インド洋に浮かぶ小さな島々、チャゴス諸島をめぐって国際政治の舞台で大きな問題が起きている。イギリスは1966年以来アメリカにチャゴス諸島ディエゴガルシア島の土地を貸し出し、チャゴス諸島の全住人を追放して米軍の基地として使わせている。本来所属していたモーリシャスへチャゴス諸島を返還すべきだと現在世界から迫られているが、イギリス政府がこれに応じないのだ。イギリス、アメリカ、そしてモーリシャスがこの小さな島の領有にこだわる理由は何か。チャゴス諸島の元住人たちはどんな想いで故郷の外で暮らしているのか。そして、今後この問題はどうなっていくのだろうか。詳しく見ていこう。

チャゴス諸島周辺の地図
「夢の島」から軍事施設へ
チャゴス諸島はインド半島の約1,600km南方に位置し、総面積はたったの197㎢。7つの主な環礁と60以上の小さな島々からなる。中でも面積が最大の44㎢で最南端に位置するのが岩礁のディエゴガルシア島である。チャゴス諸島は長らく無人島であったが、18世紀後半フランス領モーリシャスの一部としてこのディエゴガルシア島への入植が始まった。ココナッツやサトウキビのプランテーション経営のための労働力としてセネガル、マダガスカル、インドなどから奴隷を連れ、無人島であったディエゴガルシア島に住まわせるようになったのだ。1814年のパリ条約によりフランス領のチャゴス諸島を含むモーリシャスは公式にイギリス領となり、その後はイギリスが折に触れてディエゴガルシア島に奴隷を送った。ディエゴガルシア島は気候も平穏で農産物が豊富に採れたため、入植がはじまって以降約200年間で人口は急増し、20世紀半ばには約1,500人が暮らしていた。村は繁栄し、学校や病院、教会、鉄道も整備され、生活に困ることは無かったと言う。モーリシャスの元統治者、ロバート・スコット(Robert Scott)が1950年代にチャゴス諸島を訪れた際に 「夢の島」 と形容したことからもその繁栄ぶりはうかがい知れるだろう。
そんな平穏な人々の生活に終止符を打ったのがイギリスとアメリカだった。冷戦下の1960年代、アメリカは中東に近いインド洋地域でも軍事的影響力を高めたいと考えていた。1961年アメリカ海軍の提督はチャゴス諸島を軍事基地の候補として秘密に調査するためにディエゴガルシア島を訪れており、その後イギリスとアメリカの間でチャゴス諸島を米軍基地としてイギリスが貸し出すことに合意した。アメリカは島を軍事施設として自由自在に使えるように、チャゴス諸島の全住人を追放することを求め、そのためにイギリスがまず行ったのがチャゴス諸島の統治権を得ることであった。
1965年のチャゴス諸島は英領モーリシャスの一部であり、モーリシャスが自治権を持っていた。この年、イギリスの当時の外務大臣と、後にモーリシャスの首相となるシウサガル・ラングラムの間で秘密合意が交わされた。チャゴス諸島を分離することを条件にモーリシャスが念願の独立を果たし、またチャゴス諸島と引き換えにイギリスがモーリシャスに400万ポンドを支払うことに双方が合意したのだ。しかし実際はこの合意の背後には「チャゴス諸島の分離に合意しないとモーリシャスの独立は叶わない」というイギリスによる脅迫があったことが分かっている。
こうしてチャゴス諸島はモーリシャスの一部として独立することができず、依然としてイギリスの統治下にあり続けた。ディエゴガルシア島はその後1966年の英米間の合意により50年間アメリカの軍施設として使われることになった。その後20年の延長も認められており、実際に2016年から20年間の延長がなされている。イギリスは土地を租借する見返りとして、ポラリスという核兵器の供給に際してアメリカから1,100万ポンドの値引きを受けていた。
1968年から1974年にかけて、アメリカが要求する通りチャゴス諸島の全住人を追放する政策が英米によって行われ始めた。退去命令を出したり、船舶の出入港を禁止して乳製品や塩、医療品などの入手を規制することから始まり、それでも島に残ろうとする住人たちに対しては、爆弾や銃を使うぞと脅したり、島でペットとして飼われていた犬を集めてガスで殺し、あえて悲しみ怯えた子供たちの前で燃やしたりした。約1,000匹の犬が殺されたという。 彼らのペットを大事にする文化を利用したのである。無料の渡航だと騙されて船に乗って島を出た人や、休暇や病院に行くために島を離れ、そのまま帰ってくることが叶わなかった人もいた。

