2018年6月、エチオピアのアビー・アハメド首相とエリトリアのイサイアス・アフェウェルキ大統領がエリトリアの首都アスマラで会談を行い、数十年にも及び紛争と対立の続いたエリトリアとの和平合意が為され、国交正常化が実現した。
今エチオピアは大きな転換期を迎えようとしている。アビー首相の誕生により、大きな政策転換が打ち出されており、エリトリアとの和平はその一端に過ぎない。国内での地域対立を始めとした多くの問題を抱えるエチオピアにおいて、アビー首相はその救世主となれるだろうか。近年のエチオピアの歴史を背景にアビー首相によるエチオピアの大改革を見ていく。
統一がもたないエチオピア
1974年、エチオピア革命をきっかけに、メンギスツ・ハイレ・マリアムは臨時軍事行政評議会の議長として実権を握った。この頃、アメリカから支援を受けていたエチオピアはソ連との同盟に移り、多くの支援を受けるようになる。メンギスツは皇帝を廃止して社会主義に移行し、独裁政治や粛正を行い、1980年代に起こった飢饉にも全く救いの手を差し伸べず、これらの一連の出来事により、数十万人の尊い命が失われた。1987年、エチオピア人民主共和国が樹立されると、メンギスツは大統領に就任し、エチオピア労働党による一党独裁体制を敷いた。
この政権に対抗し複数のグループが立ち上がった。当時エリトリアは、エチオピアの一部として併合されていたが、エチオピアからの独立を目指してエリトリア人民解放戦線(EPLF)が1961年以降、政府と武力紛争を行っていた。また、人口の3分の1を占める最大の民族グループであるオロモは、メンギスツ政権に対する抵抗勢力としてオロモ解放戦線(OLF)を結成し、政府に抵抗した。同様にティグレの人々もティグレ人民解放戦線(TPLF)を結成し、反政府活動を行った。
この頃、隣国ソマリアは主にソマリ系住民が住むエチオピア東部のオガデン地区を自国の領土だと主張し、1977年、この領土を取り返すために侵攻したことをきっかけにオガデン戦争が勃発した。
しかし、ソマリアも支援していたソ連がエチオピアを選び、キューバからも応援軍が入るようになる。アメリカは今度ソマリア側に軍事支援をするものの、1978年、ソマリアは戦争に敗れた。その後も、エチオピアからの脱退を目指すソマリ系住民がオガデン民族解放戦線(ONLF)を結成し政府に抵抗し続けていった。政府がこれらの反乱を抑えるために、数々の人権侵害も犯していた。冷戦後にもこの状態が続いた。しかし、これらの紛争を単純に「民族紛争」として片付けることもできず、多くの場合、権力や限られた水資源や土地を巡る対立が背景にある。
冷戦後のエチオピア
冷戦が終わろうとする1980年代の後半には、メンギスツ政権はソ連からの軍事支援がなくなり、次第に弱まっていった。同時にティグレ勢力のTPLFはエリトリアの独立を約束することでEPLFの協力を得て、1991年についに長期に渡り独裁政治を行っていたメンギスツ政権を倒した。メンギスツ政権が倒れた後、TPLFを中心とした反政府勢力連合である人民革命民主戦線 (EPRDF)が与党として実権を握り、民族を基盤とした州で分けた連邦制を主体としたエチオピア新体制が確立され、1993年には当初の約束通りエリトリアの独立が承認された。1995年、新憲法の制定により最高指導者となる首相には、TPLFを結成しEPRDFの暫定大統領を務めたメレス・ゼナウィが首相として就任し、国名が「エチオピア連邦民主共和国」に改称された。
エリトリアは穏便にエチオピアから独立したはずであったが、国境線の画定、貿易や外交などを巡って関係がこじれていった。1998年、国境地域のバドメ地区の領有権を争いエリトリアとの武力衝突が全面戦争に発展した。このエチオピア・エリトリア国境戦争により、少なくとも7万人が亡くなった。アフリカ統一機構(OAU)の調停による停戦が行われ、平和維持部隊(PKO:UNMEE)が国境線付近に派遣された。第三者の国境委員会によりバドメ地区がエリトリアに帰属することが決まったが、エチオピアがこれを受け入れず実行支配を続けた。その為、これ以降もエリトリアとの対立は続き、2018年まで国交断絶状態が続いた。
メレス政権に移った後も国内で様々な対立は続いていた。与党のEPDRFはティグレを代表するTPLFとオロモ人民民主機構(OPDO)に加えてアムハラ民族民主運動(ANDM)、南エチオピア人民民主運動(SEPDM)の4つの組織から構成されている与党であるが、実際は人口の6%しかいないTPLFのティグレ勢力が実質的に政治を支配しており、オロモ州、オガデン地区、アムハラ州では政府による多くの人権侵害が続いていた。これにより、オロモ州だけでも、2017年までに少なくとも700人が殺され、数千人が投獄された。
さらに、政府与党EPRDFは、オロモ州に囲まれた首都アディスアベバの拡大を2014年に発表した。こうした政策に対して、人口がもっとも多いオロモ州では、さらに不満を募らせ、政治的自由や社会的平等を求める反政府デモはさらに激化していった。
アビー首相の誕生
2012年、メレス首相の死去により首相の座を引き継いだSEPDMを代表するハイレマリアム・デザレン首相は、こうしたオロモ州とアムハラ州、オガデン地区を中心とした反政府運動の高まりを受け、政治犯の解放や拷問を行った刑務所の閉鎖を行うことで鎮静化を図った。しかし、相次ぐ再逮捕により反政府勢力との溝を埋められず、自身の政治改革や経済改革も与党内でティグレ勢力によって阻まれたハイレマリアム首相は、2018年に辞任を発表した。
