2019年2月4日、ポーランドで欧州連合(European Union:EU)を揺るがす法律が成立した。この法律によって政府は政権を批判した裁判官に罰金を科すまたは罷免することが可能となる。このような政府による司法権への介入は「法の支配」の低下と「権威主義」の台頭を示すとされる。法の支配を基本的な価値の1つとして掲げているEUにとって、この法律は脅威となっている。

「私たちの裁判だ」:ポーランドでの新たな法に対するデモ (写真:Grzegorz Żukowski/Flickr[CC BY-NC 2.0])
法の支配の低下が見られるのはポーランドだけではない。世界全体で見た場合にも、2018年の時点で法の支配は2年連続で低下しているとされる。そもそも法の支配とはなんだろうか。法の支配の低下によって何が問題となるのか。今回の記事では、法の支配の概念について説明し、法の支配に関する世界全体の傾向や各国の実態を見ていきたい。
法の支配とは
法の支配とは、法によって国家機関による恣意的な権力行使を排除するという原理である。法によって権力が制限されるという点では、法治主義と共通の原理である。しかし、正当な手続きを経て作られてさえいれば、法の内容の適正は問わないという考え方である法治主義(rule by law)に対して、法の支配(rule of law)という原理の元では、すべての法は基本的人権と適合したものでなければならない。また法の支配の概念が示す範囲は広く、単に国家機関が法律を守ることだけにとどまらない。各国の法の支配の実態を調査し、2008年から毎年報告書を出している米国NGOワールド・ジャスティス・プロジェクト(World Justice Project:WJP)は法の支配について8つの要素を規定している。以下で8つの要素について説明する。
1つ目は、政府権力抑制である。政府内外で番犬的役割が果たされており、政府の権力行使が法によって拘束されていることをいう。2つ目は、汚職の欠如である。すべての国家機関で賄賂が行われておらず、公共資金が違法に利用されていないことを示す。3つ目の開かれた政府は、政府内の情報が国民に公開されており、国民が積極的に政治に参加できる環境が整っていることである。4つ目は基本的権利だ。国際法によって規定されている基本的人権が国内法によって侵害されず、保護されていることを意味する。
秩序と安全が5つ目で、国民の身体・財産の安全が確保されていることを示している。これは法の支配が機能する前提条件とも言える。6つ目は規制執行であり、法や行政による規制が公平に、有効に執行されることである。7つ目は、民事司法についてである。民事裁判制度に対する不当な政府の介入や汚職がなく、国民が民事上の問題を平穏に解決できることをいう。8つ目は刑事司法についてである。7つ目同様、刑事裁判制度に対する不当な政府の介入や汚職がなく、犯罪捜査や判決が有効に行われていることを意味する。以上が法の支配の要素である。それぞれが満たされていれば、法の支配が高い国家と言うことができる。それでは次に、要素ごとに世界全体ではどのような傾向があるのか見てみよう。
世界の概況
2018年の結果をまとめたWJPの2019年の報告書によると、世界全体の傾向として、2017年から2018年にかけて、8つの要素の中で、政府権力抑制と刑事司法、開かれた政府、基本的人権の点が悪化したとされている。悪化した国が1番多く見られたのは政府権力抑制であり、全調査国の過半数に及んだ。これは権威主義の台頭にも繋がっていると言うことができる。また、基本的人権に関してはこの4年間で一番大きく低下している。これらの結果はWJP以外の指標からも伺うことができる。例えば世界の自由権を調査し、報告書を出しているNGOフリーダム・ハウス(Freedom House)の調査からも、基本的権利に関連して、人々の自由という点においても13年連続で低下が見られた。他にも、アフリカン・ガバナンス・レポート(African Governance Report)(※1)によると、アフリカ地域だけで見た場合には、法の支配は全体として改善されているが、数値自体はそれほど高くなく、違憲な政権交代を防止する仕組みがまだ整っていないなど問題は多く残っているとされる。
一方で、2017年から2018年にかけて、世界全体で改善した点は、WJPの8つの要素において、大きく改善した順に、規制執行、民事司法、汚職の欠如、秩序と安全となったとされる。他の指標で見ると、汚職の問題に関しては、世界各国の汚職問題を調査し、報告書を出している国際的なNGOトランスペアレンシー・インターナショナル(Transparency International)によると、2017年から2018年では改善していると言えるが、未だに大多数の国で十分な対策がなされていないとされる。その他に、アフリカ全体では、司法制度や私有財産の保護に改善が見られた。
以上が世界全体としての傾向である。それでは各国の実態はどのようになっているのであろうか。
法の支配:トップ5、ワースト5
まずはWJPの2019年の報告書における最も法の支配が高い国、低い国を見てみよう。 トップ5は上から順にデンマーク、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、オランダという結果になった。北欧諸国が大半を占めている。1位のデンマークに関しては、要素別で見ても、政府権力抑制、汚職の欠如、執行統制、民事司法の4点全てで1位を記録している。2位のノルウェーは開かれた政府の点で、3位のフィンランドは基本的権利と刑事司法の点でそれぞれ1位となっている。
法の支配が低い国は、下から順にベネズエラ、カンボジア、コンゴ民主共和国、アフガニスタン、モーリタニアという結果になった。最下位のベネズエラはニコラス・マドゥロ大統領政府による、立法権と司法権の不法な占有が特に目立った。例えば、最高裁判所を政府の言いなりにさせ、2015年の議員選挙で野党が勝利した後に議会を解体させている。また、国会とは別に、憲法制定議会を作り、新しい憲法の作成を試みている。カンボジアも政府権力抑制ができていない点でベネズエラと共通である。2017年には最高裁判所に野党のカンボジア救国党(Cambodia National Rescue Party :CNRP)を解体させた。フン・セン首相はこの決断は「法の支配」に基づいていると主張するが、恣意的権力行使を言葉巧みに正当化させようとしているに過ぎないとされている。また報道にも圧力をかけている。2018年には政府から独立した数少ない報道機関として残っていた英字新聞のプノンペンポスト(The Phnom Penh Post)を与党と関係があるマレーシアの実業家に売却した。外交権力も巧みに使い、タイ・マレーシア・インドネシアに対して、CNRPのメンバーを拘留、強制送還するよう説得している。
ワースト3位のコンゴ民主共和国は東部の南北ギブ州における紛争で法の支配がかなり低い状態となっている。国全体においてもジョゼフ・カビラ前大統領の独裁的な体制が問題とされてきた。それを受けて、フェリックス・チセケディ新大統領は汚職・免責問題を最優先で改善し、全国民の人権を尊重すると宣言している。次のアフガニスタンは要素別に見ると秩序と安全の面で最下位を記録している。以前のGNVの記事でも紹介したように、政府、司法、警察での汚職が横行し、タリバンの勢力が強くなっている。ワースト5位となったモーリタニアでは奴隷制度が未だに強く残っている。2007年には奴隷制度を刑罰化する法ができており、反奴隷制度組織による救済活動も行われているが、完全な撲滅には至っていない。人身売買も横行しているにもかかわらず、政府は十分な対策を行えていない。

