アフリカ東部、通称アフリカの角と呼ばれる地域に存在する国家ソマリア。ソマリアでは、2021年2月8日に本来予定されていた大統領選挙が実施されなかった。その結果新たな大統領を決められないまま、現大統領であるモハメド・アブドュライ・モハメド(通称ファルマージョ)氏の任期が失効してしまい政治危機が発生した。その2か月後である2021年4月に下院の決議で、大統領の任期が2年間延長されることが決定されたものの、上院がこれを否決した。また、国内外からも幅広い反対を受け、同月にファルマージョ氏は任期の延長を取りやめることを発表した。
そもそも、1990年以来ソマリア全体を統治する機能をもった政府はない。現ソマリア政府による統治も、首都を除いては限定的であると言える。加えて国内には反政府勢力も抱えており、また国外の勢力の介入もある。現在のソマリアで一体何が起こっているのだろうか。

ケニアの大統領ウフル・ケニヤッタ氏(写真右)、隣にファルマージョ氏。(写真:AMISOM Public Information / Flickr[CC0 1.0])
ソマリアの歴史
ソマリア連邦共和国は、インド洋とアデン湾に接しており、エチオピアやケニアの東側に位置している国である。ソマリア連邦共和国には、事実上5つの連邦加盟州が存在し、ジュバランド、南西部ソマリア、ハーシャベル、ガルムドュグ、プントランドがそれにあたる。これらの州に加えて、1991年に独立宣言を行い、事実上独立国として機能しているソマリランドが北部に位置している。ソマリア全体での人口は、2019年時点で約1,540万人である。ソマリアで使われている言語は、公用語であるソマリア語とアラビア語に加え、イタリア語や英語などがある。また、ソマリアの人々の大多数がスンナ派イスラム教を信仰している。ソマリアの人口のうち大半はソマリ民族というアイデンティティを持っているが、民族的区分は比較的少ない。一方で特徴的なのは氏族の存在である。血縁関係によって定められる氏族は、ソマリアでの生活における様々な意思決定に影響を及ぼしている。中でも、ハウィエ、ダロッド、ディル、ラハンウェインという4つの氏族が大きな影響力を有している。
現ソマリアは、かつて複数のスルタン(※1)に統治され国際的な貿易の要所であった。その勢力は現在の東エチオピア、ジブチ、ケニアの北部にまで及び、ソマリ民族としてのアイデンティティを持っている人の多くが現在もこれらの地域に住んでいる。1870年代に入ると現在のソマリアにあたる地域は、次々と植民地支配を受けるようになっていった。1869年にスエズ運河が開通したことを機に、帝国主義諸国がソマリアに進出したのである。結果的に、紅海の出入り口となるジブチ港付近をフランスが、その東側のアデン湾に面している地域をイギリスが、そしてインド洋沿岸から内陸部にかけての広大な地域をイタリアが植民地とした。またエチオピアもソマリアへと進出し、西部を植民地化した。
その後、1960年にイギリスの植民地であったソマリランドと、イタリアの植民地であったソマリアが個別に独立し、それらが合併してソマリア共和国が成立した。そして1969年、当時少将であったモハメド・シアド・バーレ氏が軍事クーデタを起こして大統領に就任し実権を握った。バーレ氏は民族主義を掲げ、ソマリ系住民が多い隣国のエチオピア東部に侵攻した。その結果、もともと行われていた国境紛争が激化し1977年からオガデン戦争へと発展した。冷戦中の米ソ対立も反映していたこの紛争にソマリアは敗北し、1988年にエチオピアと和平協定を結んだ。
この戦争による社会および経済的疲弊からバーレ氏の独裁政治に対する市民の不満は高まり、1980年代から反政府活動が拡大していった。これに対して、バーレ氏は反政府派を厳しく弾圧した。しかし反政府派の勢いは衰えることなく増し続け、ついにバーレ氏は首都モガディシュのみを治めることになった。そして1990年に反政府勢力が首都に侵攻、翌年にバーレ氏は追放され暫定政権が成立した。しかし、暫定政権の大統領は政権内の対立により首都から追放されてしまった。また、政府による南部優遇政策などに不満を抱いていた北部地域、旧イギリス領ソマリランドが同年に一方的に独立を宣言した。他国から国家として承認されてはいないが、以後ソマリランドは実質的に独立国家として機能している。また、1998年にはソマリア北部に位置するプントランド地方が自治を宣言した。
こうして各地で自治政府が誕生し、統一的な政府が存在しなくなったソマリアでは、ソマリア南部で複数のウォーロード(※2)が勢力圏を形成し、その支配圏を争い合う状況となっていた。これに対して国連平和維持部隊(Peacekeeping Operations:PKO)や米軍による介入がしばらく続いたものの、紛争が収まることはなかった。そんな中、イスラム教の法を軸にした法廷の連合がソマリアで出来上がった。イスラム法廷会議(Islamic Courts Union : ICU)と呼ばれるこの連合は、秩序と国の統一を取り戻すことを掲げたイスラム法学者たちによって2000年に結成された。ICUは多くの市民から支持を集めつつ武装化し、2006年7月に首都モガディシュからウォーロードたちを退けた。結果、一時的にソマリア南部は統一されていった。しかし、ICUの勢力を脅威として捉えたエチオピアが攻撃を仕掛け、ICUは同年12月に解体された。その後、ICUの一部の青年過激勢力がソマリア南部に撤退、ソマリアにイスラム国家を樹立することを目標にアル・シャバブを組織し、エチオピア軍に対するゲリラ攻撃を行うようになった。また、2007年にアフリカ連合(African Union:AU)は、国家の安定を取り戻し国家建設の進展の支援することを目的に、アフリカ連合ソマリア平和維持部隊(African Union Mission in Somalia:AMISOM)を展開することを決定した。ウガンダ、ブルンジなどの軍隊が構成するAMISOMは、徐々に首都を含む主要都市からアル・シャバブの勢力を追放していった。
