近年、チョコレートは味の美味しさだけでなく、健康効果でも注目されるようになり、高カカオチョコレートを中心にチョコレート市場が拡大している。

(写真:cgdsro / Pixabay)
しかし、私たち消費者がチョコレートを食べて感じる幸せやメーカーの増益の背後には、西アフリカや中南米のカカオ畑で蔓延する極度の貧困、児童労働、強制労働、不公平な貿易等が存在する。これらの問題が取り上げられ無視できないものになってきたことから、菓子大手メーカーは「適切な調達に努めている」等とアピールし始め、最近ではフェアトレード認証を受けた商品も徐々に増えてきている。これだけを聞くと問題は解決に向かっていると思われるかもしれない。だが、実際はそうではなく、カカオ豆の生産者は厳しい状況に置かれ続けている。その事実が消費者に十分に伝わっていないのであれば、それはこの問題に関する報道不足が大きな原因の一つになっているのではないだろうか。今回はこの問題について探っていく。
生産者の厳しい現状
チョコレートを味わう人の幸福感がカカオ豆の生産者にも共有されているとは言い難い。統計から見えてくる現実は想像を絶するものだ。世界のカカオ豆の60%がコートジボワールとガーナの2か国で生産されているのだが、最大生産国であるコートジボワールで2018年に実施された調査によると、同国で不自由なく生活できる収入(※1)を得ている生産者はたった7%にとどまり、58%は極度の貧困状態(※2)にあるという結果であった。この状況は隣国のガーナでもそれほど変わらない。
さらに、貧困だけでなく児童労働も問題視されている。2015年に発表された調査によると、コートジボワールとガーナだけで212万人もの子どもがカカオ豆の生産に携わっており、その5年前に比べて21%も増えている。また、その仕事をする上で96%の子どもが危険にさらされているとも推測されている。同様に、ブラジルのカカオ畑でも児童労働が大きな問題として指摘されている。これほど児童労働が蔓延しているのも極度の貧困と密接に関係している。世界のカカオの90%は小規模農園で生産されており、貧困状態にある農園はその家の子どもを労働力として動員せざるを得ない。また、貧困などを理由に子どもが家族から引き離され、人身売買や強制労働に巻き込まれるケースも決して少なくないのである。
メーカーとのその「対策」
2016年から2017年にかけて、カカオ豆の国際価格が急落し、ただでさえ低かった生産者の収入がさらに大きく減少した。その原因として、西アフリカでの豊作がもたらした世界的な過剰供給や、投資家による投機行動などが挙げられる。いずれにせよ、原材料のコストが下がったことで、チョコレートのメーカーにとっての利益が跳ね上がった。カカオ豆の市場価格は需要と供給などの関係で流動的ではあるが、低すぎる価格設定の背景にはメーカーと生産者の間の力関係が大きく影響している。さらに、市場価格が上がればメーカーは値上げをするが、下がったときには価格をなかなか下げず儲けを増やすというのが基本的な仕組みである。つまり、リスクを負うのは主に最初から貧困状態に置かれているカカオ豆の生産者なのだ。

カカオ豆の天日乾燥(写真:International Institute of Tropical Agriculture / Flickr [ CC BY-NC-SA 2.0])
世界のチョコレートの売上げの60%をトップ5のメーカー(マース、フェレロ、モンデリーズ、明治、ネスレ)が占めている。生産地での厳しい現実が知られるようになり、批判の対象となったメーカーは次から次へと「対策」を発表した。例えば、マースは生産者の収入や環境に配慮し、児童労働が伴わないカカオを2025年までに100%にすると発表した。明治は特定の目標は設けず、「人権を尊重した適切な労働環境の確保(児童労働・強制労働の監視など)に努めていきます」といった曖昧な表現をウェブサイトで掲載していると同時に、「カカオ農家支援」や、国連の持続可能な開発目標(SDGs)に「貢献」していると主張している。