ベネズエラのマドゥロ大統領(写真:Presidencia El Salvador/Flickr[CC0 1.0])
以上のような結果となったが、地図を見てもわかるように、そもそもデータの収集が困難なことなどから、WJPのランキングから漏れる国があり、ワースト5よりもさらに法の支配が低い国も多くあると考えられる。そのような国々は大きく2つのパターンに分けることができる。1つ目は紛争中の国である。シリア、イエメン、リビア、ソマリア、中央アフリカ共和国、南スーダンなどが挙げられる。法の支配とは法によって国家機関の権力を拘束し、基本的人権を守り、秩序安全を保つことであるため、紛争という状態は法の支配が機能していないことと同義と言える。2つ目は、権威主義の国である。サウジアラビア、北朝鮮、エリトリア、赤道ギニア、トルクメニスタンなどが該当する。権威主義とは権力が元首個人、もしくは政権に集中し、政治的自由が保障されていないことを意味し、政府による恣意的権力行使が可能となり、法の支配が機能しない。
それでは次に2017年から2018年にかけて法の支配が改善している、または悪化している国はどのような国だろうか。どのような実態となっているのかWJPの2019年の報告書を基に以下で説明する。
法の支配が改善された国・低下した国
大きく改善が見られた国はジンバブエ、グアテマラ、マレーシアなどだ。

