2020年6月28日、エチオピアでハチャル・フンデサ氏という歌手が殺害された。この事件に激怒したハチャル氏のファンたちは各地でデモを起こしており、警察や他団体との衝突ですでに230人以上の死亡が確認されている。なぜ、こんなに大きな騒動になっているのだろうか。ハチャル氏はエチオピア人でもあり、オロモ人でもあった。エチオピアは80以上の民族で構成される連邦制国家であり、オロモ人は過半数には達していないものの、エチオピア国内で最も人口の多い民族である。オロモの人々は、他の少数民族とともに差別を受けてきた歴史があり、そのうえ少数民族同士の摩擦もある。ハチャル氏はオロモを代表する歌手であり、政府による差別の現状を訴える曲を作ってきた。そしてこのデモの大きさが、エチオピアでのオロモ人に対する差別の深刻さを物語っていると言えよう。
このように、世界各地において政治的な問題や紛争などと関連して民族問題がしばしば話題になるが、「民族」とは一体何なのか、国家との関わりも交えながら考えていく。

デモをするオロモ人(2015年)(写真:ctj71081/Flickr [CC BY-NC 2.0])
民族とは
はじめに、民族の定義を確認しておこう。一般的には、共通の文化を有する集団、などと定義されるだろう。しかし、民族の定義に関しては広く合意は得られていない。そこでいくつかの解釈を紹介する。
ある解釈では、「共通の習慣、伝統、歴史的経験、いくつかの例では地理的居住を共有するグループ」と定義されている。この解釈では、出生的、象徴的、文化的要因が人々の民族感に影響を与えるとされている。他にも、人種と民族との違いについてもさまざまな見解がある。例えば、ある解釈によると、人種は、他者からどう見られるかを反映したもので、自分で所属する人種を決めることができない傾向にある。それに対して民族は、自分で選択できるだけでなく、自分で身に付けることができ、さらには複数の民族に所属することも可能だという。ここでいう「身に付ける」とは、例えば言語や習慣を学ぶことで、自分の望む民族に所属するようになる、ということである。とはいえ、「人種」も「民族」も各社会の中で作り上げられるものであって、遺伝子・生物学的に区別・定義することはできない。また、他者性の考え方を用いて民族を考えてみると、人々の民族感は本人の意識だけでなく、そのグループに所属している人(イングループメンバー)に受け入れられるか、そのグループには所属していない人(アウトグループメンバー)として認識されるかにも左右される。
さて、これまで民族とはどのようなものなのかいくつかの解釈をみてきたが、必ずしも「民族」としてみなされていない人々のグループをも「民族」と呼ぶことができるのではないだろうか。例えば、ろうの人々である。手話を通して文化や言語を共有しているという意味で、民族と考える定説がある。民族は非常に曖昧なものであり、時々の状況に応じて変わるのである。

タージマハルを見つめる少年たち(写真:Adam Jones/Flickr [CC BY-SA 2.0] )
民族と国家の形成
ここからは、民族の成り立ちと国家の関係について考えていく。まずは民族の成り立ちからみていこう。民族の線引きはどのように行われるのだろうか。人間は、狩猟採集の生活を営んでいたころから、家族・氏族・村などを単位として共同生活を送るなかで、言語や慣習を共有するようになった。これが民族形成の基盤である。このような集団は、拡大すればするほど共有する文化・言語が変化したり、別の集団との交流によって新しい文化・言語がもたらされたりする。そのため、ある民族と別の民族を明確に区別することはできず、グラデーションのように徐々に変化していく。世界中でもそのような変化がうかがえる。また、たとえある程度の線が引けたとしても、移住や結婚、貿易などを通して文化・言語が複雑に入り混じるものだというのが実情である。にもかかわらず、明確な線を引こうとする力がある。それが国家である。
