報道機関が伝えることができる情報量は限られている。報道機関の予算は減りつつあり、読者・視聴者が報道に触れる時間にも限界がある。そのような中で、割り当てられている国際報道量は報道全体の10%程度であり、新聞・テレビのニュースになると紙面や放送時間の関係でさらに限られてくる。その結果、世界で起きている出来事や現象の多くが伝えられておらず、たとえ報道されたとしても複雑な現状が短く省略された内容になる。また、国際報道で使われる用語や概念の細かいニュアンスを毎回説明することは難しく、報道機関と読者・視聴者との間でその意味を共有していることが前提となっている。そのことばの意味が実際の物事や現象の一部にしか着目していないものであったり、本来の意味からズレたものであったとしても、誤用のまま繰り返し使っていくうちにそのことばの意味が定着し「常識」となる。
そのような結果として国際報道でよく用いられることばが現実を十分に反映していない場合も生じうるため、今回の記事では誤解を招きかねないことばを5つ(五十音順に)紹介したいと思う。

イエメン、サナア首都(写真:Vladimir Melnik / Shutterstock.com)
「国際貢献」
日本のメディアにおいて、「国際貢献」は主に自国から他国への「支援」という文脈で使われている。例えば、2014〜2018年の5年間、朝日新聞で「国際貢献」に言及している記事の90%以上は、平和維持活動(PKO)、日本での技能実習生問題、緊急・開発支援など、日本政府や団体による支援の文脈で紹介されていた。しかし、「国際貢献」の定義をみると、支援はその一部に過ぎない。例えば、ブリタニカ国際大百科事典小項目事典によると、国際貢献とは「国際的な課題に積極的な役割を果していこうとする立場」だとされている。国際的な課題に積極的に取り組むのであれば、支援以外にも、問題を助長させてしまっている行動をやめることや、根本的な原因を取り除くことなども極めて重要となるだろう。
例として、低所得国における貧困問題に関していえば、世界が提供している開発支援の総額よりも、国際的な脱税などを含む不法資本流出や不公平な貿易(アンフェアトレード)といった搾取による損害のほうが遥かに大きい。また、気候変動問題に関して、日本政府は二酸化炭素の排出量削減に積極的に取り組んでおらず、さらに気候変動を助長させる国内外での火力発電所建設および運営に対する多額の助成金を提供し続けてきた。ところが日本のメディアでは、不法資本流出やアンフェアトレードに関する報道は皆無に等しく、気候変動問題に関しても根本的な原因を探る報道は少ない。つまり、メディアは世界の課題とその原因の解決に向けて積極的な取組みをしていない事実、あるいは課題の改善策を積極的に妨げている事実に着目しておらず、問題に対して行われている比較的少額の「支援」のみを「国際貢献」としている。世界が直面している課題の現状やその対策について、視聴者・読者に誤解を与えている可能性は高い。

石炭鉱山(写真: TripodStories- AB / Wikimedia [CC BY-SA 4.0])
「親◯国」
国家間または企業による貿易や国民の間の関係において、ある国が他国に対して好意的であるという意味で「親◯国」という言葉が報道で使われることがある。「親日国」、「親米国」がその代表例であろう。しかし、この言葉は具体的に誰のことをどのように指しているのかがあいまいで誤解を招きかねない。そもそも「国」というものはひとつの共同体としてまとまっているものではない。国家の政権として他国政権に対して親密で良好な関係を保つ長期的な傾向がある場合は当然あるが、それは政権同士の関係であるため、「親○政権」のような表現のほうが相応しいかもしれない。
国民が持つ他国に対する感情に関していえば、非常に多様なものであり、「親しい」、「好意的」という感情が生まれるほどの交流や知識をもっている人はそれほど多くないであろう。限られた経験・情報の中からなんとなくのイメージを持ってしまう。たとえ他国に対する具体的なイメージを持っていたとしても、その政権や外交政策に対するイメージと国民に対するイメージがズレることも十分考えられる。さらにその他国の企業に対しても、政権や国民とはまた別の次元でのイメージが存在する可能性がある。自国の経済に貢献しているのか、それとも搾取に関わっているのかなど、様々な要素が考えられる。そもそも他国の国民全体をひとつのイメージでまとめて表すこと自体がナンセンスであろう。
しかしそれにもかかわらず、報道では「親日国」という言葉がたびたび登場し、様々な誤解を招いている。それが危険な状況に繋がることも十分考えられる。2016年にバングラデシュで発生したテロ事件で、殺害された20名のうち日本国籍を有する者が7名含まれていた。多くのメディアではバングラデシュのことを「親日国」として表現し、日本人であることを知られていながらも殺されたことに驚きを隠せないという報道があった。例えば、NHKの『時論公論』では、「親日国とはいえ、『日本人だったら助けてもらえる』とは限らないことが、今回示されました」と述べられていた。つまり、この事件が発生するまでは、バングラデシュ=親日国であることが前提とされており、ゆえに事件があったとしても、日本人だから助けてもらえるはずだと思われていたように読み取れる。まさに世界の現状を捉えていない単純で危険な勘違いだと言えよう。

