人等が行われたこともあったという。処刑形式で奴隷が仲間の前で殺されたりしたなどの事例も報告されている。
強制労働や奴隷制の犠牲者となるのは多くの場合、仕事を求める貧困状態の人々、不法移民、そして難民である。貧困から逃れるために仕事を求める人たちは、好待遇を謳う人材派遣会社に騙され、強制労働や奴隷制の被害に遭ってしまうことが多いとされている。犠牲者が不法移民の場合には、逮捕や強制送還を恐れて、人権侵害に遭っても警察に助けを求めることが出来ないという大きな問題がある。また難民が犠牲になる例として、ミャンマーからのロヒンギャ難民(※4)が、海上奴隷になってしまうケースが存在する。彼らはミャンマーから近隣のバングラデシュ、タイ、インドネシア等に避難することが多いが、入国先のタイで、仲介業者によって奴隷労働が行われている漁船に売り飛ばされ、労働搾取された事例が報告されている。いずれの例にせよ、貧困にあえぐ若者や不法移民、難民といった社会的地位の低い人々が被害に遭いやすい。
海賊問題
海賊は今日も、あらゆる地域で航海中の船舶を脅かす存在である。海賊行為は徐々に減少しているものの、依然として事件は報告されている。
海賊行為は2000年頃からソマリア沖とその付近で急増した。その背景としては、1991年のソマリア政府崩壊により沿岸部の警備が機能しなくなったことが挙げられる。警備レベルの低下により海賊行為の取り締まりや、外国漁船の不法侵入の阻止が出来なくなったりした。更にその不法侵入に対抗して地元の漁業従事者が海賊行為に走ることもあった。
しかし、2012年頃には海賊行為が激減した。(※5)その背景には、ケニアによるソマリア侵攻(※6)、アフリカ連合ソマリア平和維持部隊(AMISOM)(※7)の活動、商業船舶への民間武装警備員の乗船の増加、それまでビジネスとして海賊の資金源となっていたソマリア国内の投資家からの投資の減少、プントランド海事警察(PMPF)(※8)の活動拡大等があるという。多くの国がアジアとヨーロッパをつなぐ貿易ルートを海賊から守るために海軍を派遣する事態にもなった。また、民間武装警備員とともに、武器密輸の取り締まりを避ける狙いで、洋上武器庫(※9)という設備が導入された。ソマリア沖は公海であるため、多くの国で制限されている領海への武器の持ち込みが可能だったが、後述する領海での海賊行為対策に洋上武器庫を用いることは難しい。
海賊問題はソマリア沖だけで発生してきたわけではなく、様々な国の領海内でもみられている。2018年から2022年の5年間で、海賊行為が多く報告されたのは、西アフリカのギニア湾、シンガポール海峡、南米西部等である。
西アフリカのギニア湾では2008年頃から海賊行為が急増し、地域の安全保障を脅かしていたが、2020年以降その数は徐々に減少している。海賊はばら積み貨物船や石油タンカーを狙うことが多いが、小型の商船も標的となっている。事件の大半はナイジェリアの領海で発生しており、海賊が海賊行為を行っている目的の1つは、外資系企業の搾取に対する報復であるという。 その背景には、ナイジェリアのニジェールデルタでの石油採掘がある。この地域では貧困が蔓延している中、石油採掘で欧米の石油会社が汚染等の環境破壊をしながら多くの富を得ており、その状況が海賊行為を促しているとされている。
一方、シンガポール海峡は、世界貿易量の50%が通過するという非常に重要な海峡であるが、船舶に対する武装強盗事件が増加している。海賊は海峡で運ばれる物資を狙っており、ほとんどの事件でばら積み貨物船や石油タンカー等の大型船舶が襲撃されている。
またペルー沖でも、海賊による武装強盗事件が多く発生している。ペルー沖で起きる事件はシンガポール海峡で起きるものとは性質が異なり、襲撃されるのは小型の船舶であることが多い。乗組員は無線機器やコンピュータ、私物等を奪われている。
海上で人権侵害が頻発する背景
なぜ、海上で人権侵害が頻発するのだろうか。背景にはまず、海の広大さのために海上での犯罪行為の監視や取り締まりが難しいという事実がある。またその他には、公海に対してはどの国も管轄権を持っていないということが挙げられるだろう。代わりに国連海洋法条約(UNCLOS)が、基本的に公海内での犯罪には犯罪が発生した船舶の旗国の国内法が適用されると規定している。つまり、ある国が国際水域で自国の法律を行使できる状況が容認されている。
問題を助長しているのは、便宜置籍船の存在だ。便宜置籍船とは、便宜的に船籍を外国に置いた船舶のことを指す。船舶所有者は税制や乗組員の権利保護の緩さといったメリットのために船籍をパナマ、リベリア等の便宜置籍国へと移す。 2022年の船舶所有の上位3か国でみると、ギリシャでは86%、日本では85%、中国では59%の船舶が他国に登録されている。 公海上では旗国の法律が適用されるため、これらの船では、実際の所有者が所属する国ではなく、便宜置籍国の法律が適用されるのである。そのため、労働法による規制が少なく、取り締まり能力のほとんどない国が便宜置籍国として選ばれると、人権侵害が多発する恐れがあるのだ。
また、海上での積み替えという行為も、航海中の船舶の監視を困難にする要因の1つである。積み替えとは、漁獲物や燃料を漁船と輸送船とで積み替え、輸送することを指し、遠洋漁業において不可欠な工程である。しかし、港内や港付近で行われる積み替えと異なり、公海上の積み替えは監視が難しく、海上での船舶の行動が不透明になりやすいのである。船舶が寄港する機会が減少し、結果として、強制労働や奴隷制の犠牲者が、船舶から逃亡することを難しくしている。そのほか、人や麻薬など違法な貨物が移送されやすいという問題にもつながっている。積み替えは2015 年から2020年の間で 1万件以上確認されている。 全ての積み替えが問題となっているわけではないが、その数が多くなるほど、違法行為を誘発するリスクが高まると言えるだろう。