ジンバブエのムナンガグワ大統領(写真:GovernmentZA/Flickr[CC BY-ND 2.0])
ジンバブエでは、2017年に37年間にも渡って独裁政治を行っていたロバート・ムガベ前大統領が倒され、エマーソン・ムナンガグワ氏が大統領に就任した。ムナンガグワ大統領はジンバブエを立て直す改革として、人権問題に取り組むと主張している。実際にムナンガグワ氏が大統領に就任した後は民主主義化が進み、表現の自由の点などで改善が見られた。しかし依然として選挙制度は政治的な抑圧が続いている部分もあり、自由が保障されていないなど改善の余地が大きいと言えるだろう。グアテマラではグアテマラ無処罰問題対策国際委員会(International Commission against Impunity in Guatemala:CICIG)によって過去の紛争(1960〜1996年)に関して、また軍事政権による犯罪について調査されてきた。CICIGは2007年以来活動を続けており、国内に蔓延している犯罪組織の撲滅をサポートするなど現在の治安問題に取り組んでいる。また、実際に殺人率も減少しているとされる。一方で免責など課題が多く残っているのが現実だ。もう一つ大きく改善した国としてマレーシアが挙げられる。以前のGNVの記事でも紹介したように、マレーシアでは2009年から2014年に渡ってナジブ・ラザク前首相の元「世界最悪の汚職」が行われていたが、ナジブ氏が逮捕されて以降大きく改善された。新政権による改革も進んでいる。
一方で大きく法の支配が悪化した国もある。ニカラグア、イラン、ヨルダンなどが挙げられる。ニカラグアは権威主義の傾向が顕著であり、行政への権力集中によって完全なる免責の元、反政府派への侵害が行われている。2018年4月と9月に行われた反政府デモは警察や武装した政府支持派によって鎮圧され、多くの死者も出た。反政府派は徹底的に取り締まられ、デモを扱った報道機関のジャーナリストも拘留された。

スペインのグラナダで行われたニカラグアの法の支配と民主主義を訴えるデモ(写真:Julio Vannini/Flickr[CC BY-NC 2.0])
武力によるデモの抑圧はイランでも見られた。多くの人々は経済状況の悪化や政府の汚職、政治的・社会的自由の欠如に立ち向かっている。しかし2017年12月に最初のデモが行われて以来、大量の恣意的逮捕が見られ、暴力的鎮圧も起こった。2017年12月、2018年1月のデモでは約4,900人もの人々が逮捕された。以前GNVで紹介したように女性の権利の問題も目立った。ヨルダンではインターネット犯罪法に犯罪として規定された「ヘイトスピーチ」の定義が曖昧として、修正案が要求されたが、それがまた後退へとつながったとされる。その修正とは「政府を批判する発言」をヘイトスピーチの定義とするというものであった。つまり、報道機関も発言を抑圧され、政府権力抑制としての役割を果たすことができなくなると言えるだろう。
これから
ここまで法の支配が改善されたまたは低下した各国の実態について触れてきたが、法の支配の低下に対して何か対策は行われているのであろうか。今回の記事では主にWJPの報告書を基に各国の法の支配の実態を紹介してきたが、WJPのように各国の法の支配や汚職、基本的人権としての自由権などに関して調査・報告を行う団体は他にもある。

「法の下では皆平等」:南アフリカの壁に残された正義の女神の絵(写真:Ben Sutherland/Flickr[CC BY 2.0])
冒頭でも述べたように、自由に関しては調査を始めて以来13年間連続で低下が見られる。本来自由に発言を行い、情報を得る環境であるべきとされるソーシャルメディアでさえも権威主義者によって不当に利用され、インターネットにおける自由は2019年で9年連続の低下を記録したとされる。このような権威主義の台頭に対して、今回の記事で紹介した報告書は各国の法の支配の実態や傾向を示しつつ、法の支配の低下という問題に脚光を浴びさせ、警鐘を鳴らす存在となっている。WJPの2020年の報告書は2020年3月11日に発表予定だ。どのような結果となるか注目したい。
※1アフリカン・ガバナンス・レポート(African Governance Report):アフリカ各国の統治を調査し、アフリカ地域の市民生活の向上を目指す団体モ・イブラヒム財団(Mo Ibrahim Foundation)によるアフリカ地域の統治に関する報告書。
ライター:Maika Kajigaya
グラフィック:Saki Takeuchi, Yumi Ariyoshi
基本的人権の低下や法の支配の低下をどのように数値化しているのかについて気になりました。
とても分かりやすい記事でした!
法の支配と法治主義の違いについて、勉強になりました。権威主義の傾向が顕著である国では、基本的人権を尊重しない傾向にもあるので、基本的人権の適合を主張する法の支配の低下が見られます。冷戦の終焉に伴い、権威主義から民主主義に移行する傾向があったのですが、今逆戻りすることに残念だと思います。
グラフィックを見て、まだまだ法の支配の改善の余地が大きい国がほとんどであることに驚きました。
安倍首相は,よく「法の支配」という言葉を口にするが(官僚の原稿通りか,もしくは意味が分かっていないでつかっているか),この記事をよく読んで己が行っている行為が,日本における法の支配を危機に陥れているということを認識すべきであろう。しかし,彼は学問を一顧だにしない姿勢をモットーとしており,芦部信喜著の『憲法』という本すらご存じなく,立憲主義は権力をチェックするという意味ではなく国の理想を語るものだと国会で答弁しているので,この記事を読んでも考え方は変わらないでしょう。政府の原稿を書いている官僚はほとんど芦部の憲法を精読し理解し国家公務員試験に合格しているにもかかわらず・・・。