AMISOM以外にも複数の国によるソマリアへの軍事介入が行われてきた。近隣国であるケニアは、武装勢力による自国への攻撃を防ぐ名目で2011年に軍事介入を行い、ソマリア南部の一部を占領した。これに対してアル・シャバブは、ケニア国内でテロ攻撃を行い反撃した。一度はソマリアから撤退したエチオピア軍も、ケニア軍もやがてAMISOMの一部として組み込まれることとなった。また、アメリカもアル・シャバブの脅威を問題視しており、ソマリアにおいてアル・シャバブに対する空爆を含む軍事攻撃を2001年以来継続的に行っている。

ウガンダの防衛軍司令官が演説している様子(写真:AMISOM Public Information/Flickr[CC0 1.0])
このような情勢不安が原因となりソマリア政府の統治が陸にも海にも行き届かなかったことや、そんな中に侵入し違法漁業を行っていた諸外国の漁船などの存在で、ソマリア沖付近で海賊が現れるようになった。21世紀初頭から急速に増加した海賊は、ソマリア沖付近で商業船を襲うなどしている。ソマリア以外の外国船への被害も拡大したことから、2008年には国連、欧州連合(European Union:EU)、AU、アラブ連盟らが集まり協議を行い、国連安保理は軍事力を行使する決議を採択した。これにより海賊による目に見えるか形での事件の数は減少した。しかし、統治の問題、貧困、領海内での違法漁業などの根本的解決には至っていない。
また、2000年以降ウォーロード等、各地の有力勢力らが和平会議や協議を行うようになった。結果、2004年にソマリア暫定連邦政府(Transitional Federal Government:TFG)が設立された。しかし、実際には暫定連邦政府にはソマリア全体を実効支配する力はなかった。大統領のリーダーシップは弱い上、国会議員も和平交渉に参加していたエリートの中から選出されており、政権内で数多くの汚職が行われていた。この暫定連邦政府は2012年の憲法採択まで活動を続けた。その後、2012年に採択された憲法により、ソマリア連邦政府(Federal Government of Somalia:FGS)が新たに設立された。ソマリア中央政府として実際にソマリアを統治することを目指す、正式な政府が誕生したのである。
中央政府誕生?
こうして連邦政府が誕生し、新たな大統領としてハッサン・シェイク・モハムド氏が選出された。彼が4年にわたる任期を終えた後、2017年に現大統領であるファルマージョ氏が選出された。しかし、彼の任期中にソマリア政府と連邦加盟州との対立が深まった。連邦加盟州はある程度の自治権を持っており、独自の警察と治安部隊を持っている。その中でもプントランドとジュバランドは特に自治意識が高く、これらの連邦加盟州と中央政府との対立により度々政治衝突が発生していた。
またソマリアでは、既述のように氏族が社会生活に根付いている。政治分野では、4.5氏族構造と呼ばれる構造が存在している。これは議会の議席の分配を決定するシステムである。所属人口の多い4つの氏族に割り当てられる議席の数をそれぞれ1とし、その他少数の氏族の議席を合わせて0.5として分配する。2004年に発足した暫定政府の議席も、この氏族構造に基づいて分配された。また、氏族体制は選挙制度にも影響を及ぼしている。現在のソマリアの国政選挙の制度は、氏族を基盤とした間接選挙制である。まず氏族の代表者である長老が代議員を選び、次に代議員が下院議員を選び、そして下院議員が大統領を選出するという制度となっている。間接選挙はその性質上、広く民意を反映させることが難しいとされている。ソマリアで最後に直接選挙が行われたのは1969年で、もう50年以上前のことである。

2017年に実施された連邦議会選挙における投票の様子(写真:AMISOM Public Information / Flickr[CC0 1.0])
2021年2月の選挙を控え、2020年9月にはソマリア政府と加盟州との間で選挙制度に関する議論が行われ、次回選挙では半世紀ぶりとなる直接選挙を行う方向で話は進んだ。しかし、ソマリア政府と加盟州との間で選挙の実施方法などについて合意に至ることが出来なかった。この政府と加盟州の選挙方法に関する意見の相違が今回の選挙実施を阻む要因となり、次の大統領が決まらないまま大統領の任期終了日を迎えるという事態を引き起こしたのである。
積み重なる諸問題
