2023年2月6日、トルコ・シリア大地震が発生した。この地震によって、トルコ・シリア両国で計35,000人以上の人々が犠牲となった。また、地震の影響で、深刻な人道危機の発生も報告されている。しかし、実はシリアでは、地震発生以前から過去最大レベルの人道危機が発生している。
地震発生から約1年前の2022年1月、国際赤十字赤新月社連盟(IFRC)は、シリアで過去最悪レベルの人道危機が発生していると警告した。国連によると、シリアでは、2022年末時点で、およそ1,460万人の人が人道支援を必要としていた。国外に避難しているシリア難民は約660万人、シリア国内で避難生活を送る人々の数は約670万人にものぼっていたとされており、今回の地震の影響により、人道危機が更に悪化することが懸念される。
シリアで人道危機の状況が悪化し続けているのは、一体なぜだろうか。この記事では、2011年から続く紛争の流れと、紛争を取り巻く各国の動きにも着目しながら、シリアの人道危機問題を紐解いていく。

シリア北西部、イドリブ州の難民キャンプの様子(写真:Ahmed akacha / Pexels [Legal Simplicity])
シリアの歴史
シリアは、面積18.5万平方キロメートル、人口約2,156万人の中東に位置する国であり、アラブ、クルド、アルメニアなど多様な文化、言語、民族的背景を持つ人が暮らしている。人口割合ではアラブ系にルーツがある人が約75%、クルド系(※1)にルーツがある人が約15%、アルメニア系やその他のルーツの人が約15%だ。また、国民が信仰する宗教を見てみると、人口の約87%がイスラム教を信仰しており、イスラム教信者の中でも約74%がスンニ派、約13%がシーア派やその分派であるアラウィ派の信者である。
ここからは、そんなシリアの歴史を大まかに見ていこう。シリアは、古くにはローマ帝国の支配を受けた地域であったが、7世紀にはイスラム帝国の統治下に置かれるようになった。そこからは時代と共にシリア地域を支配するイスラム帝国も変遷し、16世紀にはオスマン帝国の支配を受けることとなる。その後は長らくオスマン帝国領として統治されてきたが、第一次世界大戦でオスマン帝国が敗戦した後の1920年、サイクス・ピコ協定に基づき、シリアはフランスの植民地となる。このサイクス・ピコ協定では、イギリス・フランス・ロシアの三国により、中東地域の事情を考慮されないまま、地域が分割された。その後、第二次世界大戦後には、独立の動きが強まり、1946年、シリアはシリア共和国として独立した。
独立後は相次ぐ反乱やクーデターの影響で、国内の政局は不安定であった。そのため当時のシリア政府は、汎アラブ主義(※2)を掲げていたエジプトとの合流を図り、1958年、エジプトと合併してアラブ連合共和国を結成した。しかし、この合併で、エジプト側がシリアを従属的に扱ったことでシリア側の不満は増大し、1961年、シリアは、シリア・アラブ共和国として再独立を果たした。
再独立を果たしたシリアで政権を獲得したのが、バアス党である。バアス党は、元々イラクで生まれた、汎アラブ主義を唱えるバアス派の流れをくむ政党であり、現在もシリアではバアス党政権が継続している。そんなバアス党政権の地盤を固めたのが、1971年に大統領に就任した、ハーフィズ・アル=アサド(以下、H.アサド)大統領だ。軍人出身のH.アサド大統領は、バアス党・軍・アラウィ派の官僚達と連携し、権威主義的な政策を推し進めた。彼が行った、経済・土地改革、教育の促進、軍の強化などの政策が一定の成果を見せると、バアス党は市民から一定の支持を獲得し、国内政治は安定化した。

マンションの一室に飾られたアサド親子の写真(写真:Stijn Nieuwendijk / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
国内での一定の支持を獲得したバアス党だったが、シリア国内には、反バアス党の勢力も存在していた。バアス党は、H.アサド大統領を含め、シーア派の分派であるアラウィ派の勢力が政権を握り、権力を集中させる権威主義的な政治を行っていた。これに対し、シリア国内ではスンニ派が多数派であったということもあり、国内には、アラウィ派の権威主義的支配に反対する者も多く存在していたのだ。バアス党はこのような反体制派の勢力に対し、徹底的な武力弾圧を行ったことでも知られている。具体的には、1982年に、バアス党政権に反発する民間人5,000~10,000人を、H.アサド大統領の命を受けたシリア軍が虐殺するといった事件が発生している。また、H.アサド大統領は、激しい武力弾圧に加え、情報・言論統制も行い、独裁を維持・強化していった。