民族集団は必ずしも自然と拡大していくわけではない。ある集団の長が強大な富と権力を欲して、武力を行使し、その勢力圏を拡大させていく。支配制度を作り上げ、拡大を続けていく途中で、他の集団との決着点として線が引かれる。このような行為が世界各地で繰り返され、やがて国家というものが形成された。しかし、支配圏に強引に組み込まれた人々は、元々異なる文化や言語を持ち、別の集団に対する帰属感を持っていたのだから、課税・徴兵などの新しい支配制度を簡単に受け入れることはできないだろう。しかし、その反発をずっと武力で押さえ込むのは無理がある。そのため、多くの近代国家では統治下の人々を根本から変えようと、同化政策をとる。イタリア統一のときの「これでイタリアをつくった。今度はイタリア人をつくらなければいけない。」という言葉がこれを象徴している。

オリンピックで様々な国の国旗が掲揚されている様子(写真:american rugbier/Flickr [CC BY-SA 2.0] )
では、そのような国家はどのように同化を進めるのだろうか。多数派民族が権力を握る場合は、少数派民族の言葉や文化を薄めつつ、多数派民族の言葉や文化を身に着けさせるような政策をとる。具体的には、強制同化を行ったり、教育・メディア・スポーツなどを利用したりして、支配者に都合の良い国家への帰属感を作り上げる。強制同化では、異端とされる集団の子供を親から引き離して育てることで、その国の文化をすり込む、というような政策が行われるが、これを実際に行った国は少なくない。他にも、改名などによって、その国らしさを強制するやり方も存在する。また、国家が教育を統括する場合、国家全体で共有される愛国心を促すようなカリキュラムによって共通する思想を育成したり、民族的な共通認識を持たせようとしたりする。さらに言語教育においては、特定の言語の使用を禁じるなどして、標準語と呼ばれるその国で最も「正しい」とされる言語を定め習得させる。政治的な要因で公用語を変える国もある。教育は強制的な同化やその維持の手段としての役割を果たしてきた。他方でメディアは、自国を中心とした内容を報じたり、愛国心を助長させたり、少数民族とその事情を報じないようにしたりすることで統治下の人々の思考をある程度左右することができる。スポーツもしばしば自国の選手やチームに着目し、その功績を持ち上げ、国の一体感を生む道具として利用される。このようにして愛国心を育て、帰属感を高めることで、民族への帰属感を国家への帰属感へとすり替えていき、民族と国家がなるべくイコールで結べる形の国家像を目指すことは少なくない。それによって中央権力のもとで国家を安定した、固定的なものにしていく。
しかし、建国の際に複数の民族の存在を認識し、それぞれの民族の自治権を担保するために連邦制を取り入れた国(例えばスイスやエチオピアなど)も存在する。これらの国では、1つの公用語を定めずに各民族の言語も公用語として使用されている。また、「国語」を設定したとしても、元の言語を残しながらある程度の同化政策を行う国も多い。例えば、アフリカの国々のほとんどが植民地だったが、独立後には当時の宗主国の言語を公用語、もしくは共通の言語としながらも、植民地支配を受ける前から存在していた複数の言語も公用語としている国がほとんどである。
さらに、同化政策だけでは民族と国家の関係は説明しきれない。近代国家の形成において、その地域でできた多数派民族の共同体が基盤となっている国ばかりではないからである。近代国家が確定する前から、歴史的に強力な国や企業の行動によって、支配関係が生まれたり、人間の大々的な移住も行われたりしており、これも民族と国家の関係に影響がある。大規模な移動の例としては奴隷制度や植民地政策が挙げられる。16世紀から19世紀にかけて、アフリカ大陸から南北アメリカ大陸に強制的に連行された奴隷は、暴力を盾に従わされたが、当時はヨーロッパからの開拓者やその子孫と同化はされなかった。南北アメリカにいた先住民もまた、このような迫害を受けた。そして植民地政策の下では、宗主国から植民地への移住や、反対に植民地から宗主国への移住も多く行われた。さらに植民地間での移住もあり、これらの人の移住が現代の国家形成に大きな影響を与えている。例えば、イギリス統治下のフィジーでは、プランテーションの労働力不足を補うために植民地間の移住が行われ、イギリス統治下のインドからたくさんの人が移住してきた。その結果、移住してきた人の数が先住民の数を上回ることになった。
