妊娠前後に医療機関を受診しない。医療従事者の同伴なく妊娠が行われる。このような状況の中で、世界では、毎日830人もの女性が、妊娠や出産の際に命を落としている。世界中の多くの国がこの問題に直面しており、妊産婦死亡率の改善は2000年に国連で掲げられたミレニアム開発目標や、2015年に掲げられた持続可能な開発のための2030アジェンダの一つになっている。妊娠や出産の際の女性の健康や安全をいかにして確保するか。世界に共通するこの問題を大きく改善したとして、ある国が注目を集めている。その国とは、ヒマラヤ山脈に位置する小さな内陸国、ネパールである。

ヒマラヤを望む町 写真:maxpixel.freegreatpicture.com [CC01.0]
ヒマラヤでの出産:直面する課題
そもそも妊産婦死亡の原因となるのは何なのか。一般的な妊産婦死亡の原因は、妊娠の際の出血や、高血圧、感染症が主要であり、加えて安全でない中絶なども妊産婦死亡を招く要因となっている。実は、こうした原因に対する医学的な対処法はすでに確立されており、妊娠前後に検診を行ったり、医療従事者の同伴のうえで出産を行ったりすることによって、ほとんどの場合避けることが可能であるのだ。しかしながら、冒頭で述べたように、医療機関の受診をしないことや、医療従事者の同伴なく出産を行うことで、本来避けることが可能であるはずの事態に発展してしまい、妊産婦死亡につながってしまうのだ。
こうしたことから、妊娠前後の受診をしないことや、医療従事者の同伴のない出産がなぜ危険であるのかが理解してもらえただろう。今回焦点を当てるネパールでも同様の状況が生じている。では、なぜネパールで、そのような妊産婦死亡を招くような状況が生じてしまうのだろうか?この問題には、ネパールが持つ独自の特徴が大きく絡んでいる。先に述べたように、ネパールはヒマラヤ山脈に位置しており、国土の35%を山脈が占めている。こうした急こう配の地形が原因となり、ネパールの交通手段は非常に限定されたものとなっている。また、ネパールの多くの地域がいわゆる田舎であり、都会に住んでいる人口は総人口のうちのわずか14%にすぎない。このネパール独自の特徴により、女性たちが医療施設にアクセスすることが困難になっているという現状がある。

不安定な吊り橋を渡るキャラバン 写真:Sergey Ashmarin [CC BY-SA 3.0]
また、ネパールでは女性の地位が低いことも、一つの原因として挙げられるだろう。国連開発計画(UNDP)の報告によると、ネパールのジェンダー不平等指数は188か国中144位である。ネパールの女性たちは家庭での発言権が弱く、また、金を使う際には家長に許可を得なければならない場合が多いとされている。それがたとえ医療サービスを受けるためであったとしてもだ。また、特定の地域ではチャウパディ(chhaupadi)と呼ばれる、月経中の女性を不浄なものとみなして家庭から隔離するなどといった習慣も残っている。「出産は自然に行われるべきである」という考えを持つ人も多いこの国では、妊産婦が治療を受けることに否定的な考えもみうけられる。女性自身、そして家族たちが医療の必要性について十分に理解をしていないことが、医療サービスから女性たちを遠ざけているのだ。
成功をもたらした要因とは
このような状況が残るネパール。この国がどのようにして、どれほどの改善を実現したのか。世界保健機関(WHO)の報告によると、1990年の妊産婦死亡率(※1) は10万人中901人と高い値を示していたが、2015年には10万人中258人にまで減少している。この変化によって、妊産婦死亡率が1990年には世界183か国中158位であるという状況から、2015年には139位にまで上昇した。
上記のように、妊娠中の女性の死亡率を大幅に改善することに成功したネパール。この成功はどのような要因によってもたらされたのであろうか。
妊産婦死亡率を改善する先駆けとなったのは、1991年に始まった政策である。この1991年の政策では、一次的な保健医療サービスを提供するヘルスセンターやヘルスポストが多く建設され、田舎の地域に住む人々も現代医療の恩恵を受けることを可能にしたのだ。実際に、1991年から2011年の20年間でヘルスポストの数は351から1204まで増えていったのだ。また、2003年に実施された、中絶を合法化する政策も、妊産婦の健康状況の改善において大きな役割を果たした。中絶が合法化されることで、女性たちは、性と生殖に関する健康の選択をする権利を得ただけではなく、技術を持った者のもとで中絶をすることが可能になり、総計90万人もの女性がこの政策の恩恵を受けたといわれている。続いて、2009年には、出産の際にかかる費用を無料化する政策がとられ、医療施設の利用者が増加した。また、ネパールは、先に述べた高山地帯特有の施設へのアクセスの難しさにも着手し1999年から2005年の間に、道路や橋などの交通網を33%拡大し、田舎の地域の人々が医療サービスを受けることを可能にしたのだ。

ヘルス・ポストの外観 写真:Dskoich [CC BY-SA 4.0]
もちろん、この「成功」において大きな役割を果たしたのは政府だけではない。この問題を解決するためにNGOや国連などの支援者が協力をしたことも影響を与えている。このことについて、以下のデータを見てほしい。ネパールは、南アジアに位置するほかの国々よりも多くの支援を受けている。ネパール政府が積極的に妊産婦の健康問題に対処したことで、支援者たちの信頼を集めたこと、そして、政府が支援を集められるように積極的な政策を実行したことが、多くの支援を得ることにつながったのだ。こうして、ネパール政府は妊産婦の健康のために多くの財源を割くことが可能になり、妊産婦の健康を向上させることにつながっているのだ。
ODIの報告書を基に作成
また、政府の手が届かないような田舎の地域ではNGOが活動を行ってその穴を埋めている。例えば、政府はNGOと協力して「マザーズ・グループ」を全ての村に組織して、女性たちに妊娠や出産について教育をするという活動を行っている。NGOといった組織と政府とが協力し合うことによって、妊産婦死亡率の削減が実現できたのだ。

:健康問題について教育を受ける女性たち 写真:USAID U.S. Agency for International Development /Flickr [CC BY-NC 2.0]
政府、支援者、NGO、そして市民の努力によって、ネパールの出産のリスクは大きく減少し、たくさんの女性の命が救われた。また、女性教育の進展や、それに伴う意識の変化といった、根柢の部分での改善が行われたことも大きな進歩であるといえるだろう。しかしながら、いまだ課題が多く残っていることもまた事実である。先に示したグラフから見て取れるように、ネパールでは妊産婦死亡率が大幅に改善されてはいるものの、依然として先進国との差は歴然としている。また、2015年に発生した地震では多くの医療施設が被害を受けており、妊婦たちが医療サービスを受けることを妨げる原因となっている。たくさんの女性が、妊娠出産のリスクから解放され、安全に子供を産むことができるようになった反面、今もその救済を受けることができないまま苦しんでいる女性がいる。女性の健康という面で大きな発展を遂げたネパールが、更なる発展を遂げることができるのか。継続して注目していきたい。
※1 妊産婦死亡率:妊産婦10万人中の死亡数を示す
※2 GNI(国民総所得):居住者が国内外から1年間に得た所得の合計
ライター:Tomoko Kitamura
グラフィック:Tomoko Kitamura