また、シリア政府はアラブ・イスラエル戦争に参戦してきた歴史もある。1967年に勃発した6月戦争では、シリアはイスラエルに敗北し、ゴラン高原をイスラエルに占領されるなど、イスラエルとの対立関係は現在まで継続している。
紛争の発生
2000年、H.アサド大統領が死去すると、息子のバッシャール・アル=アサド氏(以下、B.アサド)が大統領に就任した。就任当初、B.アサド大統領は、「ダマスカスの春」と呼ばれる民主化市民運動を容認する姿勢を見せ、市民による政治参加を拡大したり、情報統制を緩めたりするというような公約を掲げるなどの開放的政策を打ち出していた。しかし、先代のH.アサド政権で既得権益を得ていた保守派の反対もあってか、政策は徐々に変化し、最終的にはより強固な権威主義の立場をとるようになった。具体的には、B.アサド政権下のシリアでは、情報が検閲され、政権に意義を唱える者に対しては逮捕・拷問が頻繁に報告されてきた。

バッシャール・アル=アサド大統領(写真:Пресс-служба Президента России / Wikimedia Commons [CC BY 4.0])
また、シリア国内のクルド人に対する弾圧も大きな問題となった。トルコ・イラク・シリアといった地域でそれぞれ独立を目指すクルド人の人々は、B.アサド大統領にとって弾圧の対象となった。現に、B.アサド政権下では、クルド人としてのアイデンティティを抑圧する目的もあってか、国内のクルド人には学校でクルド語を学ぶ権利や、クルドの伝統的催しを祝う権利などが認められていない。2004年、長年不満を溜め込んでいたクルド人による大規模な抗議デモが発生して以降、シリア政府によるクルド人に対する弾圧はより激しさを増したと言われている。
それでは、ここからは、シリア紛争の歴史的経緯を見ていこう。紛争のきっかけとなったのは、2010年~2012年、北アフリカ・中東地域を中心に行われた、大規模な民主化運動「アラブの春」である。2011年、シリアにもアラブの春の影響が伝播し、政府を批判する内容の落書きをした15人の少年が拘束され、拷問を受ける事件が発生した。この事件を受け、日頃から権利を制限されていることに不満を持っていた反体制派の人々は次々と抗議デモを行った。シリア政府はこの抗議デモに対し、多数の参加者を逮捕・投獄することに加え、数百人のデモ参加者を殺害した。このような強権的な政府の対応を受け、シリア各地で反体制派勢力が立ち上がり、シリアは紛争状態へ突入した。
2011年7月には、軍からの離脱者が反政府武装組織「自由シリア軍」を結成し、反体制派勢力の指導権を主張したものの、各地の反体制派グループの多くはその権利を認めず、数百にのぼる勢力が各々でシリア政府軍と交戦する形で紛争は広がっていった。2011年8月には、一部の反体制派勢力が結集し、シリア国民評議会を結成したが、この組織も反体制派のまとめ役としては機能しなかった。これを受けて、2012年には、アメリカの主導で、シリアの反体制派会合が行われ、その結果、シリア国民連合が結成された。この連合は60人のメンバーから構成され、そのうちの22人がシリア国民評議会のメンバーである。しかし、このシリア国民連合も、反体制派勢力をまとめあげることは出来ていない。

紛争によって破壊されたモスク(写真:Christiaan Triebert / Wikimedia Commons [CC BY 2.0])
シリア国民連合などの組織が反体制派のまとめ役となることが出来なかった一つの理由として、国外の支援国の存在が挙げられる。アメリカを始めとする西側諸国や中東諸国など、それぞれの支援国が、自国の影響力を少しでも高めようと、異なる反体制派勢力に援助を行った結果、支援の流れが交錯し、反体制派をまとめられるような力を持った組織が生まれなかったのだ。また、反体制派勢力の中でも、スンニ派過激組織が結成されるなど、各組織の根幹を成す主義の部分で足並みが揃わなかったという点も指摘される。反体制派の各組織は、「バアス党政権を打倒する」という目的は共通していても、その思想は様々であり、一枚岩の組織としてまとまることは困難であったと推測される。