そして、その後任として初オロモ州出身首相となったのがアビー氏であった。アビー首相は、オロモ出身だけでなく、ムスリムの父とキリスト正教会の母を持ち、与党を構成する民族のオロモ、アムハラ、ティグレの言語を話すことができるという多様なバックグラウンドがある。4月の就任演説では、過去の政権による反政府勢力の殺害を謝罪し、国民が政府に異議を唱えることを歓迎するなど民主主義への姿勢を示した。このように、アビー首相は、大きな政策転換を行い、これまでの政治に改革の手を加えようとしている。どのように様々な問題を解決しようとしているのだろうか。アビー首相の改革について詳しくみていく。
アビー改革は政治問題の解決となるか
初のオロモ出身首相であるアビー首相の誕生は、オロモでの政治的不満に対する鎮痛剤の役割を果たした。彼は、オロモの民衆の不満の原因となっているティグレが支配する政治の改革を進めようとしている。加えて、権力独占が再び起こらないようにするため、首相に任期制限が適用されるように憲法を修正する予定だ。これらの改革はオロモで歓迎され、不満が緩和されたことで、デモの減少や緊急事態宣言の解除につながった。
また、アビー首相はオガデン地区に対して、政治犯の拷問や拷問を行っていた刑務所の廃止、停戦合意を行うことで和平を目指そうとしている。これにより、長年にわたるソマリ系移民とエチオピア政府との溝が埋まることが期待されている。
そして、アビー首相は国外において最も対立が激化していたエリトリアとの和平にも着手した。エチオピアとエリトリアの国境争いを終わらせる歴史的な「平和と協力の宣言」を発表し、2018年6月エリトリアの首都アスマラにおいて、エリトリアのイサイアス大統領との会談を実現させた。この会談において、バドメ地域のエリトリアへの帰属を合意が為され、和平が成立した。加えて、国交正常化も実現し、ブレなどの国境が通れるようになったことで、内陸のエチオピアはこれまでジブチからしか海にアクセスできていなかったが、エリトリア側からのルートも開かれた。国境により断絶されていた家族が再会し、両国間の通話や航空便が利用できるようになるなど、その恩恵は非常に大きく、現地は祝福ムードに包まれている。また、エリトリアとの和平は、ソマリアやジブチ、スーダンなどのアフリカの角の地域全体に様々な影響を及ぼすと見られている。
残る課題
こうしたポジティブな報道が続く一方で、エチオピアでは解決すべき課題は多く残っている。
アビー首相の誕生とその改革も全国民が喜んでいるわけではない。6月23日、手榴弾がアビー首相の政治集会にいる群衆に投げ込まれ、1人が死亡し153人がけがを負うという事件が起こった。アビーは、複数政党による民主主義の活発化を図っているが、必ずしも与党の票を維持しながら野党と仲良く共存できるとは限らない。次の2020年の選挙で、予想される議席の再分配が摩擦や対立につながる可能性もある。
アビー首相の誕生による効果が最も期待されたオロモ州においても、問題は多く残る。オロモの人々の中にはエチオピアからの独立を目指す分離主義者も存在しており、彼らはアビー首相を裏切者だとみなしている。また、亡命していたOLFのリーダーたちと1,500人の兵士が9月にエチオピアに戻ったが、それにより首都アディスアベバで衝突が起こり、23人が亡くなった。
また、法制度や警察は、長年非民主的な政権の干渉を受ける存在であったため、これらの機関が中立を保ち、法の支配を高めることが今後の課題である。経済面においても海外からの多額の負債を抱えており、深刻なインフレに陥っている。これを受けて、政府は市場開放や国営企業の民営化といった経済改革に着手しており、それによって経済の活性化を成し遂げられるかが鍵となりそうだ。
これまでエチオピアでは、近隣国や民族などの様々な利害が絡み合い、争いが長く続いたことで不安定な情勢が続いていた。しかし、そのような状況の中で就任したアビー首相は、ほとんど改革が施されてこなかった既存の政治体制や経済に関して、新たな方向へと舵を切った。その第一歩として、長年問題とされてきたオロモ問題の緩和やエリトリアとの和平が次々と実現させているアビー首相は、まさにエチオピア国民にとって大きな希望であるといえる。
一方で、エチオピアにはまだまだ多くの課題が残っている。アビー首相は国民の大きな期待に応えて救世主となれるのか。よりよい国と地域の実現に向けたさらなる変革を今後も期待したい。
ライター:Yutaro Yamazaki
グラフィック:Hinako Hosokawa
知らないことだらけでした。でも旧ユーゴのように、一人の英雄の存在と功績が大きすぎると、アビーが死んだらまた問題が浮き彫りになりそう。
わかります。でも、首相になったばかりで、まだまだ不安定が続いてます。旧ユーゴのTitoみたいに、アビーがエチオピアを抑えきるのも難しそう。うまいこと国内の各勢力をゆるくバランスさせるのが精一杯、という形になるのでは。
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