我々の世界観はどこから生まれるのか?国際報道を通して、今起きている世界の出来事や現象が見えてくる。しかし、世界の現状を深く理解するために必要なのは、必ずしも現在の出来事だけではない。歴史もまた重要な役割を果たす。過去の理解があれば、現在の出来事を読み解くことができるのだ。自国内に比べて世界のことは情報も少なく、直接的な経験も少ない。したがって、教育における歴史やメディアによる国際報道は、個人が世界に対するイメージを形成するうえで大きな影響を及ぼす。しかし、歴史と国際報道でどこまでの世界が見えているのだろうか。
高等学校の教育科目の一つに「世界史」がある。「世界」史という名前であるにもかかわらず、一部の地域の政治や文化を詳しく学んだり、特定の出来事や紛争についての背景知識や構図などを学んだりすることがほとんどで、あまり深く学ばない地域が残る場合も多くある。これを「世界史」と呼んでよいのだろうか。一方、以前からGNVでは日本の国際報道で取り上げられる地域に偏りがあることを述べてきた。そもそも国際報道の少ない日本において、メディアを通じて見える「世界」は偏りが大きい。世界史の教科書にも偏りがあるとすれば、それは国際報道の偏りと似ているのだろうか?そうであるとすれば両者の間には何らかの関係があるのだろうか?今回は、個々の世界観を作り上げる時に基礎となる「世界史」と「報道」の関係性を探っていきたい。

世界史の教科書(写真:YUNA)
世界史の教科書における偏り
まず、日本の高等学校で使用されている3社の世界史B (※1)の教科書(詳説世界史B/山川出版社、世界史B/実教出版、世界史B/東京書籍)を用いて、地域ごとの記述量を調べてみた。教科書の小見出しを参考に、記述量には教科書の行数を用い、第二次世界大戦後の歴史のみを扱った。以下のグラフを見ていただきたい。
3社とも共通して記述量が多い地域は、アジア(日本を除く)、ヨーロッパ、北米となっている。この3地域だけで、全記述量の約4分の3を占めている。世界史 の教科書の中で日本の高校による採択数が最も多い山川出版の『詳説世界史B』を詳しく見てみると、 第二次世界大戦後の国際秩序が連合国側中心に進んでいったことや、米ソの冷戦、その代理戦争としての朝鮮戦争やベトナム戦争、天安門事件をはじめとした社会主義の変容、欧州(EU)統合への動きなどの記載が多くなっている。
一方記述の少ない地域、例えばアフリカに関して言えば、その中で最も字数の多かったのは「アフリカの民主化と貧困・内戦」という見出しである。内容はジンバブエの成立、南アフリカでのアパルトヘイト政策、鉱物資源による経済成長、ソマリア紛争、エチオピアの社会主義化について、100字~170字程度で書かれている。中南米に関しては、米州機構の結成やアルゼンチンの社会改革、工業化するNIES(新興工業経済地域)の一国としてのメキシコ、アルゼンチンの民主化やイギリスとのフォークランド紛争、ブラジル、チリの民主化についての記述がある中、キューバ革命についての記述が最も多く、なんと中南米の歴史の約38%も占めていた。オセアニアについては東南アジア条約機構の構成国となったこと、太平洋安全保障条約をアメリカと結んだことしか記述が無かった。このように、出来事の羅列にすぎず、そのバックグラウンドや詳細までは書かれていないことも多い。
世界史の教科書に載る紛争・載らない紛争
教科書に載っている世界史について内容面から考察すると、3社とも戦争・武力紛争に関連する内容が最も多かった。日本から地理的に近く、規模も大きかった朝鮮戦争やベトナム戦争、カンボジアの紛争については比較的詳しい記述がなされていた。また、いわゆる「パレスチナ問題」および中東戦争、イラン革命、湾岸戦争などの記述量は多い。第二次世界大戦後で言えば、イスラエルの建国に始まり、4度にわたる中東戦争すべてについて言及し、理解を深めるためのカラーの地図や写真も使われていた。こういったイスラエル・パレスチナ問題に関係する内容は、第二次世界大戦後の戦争・武力紛争に関する教科書の記述の約16%も占めている。しかし、このように比較的詳しく説明がなされている紛争ばかりではない。
