2021年11月25日、インドネシアにおいて、労働に関する様々なことを定めている雇用創出法(以下、オムニバス法とする)の立法手順に欠陥があったと憲法裁判所が政府に対して指摘した。また、それに伴い2年以内の一部法改定を命じており、改定がなされなければオムニバス法は違憲となる。
そもそもこのオムニバス法とは、今回の出来事から約1年さかのぼった2020年11月2日に施行された労働に関する包括的な法律であり、当時から様々な面において国内外の労働者などによる批判がなされてきた。さらには労働者の権利や環境保護を脅かすとして、インドネシア全土で抗議デモも行われた。対して政府は治安部隊を派遣しこのような抗議者らを威嚇して、批判もデマだとしていた。このようにオムニバス法は、インドネシアを中心に労働問題や人権、環境など様々な分野で物議を醸している。世界で4番目に人口(※1)が多いインドネシアで、労働者たちの身に何が起こっているのだろうか。

ミシンを使っている労働者たち、インドネシア(写真:International Labour Organization ILO / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
インドネシアの労働情勢
そもそもオムニバス法の成立に至るまでのインドネシアの労働状況はどのようなものであったのだろうか。
インドネシアは19世紀半ば以降オランダの植民地であったが、日本による占領を経て、1945年8月に、後に初代大統領となるスカルノ氏(任期1945年から1967年)と初代副大統領となるモハマッド・ハッタ氏が独立を宣言した。オランダとの激しい紛争を経て1949年に完全な独立が認められた。当時のインドネシアでは労働者の存在が大きく共産主義が強まっていたのだが、1965年にクーデターが起こり状況は一変した。数か月の間に100万人もの人々が、兵士や警察、右翼の自警団によって虐殺され、インドネシア共産党は完全に破壊されたのである。労働組合は事実上禁止され労働者への対応は厳しいものとなった。その後1968年から1998年にはスハルト氏が政権を握った。
インドネシアは石油の生産国であり、経済を支える重要な資源であった。1970年代には2度にわたる石油ブーム(※2)が起こり、石油による収入が増加して、インドネシアにおいて1982年までは急速な経済成長が維持された。それがひとつの原因となり、スハルト政権の時代には雇用が多く創出され、インドネシア経済を軌道に乗せることに成功した。しかしその一方で労働組合が押さえつけられ、賃金労働者の権利は軽視されていたのである。つまり雇用はあっても労働環境が悪いという状況が続いていた。
そのような中で、外資系企業の進出が過剰となって日本など他国の製品が溢れかえり、自国の経済発展が他国の企業ばかりに占有されているかのような状況を不満に思った人々によって暴動が発生した。政府は現地の企業を優遇する政策に切り替えたが、そのあとの原油価格の下落によってインドネシアの対外債務が悪化した結果、インドネシアへの輸出志向の外国投資が再び増加した。
そして1997年から1998年に見舞われたアジア金融危機を契機に大幅な政治改革が行われ、インドネシア経済は縮小した。また、政府や官僚など様々な分野における汚職が蔓延していたことも問題となった。スハルト政権が中央集権的だったこともあり、政府はこの危機に対して適切な対処をすることはできなかった。最終的には1998年に経済的苦境と政治の腐敗に疲弊した国民らが暴動事件を起こし、スハルト氏は大統領を辞任することとなった。その後のインドネシア社会では、労働者がそれまで不利益を被っていたという事実が重要な問題として浮かび上がるようになった。そして、国際労働機関(ILO)が採択した国際労働条約と労働組合法に基づいて、2000年に、労働者に労働組合に加入して団体交渉を行う権利が与えられた。
このような流れを経て、メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ前大統領(任期2001年から2004年)が政権を握っていた2003年に労働法が新たに制定された。その法律では退職金がスハルト政権の頃より多く規定されるなど、労働者の状況が改善された。反対に利益が減った雇用者などからは批判もあった。この批判を受けて、スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領(任期2004年から2014年)は2006年、2010年、2011年の3回にわたり法改定を試みたが、労働者の抗議などによって叶わなかった。しかし政権がジョコ・ウィドド大統領(任期2014年から)に代わり、2015年12月に賃金に関する政府規則第78/2015号が発表され、再び労働者に不利な流れが生まれた。この規則では、最低賃金を決定する際に、交渉ではなくインフレ率とGDP成長率から算出することを義務付けるなど、賃金審議会と地方行政官の権限が規制された。それまでは、労働組合が地方行政官を説得して労働者側につかせるなど駆け引きを行い、賃金を上げることが可能であったが、規則によって交渉の余地が無くなってしまったのである。