また、紛争発生後、クルド人組織もシリア国内での自治を目指し、反体制派としての活動を加速させた。シリア国内においても、トルコを拠点として活動しているPKK(クルド労働者党)の関連組織であるPYD(クルド民主統一党)が活動を行っており、紛争発生後、シリア国内での自治への動きを加速させた。2012年には、B.アサド政権軍がクルド人居住区からの撤退を行ったと同時に、PYDが同地区を占領し、以降、実質的な統治を行ってきた。
紛争開始から2年後の2013年、継続する紛争によって各陣営が疲弊する中、勢力を伸ばしたのが、先述した過激派組織である。2012年に結成された、アルカイダ(※4)系の過激派組織、ヌスラ戦線は、他の反体制派と連携して政府軍と戦闘を繰り広げた。一方で、ヌスラ戦線は、クルド系勢力など国内の多くの他の勢力を攻撃対象にしていた。
また、2014年以降、紛争に大きな影響を与えたのが、IS(イスラム国)である。ISは元々イラクで活動していたスンニ派過激組織で、2014年にシリアに進出して以降、シリアの北部・東部地域を広く支配した。アメリカは当初、ISの存在をB.アサド政権の打倒に貢献できる組織として、その台頭を見守っていた。しかし、ISの過激なプロパガンダを通して、やがてISを危険視したアメリカは、アラブ諸国やヨーロッパ諸国と有志連合を結成し、ISを標的とした大規模な空爆を行うなど、軍事介入を行った。また、2015年以降には、ロシアもB.アサド政権支援の一環として、ISへ向けた空爆を実施した。

YPG(クルド人民防衛軍)の兵士(写真:Kurdishstruggle / Flickr [CC BY 2.0])
さらに、IS掃討に力を注いだ勢力として、クルド人組織も挙げられる。クルド人組織がIS掃討に乗り出したのは、ISがクルド系の人々が統治していた地域にまで進行する危険性があったからだ。2015年には、PYDの軍事部門である、YPG(クルド人民防衛隊)を主体としたSDF(シリア民主軍)が結成され、ISに対抗した。SDFは、アメリカの支援を受けてISと戦闘を行い、激しい戦闘を繰り広げた。ISを掃討した後、YPGは以前から獲得していた自治区域を更に広げ、シリア東部、北部及び北東部の広範な地域を事実上支配している。
これらの攻撃によって徐々に支配力を低下させたISは、2017年末にはほぼ全ての支配地を失った。また、このIS撲滅の過程で、ISに向けた空爆を実施したロシアは、シリア政府の援助をするべく、反体制派組織にも空爆を実施していた。この影響もあって、シリア政府側は攻勢を強め、国の大部分の統治権を取り戻していった。現在、反体制派が占領しているのはイドリブ州やクルド人勢力が統治している地域のみである。
紛争を取り巻く各国
こうして、国内の様々な勢力を巻き込み、現在も継続しているシリア紛争だが、上記のように、この紛争は国外のアクターも密接に関わっている。ここでは、シリア政権、反対派勢力それぞれを支援する国や勢力に触れながら、紛争を取り巻く各国の動向に触れていきたい。
まず、シリア政権を支援する国として挙げられるのが、イランである。イランは、シリア政権の支援のために、2022年までに、数10億米ドルにものぼる資金提供を行ってきたとされている。また、イランは、レバノンを拠点とするシーア派武装組織、ヒズボラ戦線(※5)への訓練・資金提供を行い、援軍として参戦させることで、シリア政府軍の増強を図ってきた。
シリア政権を支援する、もう一つの代表的な国がロシアである。紛争開始以前からシリアに軍事基地を置いていたロシアは、紛争開始直後から傭兵の派遣や武器輸出を行っており、2015年に正式に紛争への介入を発表した。当時、ロシアはISを代表とする「テロ組織掃討」を掲げて紛争に介入したが、実際にはシリア政府軍と連携して、穏健派の反体制派組織への攻撃も行っていた。また、ISを含む過激派組織を標的とした空爆も度々実施し、この空爆によって多数の民間人が犠牲となっているという報告もある。さらに、2017年には、かつて西側諸国が支援していた複数の反体制派組織と交渉し、軍事活動の停止を約束させることに成功した。これらのロシアの支援により、シリア政府軍は、反体制派勢力が占領していた土地を次々と奪還するに至った。
これに対し、反体制派勢力を支援しているのが、アメリカ、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、その他の西側諸国や湾岸諸国である。