植民地支配下の現コンゴ(写真:Liberas/Flickr [public domain] )
「単一民族国家」という幻想
ここまでみてきたように、民族と国家は複雑に絡み合っている。たとえ、長年の同化政策で単一民族国家になったように見えたとしても、民族と国家が一致している国は存在しない。現代の国家の形態は、発展してきた「民族間」のみならず武力や戦争、政治的な駆け引き、妥協の結果で形成されるものであるため、民族を国家で包括することはできない。どの国にも、可視化・不可視化されていることは別として、複数の民族が共存しており、現在もこのような民族と国家の不一致とそれに伴う力関係が摩擦を生み、紛争や差別につながっている。ここでは民族と国家が複雑な関係を持ついくつかの事例を簡単に紹介する。
初めに、一国家内で多数派を形成せずに、複数の国に存在している民族がいる。例えば、トルコ、イラク、シリア、イランを生活圏として暮らしているクルド人は、いずれの国でも少数派であり、弾圧を受けている。トゥアレグ人は、主にマリ、ニジェール、ブルキナファソなど複数の国にまたがって移動しながら生活をする。伝統的に遊牧の生活をしてきた経緯もあり、国境を超えて移動することもある。イヌイット人は、主にカナダやアメリカ、グリーンランドなどの氷雪地帯に住む民族である。パレスチナ人は、イスラエル建国および中東戦争の結果、独立国家建国に至らず、パレスチナ自治区と呼ばれるイスラエルに占領されている地域の他に、パレスチナ難民の人々は隣国のヨルダンやシリアなどを中心に暮らしている。
次に、一つの国家内での多数派民族と少数派民族の共存の事例を見ていく。この状態はその程度こそさまざまではあるが、ほとんどの国家でみられ、とりわけこのような状態において少数派民族が差別や弾圧を受けることは決して少なくない。例えば、中国、ナイジェリア、インドネシア、ミャンマー、チリ、アルゼンチンなどでは、少数派の民族が政府による弾圧を受けている。中国の新疆ウイグル自治区では、中国からの分離独立を求めている人もいるが、中国政府はこれを過激主義として、民族と信仰(ウイグル人の多くはムスリムである)を理由に拘束して「再教育」を行っている。ナイジェリアのビアフラでは、長年の差別と弾圧を理由にイボ人がビアフラ独立を宣言したが、独立戦争は敗北に終わり、現在でも抗議運動が行われている。インドネシアの西パプアでは、インドネシアの他地域との格差や先住民への差別が原因で、インドネシアからの独立運動が続いている。ミャンマーのロヒンギャ人は、政府から差別を受けており、現在では70万人以上が難民として避難している。マプチェ人は、チリ、アルゼンチンの先住民である。彼らは、スペインによる植民地支配を経て、これらの国の建国によって別々に支配されるようになり、どちらの国においても政府によって先祖代々の土地を侵略されるなどの差別的扱いを受けている。その他にも、世界中に事例が無数にある。

難民キャンプで暮らすロヒンギャの人々(写真:EU Civil Protection and Humanitarian Aid/Flickr[CC BY-NC-ND 2.0] )
次は、民族としては類似の帰属感があるけれども、戦争や政治的な都合による国家の分断によって民族が分断された例である。ここには、ドイツや韓国・北朝鮮、ソマリア・ソマリランドがあげられる。ドイツは、冷戦期の1961年に東側諸国と西側諸国の都合によってベルリンの壁が建設され、1989年に崩壊するまで東西に分断されていた。朝鮮半島の韓国と北朝鮮も、世界大戦と冷戦の流れを受けて勃発した朝鮮戦争で南北に分断され、今も休戦状態が続いている。ソマリアとソマリランドは独立後、一つの国として建てられたが、1991年にソマリア政府が崩壊すると、ソマリランドは独立を宣言した。国家としては認められていないものの、事実上の独立国として機能している。
