「ホットドッグ1つ買うのに、1カ月分の給料を払わなくてはならないんだ。」こう語るのは、コロンビアの難民キャンプで暮らすベネズエラ移民・難民(※1)の男性だ。現在ベネズエラを襲う政治的・経済的・社会的混乱により、1日に約5,500人ものベネズエラの人々が、彼のように祖国を離れ、安全な暮らしを求めて近隣国に流入している。その数はすでに300万人を超え、2019年末には530万人に達すると予測されている。不安定を極めたベネズエラ国内情勢が注目を集める中、一部で「巨大地震発生時にも匹敵する」と言われる大量移民・難民問題に対する懸念や詳細については、触れられないことも多い。この記事では一般のニュースからは見えてこないベネズエラ移民・難民問題の本質を探る。

ベネズエラを去り、コロンビアに向かう一家(写真:Voice of America / Wikimedia [CC-BY-SA-3.0])
ベネズエラの現在
移民・難民問題に入る前に、ベネズエラの人々が諸外国へ逃れる原因となった、同国の政治・経済・社会の混乱に触れておこう。2019年に入ってからも事態は悪化する一方だ。経済危機の深刻化に伴い、現職のニコラス・マドゥーロ大統領を横目に、野党を率いるフアン・グアイド国会議長自ら暫定大統領だと主張し、複数の諸外国がすでにこれを承認している。2人の大統領によってちぐはぐに統治されるベネズエラは、すでに破綻国家の様相を呈してきている。月収でホットドッグ1つしか買えないインフレ率は第一次世界大戦敗戦後のドイツ・2000年代後半のジンバブエに並ぶとも言われ、1千万 %に達する見込みだ。通貨が機能不全に陥ったこの国では、あらゆる物資の不足から国民の約90%が貧困状態にあり、1年間で1人当たり平均11kg体重が落ちているとの報告もある。85%の病院で医療器具がまかなえず、マラリア患者も増加している衛生状態もさることながら、生きるために金を得る最終手段が窃盗や強盗。強盗殺人に至る場合も含め、ベネズエラは現在殺人率が世界ワースト3に入る、決して安全とは言えない国になってしまった。
そもそも、何がここまでの混乱を招いてしまったのだろうか。まず、国内の要因としては、ウゴ・チャベス前大統領によって打ち出された「21世紀型社会主義」政策の破綻の影響は甚大だろう。現在も貿易収入の96%を石油に依存しているベネズエラでは、石油利権をめぐって汚職が横行していた。これに反発したチャベス前大統領が、石油収入の公平な分配を誓って打ち出した「21世紀型社会主義」政策では、政府の市場への大幅な介入が行われ、貧困層でも生活必需品が購入できるよう、価格がコントロールされるようになった。その結果、あまりに低価格に設定された物品は収益とならず、多くのメーカーや農家で生産量が激減し、生活必需品や食料がかえって手に入らなくなってしまったのだ。チャベスは改革半ばの2013年に癌で死去、現職のマドゥーロ大統領に白羽の矢が立った。彼の価格管理政策の強化は、さらに多くの企業を倒産させ、現在ベネズエラの産業はわずか30%しか機能していない。

生活物資の不足を訴えるベネズエラの人々。ボードには「物不足に抗議 どこに行けばこれらの品を買えるのか?」の文字(写真:María Alejandra Mora (SoyMAM)/ Wikimedia [CC BY-SA 3.0])
次に、外的要因として最も大きいのは、2014年の石油価格の世界的な下落だ。上記の通り、産業の大部分を石油に依存するこの国は、石油価下落の打撃を殊の外受けることとなった。石油業界で多数報告されている不法資本流出により、本来ベネズエラが享受すべき石油利益が、輸入国側である先進国に搾取されていることも、石油に依存するベネズエラ経済が回復できない原因のひとつとして考えられる。また別の要因として、アメリカ政府の干渉は無視できない。経済的圧力のみならず、2002年には反米チャベス政権の転覆を図る一部の民衆および軍部を、アメリカがバックアップし、反米政権打倒のためのクーデター未遂が発生した。2019年に入ってからも、トランプ大統領と、ベネズエラの政権打倒をもくろむ一部の政府要人が通じており、新たなクーデターを計画しているとの報道や、アメリカの石油企業がベネズエラの原油を入手するために、政府が軍事介入すべきだというアメリカ官僚の発言もある。さらに詳しいバックグラウンドについては、こちらのGNVの記事を参照いただきたい。
他国で生きるベネズエラの人々
絶望的状況のベネズエラを逃れ、やっとの思いで近隣諸国にたどり着いた彼らは、どのような生活を送っているのだろうか。専門性の低い職業は、受け入れ国自国民と、大量に流れ込んだベネズエラ移民・難民で飽和している。行き場を失った彼らは、たとえベネズエラで専門職に就いていたキャリアがあったとしても、日雇い労働や、路上でスナックを売り歩いて、地道に小銭を稼ぐしかない。