しかし、メーカーの言葉に行動は追いついておらず、上記の統計が示すとおり状況が改善に向かっているとは言えない。生産者への最低価格を保証するフェアトレード認証などの仕組みをメーカーが避けたり、あるいはごく一部の商品にしか適用しようとせず、そのシェアは伸び悩んでいる。その結果、生産者がコストをかけ、フェアトレード認証に値するカカオ豆を作っても、その多くはフェアトレード商品として売れず、より安い市場で売らざるを得ない。さらに、フェアトレード認証があるといっても、実際に「フェア」といえるものにはなっていない場合も多い。フェアトレード認証の基準が甘く、最低価格やプレミアム(奨励金)も安く、フェアトレード認証のカカオ豆を作りながら貧困のままでいる生産者は決して少なくない。消費者側にまだ浸透していないフェアトレード認証のカカオ豆が、たとえ市場の100%になったとしても、それは現状を改善するための第一歩に過ぎないのだ。

カカオ豆を取り出す生産者、コロンビア(写真:USAID / Flickr [ CC BY-NC 2.0])
チョコレートの現状が見えない報道
ところで、日本のマスコミはチョコレートやカカオをどのように捉えているのだろう。果たして上記のような生産者の厳しい現状は報道されているのだろうか。
事例として、読売新聞におけるチョコレート・カカオに関する記事(※3)10年分(2009年から2018年まで)を集め分析してみた。全体の記事数は363となり、平均で月に3記事ほどであった。しかし、日本国内の報道を排除し、国際報道に絞ると、たった22記事(6%)しか残らなかった。つまり、年に2記事のペースだ。チョコレート・カカオに関する報道は、ほとんど国内の観点からしか捉えられていないようだ。
世界とチョコレートに関する22記事の内訳はどのようなものだろうか。半分近くの9記事は、チョコレートのお店、工房、職人、商品などに関する記事で、ロンドンやジュネーブのチョコレートを紹介する「うまい!」シリーズも含むものであった。次に多かった5記事はチャリティーに関する記事だが、内容はチョコレートの生産関連ではなく、イラクの病院とインドの学校建設の募金活動でチョコレートが販売されているという活動紹介の記事であった。そのほか企業の買収や日本と欧州連合との経済連携協定関連の記事などでチョコレートが登場していた。
一方、カカオの生産地は2つの記事でしか登場していなかった。2つとも日本への供給に問題が発生したという文脈である。つまり、日本企業の損得の観点からのものである。1つはコートジボワールでの政治的な問題で、もう1つはガーナでの不作問題が記事となっていた。そして、生産地での状況や、貧困問題、児童労働、強制労働、不公平な貿易等に関する内容は10年間で一度も報道されていなかった。

カカオ豆を集める作業員、コートジボワール(写真:Nestlé / Flickr [ CC BY-NC-SA 2.0])
「支援」としての「フェアトレード」?
国際報道でなくても、世界と関連するチョコレート・カカオの報道は他にもあった。それは主に国内報道として扱われており、チャリティやフェアトレードに関する内容である。
そこで、国内・国際を問わず、チョコレート・カカオに関する記事の中で「支援」もしく「フェアトレード」と検索すると、10年間で22の記事が出た。そのうちの21記事はニュース記事ではなく、イベントやNPO・学生活動の宣伝であった。これらの記事の中身を見てみると、11記事は難民、病院、学校などのための「チャリティー・チョコ」についてだった。残りの11記事は「フェアトレード」関連のチョコレートが紹介されていたが、そのうちの8記事に「支援」という言葉も含まれている。場合によっては、フェアトレードを説明するときにも、フェアトレード自体が「支援」だと書かれている。フェアトレードのチョコレートに関する記事のタイトルには、なぜか「途上国支援チョコ」(2011年2月8日)、「カカオ生産国の子ども支援」(2011年2月10日)のようなものが目立っている。
しかし、フェアトレードとは「恵まれない子ども」への「支援」でも「社会貢献」、はたまた「国際貢献」でもない。フェアトレードとは、公平または公正な貿易を指している。貧困国とその生産者がそれまで農作物や鉱物資源を不当な安価で売らざるを得ない弱い立場にあったことを認識し、適正価格での購入を推進する運動である。フェアな貿易に値するかどうかの基準を設け(※4)、その条件を満たしている商品に対して、フェアトレード認証を発行する機構も存在する。したがって、フェアトレードはあくまでも生産者に対する搾取をやめ、適正価格で商品を購入するという本来ならば当然のことに過ぎないものであり、チャリティーではない。