最後の例は、民族のアイデンティティが強くなった結果、民族への帰属感が国家への帰属感より強くなった人が増え、独立を果たした国である。例えば、旧ユーゴスラヴィアには多くの民族が居住していたが、1990年代に紛争を経ながらいくつかの国に分解されている(※1)。また、スーダンでは、南北で信仰する宗教や民族系統が異なっていたことに対して、北部の中央政府が南部の人々に同化政策を強行したことで南部の人々が反発し、武力戦争へと発展した。その結果、2011年に南スーダンが分離独立した。
「民族」とは
ここまで国家との関係を軸に民族についてみてきたが、これらは一部の例にすぎない。世界中における「民族」と「国家」の不一致は明らかだが、「民族」を構成するメンバーをひとくくりにまとめることもできない。同じ「民族」だと認識されている集団の個人が、みな同じ程度の帰属感を持っているわけではない。そもそも、所属する「民族」の定義や意義に関する共通の認識が必ずしも同じものだとは限らないのである。また、周りからその集団に所属しているとされていても、帰属感を持っていない人もいれば、複数の民族に帰属感を持っている人もいる。また、民族や国家への帰属感より、宗教、職業、性別などへの帰属感のほうが強い人もいる。

地下鉄に乗っている人々(写真:Garry Knight/Flickr [CC BY 2,0] )
「想像の共同体」(※2)という言葉があるように、集団が大きくなればなるほど、共同体の存在自体が実際の人々のつながりより、人の「想像」によるものへとなっていく。民族は、自分はこの民族の一員である、と信じる人々の集団でしかない。個人が特定の民族への帰属意識を持つか持たないかは自由である上、一生その意思を貫かなければならないというわけでもない。結婚や移住、信条の変化などの生活状況によって変わるかもしれないし、複数のアイデンティティを感じるようになるかもしれない。「民族」や「国籍」というラベルはよく使われるが、これらには限界があるということを理解し、これらのラベルによる弊害を意識して使うようにしてもいいかもしれない。
グローバル化が進み、人の移動や移住が頻繁に行われる今、「民族感」やアイデンティティについて考えなおしてみてほしい。
※1 スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア、モンテネグロ、北マケドニア
※2 「想像の共同体」:ベネディクト・アンダーソン著
ライター:Minami Ono
「国家」「民族」ということばの意味について改めて考えさせられる素敵な記事でした。過去の歴史を振り返り、いまどうなっているのかという点で分かりやすく解説されていて読みやすかったです!
「同化」の手法は言語のイメージが強く、スポーツもその手法の一つとして捉えるのが、自分にとっては新しい考え方でした。
自分があまり理解できていない中で、何気なく言葉を使ってしまうことがあることに気づくことができました。
民族と国家が複雑な関係を持つ事例の分類がとても分かりやすかった。
日本を単一民族国家だと考えている人は多いだろうし難民も身近でない日本では、民族という概念やそこから派生する問題はすごく遠い世界に感じてる人が多いのだろうと思う。
日本は単一民族国家であるという認識をしている人が多い中で、政治的にではなく、沖縄や北海道の人々はどのように思っているのか、単一国家として日本の本州の文化に同化を強制されたという過去がある中で、日本本州の人々とどのような関係を築いているのかということが気になりました。
民族グループと国家が一致することがないということが、とても分かりやすく書かれていて民族に対する理解が深まりました。よく考えれば、日本も複数の民族が存在しているし、私ももう一度民族について考える必要があると思いました!
民族差別をなくすために、誰がどの民族かについて話さないという政策を取った国があると思うのですが、それは民族としてのアイデンティティを低下させてしまうのではないでしょうか。難しかったとしても、民族を認め合った上で平等を目指すという努力をすべきではないのでしょうか。
「民族」とか「単一国家」という言葉はよく耳にするけれど、様々な解釈があることは知りませんでした。この記事を読んで、もっと詳しく知りたいと思いました。