ペルーの路上でジュースの売り子をするベネズエラ移民・難民(写真:LLs / Wikimedia [CC-BY-SA-4.0])
さらに貧困が深刻化すると、特に若者は武装集団からのリクルートや、売春や誘拐のターゲットになってしまいやすく、実際にカリブ海の島国、トリニダード・トバゴでは、ベネズエラで弁護士だった女性が、娼婦として人身売買されたケースもある。負の影響を受けるのはベネズエラ国民にとどまらない。貧困に耐えかねたベネズエラの元漁師たちの海賊化にともない、トリニダード沿岸部への襲撃が発生するようになった。地元住民からの金品強奪や誘拐が問題視されている。これら近隣国はどのような姿勢でこの深刻な移民・難民問題に対処しているのだろうか。
門戸開放政策
このベネズエラ移民・難民問題に対して、中南米で共通意識とされているのが、門戸開放政策である。これは、危機的状況下にあるベネズエラ移民・難民に対して各国門戸を開き、できる限り柔軟な姿勢で迎えよう、というもので、いくつかの国では彼らへの特別制度が導入されている。以下は各国の移民・難民受け入れ人数を図示したものだ。
上の図でも示した通り、ベネズエラ隣国のコロンビアには、すでに100万人以上のベネズエラ移民・難民が入国しており、その対応は南米の中でも随一の寛容さを誇る。ビザなどの公的書類なしでも入国可能なだけでなく、学校教育や救急医療等へのアクセスも確保している。コロンビアがベネズエラに対してここまで宥和的なのは、コロンビア紛争中に多くのコロンビア難民がベネズエラに逃れた際、親身な対応を受けたことが人々の記憶に新しいからだろう。コロンビアにとってベネズエラの人々を受け入れることは一種の「恩返し」 と言えるかもしれない。また、ペルー政府も彼らの就業をできる限り早く進めるため、入国手続きの円滑化に注力している。2017年にはベネズエラ移民・難民の一時滞在許可制度を導入し、1年間の就業や教育へのアクセス、銀行口座の開設許可など、比較的寛容な対応を取っている。
各国の限界
門戸開放政策が共通認識とはいえ、毎日ひっきりなしに押し寄せる移民・難民全員を無条件に受け入れることは簡単ではなく、入国制限は厳しくなる一方だ。世界銀行によると、ベネズエラ移民・難民はコロンビア政府にこれまでに12 億米ドルの負担となり、これは2018年9月の時点で、同年のコロンビアのGDPの0.5%に相当するという。いつまでも現在の宥和的な対応を続けていられる見込みは薄く、2018年に敷かれた新たな規制では、登録がなければ公的サービスへのアクセスが制限されるようになった。

国境に押し寄せるベネズエラ移民・難民を誘導するコロンビア警察(写真:Policia Nacional de Colombia / Wikimedia [CC-BY-SA-2.0])
ペルーとエクアドルでは、2018年に入国時のパスポートの提示が義務化された。ペルーにはこれまで50万人、他国への中継地点として利用されるエクアドルには18万人が流入し、中には不法滞在者も多い。他国に入国する際のパスポートの提示はほとんどの国で当たり前だが、社会サービスの破綻しているベネズエラでは、パスポートの発行に最大2年を要する。手続きをスピーディーに行う闇業者が通常3ドル程度で取得できるパスポートに800米ドルから1,000米ドルを上乗せする代行サービスも存在しているが、最低月収が50セントのこの国では、パスポート取得は多くの人にとって実質不可能だ。実際にこの制度が導入されてから、導入前1日約5,100人だったペルーへの入国者数は、1,200人まで減少している。また、パナマは通貨が米ドルであることから、仕送りが稼ぎやすく、多くの人の目的地となってきたが、ビザの提示が義務化され、入国は厳しくなっているようだ。
ベネズエラの人々をさらにハードな姿勢で迎えるのがブラジルだ。ブラジルにも難民キャンプが設置されているとはいえ、そこで暮らすほとんどが地べたで生活し、栄養失調や病気、売春や暴力の危険にさらされている。難民の生活環境のみならず、ブラジルの難民認定にかかる時間も特筆して遅い。ブラジルでは難民認定審査中の就職活動を許可されているが、これには数カ月かかるため、雇用主が、認定が下りるかわからないベネズエラ人を雇用する可能性は低く、結果的に合法的な手続きを行っていないインフォーマルセクターへの就職が多くなってしまう。さらに、「ベネズエラ危機は南米全土の調和を乱している」として、秩序の維持を掲げたブラジル軍隊が国境付近のベネズエラ難民キャンプに派遣された。治安の悪化に怒った周辺住民が難民キャンプを襲撃し、放火事件も発生している。