今後の展望
これまで、人身取引、移住者密輸、強制労働、奴隷制、海賊問題など様々な人権侵害の問題について見てきた。その背景として航海中の船舶の監視が難しいという問題を挙げてきたが、様々な技術の進歩により、監視が少しずつ容易になっている。
様々な技術を組み合わせて船舶を監視する例として、2016年に、グーグル社と環境非営利団体が提携して誕生した海を監視する組織、グローバル・フィッシング・ウォッチ(Global Fishing Watch:GFW)による監視システムが挙げられる。GFWは、船舶自動識別装置(AIS)や衛星等を活用して、約60,000隻の商業漁船の動きを追跡するほぼリアルタイムの地図を作成し、公開している。世界中の約290万隻の船舶のうちAISを搭載している船舶は2023年現在2%に過ぎないが、AIS搭載漁船は毎年約10%から30%増加しているという。
更に最も身近な技術として、乗組員のスマートフォンが挙げられるだろう。人権侵害に遭遇した場合、乗組員は電波が届かない環境でも、スマートフォンを使って動画や音声等の証拠を残すことが出来る。2014年にフィジーでは、落とし物として偶然見つかったスマートフォンによって、報告されていなかった海上での殺人事件が発覚した例(※10)がある。

空から見たシンガポール海峡(写真:Bjoertvedt / Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0])
このような技術によって、これまで追跡できず発覚しなかった一部の人権侵害を暴くことが出来るかもしれない。一方で、強制労働や奴隷制、移住者密輸等の根本的原因となる貧困や移民難民問題等、技術だけでは対応できない問題も存在している。各国政府には、沿岸警備や、自国の業者の監視、取り締まり、法整備、便宜置籍船の蔓延への対策等が求められる。しかし、船舶関連の対策がいくら導入されたとしても、世界中で資源の搾取が行われ、高所得国と低所得国の間に激しい格差が存在している以上、問題の根絶は難しいだろう。
※1 領海 基線から12海里までの海域。沿岸国の主権が及ぶ範囲。
※2 公海 いずれの国の領海にも排他的経済水域にも含まれない海洋。全ての国に開放されている。
※3 アフリカ大陸東部の呼称で、エチオピア、ソマリア、ケニア、エリトリア、ジブチが含まれる地域。
※4 ミャンマーにおいて迫害されているイスラム教の少数民族。
※5 ソマリア沖の海賊の減少により、新たに増加した問題もある。ソマリアは違法・無報告・無規制(IUU)漁業の拠点になっており、2012年以来、ソマリアの海賊による攻撃が着実に減少していることを受けて、外国漁船団が徐々にソマリア海域に戻ってきているのだ。IUU漁業を行う外国漁船団の多くはイラン、イエメン、東南アジアから来ており、汚職がすすむソマリア国家の支援を受けているという。
※6 2011年のケニアによる南ソマリア侵攻。ケニアはソマリアの武装勢力から自国を守る名目でソマリア南部へ軍事介入を行い、一部地域を占領した。
※7 アフリカ連合が運営する地域平和維持活動。ウガンダ、ブルンジ等の軍隊によって構成され、ソマリアの安定を取り戻すために活動を行った。
※8 ソマリア沖での海賊行為や違法漁業等の犯罪行為の根絶や、海洋資源の保護を目指す海事警察。プントランドとは、ソマリア北東部に位置する地域で、1998年に自治宣言を行った。
※9 兵器、弾薬、海上警備員等を積み込んだ武器保管船のこと。主に民間の海上警備会社(PMSC)によって運営されている。洋上武器庫は公海内を移動し、海賊による襲撃が多い海域を航行する商船の保護にあたっている。
※10 タクシーに置き忘れられたスマートフォンの中に、海上での殺人の様子が撮影された動画があり、無報告の殺人事件が発覚した。動画には数十人の乗組員が映っていたものの、フィジー当局への報告はなかった。落とし物のスマートフォンがなければ、報告されることのなかった可能性が非常に高い。
ライター:MIKI Yuna
グラフィック:Virgil Hawkins
漁業は第一次産業であり、私たちの生活に無くてはならないけれども、やはり人間の多大な労力を必要とするため、上に挙がっていたような人権侵害が起こってしまうのも当然の流れなのかなと、悲しく思いました。
海賊問題といえば、すしざんまいの社長がソマリア沖の海賊問題にアプローチしたというニュースを思い出したのですが、技術面以外のアプローチについては、現在までに何か進展はありますか?
いまだにこの時代において奴隷制があるとか、すごいびっくりしました。
海の上という隔離された空間で、このような犯罪や人権侵害が行われていることを恐ろしく感じました。沿岸国にも取り締まるインセンティブがない、という点も非常に問題であると感じます。
一方で、海賊の問題に関しては、沿岸国に取り締まるインセンティブがあるのではないか、と感じました。海賊がいるということは、その国の貿易にも悪影響があることから、その防止のための取り組みが行われていてもおかしくはない気がしました。
便宜置籍船という抜け道的なやり方を日本がやってるのに驚いた。
また、海の上が想像以上に無法地帯であって、解決に向けて何かないものかとおもった