しかも、フェアトレードの仕組みには多くの問題点が残っており、先ほど述べたようにフェアトレード認証があったとしても、問題なく生活ができるレベルの適正価格になっているとは限らず、「フェア」とは到底言えない場合も多い。それにもかかわらず、フェアトレード・チョコレートに関するわずかな報道においては、フェアトレードが「支援」や「社会貢献」であるかのように見せ、読者の誤ったイメージを助長させている。同時に、市場の圧倒的なシェアを占めるアンフェアなチョコレートとその業界がもたらす極度の貧困については全く報道していないため、読者・消費者のイメージが現実とはかけ離れたものになっている。

カカオ畑に向かう家族、ソロモン諸島(写真:Department of Foreign Affairs and Trade / Flickr [ CC BY 2.0])
カカオ豆の生産をめぐる問題は依然として大きい。極度の貧困レベルも児童労働に関わっている子どもの人数も減っているどころか、場合によっては増えている。カカオ豆の低すぎる価格設定が問題の根底にあり、生産者の大半は極度の貧困ライン以下の収入しか得られていない。フェアトレードはひとつの対策にはなりうるが、そのシェア・普及率はあまりに少ない。また、現在のフェアトレードの仕組みでは問題を解決するレベルには到底届かない。その上、現状を伝える役割を担うはずの日本のマスコミは問題自体に目を向けようとはしない。そして、少ない報道についてもチョコレートの消費者、企業・団体の観点からしか捉えておらず、生産者への「支援」が進んでいるというイメージだけが作られていく。
「貧困の克服とは、慈善行為ではない。それは正義の行為だ」。これは南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領が残した言葉である(※5)。チョコレートをめぐる深刻な問題と向き合うのは、「慈善」の問題ではなく、「正義」の問題なのではないだろうか。
ライター:Virgil Hawkins
グラフィック:Kamil Hamidov
※1 不自由なく生活できる収入(living income)とは、コートジボワールで年間7,318米ドルと推測されるが、これは決して高い額ではない。
※2 極度の貧困状態とは、世界銀行が設定した一日1.9米ドル以下の収入で生活していることを指す。
※3 読売新聞の記事(朝刊・夕刊、全国版及び東京の地域版)の見出しで、「チョコレート」、「チョコ」、「カカオ」のワードが含まれたものを検索し、その後、チョコレートやカカオ豆に関係のないものを排除した上で計算した。
※4 国際フェアトレードラベル機構が設けている基準の中で、「フェアトレード最低価格」と生産地域におけるインフラなどの開発活動に使われる「フェアトレード・プレミアム(奨励金)」が保証されていることが特徴として挙げられている。
※5 1,600年前に生きていた聖アウグスティヌスという哲学者も同じような言葉を残している(「正義のない状態では、慈善行為がその代わりにならない」)。
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非常に興味深いテーマで面白かったです。
フェアトレード商品にはコーヒーや紅茶、チョコレートなどが多く見られる印象なのですが、それはこれらの製品がその生産の背景にこのような問題を多く抱えているからという理由もあるのでしょうか
ありがとうございます。
チョコレートや紅茶・コーヒーの生産過程における搾取が特にひどいわけではなく、
どんなモノであろうと、問題は生産者の立場が弱く、メーカーや商社の立場が強いという不均衡から生まれているので、
同じような搾取と貧困の助長が見られると思います。
綿花やバナナも有名だが、たばこ、石材、砂、電化製品に入っている鉱物資源(Fairphoneの試みを参照)なども、いっぱいあります。
チョコレート・紅茶・コーヒーは豆・葉っぱなど、収穫された元の状態に近い商品がわかりやすいというところがひとつポイントでしょう。
