低所得国が中心となる世界の大多数は、まとめて「グローバルサウス」と呼ばれる。これは、数十年前から世界各地で幅広く使われてきた概念である。これまで日本のメディアにはほとんど登場することはなかったが、2023年1月から状況が一変し、各メディアが報道でこの表現を用いるようになり、「グローバルサウス」への言及回数が急増した。グローバルサウスの概念を説明する解説記事などが必要となるほどの記事数の増加ぶりとなり、日本の言論空間ではグローバルサウスの概念に対してある程度の定着を見せているとも言えるかもしれない。
2023年1月以降、突如としてグローバルサウスの国々や人々が置かれている現状が変わったわけでもない中、なぜ、日本のメディアの間では、これらの国々をひとまとめにした呼称の使用頻度が劇的に増加したのだろうか。本記事ではその現象が起きた理由について探る。

インド主催の「グローバルサウスの声サミット2023」の様子(写真:MEAphotogallery / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
グローバルサウスとは?
第二次世界大戦後から1960年代にかけて、高所得国の支配下から抜け、多くの独立国が生まれた。これらの国は、長年の植民地支配や独立後も続く不公平な世界経済システムで不利な状況に置かれていることもあり、貧困率が高く、開発などに必要なインフラ整備も不足する傾向にあった。
そうした中、これらの国をひとくくりとするラベルがいくつか生まれた。例えば、冷戦中の政治経済思想をもとに、世界の国々の西側諸国の資本主義陣営を「第一世界」、ソ連など社会主義・共産主義陣営を「第二世界」、そのどちらでもない「非同盟諸国」を「第三世界」といったラベルである。しかし、「第三世界」というラベルは、しばしばネガティブなものとして捉えられるようになることもあり、冷戦終結とともに使われなくなっていった。また、開発の度合いをもとに、「発展途上国」、「開発途上国」、「途上国」などというラベルも使われるようになった。しかし、「発展途上国」というラベルは、いわゆる発展途上国が「先進国」の開発レベルに向かっているという高所得国にとって都合の良い解釈であり「希望」とも言える意味合いがあることを否定できない。経済や開発レベルにおいて停滞や後退をする国も、「途上国」と呼ばれ続けてきた。
そうした中で、「グローバルサウス」というラベルが台頭した。1969年に初めて使われた言葉だが、特に冷戦後からその使用頻度が増えていった。その語源は、低所得国の多くが南半球に集中していることにある。一方、「グローバルサウス」に対して高所得国が構成する「グローバルノース」というラベルもある。しかし、地理的な意味合いはそれほど強くない。なぜならば、オーストラリアやニュージーランドのように南半球に位置するグローバルノースの国もあれば、南アジア諸国のように北半球にあるグローバルサウスの国もあるためだ。
「グローバルサウス」とは、地理的な側面より、むしろ、歴史、政治、経済上のグローバルノースとの関係性が重視される概念なのである。つまり、植民地としての歴史や、現在も続く高所得国による資源や労働の搾取および政治・経済的な周縁化といった現状を共有する国々だという認識であり、これらの国々の間で結束し、このような不利な状況から脱出するという運動的な側面もある。また、ひとつの国の中にグローバルノースとグローバルサウスが存在するという専門家の指摘もある。つまり、高所得国とされている国の中には貧困率が高く周縁化された地域やコミュニティもあれば、低所得国とされてる国の中にも富や権力が集中する地域やコミュニティもある。

コーヒー豆の選別、エチオピア(写真:Niels Van Iperen / Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0])
欧米での「グローバルサウス」の台頭