アメリカは、シリアに地上軍を派遣したほか、当初、自身が穏健派だと見なした組織を支援する立場を表明していた。しかし、実際には中央情報局(CIA)を通じて、過激派組織を含む反体制派勢力を軍事的に支援し、武装勢力の軍事訓練を行う「ティンバー・シカモア」という秘密のプログラムを運営していたことが明らかになっている。このプログラムは、サウジアラビアなどと共同で行われたもので、サウジアラビアが反体制派に武器や資金を提供し、CIAが軍事訓練を行うという内容であった。また、アメリカはこのプログラムに加え、シリア政権打倒のために、アルカイダ系の過激派組織に武器の提供も行ってきた。さらに、前述したように、アメリカは当初、ISの存在を有用なものとして認めていたうえ、その後アメリカがISを打倒するために行った空爆では、多数の民間人の犠牲を出したという報告もある。また、2018年には、アメリカのドナルド・トランプ大統領は米軍のシリアからの撤退を発表したが、すぐに発言を撤回し、米軍は現在でもシリア政府の許可なしでシリアに駐留している。2022年時点で、アメリカが支援してきたSDFの自治地域であるシリア北東部には、約900人の米軍兵士が駐留し、空爆などの軍事活動を行っている。
トルコは反体制派勢力の主要な支援国であるが、その目的は、反体制派勢力を利用し、クルド系勢力を弾圧することにあると指摘されている。トルコ政府は、トルコ国内でクルド人組織PKKと対立し、PKKをテロ組織に認定している。したがって、トルコはシリア国内のクルド人勢力も危険視しており、シリア国内にクルド人国家を誕生させることは絶対に阻止するという決意を表明している。このことからトルコは、2016年以降、シリア国内のクルド人勢力が統治している地域に向けて複数回侵攻を行い、トルコとシリアの国境から約30キロメートルの地域を占領している。また、単に土地を占領するだけでなく、トルコが支援している反体制勢力を動員し、シリア北東部でクルド人の虐殺も行ってきた。さらに、トルコはSDFの拠点に対して、ドローンや戦闘機による空爆も行っていることが報告されている。
イランと敵対するイスラエルも、反政府勢力への軍事支援を行ってきた。また、イスラエルは、シリア政府軍が反政府勢力から奪還した拠点に対する空爆も行っている。また、ダマスカス空港やラタキア港に向けてミサイルを発射した事例のような、インフラ施設を破壊する行動も報告されている。
拡大する人道危機
上記で確認してきたように、シリアではまだトルコとの国境付近などで紛争状態にある。そんなシリア国内で問題となっているのが、紛争によって破壊された街や施設の復興があまり進んでおらず、深刻な人道危機が発生しているというものだ。
国連によると、シリアでは人口の90%が貧困ライン以下で生活し、70%が深刻な食糧不足に直面しているという。また、2023年にはシリア国内で支援を必要とする人の数は1,530万人に達すると予想されている。なお、これは2023年2月の大地震が発生する以前の予測であり、現在は1530万人をはるかに超える数の人々が支援を必要としていると考えられる。
人道危機は武力紛争の収束後も長期化することが多い。しかし、シリアにおいてこれほど急速に人道危機が進行している原因は他に複数あると考えられている。
そのひとつは、アメリカやヨーロッパ諸国が、2011年から実施しているB.アサド政権への厳しい制裁措置である。国連の特別報告者のアレナ・ドゥハン氏は、欧米諸国の制裁措置が国の復興を著しく妨げていると報告しており、これらの制裁が解除されない限りは、シリア国内の復興の進展が阻害され続けると主張している。しかし、アメリカを始めとする西側諸国は、シリアで政権交代が行われない限り、制裁を継続する方針を示しており、シリア政権への制裁解除が行われる兆しはない。また、アメリカが現在、軍を駐留させている地域には広大な油田があり、アメリカはこの油田にシリア政府がアクセスできないような状態を維持することを重要視している。このことからも、アメリカはシリア政府による国家再建や復興を阻止しようとしていることが分かる。

シリア国内で活動するアメリカ軍(写真:The National Guard / Flickr [CC BY 2.0])