今の時期、どこのデパートやお店でもチョコレートで溢れていますがこの中の何人が果たしてカカオ農家の現実を知っているのだろうかと最近考えます。価格が上がったのは決して労働する人の待遇が良くなったからではないのですね。透明性が必要な業界の1つといえますね。
そうですね。「フェアトレード」のラベルで価格があがったとしても、実際のところ、労働者の手にどれほど渡り、どれほど生活がよくなっているのか・・これがフェアトレードの大きな課題だというのが明らかです。「フェアトレード」より、「ちょっとましかもしれないトレード」のほうがふさわしいかもしれません。
透明性がまさに大きな第一歩になるでしょう。
「アンフェアトレード」が異常な状態であるはずなのに、フェアトレードが当然のことと認識されていないことは腹立たしいです。せめて、アンフェアなチョコレートを買うときに、これは労働搾取への一票だという認識が人々のあいだに広まればいいなと思います。
チョコレートが大好きなだけに、農家の助けになっているというような売り文句に踊らされていたことにショックです。私たち消費者が声をあげないと企業の姿勢は変わらないでしょうね。
「同国で不自由なく生活できる収入を得ている生産者はたった7%にとどまり、58%は極度の貧困状態にある」という事実に非常に驚きました。グローバル化が進む世の中だからこそ、私たちの身の回りにあるものは、世界のあらゆる問題にも繋がっている可能性があるということを忘れてはならないと思いました。
フェアトレードの認知度はずいぶん高くなったと感じますが、実態は中身の伴わない形だけのものだったということに、騙されたままチョコレートを食べている我々が情けないです。人件費を最低限まで削りコストや利益しか重視しない企業には未来がないと思っています。そうありますように。
「貧困の克服とは、慈善行為ではない。それは正義の行為だ」という言葉はとても心に響きました。店頭の商品を買うことが生産者を搾取していることにつながるという現状のシステムが痛ましいです。
興味深く拝見しました。
私はチョコレートが好きです。
ベーシックな板状のものだけでも、、
明治や森永、ロッテの板チョコレートは50gで120円程度
イオントップバリュの産地銘柄板チョコは85gで250円程度
ピープルツリーのフェアトレードチョコはフレーバーが入っていますが、50gで350円程度
ビートゥバーの専門店では50g1500円程度
海外から輸入されるデザインの素敵な板チョコも1000円〜2000円
と大きな幅があります。
「貧困の克服とは、慈善行為ではない。それは正義の行為だ」
おそらく生産の過程にかかわっているビジネスマンたちはだれもが搾取してやろう!
とはおもっていないでしょう。
日常的にチョコ食べる人もいれば、そうでない人もいますが、
一人一人が生産者も消費者も、たとえばこれらが一律に300円とか値上げになっても受け入れられる?と思えば
フェアトレードの現実を批判するのみでなく、改善できるのではないでしょうか?
日本は特にデフレの国、自国の農産者にあっても同様の問題がありますが、
消費者にとって良質で安価な食品が手に入ることはすばらしいことでもあります。
また全ての子供は売られたりするべきではないけれど、
親元で親の仕事を手伝い育つことは悪いことではないとおもいます。
労働にみあった生活できる収入を得ていけるような仕組みを考える力が
生産者の中からも生まれてほしいと願っています。
そうならなければ、将来消費者の口に入る食物もずっとすくなくなってしまうかもしれません。
コーヒーも単価が安いですが、立地の良いカフェでも販売者が一杯の飲み物のために得られる利益は
チョコレートよりずっと多いのかもしれませんね。
産地においてはいかがでしょう。
英国のみならず王侯貴族たちの負の遺産。
やつらを潤すために歴史上大半の人類が犠牲になる。そんな愚かな価値観が未だ続いているからやるせない。民主主義とは名ばかりで世界はほどよく貴族社会だ。嘆かわしいのはそれに気づかない民衆。飼い慣らされている。1日働いても1000円に満たないカカオ農家の人は東京で3000円の板チョコが売られてるのを知らない。狂った世界だ。世直しを誰が?少なくとも欧州や米国ではない。ロシアや中国かもしれないと思えてくる。
黙れよ共産主義野郎。