この「グローバルサウス」というラベルは、2010年代以降、欧米の高所得国メディアの報道において登場回数が多少増えていった(※1)。そのきっかけとなるような特定の事象が発生したわけではないが、移民・難民問題、世界人口、気候変動、国際貿易、世界でのカトリック教会の問題など、多様な話題に対して広く使用されるようになった。また、学術論文での言及回数も同時期に跳ね上がった。
欧米メディアの間でグローバルサウスに対する注目がさらに高まったのは2021年だった。2020年以降世界的に蔓延した新型コロナウイルスをめぐり、高所得国およびその製薬会社の行動が低所得国を置き去りにした問題をはじめ、気候危機が深刻化しても本格的な対策をとろうとしない、もしくは対策を妨げる高所得国に対して低所得国が反発するといった現象などがその背景にある。実際、2021年と2022年に欧米メディアに「グローバルサウス」が最も登場したのは国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)が開催された11月であった(※2)。
2022年に入ると、同年2月24日より始まったロシアによるウクライナ侵攻でグローバルサウスへの注目がさらに高まった。侵攻当初から対ロ結束を強めるために欧米等ウクライナを支援する国々は世界中から対ロ制裁への支持表明及びウクライナ支援を求めたが、グローバルサウスの多くの国が中立の姿勢を示した(※3)。侵攻後の数日以内にはすでにこの状態が明らかになり、ロシアを批判する国連総会での決議が採択された同年3月2日では、アフリカ諸国などによる棄権が目立ち、欧米諸国から問題視された。
これらグローバルサウスの国々に対してアメリカは協力を要請したり、圧力をかけたりした。アメリカなどのこうした態度に対し、2022年8月に南アフリカ政府からは、「見下すいじめという印象を受ける」といった発言があった。また、2022年3月7日にはロシア・ウクライナ戦争に対し中立の姿勢を貫こうとしたパキスタンのイムラン・カーン首相(当時)を引き下ろすための不信任投票を通すように圧力をかけるなどのアメリカによる内政干渉までみられた。2022年中旬以降には、対ロ制裁やウクライナ支援を強める狙いで、カナダ、イギリスなどの首脳がグローバルサウスへの配慮を滲ませる内容の声明や支援増加の約束をし始めた。
アメリカ、フランス、イギリスなど各国の主要メディアは、低所得国の支持を獲得したい欧米の対応とその課題について幅広く取り上げ、その中で「グローバルサウス」という言葉を使用する頻度が増大することとなった。

COP26で「損失と被害」について議論する様子(写真:COP26 / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
欧米を追う日本政府
他の西側諸国に比べ、日本政府が「グローバルサウス」という表現を使い始めたタイミングは大きく遅れをとっていた。日本の首相官邸の公式ホームページを確認すると、岸田文雄首相がこの表現を初めて演説で用いたのは、2022年10月27日に開催された令和臨調だった(※4)。岸田首相は11月(2回)、12月(1回)にも演説で「グローバルサウス」への言及をしたが、2023年1月に、演説や記者会見、メディアへの寄稿などでの言及回数が6回に急増した。以降も言及が続き、5月には8回でピークに達した。
日本政府が「グローバルサウス」という表現を頻繁に使用するきっかけとなったのは、2023年5月に広島で開かれた7カ国首脳会議(G7)サミットであった。同月に岸田首相による「グローバルサウス」の使用回数が最も多かったのもその理由からである。しかしなぜ、グローバルノースの7カ国のみで構成されるG7のサミットに日本政府がグローバルサウスをつなげようとしたのか。G7の議長国となった日本政府はグローバルサウスに「耳を傾け」、「地球規模の課題」について、G7サミットをグローバルサウスと「どう連携をしていくのかも考える機会にしたい。」と主張してきた。しかしその背景にはG7サミットの「重要課題」にしていたロシア・ウクライナ戦争の存在が大きいと考えられる。