次に挙げられるのが、シリア国内に、国内外からの支援が行き渡っていない現状である。B.アサド政権は、政権にとって脅威となる団体を排除するためか、反体制派地域とつながりのあるNGO団体などからの人道支援の流れを妨げている。さらに、B.アサド政権は、反体制派が統治している地域へ支援を行おうとしているシリア人の人道支援職員に対し、脅迫や拷問を行ってきた。また、反体制派勢力が統治する地域への支援妨害については、B.アサド政権を支持するロシアの協力も見られる。ロシアは、国連による、B.アサド政権の干渉を避けたルートで行う支援に対して拒否権を行使し、国連の人道支援経路数本を廃止させてきた。現在、国連がシリア政府の干渉を受けずに支援物資を搬入することができるルートは一つしかなく、もしこの支援ルートも閉鎖された場合、更に多くの人々が飢餓状態に陥ることが指摘されている。
トルコによる、民間人やインフラ施設を巻き込む空爆も、シリアの人々の生活を危機的なものへと追い込んでいる。特に、トルコによるクルド系勢力が統治する地域を狙った空爆によって、医療施設・学校・エネルギーインフラ施設などが破壊されており、シリア北東部の人々の生活環境を著しく悪化させている。
また、その他の要素として、2021年から2022年にかけてシリアを襲った記録的な大寒波も挙げられる。特に、仮設住宅に住む国内避難民は、記録的な寒さに対応する衣服や暖房器具をもっておらず、国内避難民の生活はますます苦しいものになっているという。さらに、2022年、シリア国内ではコレラの流行が発生し、罹患患者は2万人を超えている。このコレラ流行の背景には、医療インフラの崩壊や水道インフラの汚染などがあり、早急に対策が必要である。
最後に、2023年2月に発生した大地震も、これまで存在していた人道危機をさらに深刻なものにしている。特に、反体制派が占領しているイドリブ州では、必要な支援が行き渡っていない現状がある。
人道危機解決に向けて
これまで、シリア紛争の経過と紛争によって引き起こされる問題について確認してきた。では、このような深刻な人道危機はなぜ解決の方向へ向いていかないのだろうか。
一つには、紛争に関係するアクターの関わり方の問題があると考えられる。上記でも見てきたように、シリア紛争には様々な国が介入してきた。しかし、これらの国々はいずれも、シリア政府を支援する、又は打倒するための軍事支援や制裁措置には力を入れているが、それによって引き起こされるシリア国民への被害をあまり考慮していない傾向がある。制裁、空爆、インフラ施設破壊など、シリア国民に多大な犠牲を生むような行動の正当性には疑問が残る。

2022年のシリアの街の様子(写真:EU Civil Protection and Humanitarian Aid / Flickr [CC BY 2.0])
また、紛争発生時やISの侵攻時には世界各地のメディアを中心に注目を浴びていたシリア紛争であったが、そのような話題が過ぎ去ると、注目度が低下してしまうという点も問題である。現に2022年には、過去最大レベルの人道危機が発生していたが、その注目度は、紛争発生時やISの侵攻時と比べて低いものであった。注目が向けられる方向によっては、新たな破壊的な軍事介入につながる危険性があることは否めない。しかし、注目は、場合によっては危機を助長させる行動に対する抑止力として働く可能性もある。また、注目度が低いと人道支援や復興支援も集まらないという問題もある。
現在、トルコ・シリア大地震の発生により、再度注目を集めているシリア人道危機。これ以上の犠牲者を出さないためにも、シリア紛争に対して、より長期的な注目や支援が集まっていくことを期待したい。
※1 主にトルコ南東部、イラク北部、シリア北東部、イラン北西部にまたがる「クルディスタン」(クルドの土地・国)と呼ばれる地域に居住する人々。「国を持たない最大の民族」とする意見もある。
※2 中東における、国家を超えたアラブ民族の連帯をめざす思想運動のこと。アラブ民族主義とも言う。
※3 トルコでは、1978年にPKK(クルド労働者党)が結成され、クルド系の人々が実質的に統治している地域の独立や自治を目指してきた。また、イラクでも、1946年にKDP(クルディスタン民主党)が結成され、イラク国内における合法的なクルド自治共和国の樹立を目指して、イラク政府と交渉や武力紛争が行われてきた。
※4 北アフリカ・中東・中央アジアなどを中心に活動している、スンニ派過激組織。主に欧米諸国及びイスラエルを敵対視している。
※5 中東において国家にも並ぶ影響力を持つレバノンの組織。現在では、レバノンの一部の地域で政治的、軍事的に大きな力を持っており、同じイスラム教シーア派の支援のために、軍事支援や直接参戦などの形で、イラク、シリア、イエメンの紛争への介入を行っている。
ライター:Seiya Iwata
グラフィック:Takumi K