インドネシアの実際の雇用状況としては、2009年から2019年の10年間で毎年平均240万人の新規雇用が創出されている。ただしインドネシアでは若年層の割合が大きく、労働市場への新規参入者が多いため、依然として雇用創出が重要な項目となっている。就業率の水準は改善されているが、労働者の生活は決して良いものとは言えない。2019年においてインドネシアの68.6%もの人々がエシカルな貧困ライン(※3)と言われる7.4米ドル以下で暮らしている。
法改定の概要
そのような状況の中、2020年11月2日にウィドド大統領のもとで、労働に関するオムニバス法が正式に施行された。さらに2021年2月にはオムニバス法を具体的に実行していくための新しい政府規則が相次いで発行されたのである。この法律は1,000ページを超えて労働に関して包括的に規定しており、79の既存法を修正した。現ウィドド政権はこの法律に関して、インドネシアへの投資状況を改善し雇用を促進するためだと主張している。国のビジネス容易性ランキングの向上、投資の奨励、雇用機会の増加などが狙いある。このビジネス容易性ランキングとは、規制状況などの面からビジネスの行いやすさを世界銀行が順位付けしたものだ。経済的成果として期待されていることに加え、ビジネスを行う上での指標として参考にされることもある。
実際にインドネシアの労働規則はオムニバス法によって大幅に変更された。具体的に変更された事柄としては、有期雇用契約において働ける期間の延長、地方政府の人材サービスへの登録における規則や手続きのオンライン化など多岐にわたる。さらには、業務委託に関する規則の緩和、時間外労働の拡大なども行われ、解雇の理由にできる事項が追加された。さらには賃金において、部門別最低賃金ではなく地方知事が定める最低賃金を採用したうえに、退職金は削減された。休日についても、企業が労働者に対して与えることを義務付けられた休日日数は、週2日ではなく週1日となった。環境に関する規則では、事業許可取得の前に必要とされている環境影響評価の実施要件を緩和した。つまり、事業を始めるまでの手順が簡素化されると同時に環境リスクに関する条件は弱められた。インドネシアへの投資家を規制できる基準も以前より弱いものとなっている。
オムニバス法への反発
ではこのような法改定に対して具体的にどのような批判がなされているのだろうか。ここまでに述べた法改定の状況から、雇用者側にとっては労働問題について柔軟な管理や人件費の削減ができるようになったが、労働者側にとってはさらに不利な労働環境になってしまったことがうかがえる。そのため労働者や一部国際機関からは、様々な懸念点が挙げられている。
第一に法律制定の方法に関して、憲法裁判所が指摘したのと同様に、政府は法案の議論をする際に国民との十分な対話を行っておらず、法律自体やその制定までの過程が不透明であると批判されている。法律の草案は公開されておらず、そのことに関して先に述べた判決の中で、判事は「オムニバス法は、1945年の憲法が定めた透明性の原則を尊重していない」と述べた。草案が公開されていなかったことで、国民は法案を読むことすら困難であったのだ。さらには2020年4月に労働組合が国会に対して法案審議の停止を迫ったが、それが認められないまま法案は可決された。

オムニバス法に反対するインドネシアの人々(写真:IndustriALL Global Union / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
次にオムニバス法の内容については、労働時間や労働条件など、労働者に対して搾取的になることも懸念されている。オムニバス法を阻止するために労働団体や学生団体などは大規模なデモを数多く行っている。具体的なデモの例としては、インドネシア労働組合は2021年4月にオムニバス法に関する抗議運動を行った。この運動には少なくとも1万人もの組合員が150都市1,000社で参加している。他にも2020年10月には、インドネシアの全学生実行委員会など多くの人々がオムニバス法の撤回を求めデモに参加した。また一部地域では混乱が生じ、約6,000人が逮捕されたケースも見られる。
このことについては国際的にも批判の声があげられている。例えば国際労働組合総合連合(ITUC)は、この法案によって賃金が削減され病気休暇の規定とその他保護が手薄になり、雇用の安定が損なわれると声明を出した。