こうした日本政府の意図は、岸田首相の演説などからも窺い知ることができる。例えば、岸田首相が初めてグローバルサウスに言及した演説では、すでにグローバルサウスとの「関係強化」をG7およびロシア・ウクライナ戦争の文脈で言及していた。また、2023年1月の年頭記者会見では、記者からの質問に対して「ロシアに対する制裁、そしてウクライナ支援、これを改めてしっかりと確認するとともに、グローバルサウスと言われるような国々」と「連携」するとともに、「是非G7からそういったメッセージを世界に広げていく」と述べた。結果的に、2022年の初回の言及から2023年7月までに「グローバルサウス」に言及した首相の発信全36回のうち、33回にはロシアもしくはウクライナにも言及していた。

2023年G7広島サミットの様子(写真:Number 10 / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
日本政府に誘導されるメディア
繰り返しになるが、「グローバルサウス」という表現は、1969年に誕生し、欧米などでは冷戦後から頻繁に使用されてきたが、日本のメディアに登場することはこれまでほとんどなかった。2023年に入るまでの数十年間の間に、朝日新聞では合計6記事、毎日新聞5記事、読売新聞5記事にしか掲載されなかった(※5)。これらの国を指す表現として「発展途上国」、「途上国」、「新興国」等が主流だった。しかし2023年1月から、これら新聞の記事などに登場する「グローバルサウス」という表現が一斉に増加した。2023年1月から7月までの7ヶ月で朝日新聞は123本、毎日新聞は123本、読売新聞は239本の記事において「グローバルサウス」に言及した。
日本の報道における「グローバルサウス」頻出の背景には何があるのだろうか。冒頭で述べた通り、グローバルサウスの国々で大きな変化が発生したわけではない。また、欧米の政府やメディアから日本のメディアに影響した可能性も考えにくい。上述したように、欧米の政府やメディアはすでに2022年前半からグローバルサウスに対する注目を高めており、一方日本の報道で急増したのは2023年1月以降だったため、時期の整合性がとれないためだ。確かに、日本のメディアの関心が高まった2022年12月21日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領はアメリカのホワイト・ハウスで記者会見およびアメリカ議会での演説を行い、いずれの発言においてもゼレンスキー大統領は「グローバルサウス」に言及しており、同氏の発言に対し日本メディアが注目を集めたという仮説も考えられよう。しかし、日本のメディアが同記者会見および演説に注目していたものの、少なくとも朝日新聞、毎日新聞、読売新聞によるその一連の報道において「グローバルサウス」という表現が用いられることはなかった。
日本のメディアが「グローバルサウス」に言及し始めた2023年1月には、グローバルサウスの国々が中心となる大きなイベントが開かれた。1月12日と13日にインドが「グローバルサウスの声サミット2023」をオンラインで開催し、120カ国を招へいした。同サミットには、グローバルサウスの国々が直面する諸問題などに対する各国の声を拾い、グローバルサウスの国々の結束を高める狙いがあった。しかし、このイベントが日本のメディアによるグローバルサウスへの注目のきっかけにはならなかった。読売新聞に関しては同イベントを2本の記事で紹介した一方、朝日新聞と毎日新聞は同イベントの存在にすら言及しなかった。
「グローバルサウス」というテーマにおいて、日本のメディアが耳を傾けようとしているのはグローバルサウスの国々や人々の声ではなく、日本首相の声のようだ。岸田首相による「グローバルサウス」に関する言及が急増した2023年1月に合わせるかのように、同月に報道での言及回数も増えた。報道ぶりに関しても、岸田首相の言葉を直接引用するなど、新聞社による独自の取材や分析が加わったわけではなかった。例えば、1月に朝日新聞が「グローバルサウス」に言及した記事5本のうち、4本は岸田氏が言及したことを報道していた。毎日新聞においては、1月にグローバルサウスに言及した記事3本は、いずれも岸田氏の発言が報道の中心だった。読売新聞は同じ1月にグローバルサウスに言及する記事が他紙より多い19本だったが、うちの8記事は首相もしく外務大臣の発言がきっかけとなった。19本のうち、グローバルサウスの国々が記事の中心となって取り上げられているものは4本にとどまった。