ディエゴガルシア島のココナッツのプランテーションだった土地(写真:Steve Swayne / Wikimedia[CC BY-SA2.0])
いざ島を出る時にも荷物の量を制限され、定員の10倍以上の人が乗った過酷な環境の船に乗せられた。船の中では堆肥の上で眠らされる人もいたという。こうしてチャゴス諸島の住人は東アフリカ沖のインド洋に浮かぶセーシェルでおろされ刑務所の独房に一時的に入れられ、その後モーリシャスの水や電気も通っていない放棄された土地に連れて行かれた。追放先のモーリシャスに住居や仕事が用意されているわけでは無く、チャゴス諸島の元住人たちはホームレスと極度の貧困に陥り、病気や薬物、精神的なダメージにより自殺する人も多くいた。
中東の紛争での空爆拠点に
島の全住人を追い出してまでして、アメリカがチャゴス諸島を軍事基地化したかった理由は何か。そこには地理的な理由がある。アメリカやイギリスをはじめとするヨーロッパ諸国のなかには本国の領域外に外部地域を所有している国々があり、主に軍基地や核兵器の実験場、宇宙基地などとして使用している。チャゴス諸島はアメリカにとってインド洋地域の主要な軍基地となり、特に中東の軍事戦略において重要な役割を担っている。例えば、アメリカはディエゴガルシア島から中東地域へは空中給油を経て空爆することができるが、空中給油の技術や戦闘機の性能が十分ではない他国からの攻撃を受ける恐れはない。そのため、ディエゴガルシア島はアメリカにとって手放したくない地理的条件のそろった基地なのである。
また、無人化することによって、施設や滑走路を建築する際の騒音・落下物など外国の軍事基地に伴うその他の諸問題に関する住民の反対を気にする必要が無いという利点もある。実際に1991年の湾岸戦争でイラクへの爆撃や、2001年のアフガニスタンへの空爆、2003年のイラク戦争の爆撃はディエゴガルシア島から行われていた。現在もステルス戦略爆撃機のB-2や戦略爆撃機のB-52はここに配置されている。

インド洋上空で空中給油されるB-52(写真:U.S. Air Force Staff Sgt. Doug Nicodemus [Public Domain])
基地としての利用に加えて、ディエゴガルシア島はアメリカの中央情報局(CIA)が国外に持ち、テロの容疑者を連れて違法な拷問を含む尋問等が行われる「ブラック・サイト」としても利用されてきたとも考えられている。チャゴス諸島が孤立した島であり、上陸を完全にコントロールしてるからこそ、その島での活動は外部の目や監視を気にせずに自由にできるという利点をうまく使っているのだ。イギリス政府はチャゴス諸島は防衛の目的のみに利用していると主張しているが、実態としては繰り返し他国を攻撃する基地となっており、むしろ国内外の紛争、武力行為、テロなどの恐怖を増やす元凶となっているようにも見える。
チャゴス諸島民の奮闘
故郷を追放されて以来、チャゴス諸島民はディエゴガルシア島への帰還を長年主張してきた。1975年に1人のチャゴス出身者がロンドン高等裁判所でチャゴス諸島からの追放について提訴した。1982年に和解し、イギリス政府がモーリシャス政府を通じてチャゴス諸島元住人に対して400万ポンドの保障を支払うことが決まった。対象となったのは1,344人で、一人当たりの補償額は2,976ポンドである。家や地域コミュニティ、文化や生活すべてを奪った代償としては不十分だと、補償を受け取らなかった人もいた。また、実はこの補償を受け取るためには、島へ帰還する権利を放棄すると約束する必要があった。その契約書は英語で書かれていたが、当時チャゴス諸島の元住人の中で英語が理解できる人は少なかったため、その契約内容を理解せずままサインしてしまった人も多くいた。