)](http://globalnewsview.org/wp-content/uploads/2018/06/nv-g1-006d.jpg)
コンゴ民主共和国軍の兵士(写真: MONUSCO/ Flickr [CC BY-SA 2.0] )
さらに、そもそも世界史の教科書上に存在しない、大規模な紛争もあるのだ。決してその歴史的価値が低いからでは無い。その例の一つが1990年代から始まったコンゴ民主共和国紛争だ。アフリカの8か国を巻き込み、約540万人という朝鮮戦争以後世界最多の死者数を出した紛争である。「アフリカの第一次世界大戦」とまで呼ばれたものだ。これほど大きく被害の深刻な紛争であるにもかかわらず、今回調べた山川出版社の教科書にこの紛争に関する記述は一文字も無かった。その他にも、アンゴラ紛争、エチオピア・エリトリア紛争、南北スーダン紛争は世界最大級といわれる武力紛争だが、これらについての言及もなかった。
「世界史」と「国際報道」
次に国際報道における地域的なバランスを見てみよう。以下のグラフは、日本の大手全国紙3社(朝日、読売、毎日新聞)における2015年と2016年の国際報道の地域別割合を示している。
やはり歴史と同様、アジア、ヨーロッパ、北米が多数を占めるのに対して、中南米、アフリカ、オセアニアの割合が非常に低い。もちろん、教科書に載っている歴史(第二次世界大戦以後~2009年頃)と、扱った新聞(2015~2016年)は時代も違うため、直接的に比較するのは難しい。しかし、それでもなお、偏りに同様の傾向があることは見て取れる。「世界史」と「国際報道」がここまで同じ傾向を示しているのはなぜだろうか。
「世界史」から「国際報道」へ
高等学校の世界史の現代史について、報道で取り上げられる地域と似た偏りがあることが分かった。教育の場面であまり登場しなければ、必然的にその地域についての知識は浅くなり、イメージもしにくくなる。複雑な国際問題は、背景知識を持っていないと理解が難しい。理解できないとそもそも人々から関心を得られなくなる。例えば、先に述べたイスラエル・パレスチナ問題もコンゴ民主共和国紛争も、その原因や展開は複雑で理解が困難だ。しかし、多くの人々はイスラエル・パレスチナ問題について世界史で習うため、その紛争の存在を知っているし、ある程度の背景知識を得ているため、関心を持ちやすい。他方コンゴ民主共和国紛争の場合は、報道に登場しても、紛争があった事実やその背景知識を人々が知らない場合、その紛争は遠い外国の難しい問題のように感じられ、そもそも関心すら示さなくなる可能性が高い。人々の関心を得られないと、報道機関はその情報に需要がないと判断して報道しなくなってしまう。取り上げるとしても、理解を促すために問題を極端に単純化して報道したり、自国と関係のある内容ばかりを取り上げたりする傾向を生む。つまり、教育における世界史の理解は国際報道を理解するうえで重要となる背景知識を提供するため、そこで扱う世界史の地域的アンバランスは、国際報道における地域の偏りを生む一つの要因になりうる。
「国際報道」から「世界史」へ
世界史から国際報道への影響について考えたが、両者の関係性は逆も考えられる。つまり、国際報道から世界史への影響もある。私たちが学ぶ事実が「歴史」として記述される場面を想像してほしい。「報道は歴史の第一稿」という言葉がある。この言葉が示すように、報道されたもののうち、重要だと考えられる事柄が後世に伝えるために記して残される。毎日の報道活動に加え、報道機関は歴史に残すべき事柄をさらに絞っていく。例えば新聞やテレビ番組において、一年間の出来事のうち重要だと判断されたものを年末にピックアップして特集したりする。世界史は、このような世界中で起こる無数の出来事の蓄積の中から取捨選択して記述される。そうであるとすれば、そもそも報道されないことは歴史的な価値の低いものとして扱われ、学ぶべき世界史として残されることがなくなることも十分考えられる。