日本のメディアは、2023年1月以降も日本政府の見解を復唱するかのように、G7広島サミットにかけて「グローバルサウス」の登場回数を増やしていった。そして同サミットが開かれた5月には、各紙ともグローバルサウス関連報道量が跳ね上がり最大値に達した。
グローバルサウスに耳を傾けないメディア
各紙の報道内容をみると、ロシア・ウクライナ戦争の文脈で「グローバルサウス」を登場させることが多かった。例えば、2023年1月〜7月の朝日新聞、毎日新聞、読売新聞では、「グローバルサウス」に言及した記事のおよそ80%には「ウクライナ」が含まれた(※6)。同期間の3紙において、「グローバルサウス」に言及した同期間中の3紙の社説にも「ウクライナ」が登場した。なお、社説とは、新聞社の主張を示す論説である。
またいずれのメディアも、社説では日本政府と同様の主張を展開した。2023年5月19日から21日に開催されたG7広島サミットにおいて、ロシア・ウクライナ戦争に対して、グローバルサウスの国々との連携、協調の必要性を訴えた。同サミット閉幕の際、読売新聞は社説(5月22日付)で「ロシアを撤収に追い込むには」グローバルサウスの「幅広い協調を取り付けることが不可欠だ」と主張した。朝日新聞は社説(5月22日付)で、グローバルサウスの国々の「声に真摯(しんし)に耳を傾け、G7が自らの利害を超えて共通課題に本気で取り組む姿勢が必要だ」とG7のとるべき対応について指摘した。毎日新聞は社説(5月23日付)で、同サミットをG7とグローバルサウスとの「協調に向けた出発点にしなければならない」とした。
社説の中には、同サミットにおけるグローバルサウスとの対話を評価するものもあった。朝日新聞の社説(5月22日付)では「成果はまだ見通せない」とするものの、サミットではグローバルサウスとの「関係づくりに力点が置かれた。多様な国々のリーダーを招待し、サミット期間のほぼ半分を彼らを交えた議論に割いた」と評価された。毎日新聞の社説(5月23日付)には「ロシアによるウクライナ侵攻で世界の分断が深まる中、対話の舞台を整えたことは時宜にかなっている。G7の首脳宣言には、グローバルサウスへの配慮が色濃く反映された」といった見解が記載された。
しかし、これらの新聞の社説を通じた見解には大きな問題が復数ある。まず、G7は、その性質に鑑みれば、グローバルサウスの国々と真摯に向き合うことを可能にし、協調に取り組める場とはなっていない。G7は西側の経済大国7カ国の集まりであって、元からグローバルサウスの国々はメンバーに含まれない。また、G7の議題設定や宣言作成などにグローバルサウスの国々は参加できない。G7広島サミットにはゲストとして、グローバルサウスから6カ国が招待され、アフリカ連合(AU)やG20などを代表する国がその中に含まれた。しかし、G7の構成国が中心となっており、G7諸国と対等でない立場で、その6カ国が多様な見解や立場を持つ120以上の国々を必ずしも代表できるわけではない。
また、日本の政府もメディアも、グローバルサウスへの言及を増やし、グローバルサウスの声に耳を傾ける必要があると主張しながらも、先述のように実際の発言や記事の主題、視点、文量の大半は、グローバルサウスそのものではなく、日本、欧米諸国、ウクライナ、ロシアに関するものだった。また、グローバルサウスと連携、協調する狙いはあくまでも対ロ結束とウクライナ支援強化であって、グローバルサウスが抱える問題や優先順位がほとんど注目の対象になっていないままである。