チャゴス諸島への帰還を訴える人々(写真:Gerry Popplestone / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
2000年にはイギリス最高裁判所が、チャゴス島民の追放は違法でありディエゴガルシア島以外の島へは帰還を許可するべきであるという判決を下した。しかし2004年、イギリス政府はこれに対して枢密院を利用し、王室の特権を用いてこの判決を無効にした。このイギリスの対応には2001年に起きた9.11の同時多発テロ事件以後、アメリカが中東地域から近くに位置するディエゴガルシア島の海軍基地としての重要性が一層上がり、今後も利用し続ける可能性が高まったことも係していると考えられている。
2010年にはチャゴス諸島の周辺海域の海洋資源の保護を強化するために海洋保護区(Marine Protected Area, MPA)を制定し、区域内の漁業活動を禁止した。ここは世界最大の海洋保護区にまでなった。しかしその後のウィキリークス(WikiLeaks)でイギリスとアメリカの外交文書が漏洩し、この海洋保護区設置の目的が純粋な海洋保護ではなく、実はチャゴス諸島民の帰還の阻止であることが分かった。その外交文書は「海洋保護区の設立は、ひょっとすると外務英連邦省の話す通りチャゴス諸島の元住人とその子孫たちが再び定住することを長期的に妨げるのに最も効果的かもしれない」と結ばれている。イギリスは海洋保護区に指定することによって、その海域の主権を保持し続けることができ、また漁業活動などを禁止して島での生活基盤が成り立たないようにすることで、チャゴス諸島に帰還させないための口実にしているのだ。
チャゴス諸島の返還を求めるモーリシャス
1965年にイギリスがチャゴス諸島を分離してモーリシャスを独立させたことが脱植民地化のプロセスとして違法であるとしてモーリシャスがイギリスと国際司法裁判所(ICJ)で争った。2019年2月、ICJはイギリスによるチャゴス諸島の統治は国連総会決議1514(植民地独立付与宣言)に反すると判断し、チャゴス諸島の統治を早期に終えるよう勧告的意見を出した。これを受けて5月の国連総会で、セネガルが代表してイギリスによる統治の終了を求める決議を提出した。この決議案はアフリカ諸国やインド、ブラジル、ニカラグア、ベネズエラ、ウルグアイなど非同盟運動やグローバル・サウスの脱植民地化を求める国々を中心に支持され、178ヶ国中116ヶ国の賛成で採択された。

1987年当時のディエゴガルシア島の軍事基地とアメリカの航空母艦(写真:USN [Public Domain])
この決議では6カ月以内にイギリスによる統治を終了させ、チャゴス諸島をモーリシャスに帰属させるよう求めたが、イギリス政府は国連総会の決議には拘束力がないことや、安全保障の面でチャゴス諸島の軍事基地が役立っていると正当化した。6カ月の期限となった2019年11月22日、アフリカ連合委員長はイギリスに対して改めて決議に従うように求めた。モーリシャスの首都、ポートルイスにあるイギリス高等弁務官の周辺では約200人が集まるデモも行われた。 6カ月以上が経つ2020年1月現在もチャゴス諸島を領有し続けている。
さらに、チャゴス諸島民の帰還はイギリスが返還すれば解決できる問題でもない。たとえチャゴス諸島がモーリシャスに返還されたとしても、イギリスに代わってモーリシャスがアメリカに領土を貸す可能性が十分に考えられる。実際に、モーリシャスは英米間の租借契約期間(2036年まで)よりも長期的な租借契約をアメリカと結びたいと公言している。その場合、チャゴス諸島は米軍施設として利用され続け、元住民は帰還できないままだ。
強制移住からおよそ50年が経過した今、チャゴス諸島での生活を知る元住民は高齢化し、少なくなっているのも事実だ。もしかすると、イギリスはチャゴス諸島への帰還を求める人々がいなくなることを待ち続けているのかもしれない。チャゴス諸島で社会や文化を築いてきた島の住人の意思が尊重されないまま進む領土紛争に終わりは来るのだろうか。
ライター:Yuna Takatsuki
グラフィック:Saki Takeuchi
そもそも、チャゴス諸島の存在自体知りませんでした。
また、イラク戦争等での空爆はアメリカ本土からではなく、インド洋の小さな島から出発した航空機だとも知りませんでした。
自分達がまだ知らないだけで、このように、先進国の政治的・軍事的理由によって人権が侵害されている市民たちが数多くいる事例が世界には数多く存在するんだろうなと思いました。