ブラジルの難民キャンプ(写真:Marcelo Camargo / Wikimedia [CC-BY-3.0-BR])
ベネズエラ移民・難民たちのこれから
門戸開放政策は、移民・難民受け入れに難色を示す傾向が強い昨今の世界において、見習うべきモデルと言えるかもしれない。しかし、ここまで見てきたように、各国のキャパシティの限界や、経済的負担から考えて、扉がいつまで開かれているかわからない。
2018年11月、中南米12カ国の出入国管理局がペルー首都にて「リマ宣言」を発表した。これは、ベネズエラ移民・難民はもちろん、受け入れ国国民の安全にも配慮した移民手続き効率化のための対策を講じることに合意し、国際犯罪の予防と特定のための既存のイニシアチブの維持と改善を行うことを宣言したものだ。
リマ宣言に続き、2018年12月には、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と国際移住機関(IOM)の指揮で、16カ国95団体がベネズエラ移民・難民と受け入れ国への緊急支援に協力することで新たに合意した。この「ベネズエラ難民や移民対応計画」の支援額は7億3,800万米ドルに達し、主な移民・難民受け入れ国家16カ国220万人のベネズエラ移民・難民と、50万人の移民・難民受け入れ国民が対象となる。この資金は救急医療や難民保護、社会経済的・文化的統合、受け入れ国側のキャパシティ構築に使われる予定だ。このような地域的移民・難民対応計画は、アメリカ大陸において、初のベネズエラ移民・難民問題に対する処方箋であり、受け入れ国の社会的、経済的安定を目指すものである。

コロンビアの路上のベネズエラ移民・難民の母子(写真:Brian Daniel Quiroz Murill / pxhere [CC-0])
以上で見てきたように、ベネズエラ移民・難民問題は現在中南米で最重要問題として頭をもたげている。執筆現在、ベネズエラでは政権が争われており、「解決手段」としてアメリカの軍事介入までほのめかされている。しかし、どのように決着したとしても、ベネズエラの経済がすぐに回復に向かうと考えにくく、移民・難民は今後ますます増加すると予測されている。残念ながらここまで紹介した政策はどれも応急処置にすぎず、この事態に長期的にどう向き合っていくのか、具体的な施策はいまだ模索中だ。事態は一刻を争うが、長期的な共存を実現するには、受け入れ国側のコミュニティを、公的な経済や雇用市場に組み込むことが不可欠であり、それにはまだ時間がかかりそうだ。他国に逃れるしかなかったベネズエラの人々を、今後近隣国、そして世界がどのように迎え、どのようにこの問題を収束に向かわせるのか、器と技量が試されるだろう。
ライター:Yuka Komai
グラフィック:Saki Takeuchi / Yuka Komai
※1 統計上移民と難民を完全に区別することは難しいため、文中では便宜上「移民・難民」と表記しているが、ほとんどは難民としてやむを得ずベネズエラを離れた人々を指す。
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難民移民問題と言えば中東ヨーロッパばかりがニュースに取り上げられがちですが、一国が崩壊寸前の非常事態であることもを知らなかったことを恥ずかしく思います。アメリカが関わっているため、日本では報道しにくいのでしょうか?普段見ているニュースがいかに偏っているかを痛感させていただきました。
日本では、シリア難民や、欧米での移民問題に多く焦点があてられており、ベネズエラでここまで難民問題が深刻化しているとは思いませんでした。その中で助け合いの精神からの門戸解放宣言は、非常に良い宣言だと思いました。
移民・難民に対して、世界でも有数の入国が厳しい日本でも、このような考え方があっても良いではないかなと思いました。
ベネズエラがこんなに危機的状況であるとは知りませんでした。すごいインフラ率ですね。弁護士の方でも売春でしか稼げない移住先での現状も問題と思いました、今までのgnvの難民受け入れは経済面でプラスなのかマイナスなのか色んな研究結果がありますが、各国がどうすればプラスに持っていくことができるか考える必要があるのかなと思います。
コロンビアの難民・移民受け入れの対応は本当に見習うものだと思いますが、恩返しという側面がある以上、理想であるも一概にロールモデルと言うことはできず、むしろ南米全体として見られる門戸開放政策こそ今の時代に各国が持つべき前提ではないかと思います。ただし、難民や移民の受け入れは、既存住民の感情的な問題や社会的な懸念も多く、ただ受け入れるだけでは経済的な負担もばかにならないため、受け入れで終わる仕組みではなく、国民の理解情勢や移民たちの自立を促すような、受け入れ前後のフォローを構築する必要がありますね。