元々グローバルサウスの国々への注目度が極めて低い。日本のメディアに関していえば、国際報道で占めるアフリカや中南米関連の報道の割合はそれぞれ2〜3%程度しかなく、ロシア・ウクライナ戦争以降はその割合がさらに減少している。日本に比較的に近い東南アジアやインドに関する報道ですら全体の報道に占める割合が少ないことから、地理的な距離については報道量に影響を与えていないといえる。また、貧困率の高い国ほど報道の対象にならないということもGNVの調査で明らかになっている。日本の政府やメディアのオーディエンスが、グローバルサウスの置かれている現状に関する理解を示すきっかけとなる情報に接することすら困難な情報環境において、いかにして日本はグローバルサウスとの真の連携や協調ができるのだろうか。
報道されないグローバルサウスの課題
ロシア・ウクライナ戦争の文脈で言及される日本のグローバルサウス関連報道では、グローバルサウスの国々が協力的にならない理由について取り上げられることがある。例えば、植民地時代の歴史や、紛争において「『どちらかにつくか』と迫る手法」などから発生する高所得国への反発や、ロシアとの経済関係に言及する記事などがある。グローバルサウスの国々がロシアのプロパガンダに踊らされているとする報道も少なくない。
しかし、グローバルサウスの国々の多くがG7などの西側諸国の協力要請に応じない理由はそう単純ではなく、その背景について深堀する報道はあまりにも少ない。ロシアがウクライナに侵攻したという国際法違反に対して批判的にみるグローバルサウスの国々も多いが、責任の所在とは別に、戦争が続いていること自体、さらには西側諸国がロシアに課している制裁もグローバルサウスの諸国に大きなダメージを与えている。グローバルサウスの国々に対して、「ロシアの侵略のような、国際法を踏みにじる行動を容認すれば秩序が崩れ、自国の安全も将来、脅かされることになる」と主張する社説がある。しかしアメリカをはじめとする欧米諸国による武力行使、国際法違反も度々行われており、グローバルサウスでは、「秩序」というものは西側諸国主導の恣意的なものとして捉えられているという側面も大きい。欧米諸国の行動を批判的に取り上げる報道もほとんどない。

ロシア・ウクライナ戦争で影響を受けたエクアドルのバナナ産業(写真:Port of San Diego / Flickr [CC BY 2.0])
また、ロシアのプロパガンダがグローバルサウスに与える影響について問題視する言説に関しては、ロシアのプロパガンダや影響工作の程度やその効果に関する正確な証拠が不足したまま、脅威ばかりが強調される傾向にある。一方、アメリカやフランスなどもプロパガンダや影響工作を行っている。しかし日本のメディアはロシアによるもののみを問題視し、西側諸国によるものへの言及は避けている。
ロシア・ウクライナ戦争以前の問題として、高所得国がグローバルサウスの抱えている問題をないがしろにしてきたという問題がある。現在のグローバルサウスの対欧米観は、高所得国こそがグローバルサウスの抱える問題の原因を作った、あるいは助長させてきた側面もある中で、形成されていった。高所得国による低所得国に対する搾取は植民地支配が終わってからも、G7諸国などが有利となっている世界の経済システムを通じて現在も続いているのだが、その事実は報道されない。
また、グローバルサウスにとっては、ロシア・ウクライナ戦争以外の武力紛争がアフリカ、中東、アジアなどの多くのグローバルサウス諸国において繰り広げられる中で、なぜ、西側諸国からロシア・ウクライナ戦争のみへの対応が迫られるのかという反発もあるだろう。世界最悪の人道危機とも呼ばれたイエメン紛争のような戦争は、アメリカが積極的に戦況を助長してきたこともグローバルサウスは理解している。しかし、イエメン紛争は、日本ではほとんど報道されない。また、グローバルサウス諸国からの難民の受け入れ数が極めて少ない日本だが、ウクライナからの難民に関しては積極的に受け入れ、手厚い支援を進めている。