また、この法改定によって環境破壊が進むという意見もある。実際に専門家をはじめ労働組合や学生などの国内の団体、さらには一部国外投資家も環境破壊の観点からオムニバス法を批判している。具体的には、政策が環境や社会に害を及ぼし得る場合でも一般市民が議論し訴訟を起こすことが難しくなった。オムニバス法では、企業の事業などに関する環境への影響の評価の場には、その事業から直接影響を受けると判断されるほんの一部の人々しか参加できず、それまでのように地域住民が意見を述べる機会が奪われるという懸念もある。また、インドネシアへの投資とそれに伴う事業を以前よりも規制しづらくなったことから、結果として投資家が個人の利益のためにインドネシアの環境を破壊しかねない事業を行おうとしていても、それを制限することができず環境保護が妨げられる可能性があると言われている。

森林火災、インドネシア(写真:CIFOR / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
加えてオムニバス法の制定に伴い、企業などが火を使って森林を切り開くことを阻止していた法律の拘束力が弱まってしまうとされている。インドネシアではもともと焼畑農業が盛んであったが、国を越える規模での煙害、大気汚染が大きな問題となっている。法改正によってインドネシアの森林はさらに減少し、温室効果ガス排出は増加するだろう。それだけにとどまらず、温室効果ガス削減に関する国際的取り決めであるパリ協定などで求められている、世界規模での対策すらも危うくなる可能性がある。将来的なことを考慮しても、インドネシア市場の魅力自体に大きな影響を与えかねない。
さらに国家人権委員会は「オムニバス法に基づく政治は差別的なニュアンス」があり、「ある集団の利益をさらに保障し、法の下の平等の権利を否定する」ものになっていると声明を出した。そもそも法案の審議の場には障害を持つ人々は招かれなかった。さらに法律の中では特定の仕事や職場での役割において、依然として雇用を希望する個人に対して「心身ともに健康」ということを条件として用いている。このことは障害を持つ人々の労働市場への参入を制限しかねない。雇用の終了に関する第154のA条において、個人が障害を持った場合、雇用主はその人を解雇することも可能となった。それだけでなく、法律のなかで差別的ともとれる用語が使用されたことも問題となっている。「カカト」という言葉は障害を持つ人々の社会的地位を低くとらえた差別的な言葉であり、この言葉を使用したことはインドネシア憲法上の人々の権利をも侵害していると言えるのである。
現在とこれから
今後インドネシアでは、労働者への搾取が残る中でGDPや雇用者数だけを元に経済の「成長」を目指すのではなく、いかに国民の権利を尊重したうえで平等に発展させていくかを考えることが重要となる。インドネシア環境法センター(ICEL)のレイナルド・G・センビリン事務局長は「オムニバス法はそれ自体も大きな問題であるが、他の取り組みの引き金にもなっている」と述べていた。ビジネス容易性ランキングの順位を上げ投資や雇用機会を増やすという政府の政策目標を達成するために、今後も政府は規則や他の法律といった形で不平等な変更を繰り返そうとするかもしれない。

インドネシアの憲法裁判所(写真:Francisco Anzola / Flickr [CC BY 2.0])
しかしその一方で、初めに述べた憲法裁判所の判決は労働者にとって大きな出来事であった。憲法裁判者が労働者に寄り添い政府に対して法改正を命じたことは、「非常に大胆な行動だった」とインドネシア労働組合連合会のサイード・サラフディン氏は述べている。また、経済担当調整相によれば、インドネシア政府もこの判決を尊重し、裁判所の指示をできる限り実行するとしている。様々な困難はあったが、政府の狙い通り法改定の流れに待ったをかけることができた。今後の新たな法改定の動きにも引き続き注目したい。
※1 インドネシアは2020年時点で人口2.7億人である。世界で人口が最も多い国は中国で、次いでインド、アメリカとなっている。
※2 1度目はインドネシアが加盟していた石油輸出国機構(OPEC)が石油の輸出量を減らし石油価格を上げたこと、2度目はイランでの革命による石油産業の一時閉鎖で石油供給が減ったことがきっかけである。
※3 GNVでは世界銀行が定める極度の貧困ライン(1日1.9米ドル)ではなく、エシカル(倫理的)な貧困ライン(1日7.4米ドル)を採用している。詳しくはGNVの記事「世界の貧困状況をどう読み解くのか?」参照。
ライター:Aoi Yagi
グラフィック:Aoi Yagi