アメリカの報道博物館(Newseum)に刻まれた格言「報道は歴史の第一稿」(写真:gottaspharepics/ Flickr [CC BY-NC 2.0])
そもそも、歴史にも報道にも、自国中心主義が働いており、日本と関係の深い地域や力の強い大国での出来事を優先するという傾向が見られる。しかし、これに加え、世界史と国際報道の間には、相互に影響し合う、密接な関係があるとも言える。世界史と国際報道が影響し合ううちに、例えばアフリカや中南米など、世界の大きな一部がその両側から切り捨てられるという悪循環が起こっている。
たしかに、世界史教育で全世界の歴史を詳しく学ぶのは現実的に不可能だ。しかし、上で示したような、世界史教育における極端な地域的アンバランスは解消する必要があるのではないか。世界の歴史は、力を持った大国間の歴史の蓄積だけではない。グローバル化が進む現代社会において、もはや自国と無関係な地域などなく、遠く離れたところにも私たちが影響を及ぼしていることがあり、また逆にそこから影響を受けていることもある。紛争に関して言えば、私たちは積極的にある紛争の解決に貢献することもできるが、逆に、自らの行為が知らないうちにある地域の紛争の原因に加担してしまっている場合もある。自分と世界の関係を具体化し、グローバルな社会の問題解決に貢献するためには、バランスのとれた世界の過去と現在についての理解が必要なのだ。歴史は今も生きている。
※1 高等学校で教える世界史には2種類の科目がある。
世界史A:近現代史を中心とする世界の歴史を、日本の歴史と関連付けながら理解(標準単位数 2)
世界史B:世界の歴史の大きな枠組みと流れを、日本の歴史と関連付けながら理解(標準単位数 4)
ライター:Yuna Takatsuki
グラフィック:Yuna Takatsuki
興味深い記事をありがとうございます!
歴史はやっぱり「強い」者による、強い者に関する物語だなと、つくづく思います。
しかも、国際報道と同じ偏りで・・・
それにしても、コンゴ民主共和国のような、半世紀以上で世界最大の武力紛争、
ベトナム戦争よりも死者数を出している紛争が、
歴史にすら残されていないなんて、ひどすぎます。
歴史とはいったいなんなのか、出版社に考えなおして欲しいです。
大好きな世界史ですが、今思うとやはりこの記事で書かれている通り、偏りがありますね。
この記事が出版社にも届いたらうれしいです。
興味深く拝読いたしました。
マスコミの方に伺った際に「多くの人が興味があることを優先して報道している」とおっしゃっていました。
この興味も、結局このように偏った教育によってつくられているんだなと感じました。
教育を通じてある程度知れたらその先興味を持ちやすいと私も思います。理解し合える世界のために教育は大事だなと思います。
この記事を読んで初めて教科書に疑問を持ちました。自分がその教科書を使って学んでいる頃には地域バランスなど考えたこともなかったのでとても興味深い記事でした。
教育は興味を生むきっかけだと考えると、報道が教育に左右されるのは納得が行きます。
教育に関わる人は、そのことにも注意するべきですね。
世界史の内容が戦争が多いと言う記述がありましたが実際にそうだと感じました。
興味深い記事ありがとうございます。拝読させていただきました。
確かに僕も受験生時代このことについては疑問でした。実際、中近世の西欧が資料集の半分を占めており、一方アフリカ史はほとんど扱われることがないのに不思議に思いました。また同じように日本と関係が薄い地域でいえば南米の歴史もたったの1,2ページくらいしか紙面がありませんでした。
もう少しまんべんなく歴史を学びたいものです。