気候変動対策においても、グローバルサウスの国々が、高所得国に積極的な対応を迫っており、高所得国がその原因を作ってきたことに対する損害賠償として「損失と被害」の基金の設置を求めてきたのに対し、高所得国は消極的な姿勢を示してきた。例えば、2022年のCOPでは日本政府がその基金の設置に反対する立場をとり、気候変動対策にも消極的とされている。具体的な事例でみると、気候変動が助長したとされる2022年のパキスタンの洪水で、同国は国土の3分の1が被害を受けたが、これに対して日本政府が国連を通じて拠出した緊急支援は同年のウクライナ支援の20分の1だった。また、2022年から2023年にかけて東アフリカで巨大な被害をもたらしてきた干ばつが発生したが、この人道危機に対する国連主催のドナー会議では多くの支援が求められたものの、日本政府は出席もおろか、支援金の拠出の約束もしなかった。なお、同ドナー会議は、日本政府がグローバルサウスに寄り添うと宣言したG7の閉幕から数日後の2023年5月24日に開催されている。一方、日本のメディアは同ドナー会議に関する報道を行わなかった。

2022年の洪水の様子、パキスタン(写真:Ali Hyder Junejo / Flickr [CC BY 2.0])
メディアの今後の課題
これまでみてきたように、日本政府が2023年1月から、突如「グローバルサウス」という表現を頻繁に使い始め、グローバルサウスの国々と関係強化の意欲を示し続けている。 その背景には、日本が議長国となったG7広島サミットの開催と、ロシア・ウクライナ戦争を受けグローバルサウスを巻き込んだ結束強化といった思惑があろう。しかし、こうした対応は、グローバルサウスにとって、低所得国の協力が必要となったときにだけに急に日本を含む西側諸国が寄り添うような姿勢を示すというパファーマンスだと捉えられ兼ねず、表明した成果は得ることは容易な作業ではない。
その中、なぜ日本のメディアはこの現状を見抜かずに、自国政府に植え付けられた通りの表現とその捉え方を報道し続けてきたのか。そしてなぜ、グローバルサウスの国々に耳を傾ける必要があると主張しながら、自身の報道ではないがしろにし続けるのか。報道を通じてグローバルサウスに関する理解を促すことができなければ、協調や連携が生まれることはなかろう。
GNVはこれまで、国際報道において、強力な国や国内のエリートに寄り添い、富と権力が集中するものに対して独自で見出した問題提起をしようとしない日本のメディアの傾向を指摘してきた。今回の調査でもその傾向があらわになった。日本の国際報道はこのままで良いのだろうか。
※1 例えば、アメリカのニューヨーク・タイムズの記事においては2013年から2020年の間に毎年10本程度に登場していた(ProQuestのデータベース「New York Times」での調査)。
※2 ProQuestのデータベースで欧米の主要な英文メディアの記事数を調査。
※3 数回にわたる国連の対ロ非難決議では無投票や棄権した国も多かった。
※4 ただし、その約2週間前の2022年10月14日には、NHKへのインタビューでも言及している。
※5 朝日新聞に関するデータは「朝日新聞クロスサーチ」、毎日新聞は「毎日新聞 マイ索 」、読売新聞は「読売新聞 ヨミダス歴史館」のデータベースで記事数を調査。キーワードとして「グローバルサウス」、「グローバル・サウス」も含む。
※6 朝日新聞:80%、毎日新聞:83%、読売新聞:76%。
ライター:Virgil Hawkins
グラフィック:Virgil Hawkins
日本の国際報道はこのままでは良くないと考えているが、改善も望めないのが今の大手メディアの現状であるかと思います。「グローバル・サウス」といった言葉についてもその背景についてももっと掘り下げて報道すべきかと。日本政府のグローバル・サウスに対する姿勢についても問い直す・今抱えている世界的な問題などについても取り上げるべきでした。先んじて情報を取る、深堀するのではなく政権の動向に左右される・政府広報にだけ甘んじているようでは大手メディアの未来はないでしょう。
しっかり最後まで読みました。私はまず発展途上国という言葉から考えていく必要があると感じました。そして、こんなにもグローバルサウスについて考えたことはこれまでなかったので、今起きている様々な問題点に関連づけてもっと理解を深めたいと思いました!☺