他にもソマリアには様々な問題が存在する。ソマリアが抱える大きな問題の1つにアル・シャバブがある。アル・シャバブはAMISOMなどによって都市部からは追放されたが、農村部ではいまだ大きな影響力を保ったままである。アル・シャバブの脅威は民主的な選挙に不可欠な投票が安全に行われることを阻害する。2020年4月には選挙において投票に関わったすべての人間を攻撃の標的とするという旨の声明を発表しており、選挙及び投票行動を妨害している。2016、2017年の選挙の際には実際に複数の長老と代議員を殺害した。
また、中央政府とソマリランドとの関係性も重要な問題である。1991年に独立を宣言したソマリランドだが、ソマリア政府はそれを認めず数十年間にわたり対立関係にあった。これまでも度々和解に向けた対話が行われてきたが、ソマリランドの主権や主張について根本的に意見が食い違っており、合意には至らなかった。2020年に5年ぶりに協議を再開したものの、未だ問題の解決には至っていない。
問題は国内だけにとどまらない。周辺諸国との関係性も非常に不安定な状況にある。ソマリア政府は海上の国境をめぐってケニアと対立している。またソマリア外務省は、2020年にケニアが内政に干渉していると批判し外交関係を断絶した。これに対してケニアは、AMISOMの下でアル・シャバブと戦闘を行っていた兵力をソマリアから撤退させる方向性を示している。ケニアが兵力を撤退することは、ソマリアに対する影響力が小さくなることを意味している。そうするともう1つの隣国であるエチオピアの影響力が増大することが考えられる。エチオピアは現大統領のファルマージョ氏と比較的友好関係を築いている国である。ところが、2020年にエチオピアのティグレ州で紛争が勃発したことで、同国はソマリアから一部の兵力を撤退させることとなった。さらに2021年1月には米軍がソマリアから撤退し、AMISOMも2021年12月に終了予定である。こうして生まれる政治的、軍事的空白により、アル・シャバブが勢いを増しさらなる危険がもたらされることが懸念される。

戦闘により崩壊したモガディシュのホテル(写真:AMISOM Public Information / Flickr[CC0 1.0])
また、中東諸国の対立もソマリアに影響を及ぼしている。ファルマージョ氏が大統領に就任した時、カタールと湾岸の近隣諸国は緊張状態にあり、サウジアラビアとアラブ首長国連邦(United Arab Emirates:UAE)は同盟国にカタールとの関係を絶つよう働きかけていた。そんな中、ファルマージョ氏はカタールとの中立関係を宣言した。そこには経済支援を受けているトルコやカタールとの連帯など様々な要因があった。しかし、結果的にソマリア最大の貿易国であるUAEを刺激し、関係の悪化を招いてしまった。また、UAEはファルマージョ氏の行動を受けて、中央政府と対立している連邦加盟州やソマリランドへの支援を強化し、それが政府と加盟州の分裂をさらに深刻化させた。
政治的安定へ向けて
以上見てきたように、ソマリアの危機的政治状況の脱却のために解決すべき問題は数多い。冒頭で紹介したように、選挙の未実施を受けて決議された大統領の任期の延長は、白紙となった。合意に至らず延期されたままの選挙は、実施できるのだろうか。また次の選挙がいつ実施されるかは未定だが、1人1票の直接選挙の実現に向けて法整備などが必要だろう。そのためには中央政府と連邦加盟州や氏族構成をもとにした権力分配などの状況を改善し、協力して選挙制度を確立する必要がある。さらにアル・シャバブへの対応、ソマリランドや周辺諸国との関係の改善にも取り組んでいかなければならない。ソマリア全体が一つの国として機能し、国内外のアクターと良好な関係を築いていくことが、現在の危機的政治状況を打開するための第1歩なのかもしれない。
※1:イスラム世界における君主の称号のうちの1つ
※2:ウォーロード(warlord)とは、私的利益を追求するための武装勢力のことである。政府の統治能力が低い地域で生まれ、その地域の実質的な支配者となる。反政府勢力と違い、政府転覆は目指さず、政府軍との衝突も避ける。占領・活動地域内での安全保障環境を独占することによって経済活動もコントロールでき利益を得る。
ライター:Hisahiro Furukawa
グラフィック:Yumi Ariyoshi
ソマリアの例から、政治的混乱を起こさずに国を統治することはとても難しいのだと感じました。
氏族という民族的なアイデンティティを政治に持ち込むことについて考えさせられました。また自治政府と中央政府の関係を考えると、自治を推進させればさせるほど連帯することは難しくなるし、逆に中央集権制を強めると衝突が激しくなるだろうし、立場が明確にしにくいと感じました。ソマリアの海賊についてはうっすら知っていましたがこのような歴史的・政治的背景があることに驚きました。
難しい歴史の内容を分かりやすい年表にまとめられていて理解しやすかったです。
グラフィックとても分かりやすかったです!
本来、AMISOMや米軍はポジティブな影響を与えようとソマリアに介入するのに、その資金や安全性、期限という制約による撤退で、むしろソマリアに政治的・軍事的空白に起因する不安定をもたらしてしまうというのは、一種のアイロニーであり、避けられない難しい問題だと思いました。