バングラデシュ、ダッカ首都(写真:Lain / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
「内戦」
武力紛争が報道されるとき、「国家間戦争」と「内戦」の二択に分かれている場合がほとんどではないだろうか。つまり紛争というラベルを貼るときに、「国家」が主要な単位になっている。その中でも「国家間戦争」は非常に限定的な場面でしか使われない傾向にある。例えば湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争のように、2つ以上の国家の国軍が大々的に衝突する戦争以外は、「内戦」とされる場合が多い。しかし、ある紛争に「内戦」というラベルが貼られると、あたかもひとつの国の中だけで紛争が起きており、紛争当事者もその国の中の者に限定されているかのように勘違いされかねない。
そもそも紛争の現状と仕組みを正確にみれば、「国家」は必ずしも適切な単位になっていないことがわかる。たとえ暴力行為そのものがひとつの国の領土内で起きているとしても、ほぼ例外なく、他国軍や武装勢力、民間軍事会社などが直接関与している。また、紛争当事者に基地、資金、物資、武器などを提供したり、紛争当事者の資金源となる資源を購入する者の中に国外の多くの企業等が含まれているのが一般的である。さらに隣国に難民が流れ出たり、紛争自体が他国への不安定材料となることも極めて多い。複数の国の領土内にある個別の紛争が混じり合うケースも決して少なくない。グローバル化がこのような現象をさらに加速させている。
報道において「シリア内戦」と呼ばれる紛争は特に目立つ。例えば、毎日新聞で2015年〜2019年の5年間において「シリア内戦」を含んだ記事は739にも上った。しかしシリアの紛争では、アメリカ、ロシア、イラン、トルコ、イスラエルなどが直接当事者となった経緯があり、これらの国がシリア内で直接衝突することもあれば、国の一部が占領されたこともある。さらに、隣国レバノンの武装勢力であるヒズボラや、複数の国外からきた民間軍事会社も参戦している。「イスラム国」(IS)と呼ばれた武装勢力がシリアとイラクの一部を支配下に置いたときには、国境線にある柵を抜き、国境とは関係なく行動をとることにもなった。クルド勢力も複数の国の領土をまたぐ。つまり「内戦」というラベルはこの紛争の本質をまったく捉えていない。国外からの関与の程度に差はあるものの、「内戦」ということばが相応しいほど国内のみで起きている紛争が世の中に存在することはほぼ無いと言っても過言ではない。

