2020年11月、インドで大規模なストライキが行われた。参加者は世界で史上最多の2億5,000万人にものぼると主催者は主張しており、10の労働組合と数多くの農民組織が参加した。それにより、このストライキの影響は銀行や運輸、通信サービス等の様々な業界に及んだ。ストライキの主な理由として参加者が主張するのは、労働者の最低賃金の引き上げの要求や農業の自由化を目的とする法律改正案への反対である。このストライキの余波はいまもなお続き、現在でも農民によるデモが行われている。

インドで行われた大規模なストライキ(写真:IndustriALL Global Union / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
このインドの例のように、労働者の権利を主張する動きが世界各地で繰り広げられ、労働者の権利侵害も多く報告されている。では、労働者の権利について日本ではどのように報道されているのだろうか。この記事では、世界での労働者の権利についての現状を紹介してから、それに対する報道を探る。
労働者の権利とは
そもそも、労働者の権利とは何なのだろうか。国連機関のうちのひとつであり、労働関連の問題を中心に取り扱う国際労働機関(ILO)は1919年に設立された。ILOは当時の不公平で厳しい労働条件のもとで働く労働者が数多く存在するという事実をもとに、「自由、公平、安全、尊厳の条件で、女性と男性が適切で生産的な仕事を得る機会を促進すること」を目的としている。また、この労働に関する議題は世界貿易機関(WTO)の場でも熱く議論が交されたが、貿易の促進を主たる目的とするWTOでは労働の規定に関する話し合いについて各国の足並みがそろわず、1996年のシンガポール会議において労働基準に関する一切の議論をILOで行うという結論に至った。
ILOは国際労働基準を設けているが、それらは法的拘束力のある条約と拘束力は無く条約を補う役割を担う勧告に分けられる。8つの基本的な条約としては、結社の自由や団結権に関する条約(1948年)、団結権や団体交渉権に関する条約(1949年)、強制労働に関する条約(1930年)、強制労働の廃止に関する条約(1957年)、最低年齢に関する条約(1973年)、最悪な形態での児童労働に関する条約(1999年)、同一の報酬に関する条約(1951年)、雇用や職業に対する差別に関する条約(1958年)が存在する。これらの条約により、労働者は自ら代表者を選び労働組合を自由に組織する権利や、強制労働廃止の条約においてはストライキに参加したことに対する制裁を禁止することで、ストライキを行う権利が保障されている。

無人のオフィス(写真:Blake Patterson / Flickr [CC BY 2.0])
労働者の権利への侵害
では、実際に労働者のどのような権利が侵害されているのだろうか。労働組合の国際組織である国際労働組合総連合(ITUC)の2020年の報告書によると、世界で最も侵害されている労働者の権利は、ストライキを行う権利、団体交渉を行う権利、労働組合の設立あるいは参加する権利、司法へのアクセスに関する市民的自由の権利、労働組合で活動する権利、身体的な面での市民的自由の権利の6つである。
これらの6つの権利について具体的に見ていく。ITUCによれば、ストライキを行う権利に関しては85%の国で侵害されている。また、団体交渉を行う権利については115の国で権利の侵害が確認されている。労働組合に関する権利については、インフォーマル経済における出稼ぎ労働者や住み込みで働く労働者に対する権利の侵害が目立つ。司法へのアクセスに関しては、労働者が裁判所に申し立てを行っても受理されなかったり、恣意的に勾留された上、弁護士との面会を遮断されたりといった司法制度による労働者の権利侵害が生じている。労働組合で活動する権利については、労働者が労働組合を設立したのちに最初に行う段階である組合の登録の手続きを拒否することで、政府や行政による労働組合としての活動が阻害されている。そして、身体的な自由権に関して多くの政府が労働者に圧力をかけるべく、労働組合の指導者たちを逮捕、勾留する事例が多く見られる。以上は侵害されやすい労働者の権利であるが、これらの権利がよく侵害されている国や地域はどこだろうか。ITUCが行っている国別・地域別の権利への侵害の度合についてのランク付けを基にみていく。
ITUCの2020年のデータに寄れば、地域別でみると上記の地図のように中東および北アフリカでの労働者の権利侵害の状況が最も深刻で、いまだに身体的な暴力を受けている労働者も多く存在し、雇用主による大幅な人権侵害がされるなかで労働を行っているケースも多い。続くアジア太平洋地域では、ストライキや団体交渉を行う権利の侵害が目立ち、中国やカンボジア、フィリピン、ネパールなどでは労働運動家や労働組合の幹部をはじめとする労働者の逮捕も相次いでいる。サハラ以南アフリカでもほとんどの国でストライキや団体交渉を行う権利や、労働組合の設立および参加の権利が侵害されている。南北アメリカでは主に南米での権利の侵害が目立ち、コロンビアやブラジル、ボリビアでは労働組合の幹部や抗議活動に参加していた労働者が殺害されるケースが多く見られる。最も権利の侵害がゆるやかであるヨーロッパは主に東欧諸国で労働組合の活動が規制されている。
また 、2014年から掲載されているITUCによるこの報告書は、労働者にとって望ましくない国上位10ヵ国を掲載しており、2018年、2019年、2020年の間で、バングラデシュ、コロンビア、カザフスタン、フィリピン、トルコは3年連続でランクインしていた(※1)。2018年から2020年までの3年間の報告書によると、バングラデシュでは、労働者を守るための法整備がなされておらず、権利を主張すると雇用主だけでなく警察までも介入し弾圧される。コロンビアやフィリピンでは問題はさらに深刻で、労働組合員の殺害が生じているだけでなく、それらの犯罪に加わった者が正当な裁きを受けていない。カザフスタンやトルコでは政府が労働組合を厳しく取り締まっているため、労働者が自身の権利を主張できなくなっている。トルコは労働組合員にとって最も厳しい国のひとつであり続けている。