シリア紛争(写真:ART Production / Shutterstock.com)
「発展途上国」
いわゆる「先進国」の対義語として報道で使われており、「途上国」と略される場合が多い。このことばの最大の問題点は、対象国が「途上」の状態にあるということを前提としている点である。つまり、経済・開発状況が改善に向かっているという前向きな(希望が込められた)意味合いが含まれている。いつかは「先進国」の発展レベルにたどり着くというイメージさえ浮かばせるのかもしれない。ところが、これは必ずしもこの国々の現状を正確に表しているわけではない。
例えば、1980年代から1990年代にかけて、多くのアフリカの国々の経済が衰退したという事実がある。経済が発展から程遠い状況にあっても「途上国」ということばが使われ続けてしまっている。また、現在も世界の格差は広がりつつあり、開発レベルの低い国が高い国に追いつく見込みがないにもかかわらず、世界の経済状況は全体的に「よい方向」に向かっているという誤解を与えかねない。
傾向やその見込みを表すのではなく、現状を表すより中立的なことばとしては「低所得国」が挙げられるであろう。国連でも「発展途上国」(developing countries)という言葉は使われているが、その中で、最も開発されていない国(Least Developed Countries: LDCs、日本語では最貧国とも訳される)というカテゴリーが設けられており、世界の国の数の4分の1にあたる47カ国がそこに分類されている。しかし、読売新聞の過去20年分(2000〜2019年)の国際報道を見ていると、低所得国(42記事)、後発開発途上国(48記事)、最貧国(414記事)といった中立的な言葉より、発展途上国(1,025記事)や途上国(5,517記事)の方が圧倒的に多く使われている。

アフガニスタン、カンダハール(写真:Nate Derrick / Shutterstock.com)
「フェアトレード」
フェアトレードとは、公平または公正な貿易を指しており、低所得国からの農作物や鉱物などの資源・製品に対して適正価格での購入を推進する運動である。低所得国での生産者がそれまで不当な安価で商社などに売らざるを得ない弱い立場にあったことを認識し、最低価格の設定や生産地域におけるインフラなどの開発活動に使われる「フェアトレード・プレミアム(奨励金)」を生産者に保証している点が特徴である。つまり、フェアトレードとはあくまでも不公平な状態を正す試みであって、決して「支援」や「貢献」ではない。しかも、現状の「フェアトレード」と呼ばれている仕組みの大半は最低価格の設定レベルが低く、いまだに「公平」からは程遠い。生産者の置かれている状況が少し改善できている場合もあるが、フェアな貿易ができているとは言い難い。
しかし、日本のメディアで「フェアトレード」を取り上げるときに、そもそも肝心な生産者の姿はほぼ見えてこない。例えば、大手全国紙(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞)の10年分のフェアトレードに関するわずかな報道において、生産者に着目した記事はその3.2%に過ぎなかった。報道の大半は日本の企業や商品の紹介に割り当てられているのが現状である。また、フェアトレードとはあたかも「支援」であるかのように書かれている記事が非常に多い。例えばカカオ・チョコレート業界の文脈で読売新聞(2009〜2018年)において「フェアトレード」を含む11の記事のうち8記事は「支援」という言葉が含まれていた。「フェアトレード」ということばを含むすべての記事を見ても、「支援」や「寄付」、「チャリティ」を連想させる記事が多い。同新聞において、20年分(2000〜2019年)の記事の53%が「支援」に言及していた。毎日新聞(46%)と朝日新聞(43%)においても同じような傾向がみられた。

茶畑、ケニア(写真:Neil Palmer / Wikimedia [CC BY-SA 2.0])
以上のように、国際報道で頻繁に登場する重要なことばが、大きな誤解を招く形で使われていることは明らかである。その背景には世界での自国政府や企業の行動の問題を目立たせないようにみせるナショナリズムが元となっているようにみえる場合もあるかもしれない。また、世界における現象や仕組みに対する報道者自身の理解不足というのも考えられうる。
このような問題を指摘することは、単なる空想や意味論といった机上の問題ではなく、実際の世界にも影響を及ぼしているのが明らかだからである。報道がもたらす、または助長させる誤解は世論形成に影響を与え、それがやがて自国政府や企業による行動の改善や、世界が直面している課題に対する対策の妨げになってしまっているのである。世界に対する注目度を増やし、より包括的に、より客観的に捉えることが報道の本来の役割であろう。
「国際報道において誤解を招く5つのことば(その2)」の記事はこちら。
ライター:Virgil Hawkins