コロンビアのパイナップル農園で働く労働者たち(写真:TRAPHITHO / Pixabay)
労働者の権利侵害の問題は一様ではなく、国や地域によって特殊な問題を抱えている労働者もいる。例えば、中東ではカファーラという制度が存在し、雇用主が家事労働者の就労ビザやパスポートを取り上げ、管理することにより労働者は自由を奪われ逃げ場がないため、強制的な労働を受容するしかなくなるケースが少なくない。児童労働の問題も深刻である。例えばタバコ畑やカカオ畑では、貧困が理由となり子どもも労働に動員されるため、十分な教育を受けられないまま大人になり、貧困から抜け出せないという負の連鎖も生じている。また、大量消費が加速するなか、ファストファッションへの需要が拡大し続けるファッション業界では、人件費を少しでも抑えるために低賃金で劣悪な環境の中での労働が強いられており、特にバングラデシュやカンボジア、ミャンマーで問題となっている。強制労働の問題もある。中国ではウイグル人に対する労働の強制が行われていたり、世界最大級の綿花輸出国であるウズベキスタンでは政府が市民に強制労働を強いていた経緯もある。このように、世界の様々な地域で労働者の権利侵害をめぐる問題が浮き彫りになっている。

ガーナの縫製工場で働く労働者たち(写真;World Bank Photo Collection / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
報道で見る労働者の権利
では、上記のような世界の労働者が抱えている深刻な問題は十分に報道されているのだろうか。また、労働者の権利が脅かされている国や地域は報道の対象になっているだろうか。今回の記事では経済新聞が労働上の問題を専門領域に含むと考え、日本経済新聞における労働者の権利についての報道に焦点を当てた。調査方法は2011年から2020年の10年間の日本経済新聞での労働者の権利および人権に関する記事を対象(※2)とした。分析の対象となった労働者の権利および人権に関する記事から、日本以外の事象を扱った記事を絞り込んだところ323記事があがった(※3)。まず、特筆すべきはその報道量の少なさであろう。世界の労働者の権利に言及する記事は月2,3回程度にとどまっている。さらに、記事の内容を詳しくみてみると、労働者の権利についてスポットを当てた記事は多くなく、他の話題を中心に展開するなかで一部権利について言及されている記事が目立った。
では、日本経済新聞において労働者の権利侵害がどのように報道されているのか、さらに詳しくみてみたい。今回分析した国際報道の計323記事を地域別で見ると(※4)、欧米諸国の記事は約4割を占めるのに対し、サハラ以南アフリカは0.9%、中東および北アフリカは2.9%と報道量に大きな差が見られた。上記の労働者の権利侵害が深刻な地域と、報道で取り上げられる地域とが大きくかけ離れていると言える。今回調べた記事の中で最も報道されていた国はどこだろうか。
圧倒的に報道量が多かったのはアメリカで、次いで中国であり、この2ヵ国だけで全体の3割を超えているのに加え、報道の上位を占める国の半数は高所得国であることがわかった。次に、国ごとの報道量と前述のITUCの2018年から2020年の報告書との比較をしてみる。ITUCの調査において権利の侵害が最も深刻な国として3年間でワースト10にランクインした14ヵ国のうち、上記の報道量の多い国トップ10に入ったのはカンボジア(2018年)とインド(2020年)のわずか2ヵ国にとどまる。また、カザフスタンはITUCにおける同調査において3年連続ワースト10にランクインしていたが、カザフスタンに関する個別の記事は確認できなかった。
報道の内容には、いくつかの傾向がみられた。1つは政治や外交に関する記事でこの内容のものが全体の中でも特に目立った。国のリーダーの選挙の前後での発言、外交政策や方針、国際的な話し合いの場における議論の内容といったものがある。例えば、アメリカにおける大統領選の際の政策方針や発言等に関する報道があげられる。しかしこの場合、特定の分野の労働者の権利についてはほとんど追求されておらず、広く権利について言及されたにとどまるものが多かった。特に欧米諸国に関する報道でこの話題が目立った。また、製造現場などの労働者に着目した記事も一定数存在した。こちらは実際に権利侵害が行われたという内容や、外部あるいは委託元の企業からの指摘や調査が入ったといった内容だった。報道の対象になっていた業界には、自動車や電子機器の製造に加え、衣類の縫製や農業漁業、IT業界などがあった。これらの権利侵害に関する記事ではアメリカのIT分野に着目した話題、中国やカンボジア、タイ、ミャンマーなど、アジアでの話題が多かった。また、報道量自体はそれほど多くないものの、近年アメリカで増えている配車サービスに携わる労働者の権利に関する記事も確認できた。加えて、ストライキやデモに関する記事はいくつか見られたが、労働組合についてメインにとりあげている記事はほとんどみられなかった。

カメルーンでの道路工事の様子(写真:UN Women / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
報道の背景には
なぜこのように報道の地域別あるいは内容の偏りが生じているのかについて考えたい。そもそも日本経済新聞は労働者よりも経営者からの目線を意識されているからか、労働者の権利について言及された記事が少なかった。
また、先ほどの報道量の分析からわかるように、高所得国に関する記事が多く、またそれ以外にも経済や貿易、安全保障の観点から日本とのつながりが強い国に関する記事も目立った。これは今回テーマとした労働者の権利に関する記事に限定されず、国際報道全体における報道の偏りと共通する。しかし、これは全ての報道に当てはまるわけではない。例えば、フィリピンは日本と地理的に近く、日本との貿易や交流におけるつながりが強く、かつ労働者の人権が大きく侵害されている国であるにも関わらず、10年で3記事しかなかった。このような報道の偏りは低所得国に対する日本のメディアの興味が少ないことも理由のひとつとして考えられる。現に、労働者の権利の侵害が深刻であったにも関わらず報道量が十分でなかった国の多くは低所得国であった。
同時に、日本のメディアにおいてはアメリカでの報道から受ける影響が大きいということが言える。例えば今回調べた記事のなかで、特定の企業名をあげて言及されていたのが、大手電子取引サイトのアマゾン(Amazon)や電子機器やソフトウェアを扱う大手企業のアップル(Apple)の工場における過重労働に関する報道である。これらの企業と関連づけられている労働者の権利への侵害はアメリカのメディアで広く報道されている。アメリカのメディアにおいて関心が高い話題については日本のメディアでも取り上げられやすいのかもしれない。同じ理由でアメリカ等の経済的に力を持つ国の政治的リーダーによる言動も注目されやすいとも言える。
また、報道の少なさの原因のひとつとして、大きな変化がないことがあげられる。メディアのある種の性質としてもいえるかもしれないが、大きな動きがある事象ほど取り上げられやすい傾向にある。労働者の権利が多く改善した、もしくは大きく悪化した、あるいは新たな対策が導入されたなどの動きがあると報道の対象になりやすいが、何年もおおきく変わらずに労働者の権利が侵害され続けているという事実は報道の対象になりにくいのかもしれない。

カタールの建設現場で働く出稼ぎ労働者たち(写真:International Labour Organization ILO / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
まとめ
今回調査の対象とした日本経済新聞では、冒頭でとりあげたインドでの大規模なストライキについて、のちの農業に関するデモについては報道されていたが、ストライキ自体に関する報道はされていなかった。グローバル化が進み、世界の経済と労働が密接につながりあっている。さらに持続可能な開発目標(SDGs)が注目されているなか、報道は世界の労働者の権利により目を向ける必要があるのではないだろうか。
※1 ただし、北朝鮮やトルクメニスタンなど、ランクインした国々よりもさらに労働者の権利が侵害されていると考えられるが、十分なデータがない国も複数ある。
※2 2011年から2020年までの10年間の日本経済新聞の記事なかで、労働者の権利あるいは人権をキーワードに含む記事を対象とした。
※3 日本国内に関する労働者の権利についての記事は132記事あり、それらの内容としては日本で増加している外国人労働者の権利に関する話題が目立った。
※4 1ヵ国をメインにした記事は対象の国に1ポイント、2ヵ国に関する記事については両国に0.5ポイントずつ追加するといったポイント制を用いて記事件数で比較した。日本については、国内のみに焦点を当てた記事は除いた2ヵ国以上での国際報道のみをカウントした。
ライター:Rioka Tateishi
グラフィック:Yumi Ariyoshi
確かに大きな変化のない労働者の権利の問題は、報道されにくいと思った。それでも労働者問題は報道するべき重大なニュースだと感じた。
日経新聞に関する分析、新鮮でした!ただ他の新聞と同じように地域の偏りは大きいんですね、、包括的な報道が増えることを期待したいです。